「赤毛の女」
あまりにも突然の事だった。
突然すぎて誰も口を開けなかった。
「……」
初めてそれを見たD組の生徒や浩一、何かの事情を知っているような口振りを見せたソレアリィやカミューラさえも、それ以上何も言えずに口を開けたままその場に突っ立っていた。
教頭は腰を抜かしたまま動けずにいた。
「へええ、ここがダーリンの仕事場?」
「ああ。なかなか綺麗な所だろ?」
浮遊船団の一隻からエコーのかかった声が聞こえてきたのはその時だった。それは一組の男女の声であり、その内の男の声はそこにいた全員が聞いたことのある声だった。
「綺麗っていうか、なんだか殺風景な場所ね。もうちょっと飾りたてればいいのに」
「ここは勉強する場所だからな。踊ったり遊んだりする所じゃないから、これくらい地味でいいんだよ」
「ダンスホールとかないの?」
「ああ」
「酒場とかも?」
「ここを使うのは主に子供だぞ」
とても親しげなやりとりが船のある場所から聞こえてくる。そんな船から聞こえてくる会話を地上の面々が呆然とした表情で聞いていると、その内声のする船の底部から地面に向けて一本の細い光の柱が伸び、それが地面に接地すると同時に柱の伸び始めた箇所から二人の人影が現れた。二人は船の底部をすり抜けて柱の中をゆっくりと降下し、やがて緩やかな速度のまま地面に降り立った。
その二人の様子は男が女を抱き抱えていたようであった。俗に言うお嬢様だっこという奴である。
「ねえダーリン、私中に入りたいんだけど大丈夫?」
「ちょっと難しいな。今授業中だし、ここ基本的に来客歓迎してないし」
「あらそう。残念ね」
男に抱き抱えられている女はスレンダーな体つきで、先端のハネた真っ赤な長髪と右目を隠す眼帯を備えたややキツめの顔立ちを持った、刃物のように鋭く輝く美貌を備えていた。一方でその女性を抱き抱える男の方はそんな鋭利な美を持つ女と比べて釣り合わないほど冴えない外見をしていたが、その目には女性の美に負けないくらいしっかりとした意志の光が宿っていた。
その男は彼らの良く知る男だった。
「あれ先生じゃん」
「え、マジ?」
「あ、本当だ」
生徒達が柱の中から外に出てきた新城亮の姿を見て一様に驚きの声を放ち、そして彼が見知らぬ美人と一緒にいる姿を見て更に驚いた。
「なになに? あれ先生の彼女?」
「うっそ、マジで?」
「やべー、すげー美人じゃん」
亮と彼に抱えられた女性を交互に見て生徒達が次々と感嘆の声を上げる。中には「先生もう結婚してるんですかー?」と空気を読まずに直接尋ねる者や「先生遅刻ですよ」と生真面目に注意する者、挙げ句の果てには女性の出るところは出て締まるところは締まったわがままボディを前にして、その瞳に羨望と嫉妬の炎を燃やす者までいた。その誰もがもう驚くことはせず、完全にこの場の状況に慣れていた。
するとその声に気づいた亮が女性を抱えたまま体の向きを変えて遠巻きにこちらを見てくる生徒達に視線を向け、そして嬉しさと驚きのない交ぜになった困惑した声で彼らに話しかけた。
「あれ、みんななんでここにいるんだ」
「みんなで戦い見てましたー」
「戦い? 誰の?」
「後ろっす先生」
生徒の指摘を受けた亮が言われた通りに背後に向き直る。そしてそこにいた中腰の姿勢でこちらを見つめてくるタムリンと彼に片腕を掴まれたまま仰向けに寝そべっている謎の女巨人の姿を視界に納めて亮は「へえ」と納得したように呟き、女は口笛を吹いてから亮に言った。
「なかなか格好いいじゃない。あれもダーリンの教え子さん?」
「黒い方はそうだ。倒れてる方は俺も知らん」
「他の学校の生徒?」
「さあ」
「お、おい、新城君!」
と、そんな二人の会話に水を差すように、教頭のヒステリックな声が唐突に轟いた。
「な、な、なにをしてるんだ! こいつらは君のクラスの生徒だろう! こいつら、授業中だというのに教室を離れてここにいるんだぞ! 早く教室に戻しなさい!」
教頭は今の状況に慣れていないようであった。辛うじて二本の足で立ってはいたが、額からは脂汗を流して全身は恐怖感と孤独感で震えていた。所詮は校長の腰巾着。備えた度胸もその程度であった。
そんな教頭とは対照的に、亮がどこまでも落ちついた態度を見せながら尋ね返す。
