「巨人二人」
亮はミナが誘拐されたことを、次元監察局で会議が開かれた最初の日の夜にエコーに全て説明していた。しかしその後のエコーの激昂ぶりを見て、亮は「彼女をこの件に関わらせるのは止めておこう」と決心してもいた。
「その犯人はどいつだ? どこにいる? わかったら全部教えろ。いいな?」
自分が手刀で真っ二つにしたテーブルを挟み、素手でバラバラに引き裂いたため使い物にならなくなった椅子の残骸を蹴飛ばして地べたにドサリと腰を下ろしながら、亮と相対したエコーは肩を激しく上下させ怒りの形相でそう唸った。その顔はまさに地獄の悪鬼と言うべき迫力を備えており、亮は自分の妻を前にしていながら「殺されまい」と思うあまり無意識のうちに背筋を伸ばしていた。ウチの備品を壊すな、と忠告するなど無謀の極みだった。
「覚えておけよ。私に無断で何かしようとしたら、その時はお前もタダじゃおかないからな。絶対私もついていけ。いいな?」
「でも教えたら教えたらでロクなことしないだろ?」
「殺すつもりだ」
「穏便に済ませようとは思わないのか」
亮は一応説得してみたが、焼け石に水だった。エコーは犯人を完全に抹殺するつもりだった。亮としても犯人は許せないが、だからといって無闇に殺傷するのはどうかと思っていた。この辺りは彼が元宇宙刑事であり、現在は教師を務めていることが大きかった。
「何か情報を掴んだらお前に教えるが、その場合は犯人を殺すだなんて物騒なことは考えないでくれよ」
「断る」
「お前なあ」
「悪いが、今回ばかりはお前の言うことは聞けない。どんな理由があったにせよ、ミナをさらった奴を生かしておく訳にはいかない」
エコーは梃子でも動かなかった。こうなったエコーは危険だ。直感した亮は、この後ミナ誘拐事件に関する情報の殆どをエコーに流さなかった。このエコーの「まっすぐさ」は亮が魅力的だと思う点であったが、同時に彼女を危ういと思う部分でもあった。何事にも動じない直線的な思考は時として視野を狭め、大局的な物の見方を失ってしまう事に繋がるのだ。
「私は明日から暫く仕事でここを離れる。その間何かあったら必ず私に教えるんだ。頼むぞ」
エコーはこの後部下を連れて異世界に向かう予定だった。これまで亮とエコーは小遣い稼ぎと暇潰しを兼ねて異世界の住人からの仕事をいくつか請け負っており、その依頼遂行能力の高さを聞きつけた「異邦人」の一人がエコーに頼んできたのが今回の仕事であった。
言い方は悪かったが、このエコーの「長期離脱」は亮にとっては好都合だった。出来ることなら彼女が帰ってくる前に何とか解決したかったのが亮の本音だった。
「ああ。何かわかったら連絡する。でもどんな不慮の事態が起こるかわからないからな。あまり期待しないでくれよ」
「わかってる。こちらとしても無理強いはしない」
「とりあえず伝えられるものは全部伝えるつもりだ。そっちも頑張って」
しかし嘘をついたり、こちらが何か掴んでもエコーに全く教えないというのも、それはそれで気分が悪いのも事実だった。なので亮は当たり障りのない情報だけをエコーに流そうと考えていた。全部伝えることは止めておこうと心に固く誓っていた。
そして亮は、今回のこのトカゲ達によるアパート突入の下りをエコーに話してはいなかった。大規模な捜査が始まるとは伝えたが、それがどこで、いつ始まるのかまでは話していなかった。全部話せばトカゲを吹き飛ばして目標地点に突撃することは目に見えていたからだ。だからエコーは今、ここで大捕り物が行われていることなど露ほども知らないはずであった。
なのにこの様である。どこで情報が漏れた? 装甲車の中で激しく揺さぶられながら亮は思考し、眼前に見える深紅の巨人の背中を見つめていた。そのうち後部ハッチが音を立てて閉じていき、巨人の姿は亮の視界から消えていった。しかしハッチが完全に閉じられた直後、その室内にいくつものモニターが出現し、そこには二体の巨人をあらゆる方向から映した映像が表示されていた。
