「地下の花」
亮が教室に入って朝のホームルームを始めた時、教室に集まっていた生徒達の予想通り、彼はまず芹沢優についての話から始めた。
「まずはっきりしておきたいのは、まだ彼女は犯人と決まったわけじゃないってことだ。あくまで事情聴取のために連れて行かれたってことだ」
「つまり、まだ優ちゃんがやったって決まったんじゃないですね?」
「そう言うことになる」
亮に対して真っ先に質問をしてきた女生徒が、その返答を聞いて安堵のため息をもらす。その様子を見た後で、亮が周囲を見渡しながら再び慎重に口を開いた。
「さすがに夜遅くまでかかる事はないだろうけど、とりあえず今日のところは芹沢はここには来ない。明日明後日に来れるかどうかもまだ定かではない」
「どうしてですか?」
「まだ犯人と決まっていない人を長時間拘束するのは色々とよろしくないんだ。だから遅くならない内に一度帰して、また日を改めて聴取を行うっていう流れになるかもしれないからだ」
別の生徒の質問に対する亮の返答を聞いて、生徒達の中から不満の声が挙がる。彼らの不満もよくわかるが、今は我慢してもらうしかない。亮は徐々に騒ぎ出したクラスを落ち着けようと、なだめるように言った。
「前にも言ったが、まだ芹沢が犯人だって決まった訳じゃない。あの子が警察に連れて行かれたのは、あくまで話を聞くために呼び出しを受けただけなんだ。今すぐは無理かもしれないが、すぐ帰ってくる。それまではどうか辛抱して待っててくれ」
「ここは先生の言うとおりにしましょう。私たちが騒いでもどうにもならないわ」
亮に合わせるようにして、転校生の富士満がそれに賛同する旨の声をあげる。穏やかに笑ってはいたがその表情は硬く、無理をしているのがわかった。
「ね?」
彼女が無理をしていることが伝わったのか、他の生徒達も一様に静まりかえる。クラスをなだめてくれた満と彼女の気持ちをきちんと汲んでくれた生徒達に内心感謝しつつ、亮がホームルームを終わらせる締めの言葉を放った。
「それじゃあ、そういうわけだから、いつ芹沢が戻ってきてもいいようにみんなもいつも通り過ごしてくれ。変に気遣ったりするとかえって負担になったりするからな」
「はーい」
亮の言葉を聞いた生徒達が大なり小なり返事を返す。そうしてホームルームも終わり、解放された生徒達がそれぞれ席を離れて友人と集まったり次の授業の準備を始めたりする中、冬美はまっすぐに亮の元へと向かいドアを開けて廊下に出ようとする彼の袖を掴んだ。
「ん?」
それに気づいた亮が首を回して肩越しに冬美の方へ目をやる。冬美は亮の方をまっすぐ見ながら、小声で、かつ真剣な口調で言った。
「先生、ちょっと話したいことが」
「どうした?」
「昨日通り魔と遭ったクマ」
亮の顔が一気に強張る。そして全身で冬美の方へ向き直り、彼女を見つめながら言った。
「大丈夫だったのか?」
「もちろん。ケガとかもしてないクマ」
「そうか。よかった」
「それでちょっと話があるクマ」
「通り魔について?」
冬美が無言で頷く。亮は目線をそらして暫く考えた後、再び冬美の方を見て言った。
「放課後にもう一度、ゆっくり話をしよう。それでいいか?」
冬美が再度頷く。それを見た亮も頷き返し、「じゃあ教室で待っててくれ」と言い残してから改めて廊下へと出ていった。残された冬美も何食わぬ顔で自分の席へと戻り、それからはいつもの調子で一日を過ごした。
そしていつもよりやけに長く感じた一日も終わり、帰りのホームルームも終わった後、冬美は言われた通りに自分の席についたまま教室に残っていた。亮はホームルームを終わらせて一度職員室に向かった後、そこで荷物をまとめてからすぐに教室へと戻ってきた。
亮が再びD組に向かった時、そこにはすでに冬美しかいなかった。残りは全員部活に向かうなり帰宅するなりで姿を消しており、それほど広い作りをしていないはずの教室がこの時ばかりはやけに広々と感じられた。
「おう、進藤」
