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「追憶の2」

「お前海賊だったのか」


 エコーと名乗る女の素性を知った亮は素で驚いた声を出した。既に自分は宇宙警察であると明かしているし、昔から宇宙警察と宇宙海賊はまさに犬猿の仲であったからだ。

 なのでそれを知った瞬間、亮は真っ先に「ここから逃げ出すべきか」と考えた。亮はこの時既にエコーの船の中におり、それはまさに狼の口の中に自分の頭を突っ込んでいるようなものであったからだ。エコーの私室に招かれここの部屋主と一対一で対面していたのだから、危険度はなおさら跳ね上がっていた。


「ああそうだ。そう言えばお前は宇宙警察だったか」

「まあ、一応はね」


 しかし船長室でエコーと一対一という時点で、亮はもう逃げ出す算段をするのを投げ出していた。ここまで来たらもう運を天に任せるしかない。亮は半ば捨て鉢になっていた。


「俺を殺すのか?」


 部屋の中央に置かれたフカフカのソファに腰掛けながら、亮が部屋の奥にある執務机の前に座っていたエコーに話しかけた。その声は無駄に明るく、開き直った調子があった。


「なんでそんなことをしないといけない?」


 しかしエコーは笑いながらそれを一蹴した。そして机の下にある引き出しの一つを明けてそこから小さな酒瓶を取り出し、それを手に取りながら亮の座っているそれのテーブルを挟んだ反対側にあるソファに腰掛ける。そして手にしていた酒瓶をテーブルの上に置き、今度はテーブルと床の間にあった小物入れの戸を引きだして中から小さなグラスを二つ取り出し、それを黄金色の液体で満たされた酒瓶の傍に置いた。そのグラスは透明な材質で作られたお猪口のような、満杯に注いでも中身を一口で軽く飲み干せるようなサイズの物だった。


「酒?」

「腹を割って話すにはこいつが一番だからな」

「警察のことは何も話せんぞ」

「違う違う。私はお前と個人的な話がしたいんだ」


 渋る亮にエコーが笑って答え、そして酒瓶の蓋を開けて中身を二つのグラスに注いでいく。黄金色の液体がグラスの中をあっという間に満たしていき、そうして満たされたそれの一つをエコーはしたり顔で亮に差し出した。


「毒は入ってないよな?」

「随分用心深いんだな」

「だまし討ちとか色々されたからな」

「お前も苦労してきた訳だ」


 エコーがそう言って自分のグラスを手に取り、亮に見せつけるように勢いよく中身を呷る。酒を一気に食道の奥に流し込み、その熱い液体が全身の細胞に染み渡るのを味わい、エコーは会心の笑みを浮かべた。


「ああ、旨いな!」


 ひとしきりその体が一気に燃え上がるような感覚を楽しんだ後、エコーは力を抜いてソファに深々と腰掛けた。そうして背もたれに身を傾けながら、エコーは亮の方を見ながら言った。


「安心しろ、何も入ってない。ただの酒だ」

「むう」


 その愉快そうな表情を浮かべるエコーとテーブルの上に置かれたグラスの上になみなみと注がれた液体を交互に見つめる。エコーの目は期待に満ちており、そしてグラスに注がれた酒は実に美味そうな色合いをしていた。

 こうなったら腹を括るしかない。そう考えた亮は意を決してグラスを手に取り、躊躇うことなく一気飲みした。熱い感触が舌の上を転がり、喉を通って胃の中へ落ちていく。暫くその感触を味わった後、亮はグラスをゆっくりテーブルに置いて一言呟いた。


「うまいな」

「そうだろうそうだろう」


 エコーが実に嬉しそうな顔を見せる。続けてエコーは酒瓶を手に取り、こいつは私が直接目利きして選んだ酒なんだ、と自慢げに言った。

 その無邪気な子供のように楽しげな調子と予想以上に美味かった酒の味が、亮の心にほんの少し残っていた打算的な考えを完全に捨てさせた。ここまで来たら楽しまないと損だ。やるなら徹底的にやってやろう。


「もう一杯もらっていいか?」


 亮が自然な声で問いかける。その突然の態度の軟化を前に、エコーもまた不審に思うことなく自然な態度で「もちろんいいぞ」と返し、それぞれの空いたグラスの中に酒を注いでいった。