「いったいこれはどういうことなんだ?」
そのモニターの一つを見ながら車内の端に座り込んでいたトカゲの一人が声を漏らした。それを皮切りにしてあらゆる憶測が飛び始め、車内は暫し騒然となる。しかしそれからやや間を置いて別のトカゲの一人が「騒ぐな、じっとしてろ」と声を放ち、続けてモニターの一つを指さし声を低めて言った。
「始まるぞ」
「レディース、エーン、ジェントルメーン!」
それから間髪入れずに、全てのモニターから嫌に陽気な声が響いてきた。それは亮にとっては何度も聞いてきた声、ビッグマンデュエル実況役である豚人間ラ・ムーの声だった。
「こいつらまだこっちで仕事してたのか」
「全宇宙ネットでやってる番組だからな」
「さあ本日もやってきましたビッグマンデュエル! 今回は久しぶりに、この地球での試合をお送りしたいと思います!」
呆れる浩一に亮が答え、その直後にラ・ムーが明るい声を放つ。そしてラ・ムーはそれに続けて何かを言おうとしたが、その漏れかけた声は深紅の首無しの巨人「サイクロンD」から放たれたエコーの雄叫びによって容易にかき消された。
「死ねェ!」
エコーが吠え、サイクロンDが走り出す。大地を揺らして駆け出すと同時に右手を振りかぶり、左足を前に出した勢いのまま岩の巨人に殴りかかる。
殺人的な質量を持った真っ赤な金属の塊が、空気を引き裂いて岩の巨人の右肩に激突する。悲鳴じみた甲高い衝突音が響き、直後、岩の巨人の右腕が肩口からいとも容易く引き千切られていく。サイクロンDはそのまま拳を振り抜き、右腕を丸ごと吹き飛ばされた岩の巨人はその勢いのまま真横に倒れていった。
「クリーンヒットォ! 岩の巨人が横っ飛びに吹っ飛ばされたァ!」
「まだだ!」
ラ・ムーの喜色じみた実況に被せるようにエコーが叫ぶ。サイクロンDが左腕を伸ばして岩の巨人の頭を鷲掴みにし、眼前でその巨体を睨みつけながら再び右腕を引き絞る。
しかし岩の巨人はそのまま無抵抗で終わるつもりはなかった。それはサイクロンDが殴りかかるより前に右足を動かし、その腹に膝蹴りを叩き込んだ。突然の反撃にサイクロンDは岩の巨人から手を離し、よろめきながら後退する。拘束を解かれた巨人はそれで満足せず、一足飛びで跳び上がり、左腕を振り上げて上方からサイクロンDを殴りつけた。
巨人の拳は頭のないサイクロンDの胴体に激突した。深紅の巨人は更に大きくよろめき、千鳥足のように後ろに揺れ動く。岩の巨人のターンはまだ続いた。
「巨人がまた走り出した! 今度は何をする気なんだ!」
再び走り出した岩の巨人を見たラ・ムーが叫ぶ。その動きは鈍重だったが、その分非常に重量感があり、まさに山が動いているかの如き威圧感を観戦していた者全てに与えていた。そして岩の巨人はようやっと姿勢を立て直したサイクロンDに飛びつき、その自身の重量でもって自分と同じ体格を有していた深紅の巨人を押し倒した。
「マウントポジションに持って行った! これはきつい!」
「このままでは殴られ放題ですからね。なんとか抜け出していかないとまずいですね」
テンション高く実況するラ・ムーに続いて解説役のソロモンが冷静に返す。そして彼らの眼前で、サイクロンDに馬乗りの体勢を取った岩の巨人は二人の予想通りの行動をとった。
「つ、潰れろォ!」
岩の巨人が拙い口調で叫び、左腕を持ち上げてサイクロンDの胸部を殴りつける。そして反対側に持って行った左腕を同じルートで振り戻し、裏拳の要領で同じ部分を殴りつける。そうして巨人は元の位置に戻った左腕を振り子時計のように動かし続け、緩やかなテンポで連続してサイクロンDを殴り続けた。
「一方的に攻撃を仕掛けていく! これはまずいぞ!」
「ちょっと、やられっぱなしじゃん! これまずいって!」
「俺に言っても仕方ないだろ!」