そんな無駄に広く感じられる教室の中に足を踏み入れながら、亮が冬美の元へ足を向ける。冬美もそちらの方へ顔を向け、「どうも」と軽く会釈をする。
「それで、朝聞いたことなんだが」
そして近くにあった椅子を冬美の机の近くまで引っ張ってきてそれに腰掛けながら、亮がさっそく本題を切り出す。冬美も一度小さく頷いてから口を開いた。
「通り魔に遭ったクマ」
「詳しく聞かせてくれ」
催促する亮に、冬美が昨晩の出来事を話して聞かせた。そしてその話を全て聞き終えた後、亮はどんな感想を述べたらいいのかわからないと言った風な複雑な表情を浮かべ、自分に言い聞かせるように小さく呟いた。
「浮遊する腕か……」
「本当に襲われたんだクマ」
「安心してくれ。疑ってるわけじゃない」
「でも百パーセント信じてる訳でもない」
「まあ……」
それも事実だったので否定はしなかった。冬美は一つため息をついてから言葉を漏らした。
「こっちだって今でも自分が信じられないクマ。あれはどう見てもありえない存在クマ」
「メネリアスにあんなのはいなかったのか?」
「見たことないクマ。初めて見たクマ」
「うーむ、そうか」
「先生は刑事時代に見たことあるクマ?」
「まあ、似たものを見たことも、あるにはあるが・・」
そこまで言って亮が言葉を濁す。自分が現役時代に遭遇し対峙したのは空を飛ぶ腕ではなく、空を飛ぶ入れ歯だったからだ。それにしたって異星の魔術師が呪文の詠唱を失敗した結果生まれた所謂「一度限りの事故の産物」であったし、おそらく冬美が出くわした物との共通点は無いだろう。
「確かにその線は薄そうだクマ」
そんな亮の話を聞いた冬美もそれに賛同する。亮もそれに応えるように頷き、続けてそれとは別に気になっていたもう一つの存在を頭の中に思い浮かべながら口を開いた。
「じゃあ、そのウェディングドレスの女に話を聞いてみるしかないかもしれんな」
「ああ、あの」
冬美がその存在を思いだしながら言葉を返す。それからトーンを落として渋い声で言った。
「あれも正直よくわからない奴だったクマ」
「質問すれば話してくれると思うか?」
「難しいクマ。あれは多分口の堅いタイプだと思うクマ」
「そうか」
冬美の言葉に亮が相槌を打つ。それから何度か顎を手でさすった後、亮が窓越しに外の光景を見ながらぽつりと呟いた。
「じゃああいつに聞いてみるのも手かな」
「あいつ?」
冬美が聞き返す。その冬美の方へ顔を戻して亮が言った。
「ほら、あいつだよ。ケン・ウッズ」
「ケン・ウッズ?」
「リトルストームの支配人」
「ああ、フリードのいる」
亮の説明を聞いた冬美が得心したように明るい声を出す。リトルストームとは秋葉原の地下に作られた白兵戦オンリーの闘技場であり、そこには冬美の友人で彼女と同じく外宇宙から地球にやってきた異星観測官兼七面相アイドル「マジカル・フリード」が所属している所でもあった。
「そこに行って、ケンに直接話を聞いてみるのもいいかもしれないな」
「でも、そう簡単に話してくれるとは思わないクマ。確かにあのウェディングドレスはあそこの控え室で見たことあるけど、だからといって支配人が全て知っているとも思えないクマ」
「動かないで色々考えるよりもまずは動いた方がいいだろ」
それももっともだった。悶々と考え込むよりも動いた方がずっとましだ。そうして冬美が黙っていると、亮が立ち上がって椅子を元に戻しながら冬美に言った。
「よし。じゃあ行くか」
「えっ?」
「秋葉原」
「今から?」
「ああ」
何気なく言葉を返す亮に、冬美は何も言い返せなかった。あまりにも急な展開に頭がついていけなかったのだ。
「こういうのはな、早い方がいいんだ。思いついたらすぐに行動した方がいいんだよ」
「は、はあ」
もう亮は行く気満々だった。確かにそれも正論であったし、ここは大人しく空気を読んだ方が面倒にならないとも思った冬美は、下手に反論もせずに亮に従う事にした。
「じゃあ切符代は先生が出してほしいクマ」
「えっ?」
