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「はぐれものたち」

 朝倉若葉は自分が享楽主義者であることを自覚していた。彼女が月光学園生徒会下部組織である執行委員会に籍を置いていたのも、こちらの方が普通に学園生活を送るより刺激的な日々を送れるかもしれないと踏んだからであった。生徒会の方に行かなかったのは単純に仕事とか責任とか言ったものに縛られるのが嫌いだったからだ。

 そして彼女の予測通り、暫くの間は退屈しなかった。執行委員という肩書きをちらつかせるだけで、他の生徒の殆どが自分達から頭を下げてきた。彼らは皆自分という存在に無条件に恐れを抱き、時には教員でさえも自分に向けて恐怖と恭順の入り交じった卑屈な目線を寄越してきた。

 まったく愉快だった。どいつもこいつも思考停止した奴らばかりで、打算にしか頭を働かせようとしていない。まったく愉快でしょうがなかった。それに執行委員としての仕事である、時折現れる学園に対する「造反者」を処罰することもまた、若葉にとってはそれと同じくらい爽快だった。

 気兼ねなく暴力を振るえるというのはとても気持ちが良い。ストレス発散にはやはり暴れるのが一番だ。それにどれだけ相手を潰しても誰も文句を言わず、それどころか寄ってたかって褒めそやし、その暴力を正当化してくる。これもまた若葉にとっては愉快極まることだった。

 自分だけは嫌われまい、標的になるまいと、誰も彼も必死にゴマをすり、ご機嫌取りに躍起になっている。馬鹿としか言いようが無かった。若葉はそんな調子で自分の周りに集まってくる連中のことを、表ではにこやかに接しながら、心の中では徹底的に嫌悪し嘲笑していた。そして崇拝の対象から軽蔑されていることに気づかない周りの取り巻き共は、こちらが愛想良くにこにこと笑うと

、まるで親のおこぼれに預かろうとする雛鳥のようにますますおべっかを使ってくるのだ。

 まったく下らない。滑稽でしょうがない。そんな滑稽な人間共を見下しながら送る学園生活は、若葉にとっては最高の毎日だった。





 だがその愉快な生活も長くは続かなかった。若葉自身が後になって推測したある二つの因子によって、彼女の「日常」は音を立てて崩れていったのであった。

 一つは新城亮という名前の教師が月光学園に赴任してきたこと。そしてもう一つは、若葉本人が「人間の価値観」に囚われていたことであった。なお一つ目の事柄についてだが、これは別に新城亮が直接の原因という訳ではない。正確にはあの男がやって来てから、まるでその後に続くかのように人の正気を疑うような異常事態が連続して発生したのだ。

 月からやってきた宇宙怪獣、巨人と宇宙海賊の飛来、牛頭の怪物による町の独裁、謎の船団による町の閉鎖と侵略、そして現在進行形で起きている謎の事象。何もかもが彼女の理解の埒外にあり、またその全てが彼女の知らないところで事態が進行していた。

 それが面白くなかった。自分の与り知らぬところでこの町や世界の有り様を一変させてしまうほどの事件が発生しているのが許せなかったのだ。そんな面白そうなイベントが起きていたのなら、自分もそれに関わりたかった。若葉はそう思っていたのだ。

 しかし実際に前述した事件が起きた際、若葉は自分からそれに関わろうと行動を起こしたりはしなかった。彼女は自分にとって理解不能な事象に首を突っ込むのを躊躇う程度には常識人であり、スリルよりもリスク回避を優先して物事を判断する人間だったのだ。

 そして若葉にとってのリスクとリターンを測る際に用いていた物差しの尺度は、普通の人間のそれと全く同じだったのだ。新城亮のように人間の価値観から大きく外れた出来事を数多く経験してきたがために物差しのスケールが一回り大きくなっていた訳でもなければ、富士満や進藤冬美のように元から狂ったサイズの物差しを持ち歩いていた訳でもなかった。そして新城亮の担当したD組の生徒達のように、亮に付き合うことによって自然と人間の理解を超えた出来事を受容出来るように変化していった訳でもなかった。

 どこまでいっても、朝倉若葉は所詮ただの「人間」だったのだ。


「くそ」


 それが彼女には気に入らなかった。自分も所詮人間であると、これまで自分が散々見下してきた「馬鹿共」と同じ範疇に甘んじていた存在であるいう事実を認めたくなかったのだ。自分は違う。自分だけは断じて違う。若葉はその無意識のうちにリスク回避を行っていた時には感じていなかった「焦り」や「屈辱」を、この時になって痛烈に感じていた。


「そんなの違う。絶対違う」


 私はあんな馬鹿共とは違う。ひたすら飼い主に尻尾を振るような負け犬とは違う。他の執行委員や生徒会の連中とは違う。傾きかけていた生徒会の威光を取り戻そうとしてD組に喧嘩を売り、返り討ちにあって病院送りになった副会長や、発狂して隔離病棟に押し込められた生徒会長とは違う。ましてや今の状況に白旗を揚げ、我が身可愛さのあまりさっさと浮遊大陸に逃げてしまうような執行委員の連中とも違う。


