「激突」
しくじった。小旅行を終え「こちらの世界」に戻ってきたその日のミナはまず一番にそれを考えた。しかし彼女が悔やんでいたのは、別に自分が心躍る異世界から貧相で雰囲気が悪いことこの上ないアパートの一室に帰った時、偶然にも目を覚ましていたゼータと出くわしてしまったことでは無かった。原始還元能力のことがバレた程度では今更ミナは動揺しなかったし、目の前にいる男は自分がその力を持っている事を知っていた。
「お前、やっぱりそうだったんだな。逃げようと思えばいつでも逃げられた訳だ」
おまけにこの男はそれを知っても、特に何のアクションも起こさなかった。連れの女を起こしたり、騒いだりすることもしなかった。完全に気力を無くし、まさに歩く死体と呼ぶにふさわしい有様だった。
問題は別の方にあった。
「なんだこいつら? こいつらがお前の言ってた悪い奴なのか?」
ミナの後ろにいた「それ」が低くくぐもった声を放つ。見渡す限り岩と砂しか無かった世界で出会ったその人型をした大岩の怪物は、ミナの懇願を振り切って「俺がお前を守る」と言わんばかりに強引についてきたのだった。その怪物は厳めしい外見に反して純粋で情に厚く、そして人の話を聞かなかった。
「お、お前、お前らだな。お前らがミナをさ、さらったんだな? 酷いことしたんだな?」
そして何よりミナを驚かせたのが、この怪物もまた自分と同じ能力を有していたことだった。適当に選んだ異世界の一つで同じ「原始還元能力」を持つ者に出くわすなど、一体どうして予想することが出来ただろうか? 自分に落ち度は無いとミナは思っていた。しかし残念ながら、それは現実に起きており、そしてその危険な能力の持ち主である岩の怪物は事の詳細も知らずに猛り狂っていた。
「なんのことだ。お前は何を言っているんだ」
「とぼけてもむ、無駄だ。ミナをさらって、ミナにひどいことしたんだろう。俺、知ってるんだぞ」
いくらすることが無くて暇だったとは言え、この単純な生き物に自分の境遇を悲惨さ五割増で話したのはまずかったか。愚か者に嘘八百を並べ立てたミナは今になって自分の軽率さを後悔したが、後の祭りだった。
「ゆ、許さない。許さないぞ。お、お、お前ら、お前ら皆殺しだ。皆殺しだ!」
そしてミナが渋い顔を浮かべたその瞬間、怪物が怒りに満ちた声をあげた。
刹那、怪物の体の中から閃光が迸った。
全く突然のことだった。溜める動作も無しかよ、ミナは顔をしかめて咄嗟に思った。
「動くな! お前達を拘束する!」
玄関から声が迸る。そちらの方を向いたミナの視界が白く染まる。目を閉じる暇も無い。光に遅れて放たれた熱波が肌を焼く。そしてそれが何を意味するのか理解した刹那、ミナの眼前で大気が弾け飛んだ。
アパートは一瞬で爆散した。眼前で建物が吹き飛ばされた後、それに続いて衝撃と轟音が周りの取り巻きを襲った。亮を含む取り巻きは揃って腕で顔を守り、後には鼠色の煙をもうもうと立てる瓦礫の大山しか残っていなかった。先に突入したトカゲ達は影も形も残っていなかった。
「な、何が起きた?」
辺りに漂う煙を吸って咳き込みながら亮が周囲を見渡す。そして亮から遅れて浩一とソレアリィが混乱から回復するころには他の周りのトカゲ達も相応に平静を取り戻しつつあり、彼らは何とか自分の足で立ち上がりながら瓦礫の山に目を向けた。
「さっきのはなんだ?」
「コーイチ、大丈夫?」
「ああソレアリィ、なんとかな。お前は?」
「こっちも平気。まだ耳がキンキンするけど」
亮がその声のする方に目をやる。浩一とお付きの妖精は無事なようだった。外にいた他のトカゲ達も同じく大事には至っていないようだったが、心が落ち着きを取り戻すと同時に彼らの脳味噌は疑念を次々と生み出していき、それらが節操なく口から飛び出していったお陰で、方々で騒ぎが起きていた。
