「迷子の人」
結局、満とアラタが学園に来たのは四時間目が半分を過ぎた頃、十一時三十分ほどのことであった。
この時D組では宇宙史の中のおける第四スラミガ銀河の歴史の授業を行っており、そして全身汗だくの状態でクラスの扉を開けたのは満の方だった。
「す、すいません。道に迷ってしまって……」
「遅いぞ、富士。いったいどこまで」
ドアを開けると共に謝罪してきた満を咎めようとした担当教師の表情が、そこまで言葉を放った所で一気に固まる。彼女の真横に見慣れない、明らかにここの学生ではない者が立っていたからだった。
「……その子は誰だ?」
「えっ?」
その教師に指摘され、満が思い出したように隣の少女に目をやる。件の少女は相変わらず帽子を目深に被って視線を露わにしようとせず、そしてそれを見た満はすぐに目線を教師に向けなおして震え声で言った。
「……ま、迷子」
直後、D組の生徒達の中から呆れ半分の苦笑の声が漏れ、途方に暮れたその教師は思いっきり顔をしかめた。
「お前も凄い事してくれるな」
その日の放課後、帰りのホームルームを終えた亮はその後もD組のクラスに残り、生徒用の椅子に腰掛けながら同じくクラスに残った満と彼女の連れてきた迷子の少女と対面していた。二人を前にした亮は呆れた表情を浮かべていた。
この時亮が満と迷子の二人に相対していたのは、迷子を拾ってきたのはD組の生徒であり、よってそれを解決するのはD組の担任教師であるという理由から、亮にお鉢が回ってきたからである。要は厄介ごとを押しつけられたのだ。
ちなみにこの時点で生徒の大半は部活に向かったかさっさと家に帰ったかして、既に教室から姿を消していた。しかし中にはその前述したどちらの方にも転ばず、三人のやりとりを見学しようと居残る者も少数ながらいた。聞かれて困る事でもなさそうだったし、隠し事をするのも気が引けたので、亮は特にそれを注意しようとはしなかった。
「ミチルも本当に面白いこと、もとい余計な事するクマ。先生の心労ばっかり増やしてどうするクマ」
クマの着ぐるみに身を包んだ進藤冬美もその一人であった。そんな冬美の言葉は明らかに呆れの色の混じった物であり、そしてそれを聞いた満はその方を向いて答えた。
「仕方ないじゃん。困ってる人を助けるのは当然じゃない」
気後れしないハキハキとした口調で、悪びれる様子は微塵も見せなかった。そんな妙に自信満々な満に向けて亮が言った。
「まあ、お前の言い分もわかるが、それにしたって順序があるだろ。校門前の詰め所に守衛の人とかいるから、まずはそこに話を通すなりすればよかっただろうに」
「失敬な。もちろんそこにも行きましたよ。でもそこには人がいなかったんです」
「えっ、そうなの?」
「はい。一人もいませんでした。空っぽでした。職員室には鍵がかかってたし、人の気配もしなかったし。だから仕方なく教室まで行ったんです」
あっけらかんと答える満に対して、亮は軽い頭痛を覚えた。満の取った行動にではない。この学園の警備状況に対してだった。
確かにここは生徒も教師もそれぞれ専用のロボットを持っており、またそれを操縦するために肉体の鍛錬も欠かしていない。トップクラスのエリートばかりが集まる場所だから、その練度もピカイチだ。
だからここの関係者は全員、よほどの事でない限り自分の身は自分で守れるだけの実力を持っていた。しかし護衛の必要は無いにしろ、来訪者に対する窓口としての機能があっても良いはずだ。いや、あった方が絶対いい。
それともここには滅多に人が来ないのだろうか? それも常日頃から守衛が出張らなくても問題ないくらい極端なほどに?
