「吸血」
「それ」がやってきたのは、二年D組で帰りのホームルームが終わった直後の事だった。
「コーイチィィィィィ!」
一人の妖精がそう叫びながら換気のために開け放たれていた窓の外から教室に侵入し、まっすぐ浩一の胸元に飛び込んできたのだ。
「コーイチ、授業終わったんでしょ!?」
しかしそのまま浩一に激突することはせずにそのすぐ目の前で体が前にのけぞるほどの勢いで急停止し、停まると同時に浩一の顔を必死の形相で見上げながらそう叫んだ。
名前を呼ばれた浩一はもとより、彼以外の全てのクラスメイトとまだ教壇に立っていた亮も、突然のことに皆揃って呆然としていた。
「……は?」
「は? じゃないわよ! 授業終わったんでしょ? ねえそうなんでしょ!?」
状況がわからず素っ頓狂な声をあげる浩一に対し、ソレアリィが一気にまくし立てる。その後も要領を得ない浩一の態度を煩わしく思い喋るペースをあげるソレアリィの姿を前にして、彼の周囲のクラスメイト達は彼らに聞こえない程度の声でひそひそ話を始めた。
「ねえ、なにあれ?」
「妖精?」
「腹話術でもしてんじゃねえのか?」
「小型ロボットかな?」
方々で根拠のない憶測や噂話が無遠慮に花開く。そして外宇宙からやってきた新入生の富士満もまた、その話の輪の中に入っていた。
「ねえミチルさん、あれ何か知ってる?」
「宇宙にいたときに会ったりしてない?」
「新手の宇宙人かな?」
「いや、あんなの全然知らないよ。見たこともないし」
そんな問いかけに対し、満は正直に答えた。地球外からやって来たという理由から、周りの地球人達からなにやら妙な期待を持たれていたが、自分にだって知らない物はあるのだ。
だがそんな満の返答を聞いた周りの面々は最初は落胆して肩を落とすものの、すぐに質問の内容を変えて再び満に問いかけてくる。頼りにされるのは嬉しい。だが知らない物は知らない。
そうして教室が段々とざわめき始めたのだが、その様を見ていた亮はそのまま黙り込むつもりはなかった。すぐさまこの流れを断ち切ろうと、両手を叩いて声をあげようとした。
「ねえ、まずは落ち着いて話をした方がいいんじゃないかな? 騒いでばかりじゃ何もわかんないでしょ」
だが亮がそうしようとした矢先、不意に生徒達の中から落ち着きのある、よく通る声が響いた。それは教室に満ち満ちていた雑音を一気にかき消し、生徒達に負けじと声を張り上げていたソレアリィさえも黙らせた。そして亮とソレアリィとクラスメイト達が声のした先に目を向けると、そこにはおさげ髪とそばかすが特徴的な一人の女生徒が座っていた。
「芹沢」
「ユウちゃん」
「そこのちっちゃいの、わかった?」
自分の名前を呼ばれたその少女、芹沢優は、しかしそれには答えずにまっすぐソレアリィを見据えながら突き放すように言った。その半分だけ開かれた目は決して険しいものではなかったが、同時に目をそらすことを許さない静かな迫力を秘めていた。
「返事は?」
「は、はい」
再び優が口を開く。名指しで指摘されたソレアリィは、その眼光を受けて自分が「ちっちゃいの」と呼ばれたことに憤慨するよりも前に、まず素直に頷いた。そしてソレアリィの返答を聞いた優は眼光を和らげながらすぐさま亮に顔を向け、申し訳なさそうに言った。
「すいません、あのちっちゃいのがちょっとうるさかったんで」
「いや、助かったよ。ありがとう」
「……どうも」
亮の素直な謝辞を受けた優が、目を伏せて遠慮がちに答える。褒められるのに慣れていない者がする動作だった。そんな優を後目に亮は「なるべく静かに、早く帰るようにな」と念を押してから教壇を離れ、出入り口のドアを開けて外に出た。亮が外に出てドアを閉めた直後、再び中が騒がしくなったのは言うまでもない。
「……まあ、いいか」
だが亮は特にそれを気にすることはしなかった。彼は生徒のことを信じていたし、大騒ぎになる前にそれを止める者も優の他に何人かいるはずだ。そう考えて職員室に向かおうとした所で、彼の懐に入っていたスマートフォンが不意にその身を震わせ始めた。
「なんだ?」
取り出して確認してみると、一通のメールが届いていた。差出人はカミューラだった。
「今日の午後六時、裏口で待っています」
本文はそう簡潔に書かれていた。
同じ頃、亮のいなくなった教室では幾分か落ち着きを取り戻した生徒達に囲まれた亮とソレアリィが彼らからの質問責めにあっていた。
