「会議三日目」
朝倉若葉と同衾し始めたことを、ここに来てゼータは悔やみ始めていた。頭をかきむしりなぜこうなってしまったのかと意味のない自問自答を何度も繰り返しながら、ゼータは閉め切ったカーテンをわずかにずらして窓越しに外の光景を見やった。
「いたか?」
「いや、こっちにはいなかったぞ」
「こっちにもだ」
「よし、もう一度手分けして探すぞ。人相はわかっているな?」
「もちろんだ」
「よし。では一時間後にまたここで落ち合おう。他の奴らに遅れをとるわけにはいかんぞ。解散!」
そこにいたのは一度四方から集まって何度か言葉を交わし、それから再びそれぞれ別の方向へ散っていった四人の人間達だった。もっとも人間達と言っても、それはあくまで「人型」をしていたからそう印象を持っただけであり、全身真っ青で腰蓑だけを身につけ手に竹槍を持ったその姿はとても今の時代に存在する「地球人」には見えなかった。
ゼータがそんな散り散りに走り去っていく青い面々に目をやっていると、今度は頭上の方から重々しい調子の声が響いてきた。
「我々は決して怪しい者ではありません。我々は現在、ある人物を捜索しております。この人物に心当たりのある方は、至急我々までご連絡ください」
ゼータが顔を上げて声のする方に目をやると、そこには全身を光沢のある銀色で塗り固めた巨大な球体が浮かんでいた。しかもその球体は表面からそれと同じ色をした鋭い針を何万本と隙間無く生やしており、その様はまさに体を丸めたハリネズミのようであった。
「ご一報ください。ご一報ください。こちらの紙に書かれている連絡先までご一報ください」
その空飛ぶ銀色のハリネズミは続けざまにそう言葉を放つと同時に、眼下に広がる町に向かって大量の紙を吐き出していった。それらは剣山のようにそびえ立つ針の一部の先端から続々と吐き出されていき、そうして無秩序にばらまかれたそれらは紙吹雪のようにヒラヒラと舞い踊りながら町に落ちていった。中にはビルの屋上に落ちたり信号機の上に引っかかったりしたものもあったが、ハリネズミはそんなことお構いなしに「ただばらまけばいい」とでも言わんばかりにゆっくりと移動しながら紙をばらまき続けていった。
その内の一枚が風にあおられ、ゼータの覗いていた窓にそれが情報の書かれていた方を表にして貼り付いた。そこには「捜索中」と大きく書かれた文字の下に一人の少女を正面から撮った顔写真、そしてその下に連絡先と思しき数字の羅列が書かれていた。
ゼータはその写真をじっと見つめた後、ゆっくり首を回して背後に目をやった。そこには脱力しきった表情でテーブルの上に置かれたラジオに聞き入っている若葉と、その若葉の隣で口にガムテープを貼られ簀巻きにされた少女が転がっていた。その少女の顔はたった今見た写真の中のそれと同じ姿をしていた。
「ミナって言うんですってね、この子」
そのゼータの視線に気づいたのか、若葉がラジオから目を離さずに言った。この時彼女の聞いていたラジオからは透き通った女性の声が聞こえてきており、その女性は「人を捜しております」と前置きした後でその探し人の特徴を事細かに伝えていた。その特徴を総合して出来上がる人相図は、まさに今若葉のそばにいた少女の顔立ちと一致していた。
「ここまで大事になるなんて思ってませんでしたよ。これはさすがに予想外ですね」
「お前」
あたかも他人事のように言ってのける若葉を前に、ゼータは顔を怒りで赤くしながら拳を震わせた。しかし直接殴りかかったりはせず、ただ若葉を睨みつけながらドスの利いた声で問いかけた。
「なんでこんなことをした?」
「面白そうなことになるかなって思ったからです」
しかしゼータの恐喝じみた声に若葉は動じず、それどころか「自分は悪いことはちっともしていない」と言わんばかりの素っ気ない態度で返した。そこに反省の色は全く見られず、若葉本人もその顔に気まずさや申し訳なさを見せることは無かった。
「外がどうなっているのか知らないのか? これは全部お前がしでかしたことなんだぞ?」
「多分そうなんでしょうね」
「何でそうも冷静なんだ? 何か言うことはないのか?」
「面白いことになってていいじゃないですか」
「お前……!」
額に青筋を浮かべながらゼータがこめかみをひくつかせる。若葉はその憤怒の形相を浮かべるゼータを正面から見返しながら静かな声で言った。
「別にいいじゃないですか。バレなきゃ問題にならないんですから」
「このまま隠し通せると本当に思っているのか」
「思ってますよ。町にはもう他に人もいないし、お互い何も言わなきゃいいんですから」
若葉の言葉を聞いたゼータが黙りこくる。その顔からは以前よりも怒りの色が引いており、しかし若葉は睨みつけたまま渋い顔を浮かべていた。
「せっかく生きてるんですから、どうせならスリルを味わっていきましょうよ。退屈な人生なんてつまらないですよ」