ラ・ムーの実況の後でモニター越しにサイクロンDがタコ殴りにされている様を見ていたソレアリィが叫び、耳元で怒鳴られた浩一が負け時と叫び返す。周りのトカゲ達は全員試合に集中しており、二人のやりとりに反応する者は殆どいなかった。
しかしその中にあって、亮は無言でモニターをじっと見つめていた。その顔は落ち着き払っており、悲観的な色は見えなかった。それに気づいた浩一が彼に話しかけた。
「気にならないんですか?」
「信じてるからな」
「あの人を?」
「ああ」
亮が即答する。それを見た浩一もそれからは無駄に騒がず、黙ってモニターを注視した。
そのモニターの向こうではまだ岩の巨人が機械仕掛けの巨人を殴り続けていた。サイクロンDは微動だにせず、ただ殴られるままであった。
しかしサイクロンDの拳は固く握りしめられていた。
「調子に」
エコーが唸る。サイクロンDが右腕を勢いよく持ち上げる。
岩の巨人が左腕を振り上げる。それとかち合うようにサイクロンDが右腕で殴りかかる。
「乗るなァ!」
岩の巨人の左拳とサイクロンDの右拳が激突する。自然の岩塊と人工の鉄塊が正面から衝突し、同等の力を持った二つの拳は互いに大きく弾き飛ばされる。千切れなかったのがせめてもの救いだったが、このとき岩の巨人の腕は一本しかなかった。
サイクロンDの腕は二本残っていた。それが両者の明暗を分けた。
「オォラァ!」
エコーが叫ぶ。サイクロンDの「左腕」が岩の巨人の胸部に突き刺さる。空気が爆発するような音が発生し、岩の巨人が苦悶の呻きをあげる。拳は巨人の体を貫通することこそ無かったが、代わりにサイクロンDに乗り上げていた岩の巨人はその上半身を大きく後ろによろめかせた。さらにそれに追い打ちをかけるようにサイクロンDは上体を持ち上げ、引き戻した右腕で巨人を突き飛ばした。
「散々好き勝手やってくれたな」
巨人を睨みつけ、ゆっくりと立ち上がりながらサイクロンDが吠える。そして構えを取り、低くドスの利いた声で言った。
「覚悟しろ。今度はこっちの番だ」
トカゲ達はその様子を固唾をのんで見守っていた。すでにホバー装甲車は安全な位置まで退避を済ませていたが、誰も外に出ようとはしなかった。全員この試合を最後まで見届けようと、目を皿にしてモニターを凝視していた。
「ん?」
そしてそれは亮達も同じだったのだが、そのとき亮は不意にモニターの一つに映っていた空間の奥の方で、何かが輝いたのを見つけた。それはあまりに小さくか弱い光であったので、最初は流れ星か遠くを飛ぶ飛行機の表面が陽光を反射したものかと思った。しかし亮がそう思った次の瞬間、光は彼の予想を裏切った。
「なんだあれ?」
次に異変に気づいたのは円盤に乗って空から試合を見つめていた実況解説だった。彼らはここから遠く離れた空の上に生まれた光ーー亮が目撃したのと同じ光が、そのまま星の引力に引き寄せられるようにして垂直に地上に落ちてきたのを目の当たりにしたのだ。そして彼らの視線の先で、その「落ちた光」は輝きを放ったまま瞬く間に形を変え、瞬時にその姿を岩の巨人へと変えた。それはたった今サイクロンDが相対していたのと同じ形をしていた。
「うわ、なんだあれ!」
思わず実況役の豚が素のリアクションを見せる。解説役の鶴も突然のことに理解が追いつかず、呆けたように口を開けてその新しく出現した巨人を見つめていた。そんなまともに機能していない彼の頭が唯一理解できたのは、その新たな巨人がたった今自分と同じ姿をしたそれと戦っている深紅の巨人を目指してまっすぐ駆け出していたことだった。
そしてこの時誰も気づいていなかったのは、それと同じ光がエコーを取り囲むようにして次々と落ちてきていたことだった。この場にいた全員がそれに気づいたのは、全部で八つの「落ちてきた光」が一つ残らず岩の巨人と化し、一斉にサイクロンDに突撃していった時だった。




