「駆け出した足」
「よう、亮。ここに来るなんて久しぶりだな」
ロビーでアイドル二人のイベントと試合を見終えた二人は、その後選手控え室である大部屋にてここのオーナーであるケン・ウッズと対面していた。またここにはケン以外にもこれから戦う予定があったり既に戦いを終えた十人十色の選手達がまばらにおり、それらの視線は一斉に亮達に注がれていた。
ちなみに亮と冬美は顔パスでここまで来れるようになっており、これは本人達の知らない間にケンとフリードがそれぞれ受付スタッフにそうするよう手配しておいたからであった。彼らがそれを知ったのは亮が「ここの支配人に会いたい」と件の指示を受けていたスタッフに尋ねた時であった。ケンが今どこにいるのかを教えたのもこのスタッフであったが、これも「自分の居場所を教えておくように」というケンの指示であった。
「すんなりここまで来れたのはお前達の差し金だったクマか」
「その通り。楽であっただろう?」
部屋の真ん中に置かれた長テーブルの前に亮と隣り合うようにして座った冬美の問いかけに対し、彼女の向かい側に腰をおろしていたフリードが相手の目線を正面から受け止めながら自慢げに答えた。この時彼女は長い髪をポニーテールにし、着流しを身につけて腰に刀を差した、まるで江戸時代の侍のような格好をしていた。これは先の試合で彼女が見せた新たなコスプレ姿であり、例の試合で彼女とイツキのペアが勝利をもぎ取った時もこの格好をしていた。
ちなみに試合の趨勢を決めたのは、侍の格好をしたフリードの放った回し蹴りであった。腰に差した刀も一応抜いたが、一回振り回しただけでぽっきり簡単に折れてしまった。
「お主達は拙者達の友人であるからな。これくらい優遇しても罰は当たらんでござる」
「ござるって……」
「やりすぎだろ」
「細かい所まで徹底して、初めてコスプレイヤーはその価値を生むことが出来るのでござる」
「あ、うん。そうなんだ」
そんな自信たっぷりに断言するフリードを前にして、冬美はそれ以上突っ込むことを止めた。この目の前の女はどこまで行くのだろうか、考えただけで冬美の胃はキリキリと痛んだ。
そして冬美が言葉を切った一方で、侍となったフリードの隣に座っていたケンが向かい側にいた亮に尋ねた。
「で、今日はどんな用でここに来たんだ?」
「ああ。それはだな」
その問いかけに、一拍間を置いてから亮が答えた。
「鎌を持ったウェディングドレスの女を探してるんだ。前にここで見たんだが、今どこにいるかわからないか?」
「鎌? ああ、早乙女ちゃんね」
「知ってるのか?」
冬美がテーブルに両手をついて身を乗り出す。その語尾を付け忘れるほどの必死な反応を前に驚いたように目を見開き、それからすぐに平素の表情に戻り視線をそちらに動かしてからケンが尋ねる。
「あ、ああ、もちろん。早乙女幸子。うちの選手だよ」
「早乙女幸子……あれは本当の名前だったのか」
「ちなみにリングネームはマリッジブルー早乙女ね」
「なんだその幸薄そうな名前は」
「本人がそう名乗ったでござる。理由は拙者達も知らないでござる」
ケンの台詞を聞いた亮がげんなりした表情を浮かべ、それに対してフリードがフォローを入れる。それから改めてケンが口を開く。
「なんかずいぶん必死みたいだけど、どうしたんだ? 何かあったのかい?」
「ああ、実はな」
冬美を落ち着かせるようにその肩に手を置いて座らせながら、自分も再度椅子に座り直して亮が彼女の代わりに答えた。
「昨日、進藤はその人に助けられたんだ。だからまずはその人にお礼が言いたい」
「助けられた? 誰に襲われたんだ?」
「通り魔に」
亮がそう答えた直後、ケンとフリードの顔色が変わった。
「……通り魔?」
「ああ」
「昨日?」
「そうだ」
二人の顔色が更に悪化する。その姿は隠し事を母親に発見された子供のような有様であった。
そのうち、ケンがフリードの肩を掴んで二人して後ろを向き、顔を近づけながら小声で話し始めた。
「通り魔とは、おそらく昨日のあれでござろうか?」
「たぶん。ていうか報告書にはそんな事一個も書かれてなかったぞ」
「冬美殿が襲われたのも初耳でござる。それ以前にあそこに冬美殿いたのでござるな。驚きでござる」
「それも書かれて無かったぞ。あれ、なんだこれ。穴だらけじゃないかこれ」
二人の会話はその後も暫く続いた。亮達は眼前の彼らが何を話しているのかはわからなかったが、なにやら深刻な事態に陥っているというのは二人の背中が放つどんよりとした気配から察する事が出来た。そしてその二人の放つ空気は、彼らより遠いところにいた他の選手達も察する事が出来るほどの濃さであった。
「うん。わかった。じゃあそうしよう」
それから更に暫く経った後、二人同時に前に向き直りながらケンがそう言って来た。そして何のことだかわからずにいる亮達に向けて、今度はフリードが声をかけた。
「今から早乙女殿をここに呼んで参る。正直拙者達も把握していない事が多すぎたので、今回の件は彼女に直接問い正そうと思う。お二方、それでよいでござるか?」
「あ、うん」
うんとしか言えなかった。そして亮達や取り巻きの選手達が注目する中でケンは懐から端末を取り出し、液晶画面の上で指を何回か滑らせた後でそれを耳元に近づけた。
「あれ?」