「今そんなにお金持ってないクマ」
だがそうした部分はちゃっかりしていた。そう言う意味では冬美は強かであった。
それから数十分後、亮と冬美は秋葉原の地下にある地下闘技場「リトルストーム」の受付ロビーの中にいた。そこは前に来た時と同じく広々としており、まるで病院に来たのかと錯覚してしまうくらい壁や天井は白く清潔に保たれていた。
もっともソファに腰掛けたり受付カウンター前に一列で並んでいる連中は筋骨隆々の半裸の大男だったり、燕尾服に身を包んで背筋をまっすぐ伸ばした老人だったり、キャタピラの上に乗っけたドラム缶からロボットアームを生やしただけのシンプル極まりないロボットであったりと、どいつもこいつも傷病とは無縁の活力に満ちあふれた連中であったため、入った直後に感じた病院というイメージはあっという間に雲散霧消してしまった。
「さあ、それでは次の試合に参りましょう! 次の試合は二対二の特別マッチ! 相手二人を両方とも倒した方の勝利だ!」
そんなロビーの天井から吊されているテレビモニターから、実況の白熱した声が聞こえてくる。その声に気づいて二人がテレビの前に近づいてそれの方へ顔を上げると、そこにはすり鉢状の会場とその最下層に置かれ天井にいくつも据え付けられたライトによって照らされたリング、そしてその上に背中合わせで立つ二つの人影が映されていた。
その二人はそれぞれ赤と青で染められたフリルまみれのゴスロリ衣装で身を固めており、つばの広い帽子を目深に被った上で顔を俯かせ、その表情を完全に隠していた。
「まずは青コーナー! なんと今日はこの人が参戦だ! 我がリトルストーム副支配人、ミスター、もとい、ミス・イツキだーッ!」
実況の声が轟いた直後、青いゴスロリ服を着た方が帽子に手をかけ勢いよくそれを放り投げる。そこに現れたのはさらりと伸びた紫色の長髪と少女のような綺麗に整った顔立ちを備えた一人の男、女装趣味を持ったリトルストーム副支配人のイツキだった。
「そしてもう一人! イツキとペアを組むのはこのお方! みなさんご存じ、地下世界に咲き誇る七色の花ッ! みんなのアイドル、マジカル・フリードだーッ!」
実況の声にあわせて、赤いゴスロリ服の方が帽子を脱ぎ捨てる。そこにいたのはイツキと同じくらいさらさらとした金色の長髪と弾けんばかりの明るい表情を浮かべた、まるで「元気」そのものが人の形を取ったかのような活発な空気全身から発散させる少女だった。
彼女こそがマジカル・フリードである。
「うおおおおおおっ!」
二人が素顔を見せた瞬間、周囲の観客が一斉に沸き立つ。そんな狂気すら感じさせる熱狂の渦の中心にいた二人はおもむろに右手を天井へと高く掲げ、真上から降ってきたマイクをしっかりと受け取った。
マイクを手にした二人はそれを手の中で回転させながら腕を大きく外向きにゆっくりと振り回してマイクを口元へと向かわせ、そして同じタイミングでマイクを口元に寄せながらイツキが声を放った。
「フリードちゃん、行くよ!」
「ええ! イツキちゃん!」
マイク越しに二人の声が朗々と響いた直後、会場内にやけにアップテンポなメロディが流れ始める。そのメロディに合わせるようにして二人は目を閉じ、つま先で地面を軽く叩いてリズムをとる。
これから何が始まるのか。亮と冬美がそれを理解した直後、リングの上に立った二人は同じ動きで踊りながらノリノリで歌い始めた。
「ラブリー・モーニン・バーニング!」
歌自体はよくあるラブソングだった。ところどころ「鏖殺」だの「発狂」だのと物騒な単語があったが、全体的に見れば普通のラブソングだった。
そんな想像通りのある意味最悪な展開を前にして、亮と冬美はただ唖然としていた。二人の踊りや歌がプロとして通用するくらい普通に上手かったのもまた、彼らの心境を複雑なものにしていた。
「悪化してる……」
その映像を見た冬美が弱々しく呟く。それがどちらを指しているのか亮にはわからなかったが、どちらも大概酷かったのは間違いなかった。