「新任教師登場」
「あなたが新城亮さんね。私がこの学園の校長の、松戸朱美です。よろしくお願いするわね」
そう言ってて自分の執務机を挟むようにして亮の向かい側に立っていた老女は、目の前に立つうだつのあがらない男に深く頭を下げた。亮もまたそれに一礼をして返し、頭を上げてから改めて眼前の女性に目をやった。
髪は色素と水気が抜け落ちて真っ白になり、パサパサに乾いていた。顔も髪と同様に水気が無く乾燥しきっており、至る所に皺が刻まれていた。両の瞳は生気に満ちて獣のようにギラつき、顔を蝕んでいる老いとは全く縁遠い光を放っていた。鼻は低く、ルージュのひかれた真っ赤な唇は過剰なまでに存在感を放ち、却ってミスマッチとなっていた。
魔女。それの外見を一言で表すとすれば、まさにそれ以外に適当な呼び方は無かった。
「さて、新城先生。なぜ私があなたをここに呼んだのか、理由はおわかりですか?」
そして互いに礼をした後、自分は椅子に座りながら朱美が尋ねる。わかるわけがなかった。
亮はこれよりわずか数分前に職員室で教師陣を前に自己紹介をしたばかりであり、それを終えた直後に目の前の校長に呼ばれてこの校長室まで連れてこられたのだ。道中で理由も聞かされなかった。
なので亮は直立したまま、正直に首を横に振って答えた。
「いえ、全くわかりません」
「それはそうですよね。今からその理由をお話しします」
そんな亮に朱美が言った。どこか人を小馬鹿にしたような話し方だった。自分がエリート養成校を率いているという自負から尊大な態度を取っているのだろうかと亮は内心で分析したが、朱美は自分が分析されている事などお構いなしに話を進めていった。
「実は先生には、一つお願いをしたくてここに呼んだのです」
「職員室では駄目だったのですか?」
「ええ。どこで誰が聞いているかわかりませんから」
誰かに聞かれたら困る話なのか? まるで誰も信用していないかのようにさらりと吐き捨てた朱美に対して、亮は僅かに不信を覚えた。低い調子で朱美が続けた。
「私があなたにお願いしたい事と言うのは、今日からあなたに担当してもらうクラスの事についてです」
「自分の担当するクラスが?」
「はい」
「そこの生徒たちが何かしたんですか?」
亮の問いかけに対し、朱美が静かに答える。
「新城先生、あなたは今現在行われているビッグマンデュエルを月人の現頭首が観戦していることをご存じですか?」
「それは、まあ」
知らないはずが無かった。月人の頭首や政府高官達が一挙に観戦をしている事は、件の豚と鶴が属している運営委員会によって大々的に宣伝されていた事だった。
「それともう一つ、この学園は月人達から資金や資材の援助を受けて建てられたの。それ自体はもうずっと昔の話だけど、この学園は今もなお地球人と月人の友好のシンボルとして残っている
。これも知っていますね?」
「もちろん存じております」
これも有名な話である。そもそも月光学園という名前が付けられたのも、月人が創立に関わっていたからである。
「今回行われているデュエルが全四戦の総当たり戦で、我が学園の生徒達が月人達と戦っているという事は?」
「それも知っております。確か、私の担当するクラスの生徒が一戦目と三戦目を担当するんでしたね」
「ええ、その通りです」
事前にチェック済みである。自分が赴任する学園についての予習復習は欠かしていない。それにしてもさっきから一方的に質問されてばかりだったのが癪に障ったが、亮はそれをぐっと我慢してこらえた。
「それでいったい、私は何をすればいいのでしょうか?」
「そうですね、ではそろそろ本題に入りましょう」
大仰に机の上に両肘をつき、重ねた両手の甲の上に顎を載せ、亮を見上げながら朱美が言った。
「あなたには、あなたの担当するクラスの生徒達の手綱を握ってもらいたいのです」
「手綱?」
「彼らを調子づかせないようにしてほしいと言うことです」
何を言っているんだこいつは。不審そうに僅かに眉をひそめる亮に、朱美が言葉を続けた。
「今回の戦いは月人の頭首が観戦しておられます。そして我が校は月人の支援を受けて建てられた。そんな中でもし私達が勝ってしまったら、どうなると思いますか?」
「まあ、月人達はいい気分にはならないでしょうね」
自分たちのリーダーが見ている前で負けてしまっては、赤っ恥も良いところだろう。しかもその相手が自分達の支援によってのし上がってきた者達だとすれば、恩を徒で返されたような気分になっても無理はない。
もっとも地球と月の関係は至って良好で、両者の間で技術交換や貿易、小さな所では交換留学なども積極的に行われている。負けたからと言ってそんな風に感じて根に持ったりするのはのはごく一部なんじゃないかと亮は思った。
だが目の前の老女はそんな風に思ってはいなかったようだった。
「その通りです。ですから私達も実際に戦う事になった生徒達に、事前にその事を話しました。そして戦闘の時にどのように動くべきかも」
静かに、しかし厳かな口調で朱美が言葉を紡ぐ。嫌な予感を覚えた亮が先手をとって尋ねる。
「……わざと負けろって言ったんじゃないでしょうね」
「その通りです」
あっさりと言ってのけた朱美に、亮は思わず息をのんだ。教師がそんな事を平然と言っていいのか?
