「七十二の王」
ソロモンとはイスラエル王国第三代国王の名であり、王国の全盛期を築いたとされる王である。彼は神から与えられたと評されるほどの深い知恵と見識を持っていたとされる一方、多くの悪魔を下僕として使役していたともされていた。「レメゲトン」の第一章に記載されている七十二柱の悪魔もその一つである。この悪魔達はソロモン王が真鍮の壷に封じ、使役したとされている。
「そんなソロモン王の悪魔使いとしての知恵と技術を受け継ぎ、その力をもって現代に蔓延る凶悪な『モノ』を封印し、使役する存在。それこそが獣使いであり、私はその一人というわけです」
「退魔師とはどう違うんだ」
「獣使いは退魔師の上位互換のようなものです。モノを物理的に倒すのが退魔師で、彼らでも倒しきれない強大な存在を封じるのが獣使いと、そんな感じです」
優の簡単な説明を聞いた亮と冬美は、しばらくの間呆然とした。
「獣使いか……」
「自分の素性は警察にあかしたのかクマ?」
「言ったところで信じてくれないわ。だから何も言ってないし、言うつもりもない」
「だろうなあ」
しかし二人はすぐに回復し、亮が半信半疑に優に尋ねた。
「でもその、ソロモン王の悪魔の部分は確か俗説なんだろ? あくまで伝説でしかないって聞いたんだが」
冬美も亮の質問に同意するようにうんうんと頷く。それに対して優は静かに首を横に振った。
「彼は本当に悪魔を使役していたんです。今では伝説として語られていますが、彼はその知恵をもって悪魔達を封じ、手足として使っていたんです」
ソロモン王が悪魔を使役しているという伝説が生まれたのは、彼が件の通りの常人離れした知恵を持っていたこと以外にも、彼が異国の妻を多く娶り異教の神々を祀っていた事などが原因であった。当時のイスラエル王国ではユダヤ教が強く信仰されており、それ以外の宗教を信仰するソロモン王はその不思議なまでの頭の良さと共に周囲から異質な存在として見られていたのだ。
だがそれらは全て事実を覆い隠すための方便であり、実際はソロモン王は本当に悪魔を使役していたのだ。優は二人に対して続けてそう説明した。
「それ本当かクマ? それはもう現実じゃなくてオカルトの領域だクマ」
「事実は後からいくらでも歪められるのよ」
続けて問いかけた冬美に優が彼女の方を見て静かに反論する。それから再び亮の方を向き、彼の目を見ながら話を再会した。
「とにかく、ソロモン王は悪魔を使役していたんです。それとついでに言っておきますが、いくらソロモン王が悪魔を使役していたと言っても、彼はそれに関する資料や本は一冊も書いていません。有名な魔道書として『ソロモン王の鍵』とか『レメゲトン』とか呼ばれてる物がありますけど、あれは別にソロモン王本人が書いた物ではありません」
「じゃあ誰が書いたんだ」
「私と同じ、当時の獣使いの誰かだと思います。成立年代は<鍵>の方は十四世紀か十五世紀、『レメゲトン』の方は十七世紀です。布教のために書いたのか、金稼ぎのために書いたのか、自分のために書いたのかはわかりませんが」
亮の質問にそこまで答えた後、しばらく間を置いて優が言った。
「少なくとも、ソロモン王本人は自分の持つ技術を誰かに教えようとはしなかった。息子達に教えようとはしてたみたいですけど、それ以外の人物には対してはひた隠しにしていた。自分以外の誰かに悪魔を使われたら死活問題ですからね」
「でもそれじゃあどうやってその、ソロモン王の知恵を知ったんだ? 誰にも教えてないんだろ?」
「それは簡単です」
優がきっぱりと言い返す。何事かと注目する二人を前にして優が答えた。
「ソロモン王の霊を現世に呼び寄せて話を聞きだしたんです」
刹那、優を見る二人の雰囲気がガラリと変わった。それまでの興味津々な明るい空気が、一瞬にして何か可哀想な物を見るようないたたまれない物へと変化した。
「そ、そう聞いてるんです! 先代の獣使いが冥界のソロモン王を現世に降ろして直接聞きだしたって、私はそう聞いてるんです!」
その痛い空気を何とかしようと優が声を大にして叫んだが、効果はあまり無かった。そのうち亮が咳払いをして、その後すっかりそっぽを向いてふてくされていた優に対していやに明るい声で話しかけた。
「ま、まあお前がそう言うんならそうなんだろうな。とにかくお前が獣使いで、獣使いがソロモン王の知恵を使って悪い奴と戦う存在だということはわかった」
「……そうですね。簡単にまとめればそうなりますね」
「ということはだ。お前が縛ってたあの足も、その、悪い奴なのか?」