「私は違う。私は違う」


 私はまだここにいる。私はまだ、奴らよりも上等でいる。私は今ここにいる。

 朝倉若葉は焦りを隠せずにいた。殆ど人気の無くなった地上の町にへばりつき、何をするでもなく、身を隠すようにして町中を徘徊していた。まるで自分が介入できるトラブルを探すかのように、自分は他とは違うということを見せつけたいかのように、その目は飢えた光を放っていた。





 その男は後悔していた。

 なぜ自分はあんなことをしたのかと、一日中後悔し続けていた。それこそ朝起きてから夜寝るまで、意識を保っている間はずっとそればかりを考えていた。外に出ることもなく、自分のためにあてがわれた地上の安アパートの一室にこもりきり、電気もつけずに部屋の隅にうずくまって後悔に後悔を重ねていた。顔は青ざめ、額からは脂汗をだらだらと流し、安物のシャツとズボンを身につけた痩せぎすの体をガタガタと震わせていた。

 このゼータと呼ばれていた男は、かつてエコー・ル・ゴルト・フォックストロットの率いていた海賊団に属する船員の一人だった。団の中では比較的若く、上昇志向と野心が人一倍強い男だった。いずれはエコーを、あの「悪党しか襲わない」とか抜かした甘ちゃん船長を蹴落として、自分がこの団のリーダーになると息巻いていた。そして彼は実際に、自らがリーダーにならんとするために行動を起こしていた。


「エコー、すまないが、今日からこの団は俺のものだ。悪く思うなよ」

「貴様……ッ!」


 結果として、その野心は実を結んだ。彼は見事エコーを追い落とし、自分がその座につくことになった。そのために団の共同資金を横領し、それまで使ったことのない高級で高性能な装備を買い集め私物化したりもしたのだが、当時はそれに関して良心が痛むことは無かった。むしろこれは当然のこと、目的を果たすための最善策であるとして、全く気にかけなかった。今思えば馬鹿なことをしたと思うが、後の祭りである。


「共同資金を使って、これだけの装備を集めていたのか」

「そういうことだ。まったく、あれだけ溜め込んでおいて少しも使わないとは、あなたは少しケチすぎるんじゃないか?」


 そうしてゼータは新たな船長となった。私物化していた武器装備を他の船員にちらつかせてそれをネタに恭順を迫り、クーデターを起こすことに成功したのだ。そしてエコーと彼女を慕う少数の部下は何処かへと逃げていき、自分の手元には今まで見たこともないような最新の装備と大量の部下が残った。しかし手当たり次第に装備を買いまくったおかげで共同資金は全体の三分の一にまで減っていたが、ゼータ本人は大して気にしていなかった。


「あれは船の補修や補給に使うための金だ。クルーを養うためにも金がいる。それに何かトラブルに巻き込まれたときにも、金さえあれば大抵のことは解決できる。そのための共同資金なんだぞ。生き延びるための金なんだ。個人が勝手に使っていい金ではないし、そもそもいたずらに武器を増やすための金でもない!」


 今ならなんでも出来る。ゼータは本気でそう思っていた。逃げ出す前にエコーが何か喚いていたが、それをこの時のゼータが真に受けることは無かった。金ならどこかで奪えばいい。力に酔っていたゼータはそう考えていた。力さえあればなんだってやれると、ゼータはそう思っていたのだ。

 しかしゼータの目論見はすぐに崩壊した。この時彼らの乗っていた船は高性能な分エネルギーの消費も半端ではなく、強いられる負担も相当なものだった。それこそ装備をフルで使い続けようものなら、共同資金の残りをあっという間に喰い潰してしまうほどの燃費の悪さだったのだ。すぐさまその問題に気づいた新船長ゼータは真っ先に略奪を始めたが、今度はそのなりふり構わない襲撃によって宇宙警察から全面的にマークされる羽目になってしまった。


「敵襲! また宇宙警察の奴らだ!」

「嘘だろ! 昨日襲われたばっかだぞ!」


 二十四時間宇宙警察から追われることになったのだ。エコーが船長をしていた時にはあり得ないことだった。

 そもそもエコーはとにかく慎重に、そして迅速に立ち回ることを良しとしており、旧式だがその分燃費も良く、小回りの効く高速船を使った奇襲戦法を好んで使っていた。襲撃から略奪、そして離脱するまでの一連の流れをスムーズにこなし、意気を盛り返した相手から反撃を受けないようにするためである。

 そしてその標的もいわゆる「あくどいことをした」奴に限定しており、通報されるリスクを極限まで減らしていたのだ。そう言った連中が宇宙警察に被害報告を出すことは、言ってしまえば自分の悪事を暴露することにも繋がるからだ。宇宙警察の捜査能力はそれだけ高かったのだ。

