「デート」
吸血鬼とは血を吸う生き物である。若さを保つため、力を増すため、寿命をのばすため、その他様々な理由から、彼らは他人の生き血をすするのである。
カミューラは己の美貌のために血を吸っていた。
「でも私、獲物をさらって強引に血を吸うとかはしたくないんです。野蛮だし誠意もないし、今から血を分けてもらおうとしている相手を邪険に扱ったら失礼じゃないですか」
「まあ、それはそうですね」
「でもだからといって、血をくださいと言われて素直に差し出してくれる人もまずいない」
二人して裏口から学園を出た後町の大通りを横並びに歩きながら、カミューラが亮に持論を展開する。そしてまばらな人の波を避けながら、亮は否定も肯定もせずにそれを静かに聞いていた。
亮は吸血鬼の事情を詳しくは知らなかったが、話の内容自体はなるほど納得のいくものであった。血を「奪うもの」ではなく「もらうもの」だと考えれば、十分同意出来る話であった。
するとそれを話し終えたカミューラが歩みを速め、回り込むように亮の前に立って足を止めた。そしてつられて足を止める亮の目をまっすぐ見つめながら、カミューラが清々しい顔で言った。
「だから私、血を吸う前に相手に夢を見せるようにしているんです」
「夢?」
「ええ。一夜の夢です」
それはなんです。そう尋ねる亮に、カミューラが小さく笑いながら答える。
「夢って言っても、俗なものですよ。一緒に食事したり、買い物したり、遊びにでかけたり・・」
「デートってことですか」
「そういう事です。一夜限りのデートです。二人で夜を楽しんで、そのお礼って事でちょっと血を分けてもらう。その後は後腐れ無くお別れして、それっきりです」
「それっきり?」
「ええ。深入りはしないし、関係も持たない。まさに夢の出来事です」
「なるほど。でもそう簡単に釣れるんですか?」
「もちろん」
そう亮に答えてから、わざとらしく腰を捻って豊かな胸とくびれを強調し、流し目を向けながらカミューラが言った。
「自慢じゃないですけど、こんな感じで私が誘えば、大抵の男の人はコロリといっちゃうんですよ?」
片手を反らした腰の背中側に当て、もう片方の手で髪をかきあげる。ウェーブのかかった金髪がふわりと揺れ、それと同時に上唇を軽く舌でなめ小さく笑みをこぼす。その姿はまさに美しさと艶めかしさが高いレベルで絡み合った魔性の芸術であり、本来色気とは無縁のお堅いビジネススーツを着ている事が、その彼女の魅力と背徳感をかえって高めていた。
確かにカミューラの言うとおり、それを見た男は一も二もなく彼女の甘言に乗ってしまうだろう。だがそこまで考えたところで、亮が一つの疑問を覚えた。
「でもそこまで簡単に誘惑できるんなら、そのまま相手を骨抜きにしてもいいんじゃないですか? ストックを作るというか、奴隷みたいな感じにしておけば、好きなときに呼べて好きなときに血が吸えるじゃないですか。そっちの方が一々相手を誘い直すよりも楽だと思うんですけど、そういうことはしないんですか?」
「……先生、随分物騒なこと考えますね」
「思ったことを口にしただけです。で、どうなんですか?」
亮の問いかけに対し、ポージングを解いたカミューラがすぐさま断言する。
「しませんよ」
「まったく?」
「ええ」
「どうして?」
「一人でいるのが楽だからです」
カミューラがキッパリ言い切る。
「誰かを縛りたくないし、誰かに縛られたくもないんです。そんなのお断りです」
「自由が好きと」
「当然です」
カミューラが豊満なバストを強調するように胸を反らして答える。その動作がどこか可愛らしく、亮は思わず苦笑した。そしてすぐさま笑みを消し、亮がカミューラに言った。
「じゃあ、この後俺とデートみたいな事を?」
「はい」
「俺相手でもそうするんですか? 別に知らない仲でもないのに」
「私のポリシーみたいなものですよ」
微笑みながらカミューラが答える。有無を言わせない言い方であった。そして諦めたように肩をすくめる亮の手を取りながら、カミューラが人懐っこい表情で言った。
「さ、行きましょう?」
そうしてカミューラに引かれるまま、亮は混み始めた雑踏の中に消えていった。
それから、二人は夜の町を大いに楽しんだ。といっても彼らが実際にした事と言えば、レストランで夕食を一緒に食べたり静かな雰囲気の酒場で軽く酒を呷ったりする程度のあっさりしたものであり、派手に遊びほうけるような事はしなかった。これは彼らが教職についており、そこからある程度の自制心が働いた結果であった。
「へえ、こんな所にお店あったんですか」
「穴場ってやつですね。こんな感じで目立たない所にあるんで、殆どの人はこの店の事を知らないんですよ」
とは言っても、実際に中に入った店以外にその道中でカミューラが紹介していった所はまだこの町に来て日が浅い亮にとってはその全てが初めて目にする場所であったので、彼はこの町の新たなスポットを知ると同時にとても濃密な時間を過ごす事が出来た。
「探せば結構あるんですね」
「それはもう。それに今日教えた所以外にも面白い場所はもっとありますよ」
「そうなんですか。今度また教えてほしいですね」
「あら、私の案内は高くつきますよ?」
「へえ」