だがそれから暫くして、端末を耳元に寄せたままケンが顔をしかめる。何事かと思い不審そうに眉根を寄せる亮と冬美の前で、ケンがその体勢を崩さずに言った。
「おかしいな。出ない」
「電源でも切れてるでござるか?」
「いや、着信音は鳴ってるんだ。向こうに電波は届いてるはずなんだが・・」
侍フリードの問いかけにそう答えてから、ケンが端末を一旦耳元から離してまじまじと見つめる。
「うーん、出ない」
そして端末を見つめながら首をひねる。それを見た亮がケンに言った。
「電話だけ置いてどっか行ったんじゃないか?」
「そう、なのかもなあ」
「それならば彼女はいったいどこに行ったでござるか」
「それがわかればなあ。選手がどこにいるのかとかはイツキ君に聞けばすぐわかると思うけど、彼にあれこれ頼むのも酷だしなあ」
「何かやってるのかクマ?」
冬美の問いかけに対し、端末から目を離して彼女の方に向けながらケンが答えた。
「色々とね。試合の進行とか、スケジュール調整とか、選手への連絡とか。一個一個は小さいけど重要な仕事だよ」
「ある意味でここの生命線でござる」
「そういうこと。彼に聞けば早乙女ちゃんが今どこにいるのかある程度わかるんだけど、これ以上彼の仕事を増やすのもね」
ケンがそう言って苦笑を漏らす。その横でフリードは同意するようにうんうんと頷き、亮と冬美も「それなら仕方ない」と肩の力を抜く。
「でも本当、早乙女ちゃんどこに行ったのかな。外に出てるのかな?」
ケンがそう言って再度端末を耳元に近づける。そしてその端末から単調な着信音が響いてくるのをケンが再認識した直後、その大部屋と廊下を結ぶドアが派手な音と共に部屋の中へ吹き飛んだ。
「なあ!?」
突然の出来事に全員が立ち上がる。ケンは危うく端末を落としそうになり、間一髪でそれを拾い直す。そして一斉に音のした方へ全身で向き直り、そこにある物へ意識を集中させる。
「あれは……!」
「早乙女ちゃん!」
フリードが息をのみ、ケンがそこに立つ人の名を叫ぶ。
そこにいたのは部屋の中に吹き飛ばされ倒れたドアを足蹴にし、無骨な大鎌を両手で持ち、背を丸め目を細めて自身の前方に狙いを定めるウェディングドレス姿の女。
「先生、あれ」
「うそだろ……」
そしてそれと距離をとって対峙する、空中に浮遊しながら膝や足首を激しく可動させる「両足」であった。
「足が見つかった」
夕食を終えて暫く経った後、赤いのっぺらぼうが唐突に叫んだ。この時のっぺらぼうと優は揃ってリビングにおり、間近でその言葉を聞いた優は突然の事に驚きながらものっぺらぼうに聞き返した。
「本当なの?」
「間違いないわ。頭や胴体と同じ気配を感じる」
「場所は?」
「名前まではわからないけど、ここからそんなに遠くないわ。位置からして、これは地下ね」
「地下」
優がのっぺらぼうの言葉を反芻する。その間にものっぺらぼうは立ち上がって腰や肩を回して体をほぐし、外に飛び出す準備を進める。そしていざ目的地に向かおうとベランダに続く窓を開けた直後、その背後から優が声をかけた。
「待って。私も行く」
「私一人でも大丈夫よ。あなたはここで待ってて」
「お願い、一緒に行かせて」
肩越しに振り返って止めようと試みるのっぺらぼうに優が食い下がる。その言葉と表情からは相手の反論を許さない必死さが滲み出ており、そして一度こうなった優は絶対に引き下がらない事をのっぺらぼうは過去の経験から理解していた。
「……わかった。好きにすればいいわ」
結局、数秒の内にのっぺらぼうが折れた。それを聞いた優は小さく安堵のため息を吐き、それからズボンのポケットに手を突っ込みつつのっぺらぼうの隣へ歩み寄る。
その優がポケットに入れた手を見て、のっぺらぼうが驚いて言った。。
「それ使うの?」
「非常時だからね」
「他の人間に見られるわよ」
「道案内お願い」
「……まったく」
こちらの忠告など歯牙にもかけない優の態度を見て、のっぺらぼうがあきらめたように大きくため息をつく。そしてのっぺらぼうが窓を大きく開き、ベランダへ二人揃って出て行く。
「空を飛んでいくわよ。そっちの方が見られる心配もない」
「そうね。それで行きましょう」
優の言葉にのっぺらぼうが同意し、そしてのっぺらぼうは両腕を大きく横に伸ばした。その瞬間、それぞれの手の先にあった五本の指が手の奥へ引っ込むように消えていき、それらが完全に引っ込んだ後その腕はメキメキと形を変え、最終的にそれは人の腕から鳥の翼へと姿を変えていった。
「器用な能力ね」
その変化の一部始終を目にして、しかし特に驚く素振りも見せずに優が呟く、そんな優を見つめながら作り替えたばかりの翼を軽く動かしつつ、のっぺらぼうが言った。
「次はあなたの番よ」
「わかってる」
のっぺらぼうの言葉を受けた優がそれまでポケットに突っ込んでいた手を引っこ抜く。その手には金色に光る星形のエンブレムのような物体が握られており、優はそのエンブレムの尖った先端の一端を自身の胸元に突き刺さるくらいに強く押し当てた。
「アペンディックス」
優が宣言する。声は低く声量は小さかったが、その声には聞く者をひれ伏させる支配者の如き迫力が込められていた。
「ズー」
支配者が下僕の名を宣告する。星形のエンブレムが体の中に吸い込まれていき、まばゆい閃光が彼女とその周囲を包み込む。
そして閃光が薄れ無くなった時、そのベランダから人影は無くなっていた。