「なんなんだよこれ」
「落ち着け! 列を乱すな! 平静を保つんだ!」
「隊長! これはいったいどういうことなんです?」
「俺達のことがバレてたんですか?」
「ええい騒ぐな! 騒ぐなと言っているだろうが!」
この場はまさに混乱の坩堝の中にたたき落とされていた。隊長格のトカゲ達は混乱し自分の元に詰め寄るトカゲ達を鎮めるのに手一杯であり、しかしそれに忙殺されていたお陰で却って平常心を保つことが出来ていた。その群れからトカゲ達もそれぞれ小グループに別れて小声で話し合っていた。取っていた行動こそ違えど、そこにいた誰もが突如として現れた見えない脅威に怯えているようであった。
「あれ!」
ソレアリィがそれに気づいたのは、まさにその時だった。彼女は驚いた表情で咄嗟に上空を指さし、つられて亮と浩一もソレアリィの指さす方へ目を向ける。そして目を見開いたまま石になったかのように硬直した。
「なんだあれ」
「俺に聞かれても困る」
そこにあったのは、かつてアパートであった瓦礫の山の上に片足を乗せつつ、いつの間にか姿を現していた巨大な人型の物体だった。それはとにかく巨大で息が詰まるほどの存在感を放ち、亮などに至っては一瞬自分の目の前に山が出現したのかと錯覚する程であった。そんな山の如き威容を誇る巨人の表面は全身ゴツゴツと角張っており、磨かれたこともない岩がいくつも結合していた。まさに巨大な岩の集合体が人の形を取っているかのようであった。もっともその姿は荒削りもいいところであり、辛うじて人型に見えるというのが実際のところであった。
「お、おまえら、全部殺す! 邪魔する連中、全部殺す!」
そして何より明白だったのは、その岩の怪物がこちらに対して敵意を抱いていたことだった。そしてその声が引き金となって、他のトカゲ達もそれの姿を知ることになった。
「今度は何だ!?」
山のように巨大な怪物を見上げながらトカゲの一人が声を漏らす。その恐怖は瞬く間に伝染していき、トカゲ達は蟻の子を散らすが如く方々へと逃げていった。こうしてやっとのことで立て直りかけていたトカゲの戦列は瞬く間に崩壊したのだった。
そしてパニックになっていたのはトカゲだけではなかった。
「どうすんのよこれ!」
「だから俺に聞くなよ!」
「逃げるぞ! ここにいたら踏み潰される!」
軽く恐慌状態になったソレアリィのヒステリックな叫びを聞いた浩一がヤケクソ気味に返し、他に比べてまだ比較的平静を保っていた亮が指示を飛ばす。その力強い言葉を聞いたソレアリィと浩一は素直にそれに従い、担任の教師の言葉に従ってそこから駆け出していった。
そうして三人が元いた場所から離れた直後、そのそれまで彼らのいた地点に岩の巨人が拳を叩き込んだ。大地を力任せに陥没させ、土煙と粉塵を空高く巻き上げる。舞い上がった砂や土は間髪入れずに発生した衝撃によって全方位に飛散し、霰の如くそこから逃げ出していた者達に襲いかかった。
「うわっ!」
「ひいい!」
「いてえ! 畜生いてえ!」
それらは所詮砂粒程度の代物であったので、トカゲや人間の体を貫通するまでの威力を持ってはいなかった。振り下ろされた拳をまともに食らってミンチになるよりずっとマシである。
しかし高速で飛んでくるそれらが痛いことに変わりはなく、逃げまどう面々は背中を針でつつかれるような思いを味わいながら逃避行を続けた。亮達も同様の痛みを味わっていたが、そんな彼らの背後から突如として叫び声があがった。
「逃げるなあ! 全員まとめてぶっ殺してやるう!」
