表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
159/175

「彼女の一日」

 ミナがゆっくりと目を開いた時、壁にかけられていた時計は深夜の三時を示していた。それを見てから視線を落とすと、自分の口元にはガムテープが貼られ、体は縄でグルグル巻きにされていた。最初と同じ格好だった。

 それを確認した後、ミナは音を立てないようにしながら体を捻り、首を回して周囲を見渡した。照明は落ちて室内は真っ暗になっており、そんな部屋の隅でゼータが体を丸めて寝息をたてており、窓のすぐそばで若葉が体育座りの姿勢で眠っていた。二人はどちらも動こうとはせず、部屋の真ん中にあるテーブルには空になったカップ麺の容器が置かれていた。


「貧相だこと」


 それを見たミナが心の中で嘲笑し、その後でゆっくりと体の奥に向かって力を込めていく。直後彼女の全身が青白い光に包まれ、そして光の膜が粒子となりゆっくりとはがれ落ちていった後、そこには縄とテープが外れ拘束から解かれた状態で立ち尽くすミナの姿があった。さらにこの時、彼女はそれまで身につけていた質素な白いワンピースではなく、上品な子供用の黒いドレスを身につけており、その上頬にはパウダーをつけ、口紅とアイシャドウまでもひいていた。その姿はまさに上流貴族のお嬢様が今から舞踏会に出かけようとしているかのような出で立ちであった。

 そんな一瞬で場違いな格好になった彼女はそこに立ったまま首と腰を軽く回し、それから再び意識を腹の奥に集中させていった。直後、彼女の体が再び内側から溢れる光に包まれていき、そうして現れた人型の光は最初にミナが力を込めた場所に向かって吸い込まれていった。

 一瞬のことだった。最後にそこにわずかな光の残滓を残したまま、ミナとミナを覆う光はその場から消滅した。





 それから一秒もしないうちに、ミナはとある町の大通りに立っていた。そこはそれまで彼女がいたコンクリートジャングルではなく、周囲にある建物はどれも煉瓦や木材といった素朴な材料で構成されており、そして今自分が立っている道もセメントで舗装されたものでなく色とりどりの石が敷き詰められて出来ていた。

 そして顔を上げて視界を広げれば、その目の前に広がる通りの中を通る多くの人々の姿が確認できた。ある者は籠を抱え、ある者は荷車を牽いていた。それらはどれも地球に住む人々とは異なる風俗ないし文化に基づいた特異な、牧歌的とも取れる服装を身につけていた。姿形それ自体は地球人とほぼ同じ姿をしていた。


「今日は中世ファンタジーかな?」


 そんな周囲の光景を興味深げに見回しながらミナが言った。それからまずミナは通りの片側で店を開いていた露店の一つに近づき、そこに並んでいる品物を物色するフリをして自分の隣で同じく買い物をしている人間の姿をそれとなく観察した。

 やがてその買い物客が売られていた果物のような物を一つ指さし、懐から青色に染まった円形の物体を三枚取り出して店主に差し出した。それは複雑な模様の施された、薄くて縁がギザギザした代物だった。露店主は差し出されたそれを受け取り、代わりに指さされたその果物を客に差し出した。

 その一部始終を見終えたミナは客が離れた後で少し待ってから自分もその店から離れ、それから早足で通りを横切って反対側にある店と店の間に入り込み、そこで通りから背を向けるようにしながら一方の壁によりかかった。そしてその体勢のまま胸元まで持ち上げた右手を何度か開閉させ、その後軽く握りしめた後で周囲に見つからないようにぼんやりと掌の中を光らせた。


「これくらいかな」


 やがて光が消え、ミナが呟きながら右手を開くと、その手の中には先の客が取り出したのと同じ色と形をした物体が三枚あった。その物体を持って通りを再度横切り、先程寄った店に向かう。


「これ一個くれない?」


 そしてさっきの客が指さした物を自分も指さし、それから右手を開いて中にある三枚の青い物体を店主に差し出す。それを見た店主は疑うことなくミナの手の平にあった物体を受け取り、代わりにミナの指さしたブツを空になったミナの右手に乗せた。


「おつりはある?」

「いや、これでちょうどだよ」

「ありがと」


 質問に答えた店主に礼を言った後、ミナは通りを行く人混みに混じってその流れに身を任せながら先程買った果物らしき物をかじってみた。水気があり、シャリシャリとして梨のような味がした。

 これは当たりだ。機嫌をよくしたミナはその後も店をいくつか周り、最初と同じように複製した硬貨を使って買い食いを楽しんだ。麺のような料理は辛味があってとても美味しかったが、最後に食べたパンは石をかじっているかのように堅くてとても食べれたものでは無かった。途中でこれは暖めて食べる事がわかり、帰ってから食べようと思ってポケットにしまい込んだ。

 そうしてしばらく道を歩いていると、通りの端で数人が固まり、何やら議論しているのが見えた。ミナは人混みから離れて議論グループのいる側に移動し、露店を物色するフリをしながら遠くからその会話に耳を傾けた。