「その通りだクマ。ここにはよその人は滅多に来ないクマ」
その事を教室に残っている面々に尋ねてみると、間髪入れずに冬美からそう答えが返ってきた。目を剥いて驚く亮に、追い打ちとばかりに他の生徒の一人が言った。
「ここ、結構内向きっていうか、排他的っていうか、とにかくそんな感じの強い所なんですよ」
「ここは殆ど自給自足出来ちゃう所だしね。個人個人の力が強いからガードマンもいらないし、パーツも燃料も全部通販で取り寄せちゃうし」
「そうそう。他の学校はロボットの整備とか補給とかはよその所に任せたりして、それで外との関係もできたりするんだけど、ここは全部自分達でやれちゃうからね」
「ああ、確か整備委員って委員会があったっけか」
生徒の一人の言葉を受けた亮がその名前を持った委員会の存在を思い出した。それは名の通りロボットの整備を行う委員会であり、ロボットを取り扱う学校の中で生徒達が自分でロボットの面倒を見ているのはこの学園だけであった。
もっともこんな事が可能になっているのは、この学園が「全自動修復装置」というバカみたいに金のかかる機械を複数台所有しているからであったりもする。ちなみに今の時代ではこの修復装置を使った整備が当たり前となっており、他の学校で整備委員会に類する物が存在しないのは修理のスキルを持つ人材がいないからではなく、その機械を導入するだけの資金が無いからである。
「でも、だからといって人力が必要無くなった訳ではないクマ。修復装置の調子を確認するのは人間だし、装置によって完全に直されたかどうかの確認をするのも人間だクマ。それに前に出た通販を利用するのだって人間だクマ」
そして冬美が淡々と補足説明を加える。新参の亮と満はその話を興味深げに聞いて、納得したように首を頷かせていた。そして冬美の話を聞き終えた満が感慨深げに言った。
「やっぱり、最後は人力なんだね。全部機械に任せるのってやっぱり不安だよねえ」
「当然だ。機械はアテにならん。あんな物に頼りすぎると身を滅ぼす事になる」
そのとき、それまで黙っていた迷子の少女が満の言葉に応えるように不意にそう言い放った。あまりにも突然すぎるその出来事に、亮を含めた教室にいる全員が一斉に驚きの表情を浮かべた。
「先生、その迷子の面倒はこっちで見るクマ」
さらにその直後、驚きを隠せない面々の中で冬美がいつもと変わらない口調で亮に言った。それによって自意識を取り戻した亮は、すぐさまその目線を冬美に向けた。
「どういう事だ? この子と知り合いなのか?」
「そうクマ。任せるクマ」
「……本当にいいのか?」
「大丈夫クマ。なんならその子にも聞いてみるクマ」
「ううむ……」
冬美の提案を聞いた亮は少し考え込んだ後、さっそく言われたとおりに迷子の少女に尋ねてみる事にした。
「……そうだ。そいつとは知り合いだ」
「そうだったのか」
「でもそうだったんなら、もっと速く言ってくれてもよかったのに」
「今思い出した」
口を尖らせる満にその少女が平然と返す。怪しさ満点の返答だったが、今のところ問題はなさそうだったので満と亮は大人しく引き下がることにした。
「じゃあ冬美、任せていいか?」
「任せるクマ。代わりに先生はミチルにこの辺の道を教えてあげてほしいクマ」
「ああ……」
冬美の言葉を聞いた亮が満を見据える。その目は哀れみに満ちていた。
「なによ! なんでそんな視線を向けるのよ! 私だって自分なりに頑張ろうと色々努力してるんだから!」
「でも結果が伴わないと意味がないクマ」
「ていうかミチルちゃんさ、いつもどんな特訓してるわけ?」
冬美がバッサリ切り捨てる一方で、生徒の一人がそう満に尋ねた。満はそう質問してきた生徒の顔をじっと見据え、自信満々に言ってのけた。
「グーグルアースでこの周りの地図を検索してるの」
「意味ないだろそれ」
「せめて地図が読めるようになってから挑戦すべきだクマ」