「ねえねえ、その子ってなんなの? 生き物なの?」
「ロボットじゃないよな?」
「二人はどういう関係なの? まさか恋人とか?」
「キャー! キャー! 益田君だいたーん!」
彼らを囲んでいた面々が当人を置いてけぼりにしてヒートアップする。芹沢の言葉などとうの昔にどこかに吹き飛んでいた。一方で浩一とソレアリィの両人はそんな取り巻きを前にただ黙って困惑するだけであり、そしてそこから離れた所でその光景を見ていた真里弥に満が近づいて言った。
「ねえ、あの子ってさ、やっぱりあのときの子だよね?」
「ええ。おそらくそうですわね」
野次馬の影響を受けない所でそう話し合いながら、目は互いの顔を映したまま二人が同じ情景を記憶の海から引き上げる。それは赴任直後の亮が何者かにさらわれた時のこと、真里弥とまだ転入する前のアラタの二人がかりで倉庫地帯に出現したあるロボットを破壊してしまった時の記憶であった。
この時二人がそうしたのはそのロボットが亮を連れ去ったと考えたからであるが、結局それは二人の勘違いであり、そして亮の拉致監禁という無実の罪を被って半壊したロボットの関係者が、あの妖精だったのだ。
「ずいぶん急いでたみたいだけど、あの子なにかあったのかな」
「おそらくは。かなり切羽詰まってたように見えましたし、火急の用事でもあったのではないのでしょうか」
「うん? 二人は何か知ってるの?」
そんな二人の元に芹沢優がそう尋ねながら近づいてくる。この時彼女の手の中にはいつもいじっている古めかしいカメラがあり、優はそれを両手でいじりながら真里弥達の元へ近づいてきていた。
「芹沢さん、どうしたの?」
「いやちょっと、さっきの二人の話聞いててさ。何か知ってるんじゃないかなって思ってきたんだけど」
「まあ、知っているといえば知っているのですけれど・・ほんの基本的なことだけですわよ?」
「それでもいいって。どんなことなのか教えてほしいんだけど、いいかな?」
「ええ。別にいいわよ」
優の頼みに満が頷き、真里弥もそれに続く。その後二人は優に浩一とソレアリィの関係とソレアリィのことについてのことを話して聞かせ、そしてそれを聞き終えた優は軽く驚いたように目を見開いた。
「異世界! そんなのがあったんだ!」
「わたくしも初めて聞いたときは驚きましたわ。まさかそんな物が存在していたなんて」
「にわかには信じられないけど、実物見ちゃったらねえ」
優に同意する真里弥の横で満がそう苦笑しながら言い放ち、そして視線を野次馬に囲まれたソレアリィに向ける。
「まあ、私たちもその時のぼやきを聞いただけで、詳しいことは全然わからないんだけどね」
「さっきお話ししたのも殆どわたくし達の推測の混じった物ですし。やはり本人から話を聞くのが一番ですわ」
「うるせー! 静かにしろお前らー!」
そして満に続いて真里弥が優の方を見ながらそう言った直後、それまで騒ぎの渦中にあったソレアリィが声高に叫ぶ。そして周囲が驚き黙りこんだ隙を狙うかのように続けざまに声を出し、場の主導権を奪い取った。
「私はこんな所で遊んでる暇ねえんだよ! ここに三人目がいるってのがわかって飛んできたんだよ! 邪魔すんなてめえら!」
「そもそもお前がいきなり来なきゃこんな騒ぎにはならなかったと思うんだが」
「うっさい! コーイチは黙ってろ!」
「へーへー」
横槍を入れてきた浩一を一蹴しつつソレアリィが叫ぶ。一方の生徒達は眼前の妖精の見せた豹変ぶりに圧倒され、言葉が出せないでいた。
「とにかくこっちにも事情があるんだよ! おら! コーイチ! さっさと行くぞ準備しろ!」
「どこにだよ」
「あいつの気配がする! まだ近い! 追いかけて捕まえるんだよ!」
しかしそんな周囲の光景などお構いなしに、浩一の横に回り込んだソレアリィがそう口汚く言い放ちつつ彼の制服の袖を力任せに引っ張る。それでも浩一は全く動こうとせず、むしろ顔を真っ赤にして袖を引っ張るソレアリィを面倒くさいと言いたいかのようにジト目で睨みつけていた。
「おい! いい加減動け! 早くしないと逃げられる!」
「だから、どこの誰を追いかけるのかを説明しろよ。それにお前、ここを放っておく気かよ。さっき芹沢に落ち着いて説明しろっていわれたのもう忘れたのか」