その亮の言葉を聞いた直後、優が目の色を変える。ふてくされていた顔を真剣なそれに変えて、改めて二人の方へ目を向けて言った。
「おっと、そう言えば忘れてた。すっかり忘れてた」
「そうなのか。で、どうなんだ」
催促する亮の言葉にそう答えてから続けて優が言った。
「先生の言う通り、あれは悪い奴です」
「あれはいったい何なんだクマ。妖怪か何かかクマ?」
冬美の質問に優が黙って首を横に振る。それから優が声を低くして言った。
「もっとひどいものよ」
「じゃあなんなんだ」
「蚩尤」
「シユウ?」
聞き慣れない単語を聞いた亮が渋い表情で聞き返す。その横にいた冬美が訝しむような声で問いかける。
「何者だクマ」
「大昔の中国にいた皇帝。不死身の怪物よ」
「不死身って、本当かクマ?」
「ええ。本当に死なないの」
真剣な声で問いかけた冬美に優が真剣に返す。冬美が息をのみ、それに次いで亮が尋ねた。
「なんで中国の怪物がここに?」
「誰かが持ち込んだとしか思えないです。あれは元々、中国で厳重に封印されていた代物ですから」
「それも獣使いが封印したのか」
「はい。大昔の、先代の獣使いが」
「バラバラにされてたのも封印の一つなのかクマ?」
「そうよ。かなり凶暴で手に負えない存在だったから、大昔にあれを封じた人たちはまず体を手足と胴体と首に分けてそのパーツごとに縛り上げて、それからそれぞれ違う場所に埋めて封印したの。でもあいつは不死身だから、全身バラバラになっても死ななかった。体から離したはずの首や手足が、まるで別の生き物のように拘束を解こうと暴れ回ったという話よ」
「凄い奴だな」
亮が素直に言葉を漏らす。それに頷いてから優が言った。
「本当に危険な奴なんです。あれは不死身だから危険なんじゃなくて、本当に強いんです。完全に復活して暴れ出したりしたら、かつて封印した時のように数十万人規模で立ち向かわないと止められない。だからそうなる前に、私がああやってパーツを回収していたんです」
「集めていたのはお前だけなのか?」
「そうです」
「どうして?」
「パーツが持ち込まれたのがこの町であり、ここは私の管轄だからです。他のエリアを担当している獣使いも、ちょうどそれぞれの任務を請け負っていて応援に来ることが出来なかったんです」
「エリアごとに仕切ってるのか」
「でもだからって、不死身の怪物を一人で取り扱えって言うのは無茶な注文だクマ。理不尽とは思わなかったのかクマ?」
「それが仕事だからね。嫌って言ってる暇は無かったわ」
冬美からの問いに優がため息混じりに答える。それから優は亮の方へ視線を向け、声のトーンを落として言った。
「それと先生、一つ頼みたい事があるんです」
「頼み? なんだ?」
「さっき話した足のことについて」
優の言葉を聞いた亮が居住まいを正す。冬美もつられて姿勢を正し、その二人を交互に見やりながら優が言った。
「あの足を、私の家に持って行って欲しいんです」
優の表情は真剣そのものだった。それを聞いた亮と冬美は一瞬互いに顔を見合わせた。かまわず優が続けた。
「家に私のパートナーがいます。封印は主に私の仕事なんですが、その人も封印自体は出来ます。私はこんな状況で下手に動けませんから、だから足をその人の所へ持って行って事情を説明して、私に代わって足を封印して欲しいんです」
「ああ、いいぞ」
それを聞いた亮はあっさり頷いた。横にいた冬美はもちろん、頼みごとをした優本人も大いに驚いた。
「ほ、本当にいいんですか?」
「いいぞ。生徒の悩みを解決するのは教師の仕事だからな」
「先生軽すぎクマ。第一足がどこにあるのかもわかってないのに、どうやって探すクマ?」
「ここの警官に聞けばいい。聞いてわからなかったら、自力で探せばいい」
「そんな簡単な事じゃ無いクマ」
「とにかく、俺に任せろ」
渋る冬美をよそに亮は自信満々に答えた。それを見た優は安心よりも先に不安を覚えた。彼女自身、どうせ断られるだろうと高をくくっていた部分があったからだ。
だがこうなってしまったからには、今更「さっきのは冗談なんです」などとは言えない。結局優は遠慮がちに、亮に向けてこう言った。
「じゃ、じゃあ、頼んでもいいですか?」
「ああ」
亮が即答する。冬美がやれやれという風に首を左右に振る一方、優は心なしか肩の荷が降りたような気分になった。
「それじゃあ、よろしくお願いします」
「おう」
亮が気前よく答える。全くのノープランだったが、それでも亮には自分でも説明できない自信があった。
同じ頃、亮達がいた警察署内は大騒ぎとなっていた。
検屍室に保管しておいたはずの足がいつの間にか無くなっていたのだ。