「陽はまた昇る」
結論から言って、その地球全土を舞台にした一大イベントは失敗に終わった。試合自体はそのどれもが一瞬で終わり、肩透かしもいいところであった。大失敗である。
しかしその現実を前にして、ラ・ムーは決してタダで転んだりはしなかった。
「ご覧いただいたでしょうか! この地球という星には、こんなにも強い人達がいるのです! あの戦闘狂獣と互角以上に渡り合える力を持つ者が、この星にいるのです! こんな強大な力を持った者達のとんでもない戦いを見れるのは、ビッグマンデュエルだけ!」
ラ・ムーはこの戦いと、それに参加した者達自身を、自社の番組の宣伝の道具として利用したのだった。ラ・ムーはさらに続けて、試合を行う上で最も重要な要素である対戦者の募集も行った。
「我々は常に対戦者を歓迎しております! この地球の猛者達と一戦交えたいと思う方は是非、是非とも我々の方にご一報をお願いします! 参加者にはもちろん賞金を贈呈、勝利者にはさらに金額を上乗せします! 我々は常に、対戦者を歓迎しております!」
効果は上々だった。金目当ての者から武芸の求道者まで、その生放送から一週間あまりでおよそ二百人ほどの宇宙人が地球にやってきた。空が円盤や戦艦で埋め尽くされ、地上の町がまるごと影で覆われたこともあった。
しかしそれを気にする人間はいなかった。そして初めて地球にやってきた外宇宙からの客人達も、その星の姿を見て唖然とした。
「これ、本当に人のいる星なのか?」
地獄だった。苛烈な大自然の生み出した地獄の光景が眼下に広がっていた。
「凄まじいな」
「あちこちで天変地異が起きてます。なんなんだいったい?」
ある場所は氷点下まで凍り付き、またある場所は熱砂の海と化していた。火山が噴火しそこから流れ落ちてくる溶岩が地面を覆い尽くす所もあれば、一日中豪雨が続きあちこちで濁流が生まれていた所もあった。人工物と思しき構造物もあったが、それらは全てその自然の猛威の中に一つ残らず沈み、かつてあったと思われる繁栄の姿はどこにも無かった。
もちろん比較的傷の浅い場所もあった。そこではまだ人工物も形を残していたが、そこに住んでいたと思われる者の姿は一つも無かった。そしてそれ以上に彼らの目を引いたのは、その我が物顔で暴れ回る天災のど真ん中で地面に突き刺さっていた巨大な一振りの剣だった。明らかに他の建造物と釣り合ってない機能性よりも見てくれを重視したその物体は嫌でも彼らの関心を引き、それ以上の探索もそこそこに彼らは一体あれはなんなのかと同族の間で議論をぶつけ合った。
「そこの宇宙人の方々、聞こえますか」
彼らの通信機器から声が聞こえてきたのはまさにその時だった。それを聞いた者達は大いに驚き、まずどこからその声が聞こえてきているのかを探り始めた。
捜索はすぐに終わった。そして結果を知った者達は一様に驚いた。音声は件の巨大な剣から発せられていたのだった。
「繰り返します。そこの宇宙人の方々、聞こえますか。我々は次元監察局の者です。答えられるのなら返事をください」
それに反応したのは全体の七割だった。残りの三割はこの星の中で荒れ狂う自然の姿を見て不吉な兆候を感じ取り、そそくさと地球外に逃げ出していった。単純に相手の言語がわからず無視を決め込んだ者達もいた。そしてその中のさらに数隻が牙を剥く自然の煽りを受け、そのまま地球の大地に不時着していった。
そんな者達がいる一方、次元監察局と名乗る者達の声に答えた面々は、そこで彼らから今この世界で何が着ているのかを端的に知らされた。
「特異点だと?」
「異世界の交わる地か。にわかには信じられんな」
「では、この荒れ果てた様相も異世界と関係があるのか?」
「そうです。混じり合った異世界の特徴がそのまま出現しているのです。そのおかげで人間が住める場所は殆ど無くなりました」
「人間? それがこの星を支配している生き物なのですか?」
「それで、その人間は今どこにいるんだ?」
「我々が保護しています」
それから監察局の面々は、自分達の素性とここにいる理由を明かした。次元を越えて世界を飛び回り、異世界同士の安定を図っていること。そして今はいくつもの異世界が交わりあう特異点と化したこの世界に安寧をもたらすために活動していることなどである。
「随分と大事になっているんだな」
「勝負するどころの話じゃないかもしれんな」
「なるほど、あの宣伝を聞いて来たんですね」
先方の来訪目的を理解したその通信担当の監察局員は、ラ・ムーと同等に強かな性格をしていた。彼はより詳しく状況を知ろうと質問をぶつけてきた面々に対して、努めて平静を保ちながら言葉を返した。