「せっかくだから乾杯するか」

「そうだな、そうしよう」


 それから暫くの間、彼らは互いの立場も忘れ、それぞれの過去の話を肴にしつつ十年来付き合ってきた友人のように酒盛りを楽しんだ。





「義賊みたいなやつか」

「そういうことになるな。まあ私は狙って最初からそうなろうとしてそうしている訳ではないがな」


 そうして話をする中で、二人は互いの経歴を知ることになった。亮がスカウトされて刑事になった地球人であること、エコーが「捕まらないこと」を求めた結果義賊まがいの行いをするようになったことなどである。


「おかげで甘い奴だなんだと陰口を叩かれているがな」

「そうか? 俺は賢いやり方だと思うけどな」

「海賊って連中はお前みたいに頭の働く奴らばかりじゃないんだよ。手当たり次第に暴れるのが格好いいと考えてる連中が多いんだ」

「部下からも言われてるのか」

「それなりにな」


 そう答えて、エコーが何杯目かわからないほど飲んだグラスの中の酒を一気に飲み干す。一気飲みした後でエコーは大きく息を吐き、グラスを叩きつけるようにテーブルの上に置いた。


「苦労してるみたいだな」

「まあな」


 亮が同情の視線を寄越すが、エコーは適当に言葉を返すだけでそれを嫌がることはしなかった。その余裕も無さそうだった。


「そういうものだと諦めてはいるがな。それでも愚痴をこぼせないというのは中々窮屈なものなんだ」


 自分のグラスに新しい酒を注ぎながらエコーが言った。


「だから、お前に会えて良かったと私は思ってる。気兼ねなく愚痴をこぼせる相手に会えて良かった。そういう意味でも私はお前と話がしたかったんだ。まあ面白そうだったっていうのが本音なんだがな」

「そうだったのか」


 自分もエコーから酒をもらいつつ亮が答える。彼は直前のエコーの言葉を聞いて特に不愉快に思うことは無かった。そしてもらった酒を一息に飲み干してから亮が尋ねた。


「でも俺は警察だぞ。捕まるとか思わなかったのか?」

「それは思わなかったな」

「どうしてだ」

「私は強いからだ」


 酒が回ってわずかに赤くなった顔でエコーが胸を張って断言する。そこまで言われて亮は苦笑するしかなかった。


「そうだ、そう言えば思い出したんだが」


 さらに追い打ちをかけるようにエコーが突然話題を切り替えてきた。いきなりの方向転換だったが酔っているから仕方ないと亮は思い、エコーの話に付き合うことにした。

 やがてエコーが口を開いた。


「お前、ひょっとしてあの子を追ってきたのか?」

「あの子?」

「最初にお前と会った時、私の足下にひっついてた子だ。お前も見てるだろ?」

「ああ、あの子か」


 エコーの話を聞きながら、亮は初めて目の前の女と相対した時の事を思い出していた。確かにあの時、エコーの足下には一人の少女がいた。そしてエコーの言う通り、その女の子こそが亮の探していた「保護対象」であったのだ。


「で、どうなんだ? そうなのか?」


 エコーが答えを催促してくる。亮は一瞬答えを躊躇った。さすがに全部ばらすのはまずいんじゃないかと、心のどこかで警鐘が鳴らされた。


「ああ、お前の言う通りだよ」


 しかし結局、亮は全部暴露した。もう捨て鉢なな気持ちでの行動だった。

 そもそも刑事たる自分が海賊の長と仲良く酒を飲んでる時点でどうかしている。自分はある意味で後戻り出来ない所まで来たんだ。もうどうにでもなれ。


「原子還元能力か」


 そして亮から全てを聞いたエコーは、その話の中に出てきた一つの単語をじっくり噛みしめるように呟いた。それから自分の空のグラスに酒を注ぎ、それを一気に飲み干してから確認するように口を開いた。


「あいつの言ってたことは本当だった訳か」

「どういうことだ?」


 亮が尋ねる。エコーが自身の形の良い顎に白魚のようにほっそりとした指をあてがい、考え込むようなポーズを取りながら答えた。


「あの時言ったよな? 私は部下の不始末を片づけに来たと」

「確かにそんな事言ってたな」

「そいつ、私に無断で人身売買をやろうとしてたんだ。計画自体はだいぶ前から練ってたらしい。どっかから誰かを安く買い叩いて、別の誰かに高く売りつける。で、あの子がその最初の一人目だった訳だ」