「向こうが動き出してんだ! もうそんな暇ねえんだよ! おら動け! さっさと立て!」
浩一の意見を無視してソレアリィが叫ぶ。だがそれでもなお一向に動こうとしない浩一を前に、ソレアリィは観念したのかその袖を掴んでいた腕を離す。
「さっさと動けってんだよオラァ!」
そして次の瞬間、ソレアリィは浮遊したまま浩一から距離を取ってから両手を前につきだし、その掌から赤くギザギザに波打つ光線を発射した。その光線はまっすぐ浩一に命中し、そしてそれが当たった瞬間浩一の体は赤いオーラに包まれ、そこだけが無重力空間に投げ出されたかのように空中に浮き上がった。
「ええっ!?」
「お、おい! なんのつもりだ!」
「うるせえ! 手荒な真似させんじゃねえよ! 行くぞ!」
突然のことに驚くクラスメイトを尻目に、宙に浮く浩一を右手の平から放つ赤いビームで引っ張りながらソレアリィが窓から教室の外へ飛び出していく。この時浩一は何事か喚いていたが、結局抵抗むなしくソレアリィに連れ去られていった。
「……追いかけた方がいいんじゃない?」
そして浩一とソレアリィが消え教室が元の静けさを取り戻した後、生徒の一人が小声で言った。その内の何人かがそれに同意したのはそのすぐ後だった。
そして時計の針が午後六時を指す頃、仕事を終えた亮は学園裏にある二つ目の出入り口前に立っていた。そこは正門と同じ形をしていたがそれと比べて車一両が辛うじて通れる幅しかなく、正式な出入り口ではなく非常口としての趣が強かった。
「あら、新城先生」
その亮の背後から女性の声がしてきた。亮がその方へ振り返ると、昼休みに顔を合わせたカミューラの姿があった。この時の彼女は昼休みに会った時と違って白衣を来ておらず、綺麗に整ったボディラインの上から焦げ茶のビジネススーツを身にまとっていた。
「まさか本当に来ていただけるなんて、驚きました。てっきり断られるものかとばかり」
「女性からのお誘いを断るのはさすがに無粋ですよ」
本当に驚いた表情を浮かべたカミューラに、亮が苦笑混じりに答える。そしてその笑みを消した後、亮がカミューラに尋ねた。
「それで、今日はいったいどのようなご用で?」
「は、はい。実はその、少し私の用事につきあってほしいんです」
「用事?」
「はい」
聞き返す亮に対し、カミューラが俯きながら申し訳なさそうに答える。そんなカミューラを前に亮がどう話を切り出そうか考えていると、そうする内にカミューラの方から亮に話しかけてきた。
「ちょっと困ってることがありまして。それを新城先生に手伝ってほしいんです」
「なるほど、そういうことですか。それで、その手伝ってほしい事っていうのは?」
カミューラの言葉を聞いて納得した亮が尋ね返す。それを受けてカミューラは顔を上げ、まっすぐ亮を見つめながら言った。
「その、私の体質に関係する事なんです」
「……言いにくい事ですか」
「ま、まあ、そうですね。あまり多くの人に話したくはないです。でも新城先生は頼りになるというか、信用できる人ですから・・」
はにかみながらカミューラが答える。美女から評価された事に対して亮は内心で嬉しさと気恥ずかしさを同時に味わっていたが、そんな亮に向かってカミューラが続けて言った。
「その、実はですね。私……」
カミューラの声を聞いて亮がそれまで浮かれていた心を引き締める。刹那、カミューラが静かに口を開く。
「私、吸血鬼なんです」
「えっ、あっ、はあ」
亮の反応は淡泊なものだった。一瞬驚きはしたが、それだけだった。
「そうなんですか」
「えっ」
一方のカミューラは呆気にとられた表情を浮かべていた。もっと驚くかと思っていたら予想以上に淡々とした返事が返ってきて、毒気を抜かれた気分になっていたのだ。
「あんまり驚かないんですね」
「いや、いきなりだったので。それに今までいろんなものに会ってきてますし、正直今更って感じです」
「あら、頼もしい」
控えめに断言する亮を見てカミューラが苦笑する。そして自分から亮の元に近寄り、互いの影が重なるほど近づいてから彼の胸元に右手を押し当ててカミューラが言った。
「そこまでわかってるなら」
亮の顔を見つめ、カミューラが舌なめずりをする。
「私のお願い、わかるでしょう?」
カミューラの両目が怪しく輝く。
この後の展開を予想した亮は正直断りたかったが、逃げられないこともまた予想できていた。