 また共同資金を大量に溜め込んでいたのも、獲物に恵まれない時でも団を維持できるようにするためであった。船の補修や補給、食料や水や空気の買い付け、娯楽品の買い入れ、その全てにおいて金がかかる。燃費の良い旧式の船を使っていたのもそのためである。


「野郎共、休暇は終わりだ! 三ヶ月ぶりの獲物が来たぞ!」


 エコーは「ケチな甘ちゃん船長」ではない。徹底的に自分達がマークされる可能性を減らし、まず自分達が生き延びることを第一に考えて行動していた「出来る船長」だったのだ。そのことにゼータが気づいた時には、彼の手元からは多くのものがこぼれ落ちていた。


「みんな、生きてるか?」


 返事はない。そこにはもちろん自分以外に数人の部下がいるが、その誰もが活力を失っていた。全員がまるで死んだように体を丸め、互いに距離をとって脱出艇の隅にうずくまっていた。この死んだように静かな部下と所々損傷しボロボロになった脱出艇だけが、この時のゼータの全財産だった。

 宇宙警察にマークされて一ヶ月が経っていた。その間宇宙警察に昼も夜も追われ続け、それから逃れるためにあらゆる装備を使いまくった。おかげで資金はあっという間に底を尽き、ステーションでまともに補給も行えなくなった。略奪しようにも潤沢な資源を蓄えた大型の輸送船は屈強な護衛船団に守られており、残りのエネルギーを総動員しても勝てるかどうかは五分以下という有様であった。一方で小型の客船から奪うにしても、それから得るエネルギーよりそこまでの課程で消費するエネルギーの方が多い始末であった。

 この間にも宇宙警察は手を緩めることなく追撃を続け、クルー達はまともに休むことも許されなかった。さらには補給が途絶えたために食べる物も満足に得られず、彼らは敵襲警報に怯えながら残された少ない物資を細々と消費するという、心身共にギリギリの状態の中での生活を余儀なくされていた。


「もう、もう限界だ。もうこんな所にいられるか!」


 そんな彼らにまともな思考能力を期待するのは無理な話であった。彼らの我慢は限界に達し、ついには船員の中から「自分だけでも生き残る」という原始的な生存欲求がそのボロボロの理性を打ち砕き表出した。

 クーデターである。その波はあっという間に船全体に波及し、ゼータ派とクーデター派とで泥沼の内乱が勃発した。なけなしの物資はあっという間に消えて無くなり、そして最後にはクーデター

派の一人が船の自爆スイッチを押し、全てを木っ端微塵に吹き飛ばしたのだ。

 ゼータと残りの部下数人は、その破滅の花火から命からがら逃げ延びることが出来た。しかしそうして逃げおおせたところで、彼らの行く先には絶望しか待っていなかった。その彼らの乗り込んだ脱出艇には一切の物資が積まれていなかったのだ。死期がほんの少し延びただけであって、死ぬことに変わりは無かったのだ。


「そこの小型船舶に告ぐ。直ちに道をあけなさい。そちらに生命反応があることはわかっている。そこをどきなさい」


 だからそこにレッドドラゴンの船がやってきたことは、まさに地獄に仏であった。部下達はなけなしの力を振り絞ってそれに応じたが、しかしこの時、頭たるゼータは生きる気力を殆ど失っていた。


「生きるために何をするべきなのか。何を優先するべきなのか。それを履き違えてはいけない。欲の皮を突っぱねてはいけない。謙虚になるのが長生きする秘訣だ」


 どこからかエコーの声が聞こえてきた。しかしそれは幻聴であり、心の腐りかけていたゼータの脳裏に虚しく響くだけであった。





 ガチャリ、とその部屋の玄関ドアが開いたのは、ゼータがそんな遠い昔の記憶を頭の中で再生させていた時だった。もうこれで何百回目になるだろうか。そうぼんやりと考えていると、彼の足下に何かがドサリと落ちてきた。


「とりあえず一週間分の食事です。これでまた当分の間はしのげると思いますよ」


 ゼータが顔を上げる。その視線の先には朝倉若葉が立っていた。自分と同じ安物のシャツとズボンを身につけている。手首にブレスレットをはめていたのは、せめてものおしゃれであろうか。


「ま、食べたい時にどうぞ。私も勝手にもらいますから」


 あの若葉とかいう少女はいつからここに住み着いたのだろうか? ゼータは思い出そうとして、止めた。例えそれがいつだろうと自分には関係ない話だからだ。

 もう気づいたらそこにいた。そういうことにしておこう。今のゼータは詳細を思い出そうとする度に、そうやって思考を停止していた。脳味噌をこねくり回すのはひどく億劫だったのだ。


「あ、水止まってる。どうしようかな。コンビニで買うしかないですかね」


 奥で若葉が何やら言っていたが、ゼータは無言のままだった。いつもと同じく、体を丸めたまま部屋の隅でうずくまっていた。

 そうやってゼータの一日は過ぎていった。いつからかは判らなかったが一人同居人が増えていたが、それでもゼータの一日は変わらなかった。

 あの日以降、彼の精神テンションは死んだままだったからだ。

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