「じゃあお前は、その部下の人売りを止めに行ったって言うのか?」


 亮の問いかけにエコーが無言で頷く。なんでそんなことしたんだ。亮が目線で問いかける。


「嫌いなんだよそういうの」


 エコーが苦々しい表情で答えた。亮は「それくらいなら他の海賊もやってるぞ」と返し、エコーは首を振って「それでも嫌なんだ」と答えた。


「そんなにやりたくないのか」

「そうだ」

「金を簡単に稼げる方法の一つだぞ」

「そうだな。確かに金は稼げる。でも嫌なんだ」


 エコーの言葉には確固たる意志が、曲がることのない信念が込められていた。何度嵐や竜巻に巻き込まれようとも決してその場を動かない大岩のように、それは重くハッキリとした形を保っていた。


「人買いも、人売りも、私は絶対に許さない。物は奪ってもまだ取り替えしが利く。でも人生は違う。他人の人生だけは奪ってはいけないんだ」


 こいつは結構良い奴なのかもしれない。それまで散々「悪逆非道な宇宙海賊」を見てきた亮は、この今のエコーの姿、強い意志の光によってギラギラと鋭く輝く双眸や全身から放たれる怒気を見て、彼女に対する認識を改めた。


「嫌なら仕方ないな」


 そんな気持ちを隠すように、亮はそう言いながらエコーの傍に置かれていた酒瓶を取って自分のグラスに注ぎ込んだ。一方でエコーは大きく息を吐いて興奮した気持ちを鎮め、それからまたいつもの落ち着いた調子で亮に言った。


「おそらくそいつは、あの子の、その、さっきお前の言った能力の」

「原子還元能力」

「そう、それだ。原子還元能力だ。あいつは最初から、あの子がその能力を持っていたことに気づいていたみたいなんだ。どうやって知ったかは知らないがな。そしてその子を売りに出していた奴らはその力のことに気づいていなかった」


 売りに出す、と口にした段階でエコーの顔が一瞬嫌悪に歪んだ。しかし亮はそれを指摘せず、エコーもまた素知らぬ態度で話を続けた。


「あいつはあの子を格安で手に入れた。そしてその後であの子には特別な力があると触れて回り、売却金額を引き上げようとした」

「賢いクズだな」

「ああ。ドクズだ。それで一番高い金額を突きつけてきたのが、あの時の船の船長だったと言うわけだ」


 そこまで話したところでエコーがまた大きく息を吐く。それから亮の近くにあった酒瓶を取り戻し、自分のグラスに注ぐ。その様子を見ながら亮が言った。


「そして、土壇場になった所でお前が阻止したと」

「そういうことだ」

「船長が自分から乗り込んでいったのか」

「ああ。こればかりは自分で解決したくてな」

「どうやって乗り込んだんだ」

「船の後ろから無人の戦闘機を囮として飛ばしてな。あいつらがそれに気を取られてる隙に、前から直接乗り込んだ」


 その時の状況を再現するように両手を動かしながらエコーが説明する。なるほど、後部ハッチが開きっ放しだったのは、その無人機を中に引き込んだ瞬間に前から襲われたからなのか。


「他の船員はどうしたんだ? 俺が乗り込んだときには誰もいなかったんだが」

「ちょっと脅したら全員逃げてったよ。この船は私が占拠した。貰う物は貰ったから、あと五分でこの船を爆破するって感じでな」

「大した度胸だ」

「これくらいの度胸が無いと海賊なんてやってられないのさ」


 呆れたように言った亮にエコーが平然と返す。そこでエコーが再度酒瓶に手を伸ばすが、そこで中身がなくなっていたことに気づいて億劫そうに悪態をついてから言葉を吐いた。


「もう無くなってやがる」

「随分飲んでたんだな俺ら」

「楽しい時間っていうのは早く過ぎるものなのさ」


 僅かに頬を紅潮させたエコーがしみじみと言った。この時エコーも亮も共に酒気によって顔をうっすらと赤く染めていたが意識はハッキリと保っており、その目には理性の光がまだ強く残っていた。

 まだいけるな。そんな相手の目を見て、二人は互いの意思を通じ合わせた。そこに言葉は必要なく、ただ目を見るだけで相手の心を汲み取ることが出来た。出会ってまだ数時間しか経っていなかったが、既に二人の間にはある種のシンパシーが生まれていた。


「仕方ない。別の奴持ってくるか」


 そうして互いの意思を確認しあった後、エコーはそう呟きながら酒瓶を置いてゆっくりとソファーが立ち上がった。

 室内の照明が落ちて赤色灯が血のように赤い光を放って部屋を染め上げ、けたたましく通路の奥から警報が鳴り響いたのはその直後のことであった。

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