ここはパイロット技能を鍛えるための場所だったはずだ。そこで物を教える立場にいる教師がそんな事を言うのか?
「この学園を守るためです。生徒達も了承してくれました。それに考えようによっては、これもまた社会勉強の一環とは考えられます。決してマイナスではありません」
馬鹿げてる。生徒の背中を押してやるのが普通の教師じゃないのか。そう亮が思っていると、突如として朱美の表情が険しいものとなっていった。
「そう。生徒達はわかってくれた。でも彼らはそれに従わなかった」
「どういう意味です?」
「あなたの担当することになったクラスの生徒の一人が、本番で当たり前のように勝ってしまったのです」
自分の学園の生徒が勝ったという報告をしているのに、朱美の表情は渋いままだった。このとき亮もまた彼女と同じく伏し目がちに渋い顔をしていたが、それは生徒の功績を拒絶する目の前の女への嫌悪から来ていた。
「幸いにも二戦目の子は私の言いつけをしっかりと守ってくれたようで、こちらとしてもほっとしました。ですが明後日の戦闘は、またもあのクラスの代表が出る事になっているのです」
「確か、誰が出るかはくじ引きで決めていたんでしたっけ」
「そうです」
初めから負けるつもりで行くのだから、誰が出ても同じと言うことか。
「ですので新城先生にまずやっていただきたいのは、彼らに自省を促してもらう事です。もともとあのクラスは、私達教師の言う事を聞かない子達を一カ所に集めたような所ですから、もはや私達ではどうしようもないのです」
「だから、外から新任の教師を呼んだと?」
「そうです。見知らぬ教師からの言葉であれば、彼らも有る程度は聞く耳を持つと思いましたので」
「そうですか」
若干うんざりした調子で亮が答える。深々と椅子に腰掛けながら朱美が言った。
「新城先生、難しいとは思いますが、頼みますよ」
「はあ……」
朱美の目は本気だった。生徒やほかの教師の思いなど関係なく、ここでは自分の考えが本気でまかり通ると考えていた目だった。それが亮には恐ろしかった。そしてこの学園はそれが成立してしまう場所なのかもしれないと思い立ち、更に恐ろしさを感じた。一党独裁が成り立ち、個人の意志を蔑ろにする学園など聞いたことがない。
しかし着任初日でこの学園のトップを怒らせるのもいただけない。下手をすれば赴任したその日にクビになってしまうかもしれない。なので亮はいたずらに反目せず、素直に彼女の言葉に頷くことにした。
「わかりました。善処します」
「よろしい。それとわかっているとは思いますが、これは生徒達には秘密にしておいてくださいね。くれぐれも」
「それもわかっています」
「頼もしいですね。それでは今日から、よろしくお願いしますよ」
そう言って朱美は亮に向けて微笑んだが、目は笑っていなかった。亮はあえてその目を見ないように視線を逸らしながら、踵を返して足早に校長室から立ち去っていった。
ドアノブに手をかけた直後、背中から鼻で笑うような音が聞こえてきたが、亮は無視して外に出る事にした。
「……みたいな事をここに来る前に言われたんだけど、私はこれと言って皆のやる事に文句をつけたりはしない。どうかいつも通り、自由にやってほしい。悪いのは向こうだからね」
そして朝のホームルーム、新しい担任の教師がやって来ると聞いて、好奇心半分、半分警戒で待っていた問題のクラスの生徒達は、その新しい教師が自己紹介もそこそこにとんでもない爆弾を放り投げてきたのを受けて、皆一様に口を開けたまま凍り付いてしまっていた。亮は校長室で聞かされた件の話を、全てこの場で暴露してしまっていたのだった。
「大丈夫。何かあったとしても責任は私が取るから。くれぐれも明後日の試合、わざと負けるのは無しにしてくれよ」
こいつは何を言っているんだ?
自分の首が飛ぶかもしれないんだぞ。
何この人面白い。
石像になったかのように硬直した生徒達だったが、その頭の中では既に目前の新任教師への評価が決まりつつあった。プラスでもなければマイナスでもない。呆れ八割、期待が二割といった所だった。校長への怒りや失望は完全に消し飛んでいた。
そして肝心の亮は、このとき自分がとんでもない事をしでかしていたとは微塵も思っていなかった。それ以前にこれがバレた後の事など気にも留めていなかった。悪党の片棒を担ぐ気はさらさら無かった。
その代わり、亮はこの時一人の女の子の事を思い出していた。交差点で知り合い、自分と同じ学園に行きたいと道案内を頼んできた少女。あの後二人で学園まで向かい、そして校門にたどり着いて少し目を逸らした直後には、それまで隣に立っていたはずの彼女の姿はどこにもなくなっていたのだった。
「どこ行ったのかなあ」
未だ固まったままの生徒達には聞こえないよう小声で言いながら、亮はあの少女の姿を脳裏に
思い出していた。
新任教師と問題児のファーストコンタクトは、ある意味では教師側が主導権を握ることに成功していた。肝心の亮はその事を全く意識していなかった。