そうして腹ごなしを済ませてから再び店巡りをした後で、二人は「夜遊び」を切り上げて人気のない町外れの公園のベンチに隣り合って腰掛け、休みがてら親しげに会話をしていた。このとき時計は午後九時を指していたが、二人とも「今日はここまで」であるという空気を肌で感じ取っていた。
教職員である手前、派手な遊びをしてはいけないと判断していたのだ。
「今日はもうこの辺りでお開きですかね」
「そうですね」
そう言って亮が立ち上がり、カミューラもそれに続く。そしてどちらからともなく向かい合い、互いの瞳を見つめ合う。
「随分余裕ですね」
と、その亮を前にしてカミューラが感心したように呟いた。どういう意味ですか、と問い返す亮に、カミューラが思案するように下顎に指の背を当てながら答えた。
「なんて言えばいいんでしょう。こういう展開に慣れているというか、女性慣れしているというか・・」
「ああ、そういう事ですか。まあ慣れてると言えば慣れてますかね」
「何か理由があるんですか?」
「自分結婚してるんで」
まあ、とカミューラが口を両手で覆い、驚きに目を見開く。それから視線を下に逸らし、申し訳なさそうな口振りで亮に言った。
「こ、これ、私が誘ったのって、まずかったですか?」
「そんな事ないですよ。ただ職場の知り合いと一緒にご飯食べただけですし。うちの家内はそんな事で怒るほど繊細じゃありませんよ」
「そうなんですか?」
「ええ。剛胆な奴ですから」
自慢するように亮が答える。それを聞いて興味をもったカミューラが亮に尋ねる。
「ちなみに奥さんは、何かお仕事とかされてるんですか?」
「ええ。宇宙海賊やってます」
「へえ!」
カミューラが心から驚いたように声を張り上げる。それから手で口を隠しながらクスクスと笑い、そしてなおも平然と立ち尽くす亮に好奇の目線を向けた。
「新城先生、すっごい面白い人なんですね」
「それほどでもないですよ」
「謙遜しなくてもいいですよ。こんなに面白い人に会えるなんて、私やっぱりこっちの世界に来て正解でした」
笑みを浮かべたままそう言ってから、カミューラが前触れもなく亮に急接近する。そしてその耳元にまで顔を近づけ、低い声で囁くように言った。
「そんな面白い人の血って、どんな味がするんでしょうね」
「……自分で飲んだこと無いからわからないです」
「あら。じゃあ私が初めての人って事になるのかしら?」
「そ、そういう事になりますね」
突然の事に驚きながら、頬を赤らめて亮が答える。その返事を聞きながら視線を落として首筋に狙いを定め、そこに熱い吐息を吹きかけつつカミューラが言った。
「じゃあ、先生の初めて、いただきますね」
亮が視線をまっすぐ固定したまま小さく頷く。それを気配で察したカミューラが小さく笑って大きく口を開け、口内の四隅に姿を現した鋭い歯を彼の首筋に突き立てた。
直後、亮は鋭い物が皮膚を突き破る僅かな感触と一瞬の痛みを、そして体重が軽くなるような体の中に流れる何かが強烈に吸い出される感覚を味わった。
「うわっ、うわ、うわー……」
同じ頃、茂みに隠れて遠くから「三人目」であるカミューラを監視していたソレアリィは、彼女がいきなり自分の目の前で行った吸血行為を見て顔を茹で蛸のように真っ赤にしていた。
ちなみにこれより前には窓から消えた浩一達を追ってきた同じクラスの生徒達が二、三人ほどいたのだが、既に途中で飽きて全員帰っていた。
「やっぱりプライベート覗くのって良くないと思うなー」
「ホントホント。誰とくっつこうが先生の勝手っしょ?」
帰り際に言った同級生の言葉に浩一は大いに同意していたが、この時のソレアリィは三人目の正体を暴こうと躍起になっており、その言葉が頭の中に入る事はなかった。
「あ、あ、あんな事しちゃうんだ……だ、大胆……」
「お前、結構ウブなんだな」
そんなソレアリィの横で、同じく腰を下ろして茂みの中に身を置いていた浩一があくびを噛み殺しながら言った。彼としてはこんな事しないでさっさと帰りたかったのだが、ソレアリィがどうしても「三人目のターゲットの様子を探りたい」と言って聞かなかったので、一人で行かせるわけにもいかずに嫌々彼女に付き合っていたのだった。
それで肝心のソレアリィが目的も忘れてこんな状態になっていたのでは世話ないが。
「て、ていうかあの人間、なんで拒まないの? 相手は吸血鬼なのに、怖いと思わないのかしら?」
そうする内にいくらか動揺の収まったソレアリィが、しかし目線は遠方の二人をじっと見つめ顔は真っ赤に茹で上がらせたまま、そう浩一に問いかけた。それを聞いた浩一は真っ先に「どうでもいい」と思ったが、わざわざ一蹴するのも気の毒に思えたので、暫く適当に頭を働かせてからソレアリィに言った。
「まあ、先生だからかな」
「は?」
「あの人はそういう人なんだよ」
浩一の返答を受けて、ソレアリィが理解できないと言いたげに顔をしかめる。だが浩一としても、本当にそうとしか言えなかったのだった。
「よくわかんない人なんだよ」
「ふうん……」
やがて追求を諦めたのか、ソレアリィが表情を解して視線を元に戻す。そして浩一もまた色々と考えるのを止め、影の重なり合った二人を視界に収めた。
吸血行為はまだ続いていた。