それは岩の巨人の放つ怨嗟の声だった。その叫び声だけでも、相手が怒り狂っていることがよく解った。
「なんであいつあんなに怒ってんのよ!」
「俺が知るか! とにかく逃げろ!」
「どこまで!?」
「知らん!」
怒りの咆哮を背に浴びながらソレアリィと浩一が言葉をぶつけ合う。彼らの前方にはトカゲ達が用意していたホバータイプの輸送装甲車が並んでおり、その開け放たれた後部ハッチの奥からトカゲの一人が亮達に向けて手招きしていた。
「あっちだ! あれに乗るぞ!」
それに気づいた亮が叫ぶ。二人が反射的に悲鳴じみた了解の声をあげる。それと同時に背後で巨人が二発目の拳を地面に叩きつける。
大地が振動し、その振動が伝播したことで足下が激しく揺さぶられる。三人は装甲車まで後少しといった所で揃ってつんのめり、そのまま前のめりに転びそうになる。
「わっ! わっ!」
「コーイチ!」
しかし全員寸での所で姿勢を立て直し、再び走り始めた。亮は自力で持ち直したが、浩一は転びかけたところでソレアリィが彼の前に回り込んでその襟元を掴み、全力で背中の羽をはばたかせて前に進んだのが効を奏した。その時ソレアリィは浩一の肩越しに、こちらにゆっくりと手を伸ばしてくる岩の巨人の姿を一瞬ではあるが垣間見た。しかし彼女はそれを浩一に伝えることはせず、ただ羽に込める力を更に強めてこの場から逃げ延びることに全力を尽くした。
そうして彼らは大きなロスをすることなく、背後から轟いてくる巨人の雄叫びを必死で無視しながら奥の壁に衝突するほどの勢いで装甲車に滑り込んだ。最初にソレアリィが、次に浩一が乗り込み、最後に横で二人の乗車を見守っていた亮が中に入る。
「全員乗ったか!」
「こっちは大丈夫だ!」
亮の手を掴んで中に引っ張り込んだトカゲが奥から聞こえてきた声に答える。それから一拍遅れて亮達の足下から重苦しい音が鳴り響き、エレベーターが動き出した時に感じる物に似た僅かな浮遊感を搭乗者全員に味わわせながらホバー装甲車が走り出した。このとき後部ハッチは開きっぱなしであり、亮は後ろを向いて外の光景を見た。
「逃がすかあ!」
直後、見なきゃ良かったと亮は大いに後悔した。山のように巨大な岩の巨人が、こちらに向けて手を伸ばしていたのだ。しかも装甲車の速度より巨人の動作の方がずっと速い。このままではあっという間に捕まってしまう。
それに気づいた他のトカゲ達が騒然となる。やるか? そのざわめきを背に亮が自分の機体を呼ぼうとした直後、巨人の頭上に穴が空いた。
「え」
それに気づいた亮の発した言葉は巨人の悲鳴によってかき消された。頭上に空いた穴から深紅の拳が振り下ろされ、巨人の頭部を真上から殴りつけたのだ。不意打ちを食らった巨人は思わず姿勢を崩し、伸ばした手を引っ込めると同時にその場に尻餅をつくように崩れ落ちた。
それを見ていた他の乗員が再びざわめき始める。しかしあそこで何が起きたのか具体的に説明できる者はいなかったが、それに対する具体的な「回答」はその直後に空から降ってきた。
「そこの車! 下がってろ!」
頭上から高らかに声が響き、間髪入れずに装甲車の背後で何かが落ちてきた。大地を揺らして現れたそれは首から上のない、深紅に染められた一体の巨人だった。岩の巨人と異なっていたのはそれが直線を中心とした人工物で構成された、機能的だが無機質な外見をしていたことだった。
「サイクロン? エコールか?」
その機械仕掛けの巨人を見た亮が咄嗟に叫ぶ。そんな亮の視線の先で、深紅の巨人は立ち上がり敵意を向けてくる岩の巨人を前に構えを見せた。
「お前の相手は私だ!」
なんでここにいるんだ、と疑問をぶつける余裕は亮には無かった。