そして若葉は顔色を少しも変えずにそう言った。それを聞いたゼータは、この時初めてこの同居人に対して恐怖心を抱いた。それまで大して注意を払っていなかったこの女は、実はとてつもなく厄介な女だったことにこの時気づいたのだ。
退屈を嫌う人間。刺激のためならどんなリスクも背負い、その自分に向けられたリスクに平気で他人を巻き込む人間。そしてそれ以上に厄介だったのが、そのリスクを前にしてこの女は「何があっても自分なら大丈夫」と慢心していることであった。要は自分に酔っていたのだ。危険が好きなのではなく、危険に身を晒している自分が好きなのだ。
「別にいいじゃないですか。最後に勝つのは私なんですから」
何か問題があるのか、と言外に若葉が問いかける。ゼータはそんな若葉と、彼女の足下に転がっているミナを交互に見ながら、がっくりとうなだれて改めて自分の不運を呪った。なんで自分はこうも酷い目に遭わなければならないんだ。自分はここまで災難に遭わなければならないほど悪いことをしたのだろうか。彼はその窓の近くで腰を落とし、両手で頭を抱えた。
そうやって自分が過去にしたことを棚に上げて悩むゼータも大概駄目な人間だった。
会議三日目。当初会議室として用意されたその部屋は、今や会議とは全く別の目的のために利用されていた。
「地点A、反応無し」
「地点B、同じく反応無し」
「地点Cも同じく無しです。やはり家屋に直接入り込むべきでは?」
「さすがに家主の許可もなく中に踏み込む訳にはいかん。我々の世界でならともかく、異世界でそれをやって、後々どのような問題にぶつかるかわかったものではないからな」
円卓の上にはどのように使うかもわからない機械が所狭しと並べられ、その上では天井から吊された複数の大型モニターがこれまた多種多様な映像を表示していた。円卓を囲んで座っているのはかつて会議に出席していた教師や学者達ではなく、それぞれの世界で軍役に就いていた「専門家」達であった。かつての主役である学者連中は壁際に集まってその様子を固唾を飲んで見守っていた。
「新城さん、建物の中に入り込むのはやはり控えた方がいいのでしょうか?」
その会議の出席者の一人が亮に尋ねる。今現在「この世界」の唯一の代表としてここにいた亮は話しかけてきた表面のてらてらと濡れ光った緑色のスライムのそれを受けて渋い顔を浮かべた。
「やめておいた方がいい、とは思うんですけど、個人的には早く解決したいんですよね」
「ジレンマですね」
「せめて建物の中を透視出来るような物があればいいんですが」
「プライバシーの侵害になりませんかね?」
右半分を機械化した灰色のゴリラが割り込むように言葉を投げてくる。亮は「それも問題なんですよね」と答え、顎に指を当てて難しい表情を浮かべた。
「しかし、このまま手をこまねいていても何も解決しません。やるべきですよ」
そんな亮に対し、それまで円卓の前に座って機械の一つとにらめっこしていた「異邦人」の一人が彼の方を向いて言った。その言葉は力強く、確信めいた響きを持っていた。他の面々も揃って頷き、それを見た亮も「手段は選んでられないか」と気まずそうに呟いた。
「クマー」
出入り口からその声が聞こえてきたのはまさにその時だった。全員がそちらに目を向けると、そこには開いたドアの奥に立つ、愛らしくデフォルメされた一頭のクマの着ぐるみがいた。
「先生、いるクマ?」
「進藤か。どうした?」
クマからの問いかけにそう返しながら、亮がその自分が担当しているクラスの生徒の元に歩み寄っていく。一方でそのクマも自然な動作で室内に入り、二人は会議室の中程で合流した。
最初に口を開いたのはクマの方だった。
「闘技場の方ではそれらしい人物は見つからなかったクマ。心当たりのある人もいないクマ」
「そうか、わかった。ありがとうな」
「これくらいどうってことないクマ。こっちはこっちでもう少し調査するクマ」
「頼めるか?」
「もちろんクマ」
亮からの問いかけに自信満々に返し、それからクマは踵を返して会議室から去っていった。その後ろ姿を見届けていた亮に、会議の出席者の一人が声をかけてきた。
「さっきのは?」
「自分の教え子です。ミナがいなくなったことをどこからか聞きつけて、それで協力してくれてるんですよ」
「さっきあの子、闘技場がどうとか言ってましたけど、戦ってらっしゃるんですか?」
「いえ、あの子の友人がその闘技場の方でファイターやってるので、その縁で闘技場の方で協力してもらってるんですよ」
亮の回答を聞いた一同が「ほう」と納得した声を漏らす。なお、現役の学生が闘技場に出入りしていることに苦言を呈する者は一人もいなかった。こちらの世界ではそれが常識なのだろうと思っていたからだ。
一方でその周囲からの感心めいた声を聞きながら、亮は「無茶しなきゃいいんだけど」と小声を漏らした。