が、亮と冬美に同時に突っ込まれ、満の顔から生気が一気に抜け落ちていく。そして真っ白に燃え尽きたかのように自信喪失した体の満を視界の隅に置きながら、冬美が三人の元へと歩み寄ってきた。
「そういうわけで、この子は私が預かるクマ」
「ああ、じゃあ任せるよ。君もそれでいいかな?」
「ああ。これでいい」
亮の問いかけに対して迷子の少女が無感動な声で言い返す。そしてそう言い終えると同時に立ち上がり、熊の着ぐるみと連れだって教室から姿を消した。
「でもあの子、いったいなんなんですかね」
そうして二人が姿を消した後、教室に残っていた生徒の一人が亮にそう問いかけた。その生徒が誰の事を指して言ったのか亮には簡単に見当がついたが、その質問に対して答えを出すことは出来なかった。そうして亮が黙っていると、彼の代わりに別の生徒がそれに応えた。
「まあ、冬美の知り合いっていうんだから多分悪い奴じゃなさそうだけど」
「でも気になるじゃん。どんな奴なのかさ」
「冬美ちゃんよりちょっとちっちゃかったから、妹とかじゃないかな?」
「それは冬美が着ぐるみ着てるからだろ。本当の身長とかどれくらいなのかわからねえじゃん」
「そういうのは無理矢理聞き出す事じゃないと思うな」
そして迷子の少女に対しての議論を戦わせる生徒達に向けて亮がそう返す。他の面々もそれに納得したのか、それっきり話を終わらせてしまった。
「とにかく、いずれ進藤の方から話してくれるだろ。それまで余計な詮索はしない方がいい。みんなもわかったな?」
「はーい」
亮の言葉を受けて残りの生徒達がほぼ一斉に返事をする。そしてその場はそれでお開きとなり、残った生徒達は全員教室から家に帰り、最後に亮も教室を後にした。
「ほら富士、お前も早く帰りなさい。みんな帰ったぞ」
「はひ……?」
なお亮は立ち上がり際に脱力しきっていた満に声をかけるのも忘れなかった。そしてその満の姿を見ながら、彼女の方向音痴をどう直そうかと頭をひねっていた。
冬美と迷子の少女の二人が校門から出たとき、外は既に夕日が沈みかかっていた。肌に当たる風は涼しく、まだ春の気配が残っている事を二人に体感させた。
「久しぶりだな、四千二号」
その穏やかな風を体で受けながら、不意に迷子の少女が声をかけた。四千二号と呼ばれた冬美は特に驚いた様子も見せず、淡々とした調子でそれに返した。
「そうだな、四千一号」
声色はいつもの物だったが、その言葉遣いはいつもと比べてずっと理知的で冷淡な物だった。だが四千一号と呼ばれたその少女はその変化に気づくことなく、むしろその冷たい調子の声を懐かしむように口元を緩めながら、その足を止めて言った。
「四千二号、学校は楽しいか」
冬美、もとい四千二号が一歩遅れて立ち止まる。そして全身で四千一号に向き直り、驚いた調子で言った。
「どうした、いきなり」
「教えろ。学校はどうだ」
返答以外の言葉を望まない高圧的な態度だった。しかし冬美は激昂することなく、「先程通り」の淡々とした声でそれに答えた。
「ああ。楽しいぞ。友人も出来たし、最近やってきた担任も面白い」
「そうか」
「どうした四千一号。お前も学校に行きたいのか」
そう言った四千二号に対し、四千一号は静かに首を横に振った。
「他人の真似はしたくない。私は私なりに、自分の名前を見つけたい」
「そうか……いや、なんだと?」
それを聞いた四千二号が驚きの声を上げる。
「お前、まだ名前を見つけてないのか」
「……」
「我々がここに来てからもう二十年になる。自分の名前をつけてないのはもうお前くらいだぞ」
「わかっている」
苛立たしげに四千一号が言い返す。その迫力に四千二号が息をのんでいると、そんな彼女に向けて四千一号が言った。
「……頼みがある」
「頼み? なんだ?」
「ああ」
戸惑いながらも尋ねる四千二号の眼前で、四千一号が帽子を脱ぐ。
「どこかに面白そうな場所はないか?」
その瞳は金色に輝いていた。