「色々と知りたいこともあるでしょうが、ここは一つ交換条件といきませんか?」
「交換条件?」
「あなた方が戦うためにここに来たことは理解しました。しかしこちらとしては、この世界が安定するまでここで派手に暴れ回ってもらうのは困るんですよ。この星にも住んでいる人々がいます。その生活空間をいたずらに戦場にする訳にはいかないんです」
つまり何が言いたいんだ。宇宙人からの問いかけに対し、その局員は簡潔に条件を述べた。
「復興に手を貸していただけないでしょうか」
新城亮の一日は早朝六時から始まる。彼は隣で寝ているエコーを起こさないよう慎重にベッドから離れ、クローゼットを開いてスーツに着替える。そしてリビングに向かうと、そこではつい先ほどまで眠っていたはずのエコーがキッチンに立ち、慣れた手つきで朝食を作っていた。ベッドの上にエコーの姿は無かった。
「おはよう」
しかし亮はそれに対して驚くこともなく、自然な態度でエコーに挨拶した。エコーも顔を上げてそれに挨拶で返し、カーテンの閉め切られた窓の前に立ちながらエコーに尋ねた。
「ところでミナはどうしたんだ?」
「ミナなら今お風呂に入っているわ。すぐに上がってくるんじゃない?」
「そうか。ならいいんだ」
エコーの返答にそう返しながら亮がカーテンの裾を掴み、思い切り引く。カーテンは無抵抗で端まで滑って行き、間髪入れずに昇ったばかりの太陽の光が室内に射し込んだ。その目映い光を正面から受けた亮は咄嗟に目を閉じて顔を逸らしたが、やがてそれにも慣れて目が開けられるようになると、彼はゆっくりと目を開けて窓の外から見える光景に目をやった。
そこにはかつての町並みが広がっていた。世界が大きく変容する前の、人間だけが住んでいた頃の町並みがそこにあった。灰色のドームも無ければ火山地帯も無い。空の方に目を向けても宇宙戦艦や浮遊大陸の姿もない。混乱に突き落とされる前の純粋な人間の営みの光景がそこに広がっていたのだった。
「・・」
亮はそのノスタルジックな気分になる光景を一通り眺めた後、窓から離れてテーブルの前に腰を下ろした。その頃には既にエコーが朝食を並べ終えており、それから自然な動作で亮の横に腰を下ろした。
「何を見てたんだ?」
「町を見てた。あそこまで元通りになるのかと感心してたんだよ」
エコーからの質問に亮が答える。それを聞いたエコーはトーストをかじってから再び亮に言った。
「あそこに人間は殆どいないけどな」
「まだ地下にこもったままなのか」
「それと監察局の船の中だな。世界中どこも一緒だって、昨日のニュースでやってただろう?」
エコーから言われて、亮は昨日見たニュースの内容を思い出した。次元監察局が流したそのニュースの中では世界中の都市部はその大部分が「元の姿」を取り戻したことや、今現在起きている天変地異の大半が収まったこと、しかし未だ地球人の大部分は監察船の中で避難生活を続けており、かつてのように町での生活を行うには時間がかかるだろうといったことなどが報じられていた。そして今後も世界が交わった影響で災害が起きる確率はゼロではないとも言っていた。
「全然状況は良くなってないんだよな」
「前よりマシになったってくらいだ」
亮とエコーが言葉を交わす。その間にもふたりは食事を続け、途中で風呂場から出てきたミナも加わって三人で食事を続けた。そして朝食を終えた後、亮は鞄を持って玄関に向かった。
「今日だっけ?」
「ああ」
「まあ、ほどほどにな」
「しぬなよー!」
玄関で靴を履き始めた亮に向けて、リビングからエコーとミナが声をかける。亮はそれに声を返してからドアを開ける。開けた先には一つの鏡が立てかけられており、亮はその自分の背丈と同じ高さを持ったその鏡へと躊躇いなく歩き始めた。
両者の距離はどんどんと縮まっていき、ついには亮と鏡が正面から衝突する。しかし鏡に亮の体がぶつかった瞬間、鏡の表面が液体のように波立ち、亮の体を彼が手にした鞄ごとその中に誘うように吸い込んでいった。
次の瞬間には、亮は床から天井まで白一色に塗り固められた大きな空間の中にいた。背後には自分が入っていったのと同じ形をした鏡が置かれており、前方には少し進んだところに受付カウンターが置かれてあった。カウンターには若い受付嬢が二人座っており、その内の一人は頭にナイフが刺さっていた。
それ以外には何もない空間だった。柱も窓ガラスも無い、ここの構造を知らない人間からすればただただ殺風景な場所だった。そんな空っぽなメインホールの中を亮はまっすぐ進んでいき、やがて左の壁の目の前で立ち止まる。そして亮はおもむろに右手を持ち上げ、ゆっくりと掌を壁に押しつけた。