「え、そうなんですか?」
「そ、そうだ! さっさとしろ! クビになりたいか! それと君が遅れてきた理由も後でしっかり聞かせてもらうからな!」
しかし怒鳴り散らすことで自身の心の平静を取り戻そうとしたのか、教頭は亮に対してやけに甲高く偉ぶった声で命令を飛ばす。それまでの腰砕けっぷりを知っていたD組の生徒達はその変貌を見て嫌悪の視線を隠そうともしなかったが、その自分に向けられる敵意を額から脂汗を流しつつ精一杯意識の外に追いやりながら、すぐさまその攻撃の矛先を二体の巨人に向けた。
「お前達もだ! 早く戦闘を止めてそこから降りてきなさい! 後でお前達からも話を聞くからな! 校長先生の前でちゃんと話してもらうぞ!」
「ねえそこの人、どこかに休める所はないかしら?」
「ああ!?」
自分の話の腰を折られた教頭が、声を荒げてその相手の方を睨みつける。そして件の声の主である赤毛の女が投げかける刃物のように鋭く冷たい視線を正面からまともに受け一瞬で戦意を喪失する。そして絞りカスと化した教頭は逃げるように自分の目線を逸らしてから声のトーンを落として言った。
「や、休める所だと?」
「ええ。私さっきまで仕事してたから、正直もうくたくたなのよ」
「だから? なんだって言うんだ?」
「だからのんびりお酒が飲めて、ゆっくり羽が伸ばせる所に行きたいのよね。あ、酒が無いなら自分で持ってくるけど? 場所だけ教えてくれればそれでいいわ」
亮から離れて自分の足で地球の大地に降り立ち、眼帯の女が自分の赤毛をかきあげながら続けた。
「なんなら、そこで私の話をしてもいいわよ」
腰に手を当て片足に重心を乗せながら女が不敵に笑う。その全く物怖じしない、全身からオーラを放っていると錯覚してしまうほどの圧倒的な存在感を放つその堂々とした立ち姿は、見る者全てを釘付けにし、有無をいわさず従わせる天性のカリスマを備えていた。
「か、格好いい……」
「素敵……」
既に生徒の何人かはそれにやられていた。カミューラは立ち上がりながらその女に興味深げな視線を投げかけ、ソレアリィは頬を赤らめ、浩一はそのカミューラの手を掴む事も忘れてそれを呆然と見つめていた。教頭は口と目を見開いたまま完全に腰を抜かしていた。
場の主導権は完全にこの女が握っていた。
「ぶあぁーっ! かーっ!」
五分後、応接室にあるソファに腰を下ろした女は自前の酒瓶を盛大に呷って腹の底から野太い息を吐き出した。ここには彼女をここに連れてきた張本人である教頭と、彼女と一緒に連れてこられた亮と浩一とソレアリィとカミューラがおり、それぞれ教頭はテーブルを挟んだ反対側に、他の面々は女と同じソファに腰を下ろしていたのだが、女はそれらの存在など歯牙にもかけなかった。
「くあーっ! 生き返るーっ!」
「もう少し飲み方考えなさいよ」
「海賊様がマナーを気にする生き物だと思う? いいやそんなはずは無い! だからこれでいいのだ! あー仕事上がりの酒はいいわねー!」
そして裏返った声で喜びを爆発させる女に向けてソレアリィが苦言を呈するが、女は全く意に介さないで瓶の底が天井を向くほど頭を傾けて二口目を呷る。そこにはかつて存在したカリスマは微塵も無く、ただのだらけきった酔っぱらいがいるだけだった。この時他の生徒達は問題が解決するまでD組で待機していたのだが、ここにいなくて正解だったかもしれない。
そんなある意味恐れを知らない様子を若干引き気味に見ながら、浩一が亮に質問した。
「あの人誰すか?」
「俺の妻」
「リョウの奥さんやってまーす。よろしくー!」
亮の返答に便乗する形で酒を飲み終えた女がテンション高く言い放つ。それを聞いた全員が面食らったのは言うまでもない。
まさに鳩が豆鉄砲を食らったような感じだった。
「え、でも、海賊なんでしょ?」
「ああ」
「海賊が? お嫁さん?」
「うん」
「随分ワイルドな方なんですね」
「可愛いでしょう?」
「や、やだリョウ、可愛いだなんてそんな」
それから浩一とソレアリィの問いかけに亮が簡潔に答え、カミューラの質問にはしっかりのろけて返す。亮から可愛いと言われた女はそれまで酒を呷りながらもまったく赤らめなかった顔をたちまちの内に真っ赤に染め上げ、今までの剛胆さが嘘のように途端にしおらしくなってしまう。
