「足の行方」
芹沢優から話を聞いた翌日、進藤冬美はいつものように二年D組の教室にいた。だがその心中は決して穏やかではなかった。
「足が消えた……」
自分の席に座りながら誰にも聞こえない程度の声量でぼそりと呟き、五感を閉ざして一人思案にふける。周囲では挨拶の声や他愛もない雑談が交わされていたが、それらは一つとして冬美の世界に入り込む事は無かった。
「ううむ……」
彼女は昨日からずっとこの調子だった。正確には昨日、優と別れて面会室から外に出た頃から、冬美はずっとこの調子であった。
「バカ野郎! どういうことだ!」
優からの頼みを受けて何食わぬ顔で面会室から出た二人の耳にまず入ってきたのは、どこからか聞こえてきた怒鳴り声であった。その声はやや高音でしわがれていたが泣く子も黙るほどの鬼気迫る存在感を秘めており、それはまさにカミナリ親父とでも言うべき迫力であった。
そんな突然聞こえてきた怒りの声を受けて、二人は悪事のばれたいたずら小僧のように恐怖で背中を震わせた。そんな二人の耳に、間髪を入れずに同じ人物が発したと思われる声が再度聞こえてきた。
「そんな説明で納得できると思ってるのか! いい加減にしろ!」
その先ほどと変わらないトーンの怒声は、乱暴に床を踏みつけるような足音と共に段々とこちらに近づいてきていた。それを察知した亮と冬美は慌てて面会室の中に戻り、それから閉じきったドアに耳を当ててこちらに向かってくる声に意識を集中させた。
「何してるんです?」
まだ面会室に残っていた優がそんな二人の様子を見て、彼らの背中に向けて怪訝そうに声をかける。だが亮達はそれに答えず、じっとドア越しの会話に耳を澄ませていた。
「ほ、本当なんですよ! 消えたんです! 新山刑事が押収してきた足が、あしが」
「消えたっていうんだろ? 馬鹿馬鹿しい。バラバラ死体のパーツが独りでに消えるわけないだろうが!」
すがるような調子で放たれた若く気弱そうな声にそう猛々しく反論した後、老いてなお血気盛んなその声の主はなおも何事か説教めいた言葉を叫びつつ足音と共に遠くに消えていく。やがて完全に音が消えたのを確認して亮達が大きく安堵のため息をついていると、今度はそんな二人の背後から優が声をかけてきた。
「ねえ、どうしたの?」
「えっ、あっ、優か」
その声を聞いて今更彼女の存在に気づいたのか、亮が彼女の方を向くなり思い出したように言葉を返す。優はこの時のどから出かかっていた言葉をいったん飲み込み、平静を保ちつつ亮に尋ねた。
「何がどうしたんですか?」
「あ、ああ。実はだな」
訝しむ優に、亮が先ほどドア越しに聞いた話を脚色せずにそのまま優に伝える。そうして実際の会話を全て伝えた後、亮は次に自分の推測を述べた。
「多分あいつらが話してたのは、お前が持ってきたあの足のことだ」
「シユウとかいう怪物の足クマ」
その亮の推測に冬美も同調する。そんな二人の言葉を受けて、優は即座に頷いた。
「きっとそうです。足が逃げ出したんでしょう」
「でもそんな事本当に出来るのかクマ?」
「あれに出来ない事はないわ」
疑問を呈した冬美に優が即答する。その直後、彼らのいた面会室の外が途端に騒がしくなった。ドアの向こうからは不安と焦りに満ちた声と方々へ行き交う足音が聞こえ、その絶えることなく聞こえてくる音の群れがその場の混乱を何より雄弁に語っていた。
「……かなり慌てているみたいだな」
「本当に逃げ出したみたいクマ」
その秒刻みで大きくなっていく混乱の様子を前に、二人が自身の推測を確信へと変えていく。二人と違って最初から彼らの説を肯定していた優はさして驚く様子もなく、代わりに呆れた表情を浮かべてため息混じりに呟いた。
「ほんと、余計な事しかしないんだから」
「どこに行ったかわかるか?」
亮からの問いかけに、優は黙って首を横に振った。
「わかりません。力を回復させるためにどこかに潜んでいるんでしょうけど、どこにいるかまでは正直・・」
「見当もつかんか」
「はい」
「あの家で待ってるって言ってた方は? あっちは何か掴めないのかクマ?」
「無理だと思う。彼女はそういう繊細な作業は苦手なタイプだから」
冬美の問いに対する優の言葉を聞いて二人が肩を落とし、続いて優本人もため息をこぼす。そのうちドアの外から聞こえていた喧噪も次第に鳴りを潜めていき、それをみた亮がぽつりと言った。
「今日はここで引き上げた方がいいかもしれないな」
それを聞いた冬美が着ぐるみの頭を動かして頂垂れた格好を取る。優が二人に言った。
「そうした方がいいですね。あまりここに長くいると、とばっちりを食らうかもしれませんよ」
「むう、それは困る」
「じゃあもう行くクマ?」
冬美が顔を上げて亮の方を見る。亮は一つ頷いた後、優の方を見つめて苦い表情を浮かべ重々しく言った
「優、お前の方は大丈夫か?」
「ええ。なんともないです。私はやましい事は何もしてませんから」
「本当に平気かクマ?」
「平気よ。そっちの方も気をつけてね」
「ああ」
優の言葉に亮がうなずき、冬美も続けて首を縦に動かす。その後亮は一度ドアを僅かに開けて外を確認し、誰もいないのを見てからドアノブを持ったまま優の方へ振り向いて言った。
「それじゃ、俺達は帰るからな」
「また学校で会うクマ」
