「マジカル」
ケンの誘いを受けて真里弥に急かされる形で会場に戻ってきた亮達は、この時その眼下にあるリングとその周りで起きている光景を見て思わず息をのんだ。
「なんだあれ……」
「リンチかよ」
彼らの目の前ではスポットライトの当てられたリングの中央を陣取った青鬼を睨みつけながら、リングそのものをぐるりと取り囲む人間達の姿があった。その数は何十にも及び、彼らは武器を持っていたり無手だったりとその装備は人によってまちまちだったが、その目は全員等しく闘争本能に血走っていた。
そんな闘る気満々な人間達に取り囲まれながらも、対する青鬼は物怖じする素振りを見せず、それどころか羊の群に狙いを定めてその中から次の獲物を品定めする猛獣のように、目を細めて肩を怒らせ全身から殺気を放っていた。
ちなみに客席は満員大入り、今から本試合が始まるかのようなテンションマックスの超興奮状態であった。亮達がいた部屋と会場に通じるドアはしっかりロックがかけられていたが、それでもその隙間から歓声が聞こえてくる有様であった。そして窓越しに下に目をやると、その最下層のリングのすぐそばにケンと先程大部屋で会った選手達がいるのが見えた。しかし彼らはリングを囲む者達と同じ立場にはおらず、むしろ手を振ったり声を張り上げたりして、彼らを煽っているように見えた。
ケンから鬼が乱入してきたと聞いていた亮はてっきり非常事態だと思っていたのだが、この今の状況はどう見ても非常事態の様相ではなかった。
「凄いクマ。不良の出てくる漫画でこんなシーンを見たことあるクマ」
「いや、そもそもこれはなんなんだ? みんな逃げたりしないのか?」
「逃げるなんてとんでもない。これもここの目玉の一つですわ」
困惑する亮の横に立った真里弥が笑顔で言った。それを聞いた亮と冬美が真里弥の方を見やり、彼らに代わってアラタがリングに目を向けたまま彼女に問いかけた。
「それ、どういう意味だよ」
「言葉通りの意味ですわ。ここでは試合スケジュールにない戦闘や突然の乱入が起きたとしても、それもイベントの一つとしてそのまま進行させていきますのよ」
「中断させたりとかしないのか?」
「はい。中断はしませんわ。乱入も予定外の戦いも全てその時だけに起きるもの。言うなれば一期一会、一瞬の出来事。だからこそ、その一瞬にのみ味わえる感動と興奮がある。ケンさんはそう考えているのですわ」
「ああ、そういうことか」
真里弥の言葉を聞いた亮が納得したように頷く。冬美が亮に向かって問いかけた。
「先生、あのケンって人は昔からそんな感じだったのかクマ?」
「そうだな。とにかく祭りごとの好きな奴だったよ。面白ければそれでいいと思ってる奴だった」
「なるほどねえ」
横でそれを聞いていたアラタが頷いて答える。それから視線を再度リングに向け、青鬼と人間を視界に納めながら再び真里弥に尋ねた。
「で、あれはさっきから何してるんだ?」
「ああ、あれはここで闘ってる選手達ですわ。あそこに集まっているのは主にここに来てまだ日が浅かったり、いまいち知名度の足りない方々ですわね」
「わかったクマ。あそこにああして集まってるのは、あの鬼を倒して知名度を上げようとしているからクマね」
「そういうことですわ。でもどうやら皆さん、相手の力量がわからずに二の足を踏んでいらっしゃるようですわね」
真里弥の言葉通り、リングの周りにいる面々は青鬼を睨みつけたまま、一向に動こうとしなかった。その場にいた全員が、誰かが先に突っ込んで相手の力を身を持って教えてくれるのを待っているのだ。
「おおっと、やはり動かない! いつもながら消極的な展開だァァァ! いったい誰が一番槍をつとめるのかァ!」
テンションの高い声で実況までもが彼らを煽っていく。それを聞いた冬美が声を潜めて真里弥に言った。
「これ、いつもの事なのかクマ?」
「いつもの事ですわ。みんな相手の実力がわからないからと言って、相手を恐れて自分から動こうとしないのですわ。まったく、そんなだから実力も人気も上がらないと言うのに」
そして冬美にそう答えながら、真里弥が不満げに口をとがらせる。それに同調してアラタが言った。
「どいつもこいつも自分の身が一番可愛いってか? いい根性してやがるぜ」
「まったくだクマ。あれじゃレギュラーにはなれないクマね。戦いを見に来てる観客も可哀相だクマ」
「観客は観客で、動こうとしない選手達を煽っていくのを楽しんでいる所がありますけれどね。まあ申し訳ないと思う所はありますわ」
「お前達、少し言い過ぎじゃないか?」
生徒三人の容赦のない言い分に対して亮が言い返す。だが次の瞬間に真里弥から「では先生は彼らが正しい事をしているとお思いなのですか?」と問われると、亮は「根性なしの部分には同意」とあっさり言ってのけた。
「あの姿勢はよくない。非常に良くない。チャンスをものにするには自分から危険の中に飛び込む事も必要だ。勇気と無謀は違うが、慎重と怯えもまた別物だ」
「それは先生としての言葉クマ? それとも個人的な意見?」
「どっちもだな。とにかく俺は、もう少し大胆に行ってもいいと思うな」
「いつになったら誰が大胆に動くのか! この硬直を打ち破るのはいったい誰なのかーッ!」