そんなまるで恋する乙女のような初々しい女の姿を、浩一とソレアリィは驚きの眼差しで見つめていた。
「最初に見たのと雰囲気が違う……」
「ていうか違いすぎでしょ。さっきと比べてだらけすぎ。同じ人だなんて信じられない」
「メリハリが大事って事だよ。動くときは動いて、休むときは休む。それが肝心なんだ。そうだよな?」
浩一とソレアリィの問いかけに亮が答え、更にそこから亮が女に尋ねる。それまで可愛いと言われた事をひきずっていた女はそこで我に返りながら言った。
「えっ? え、ええ、そうよ。いつも肩肘張ってちゃ疲れるもの。気を抜いても罰は当たらないでしょ」
「一理ありますね。それに好きな人から褒められて、喜ばない人はいませんからね」
その女の言葉にカミューラが頷いて同意し、その一方でカミューラの言葉を聞いた女がますます顔を真っ赤にしていく。その様子は見ている方もこそばゆく、そしてどこか親しみ深い物であった。
「なんか不思議な人っすね。最初は怖い人かと思ったけど、話してみるとそんな事全然無いし」
「うちの家内は怖い奴じゃないよ。ふつうにいい奴だ。俺が保証する」
「あの裏表の無さもまた、カリスマを生む一つの要因なのかもしれませんね」
だがそんな穏やかな雰囲気が漂い始めた中、カミューラが続けて質問をしようと口を開いたところで、それまで蚊帳の外だった教頭が強引に会話に割り込んできた。
「そ、それより、いい加減お前の名前を教えてもらえると嬉しいんだがな」
その言葉は相変わらず上から目線の高圧的なものであったが、その声に覇気は欠片も無かった。だがその言葉が嫌みったらしかったのと中途半端に偉ぶったそれが和みかけていた場の空気をぶち壊したのは確実であり、それを聞いた女は顔から赤色を一気に消してつまらなそうな表情で言った。
「名前? ああそういえば話してなかったね」
「そ、それから本題にも入らせてもらうぞ。お前は、いやお前達はあそこで何をしていたんだ」
そう言いながら教頭が自分と相対する面々をジロリと睨んで回る。その目線はねちっこく、脂ぎった顔面と合わさって嫌悪感をかきたてられずにはいられない代物であったが、そんな感情はおくびにも出さずに女が答えた。
「名前を言えばいいんだな?」
「そ、そうだ」
その女の話つプレッシャーに気圧され、教頭が声の勢いを落として答える。一方で毅然とした態度を保ちつつ、しかし酒瓶は手放さずに女が良く通る声で言った。
「エコー・ル・ゴルト・フォックストロット。デルタ海賊団の船長だ」
そしてそう言ってから三度酒を呷り、大きく息を吐きつつぶっきらぼうに言った。
「まあ、よろしく頼む」
そして次の瞬間、隣に腰掛けていた浩一の首に腕を回し、首を締め上げるように抱き寄せながらそれまでとは打って変わってハイテンションな調子で言った。
「がっ!?」
「君達は私のことエコールって呼んでいいわよ! 友情の証! リョウの生徒君もよろしくー!」
「いや痛い! 痛い! 極まってる! 放せ痛い!」
浩一が暴れ回るがエコーの腕はびくともしない。それどころかエコーはそうやって暴れ回る浩一を見てゲラゲラ笑って面白がり、首を絞める腕の力をさらに強めていく。
ソレアリィがそのエコーの絡ませた腕の近くを飛び回って止めるよう叫ぶ一方、カミューラは亮に近づいて小声で話しかけた。
「……酔っぱらってます?」
「多分。嬉しくて気分が高揚してるんでしょう」
苦笑しながら亮が答え、カミューラもつられて苦笑を漏らす。
「いろんなことが原因で、俺たちずっと離ればなれになってましたからね。今日会えたのだって偶然ですし」
「まあ、そうなんですか?」
「実はそうなんですよ」
「運命のいたずらってことですね? なんだかロマンチック。うふふっ」
「おいリョウ! 私の目の前で他の女とイチャイチャするんじゃない!」
亮とカミューラの親しげなやりとりを見たエコーが声を弾ませて抗議する。浩一はその腕の中で半分グロッキー状態となっており、ソレアリィはそんな浩一の目の前でどうすればいいかわからずオロオロしていた。
教頭は何をどうすればこの事態を収拾できるのかわからず、頭の中が真っ白になっていた。