冬美も亮に続けて言葉を放ち、それから二人はゆっくりと開けられたドアからこっそりと外に出ていく。そして冬美が外に出た後でそのドアは開けた時と同じくらい静かに閉じられていき、やがて僅かに音を立てて閉じられた。
そのドアが完全に閉まる直前、冬美はその隙間越しに優が両手のひらの上に一つずつ魔法陣を展開させているのを見た。彼女がこれから何をしようとしているのか気になったが、冬美は深くは考えずにドアから離れた。
それ以来、冬美はずっと消えた足の事を考えていた。どうやって消えたのか、どこに行ったのか、何を目的としているのか、その他諸々の事が気になって仕方なかったのだ。これはもはや異なる星の異なる文化や文明を調べるという異星観測員の性であった。
「おはようございます、進藤様」
そのとき、席に着いた彼女のすぐ正面から見知った声が聞こえてきた。冬美がそちらに視線をよこすと、そこには彼女の友人である十轟院麻里弥が背中に日本刀を背負ったいつもの格好で腰を落とし、冬美と同じ目線の高さを保ちつつこちらを見つめてきていた。
「ああ、おはようクマ」
冬美が慌てて挨拶を返す。それを聞いた麻里弥は口元に握った手をあてて小さく笑ってから、再び冬美の方を見て言った。
「昨日、早乙女様とお会いになられたそうですわね。ご本人から聞いておりますわ」
「え、早乙女?」
「早乙女幸子様。あのウェディングドレスを着たお方ですわ」
「ああ」
花嫁衣装に身を包みながら大鎌を振り回す女の姿を脳裏に思い浮かべながら、冬美が思い出したように麻里弥に言った。
「そういえば、マリヤもあそこで戦ってたクマね」
「はい。わたくし早乙女様とはお友達ですの。よくプライベートでもご一緒に買い物に行ったりしていますのよ」
「そうなのかクマ。それは知らなかったクマ」
その冬美の言葉を聞いて再度小さく笑ってから、麻里弥は冬美をじっと見つめて言った。
「時に進藤様、早乙女様の正体をお知りになられたいそうですわね」
「それもあのサオトメから聞いたのかクマ?」
「はい」
「私とサオトメがどういう関係なのかも?」
「はい。早乙女様と進藤様は夜遅くに出会われているのですよね? そのとき進藤様は何かに襲われていて、そこに早乙女様が割って入ったと」
麻里弥が素直に頷く。嘘をついても意味がないので冬美は正直に言った。
「まあそういう事クマ。いきなり現れていきなり消えたから、どういう人物なのか全然わからないクマ。今は別のことにも興味があるけど、こっちの方も気になって仕方ないクマ」
「だと思いました」
正直な冬美の言葉を聞いて麻里弥がクスリと笑う。それから立ち上がって冬美の横に移り、彼女をじっと見下ろしながら言った。
「あれは副業でございますわ」
「副業?」
「賞金稼ぎです」
冬美は一瞬麻里弥が何を言っているのかわからなかった。そして一瞬思考をフリーズさせた後は即座に頭を動かし、彼女の言った言葉の意味を深く考えながら慎重に口を開いた。
「その、賞金稼ぎっていうのは、つまり、賞金首を倒してお金を手に入れるっていう、あの?」
「はい。早乙女様は闘技場で戦う以外にも、ああして賞金稼ぎとして活動しておられるのですよ」
「リトルストームって副業していいところなのかクマ?」
「というよりもむしろ、リトルストーム自体が賞金稼ぎを対象にした仕事の斡旋所になっている感じですわ。あそこで戦っている方々は大抵、早乙女様のように賞金稼ぎとしても活動しておられますわ」
そうスラスラと説明をしていく麻里弥を前にして、冬美は驚きと感心の混じった相槌を打った。
「地球の人間はそんな事もしてるのかクマ」
「自衛行為の一環ですわ。今は宇宙規模でグローバルな時代。昔の考えに凝り固まった今の警察は全く役に立ちませんもの」
「あれに頼る前に自分達でなんとかしようと、そういうことかクマ」
「毒を以て毒を制するとも言いますわね。賞金稼ぎの中には地球人でない方々も混じっておられますから」
麻里弥の解説を聞いて、冬美が着ぐるみの奥で難しい表情を浮かべて考え込む。それからすぐに視線を麻里弥に戻し、彼女に新しく浮かんできた疑問をぶつけた。
「ところでその賞金稼ぎが討伐対象にしている奴って、具体的には誰を対象にしているクマ?」
「そうですわね……」
その質問を受けた麻里弥は顔を上げて暫し考え込む。そしてその目線が教室の窓に向けられたとき、麻里弥は「あっ」と小さく声を発した後で再び冬美の方を向き、溌剌とした声で彼女に言った。
「討伐対象は主に普通の人間の手には負えない異形の存在。怪物や宇宙人、物の怪や幽霊と言ったものですわね。具体的にはあのようなものですわ」
そういって麻里弥が窓の外を指さす。それにつられて体を動かして窓の外へ視線を向けた冬美は、そこにある光景を目の当たりにして次の瞬間己の体を石のように硬直させた。
「何あれ」
「怪物ですわね」
「怪物って、いや、怪物だけど」
唖然として呟く冬美に麻里弥がよく通る声で返す。そうやりとりをする彼女たちの視界には、窓の外で苛立たしげに地面を踏み荒らす二本の筋肉質な足が映っていた。冬美と麻里弥だけでなく、その教室にいた全員がその足を凝視していた。
その足は胴体から切り離された状態で自立しており、学園の校舎と同じ大きさを持っていた。