「例の話は本当なんだろうか?」

「わからん。ただの噂だという話もあるが」

「俺の友人は裂け目の先は本当に異世界に通じていると言っているぞ。俺の知る限りじゃ、あいつは嘘をつくような奴じゃないと思う」

「異世界がどうとか、俺には全く信じられんな」


 そこまで話をした後で、彼らは一斉に顔を上げて空に目を向けた。彼らの視線の先には次元の裂け目があり、空が割れて出来た亀裂の奥で毒々しい赤紫色が不気味にうねっていた。

 彼らが何について話していたのかを察したミナはすぐに行動に移った。彼女は足早にその集団に近づいた後、何食わぬ顔で言葉を挟んだ。


「知りたい?」

「な、なんだよあんた」

「あの裂け目が異世界に通じてるっていうのは本当だよ」


 突然の乱入に狼狽した相手の反応を待たずにミナがまくし立て、それから懐のポケットを探る、ふりをして名刺を一枚生み出し、それを議論グループの一人に手渡した。


「私、その裂け目を通ってこっちに来たの。ちなみにそこが私の元々いた場所ね」


 ミナの言葉を聞いた瞬間、グループの空気が変わった。彼らは態度を軟化させてそう言い切った彼女に興味を抱き、それから一斉に彼女の手渡してきた名刺に目を向けた。そこには彼らには馴染みのない文字の羅列だけが記されており、それ以外は白紙だった。意味不明だったがそれは彼らの好奇心をかき立てるのに一役買い、そしてここに来て彼らはミナに対して抱いていた感情を、懐疑から興味へとシフトした。

 そしてそれをまじまじと見ている面々に向かって、ミナが続けて言った。


「ちょっと怖いかもだけど、異世界に向かってみるのも面白いよ。勝手がわからなかったら次元監察局ってところに連絡してみるのもいいかも。そこの人なら色々教えてくれるよ」

「そのなんとか監察局ってところにはどうやって連絡すればいいんだ?」

「裂け目の中に入って、大声で呼べばいいのよ。助けてくれってね」


 質問してきた一人にミナが答える。それからミナは「ついでにそこに行きたいから連れて行ってくれって頼むのがおすすめかな」と自分の渡した名刺に視線を向けた。何を信じていいかわからずにいた彼らはミナの自信に満ちた言葉に大きく心を動かされたようであり、まさに何かにすがるような目で名刺と裂け目とを交互に見つめていた。

 そんな彼らにミナが尋ねた。


「あなた達はあそこに自由に入れたりするの?」

「いや、あれには勝手に近づくなと王宮からお触れが出ている。俺達庶民がどうこう出来るもんじゃない」

「でも近々探索隊を募集するって話を聞いたぞ。兵士だけで行くんじゃなくて民間からも何人か募るらしい」

「それ進んで参加する奴とかいるのかよ?」

「商人なら喜んで行くんじゃないか? 向こうで珍しい物が手に入るかもしれないだろ。後は物好きくらいか」

「それと土産話もね。ひょっとしたら異世界でいいものが手に入って、それがきっかけでこっちの問題が解決出来るかも。うまくすれば有名人になれるかもよ?」


 グループの話を聞いていたミナが再び口を開く。議論グループの面々は黙り込み、再びまじまじとその手の中にある名刺に視線を移した。

 そんな面々をミナは面白げに見つめていた。まるで無垢な子供に危険な遊びを吹き込む悪魔のような表情をしていた。そうして一通り悪魔の気分を堪能した後、ミナは「まあゆっくり考えといてね」と言い残してから彼らと別れ、再び人混みの中に紛れていった。背後から引き留める声が聞こえてきたが、ミナはそれを無視して歩き続けた。





 ミナは全て知っていた。自分が誘拐されていること、亮が次元監察局の会議に出席していること、そして亮とその会議の出席者達がなぜか団結して自分の捜索に本腰を入れて取り組んでいること。

 ミナはそれを知って当然嬉しく思ったが、同時にこのまま物事が順調に進むのも面白くないと思っていた。自分の能力を使えばそれこそ今すぐにでも亮と再会できるのだが、それもそれで面白くない。やはりここは解決を先延ばしにして、どこまで事態が進行していくのか見守るのがベストだろうとミナは思っていた。

 それに解決までの時間をかければかけるほど、自分を誘拐した連中への亮達のヘイトもより多く溜まる。あいつらが後々受けるであろう報復もより凄まじい物になるだろう。ミナはそれを想像して暗い笑みをこぼした。やられたらやり返す。ミナは自分は聖人君子でないことを自覚していた。


「そろそろ時間かな」


 そこまで考えたところで、ミナはいい加減戻らなければならないことに気づいた。今の自分は「囚われの身」なのだ。窮屈だが、暫くはそれっぽい仕草をしていなければならない。そう思ってミナは人混みの中で立ち止まり、目を閉じて腹の奥に力を込める。刹那、ミナの体は内側から青白く発光し、そして周囲の人間がそれに気づく間もなくミナの姿はそこから消滅した。

 後に残ったのは胞子よろしく宙に舞う光の粒だけだった。人々はその光の存在にこそ気づいたが、結局それがなんなのかまではわからずに素通りしていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