「認証確認。新城亮様、おはようございます」
壁の奥から抑揚のない電子音声が聞こえてくる。次の瞬間、掌を押し当てた部分を起点に何本もの光のラインが直角に折れ曲がりながら壁の上を走り、それに続くようにして眼前の壁が左右に割り開かれていく。開かれた奥には相対するように浮かんでいた渦巻く闇があり、亮はその中に向かって悠然と進んでいった。
次の瞬間、亮はそれまでとはまた別の空間の中にいた。そこは一言で言えば教室であった。壁には黒板がかけられ、その前に教壇があり、そしてその教壇と向かい合うようにして小さな机と椅子が規則正しく置かれていた。そこには既に「生徒達」が着席を済ませており、その八割以上が人間の姿をしていない生徒達の方に目を向けながら亮は教壇の方へ歩いていった。
異世界からの来訪者と宇宙人の協力を得て、次元監察局は地球の環境の大部分を元通りに戻すことに成功した。避難生活を続けていた地球人達も細々とではあるがその「いつもの姿」を取り戻した故郷へ帰って行き、復興は順調に進んでいた。
そして復興と並行するようにして、異世界人や宇宙人の地球への移民も進んでいった。むしろ避難場所から元の町に戻っていく地球人よりも、かつての姿を取り戻した地球の都市に住み着く宇宙人や異邦人の数の方がずっと多かった。リターンマッチを望む戦闘狂獣達もこぞって地球に降りてきていた。
地下闘技場目当てに地球に降りてくる者達も日を追うごとに増加していった。秋葉原の地下に居を構えるリトルストームはそのおかげで大盛況であり、異世界から来た守護騎士団達の活躍もあって、そこは毎日がお祭り騒ぎであった。
「痛い! 痛い痛い! ごめんなさいギブギブギブ!」
ちなみに特訓場所としてここにやってきた守護騎士団の当面の目標は、一対一で十轟院麻里弥に勝つことであった。それを成し得た者は一人もいなかった。
閑話休題。しかしその一方で、トラブルもそれに比例して増えていった。その原因は大部分が価値観の相違からくるものであった。その問題を解決するために監察局員達は「互いの価値観を理解し、より健やかに共生していくこと」を目的とした文化統合機関の世界規模での設立を開始した。
その先駆けとなったのが、日本に建てられていた統合機関ユニオンだった。そしてユニオンもまた、それまで「異邦人」のみを対象としていたところをさらに拡張し、「この世界」の外宇宙から来た者達も受け入れの対象とすることになった。そこに目聡く絡んできたのがラ・ムーとソロモンであった。
「宇宙人の中には戦うことをそのまま意思表示としている者達もいるんですよ。言葉は信用できないとか、そもそも言葉を知らないとか、そういった理由からです。肉体言語での対話ってやつですね。そこで一つ提案があるんですが」
彼らはその「戦いでわかりあう」タイプの面々との「対話」の光景を、そのまま試合として放送したいと言ってきたのであった。その見返りとして彼らはその試合によって入った収益の一部をユニオン以下文化統合機関全てに寄付するとしてきた。この条件を持ちかけられた監察局員達はその商売根性に呆れながら感心しつつ、その提案を受け入れることにした。どれだけ高尚な目的を掲げようと、結局は何をするにも金が必要だったからだ。彼らは自分達の手持ちの資金だけで十分やっていけると予想していたが、それでもあるに越したことは無かった。
監察局員達はラ・ムー達の提案を受け入れた。そして今日、亮はその「対話兼試合」を行うことになっていた。彼は教室での挨拶もそこそこに、早速外に出て戦うことになった。
「ヤル! ヤル! ヤルゾ! ヤル!」
今日相手をすることになっていた銀色のスライムは既に巨大化を済ませ、戦闘体勢を整え終えていた。それを見た亮はため息をつき、自分も戦う準備を進めた。
「光の柱が出現した! これから始まるぞ!」
実況を始めた豚の眼下で、柱の中から一体の巨人が姿を見せた。滑らかな流線型の四肢に角張った胴体を持った歪なデザインのそれは、自分より二回りも大きなスライムを前にして悠然と構えを取った。
「さあ、これから始まる世紀の一戦! まもなくゴングの時間です!」
「このサイズの差をどう覆すのか、どう戦うか、それが肝となるでしょう。非常に楽しみですね」
豚が叫び、鶴が冷静に解説を行う。そして豚が再び声を放ち、ゴングが盛大に鳴らされた。
「レディーッ! ゴーッ!」
世界は大きく変わっても、日々は変わらず過ぎていく。
少なくとも、今日は平和だった。