そんな亮の言葉にかぶせるように、実況の声が再び会場内に響きわたる。その実況さえも動こうとしない眼下の選手達を声高に煽っており、また観客の中からブーイングが飛び出してきたりもしていた。だが真里弥いわく「これもいつものことで、客は皆イベントとして楽しんでいる」との事であった。
「でもさすがにこのままはだれるクマ。いい加減動いてほしいクマ」
だが来たばかりでここの慣習を知らない冬美は不満そうに低い声で言った。それは他の三人も同じで、そして冬美の声を聞いたアラタが彼女に向かって気怠げな調子で言った。
「じゃあどうする? 俺らがあそこ行ってちゃっちゃと片づけるか? 俺は別に余裕だけど」
「嫌クマ。面倒くさいクマ。第一マリヤは行かなくていいクマ? 退魔師の仕事しなくていいのかクマ?」
「はい。今はこのイベントを見させていただきますわ。そしてこれが終わったら、ゆぅっくり、やらせていただきますので」
「そこ強調して言うなよ。マジで怖かったぞさっきの」
真里弥の声を聞いたアラタがそう言って眉をひそめる。だがアラタがそう言った次の瞬間、会場を満たしていたギャラリーが一斉に、窓ガラスがビリビリと震えるほどの熱狂的な歓声をあげた。
「な、なんだよ!」
全くの不意打ちであったために四人が同時に驚き、反射的に窓の近くに寄ってリングに目を向ける。その四人の視線の先、ライトで照らされたリングの上には、青鬼と対峙するように向かい側に立った、全身をフード付きの茶色いボロのマントで覆い隠した一人の人間の姿があった。
背丈は対峙する青鬼の胸元くらいの高さしかなく、マント越しにわかるほどに細身な印象を見る者に与えた。だがその立ち姿は堂々としており、フード越しに僅かに見える二つの瞳はまっすぐ青鬼を睨んでいた。
「誰だアイツ!」
「おおっと! あれはいったい何者だァーッ! いきなり観客席から飛び出して来たアイツは、いったいどこのどいつなんだーッ!?」
アラタと実況の声が被る。だがそんな新たにやって来た乱入者を前に、観客達は驚きや警戒を完全に投げ捨て熱狂に身を任せた。
観客達の歓声が、そしてリング外にいたまま出遅れた選手達の罵声が一斉にその人間に向けられる。だがそのマントの人間は物怖じせず、まるでそこにいるのが当然であるかのように堂々とその場に立っていた。
「キサマ、俺とやり合おうってのか」
そんなマントの人間に、青鬼が鼻息荒く問いかける。マントの人間はその問いかけに対して黙って首を縦に振り、それから片手でマントの首筋の部分を掴んだ。
「待っていろ」
フードの奥から声が聞こえてくる。それは青鬼にしか聞こえないほど小さな物であり、抑揚のない、ドスの利いた女の声だった。
「今から見せる。驚くなよ」
腕を振り払い、勢いよくマントを脱ぎ払う。
「あ……!」
脱ぎ払われたマントが宙を舞う。その下でマントに隠されたその真の姿が頭上からのライトに照らされ、白日の下に晒される。
「あれはーッ!?」
実況が困惑したように声を張り上げる。ギャラリー達は目と口を開かせたまま何も言えずにいた。
亮達はその顔面に唖然とした表情を貼り付けていた。
「え……?」
「……馬鹿じゃねえの?」
「素敵ですわ……」
上はピンクと白で統一されたノースリーブ。下は上と同じ配色を施された、全体的にフリルをふんだんにあしらったミニスカート。足には真っ白い厚底のブーツと、白とピンクの横縞をいれられたニーソックスを身につけ、手にはピンク色のミトン。右手には先端にハートマーク型の飾りをあしらいピンク色のリボンを巻き付けた白のステッキ。頭の上には金色に輝くティアラが載せられていた。
その耳を隠す程度のショートヘアはピンク色で、眼光は鷹のように鋭く、口は堅く引き締められていた。
魔法少女。表情を伺う事が出来ず全身像だけを見ていた者達は、その全員が同じ印象を抱いていた。
「キサマ、なんだそれは……?」
青鬼が怪訝な顔で問いかける。対する魔法少女は右手でステッキを回転させながら腕を大きく振り回し、やがてステッキを腕ごと伸ばしてそれを天高く掲げて言った。
「天が呼ぶ、地が呼ぶ人が呼ぶ!」
それは青鬼が先程まで聞いていた声とは違う、明るく底抜けにはじけた声だった。そしてその腹から押し出された声は会場内に朗々と轟き、突然の事に息をのんでいたギャラリー達を再び熱狂の渦に叩き込む。
そんなギャラリーからの熱い注目を受けながら、魔法少女がステッキをまっすぐ青鬼に突き出して以前と同じトーンで高らかに叫んだ。
「七面相アイドル、マジカル・フリード! 華麗に参上!」
叫ぶと同時に左手を真上に伸ばし、左足を持ち上げて膝を直角に折り曲げ、片足でつま先立ちになる。それを見たギャラリーのボルテージはまた一段階上がり、リング外で見ていたケンも彼らと同じくらいテンションの上がった声を出していた。
その一方、特別室でそれを見ていた亮達は一人残らず愕然としていた。
「何をしているんだお前は……」
そんな中、冬美がここにいる者達の心境を代弁するかのように呟きながらその場に崩れ落ちる。そして魂の抜けたような力のない声でマジカル・フリードに、リング上に立つ女に向けて言った。
「四千一号……」
「さあ覚悟しなさい! このフリード様が、天に代わってお前を成敗してやるんだから!」
だがそんな進藤冬美、もとい惑星観測員四千二号の目の前で、同四千一号は別人のように明るい声でそう宣言した。