「追憶1」
刑事時代の新城亮がその任務を引き受けたのは全くの偶然だった。その後の展開など全く読めなかったし、この選択によって自分の未来はこうなるだろうと予測した打算の上で行動した訳でもなかった。亮はいつも通り、何百とある仕事の一つを片づけるつもりでそれを引き受けたのだった。
「原子還元能力?」
「そうだ。お前も名前くらいは聞いたことあるだろう」
刑事課オフィスにある大型モニターの中に映る一つ目の怪物がそう問いかけてくる。モニターの前に立ってその話を聞いた亮は小さく頷いた。
「随分レアな能力と聞いています」
「百兆に一人の確率で発現する能力だ。強力無比であるが、その分お目にかかることも稀だ。一生目にすることもないまま死んでいく者も普通にいる。それだけ貴重な力だ」
怪物の言葉を聞きながら、亮は件の「原子還元能力」の詳細な能力を思い出していた。といっても複雑な能力ではない。自分の体とそれに触れている物を自らの意志で原子レベルに分解し、その状態のまま自由に動くことが出来る。真空状態の中であろうとお構いなしだ。そしてまた好きな場所で「原子状態」から元の姿に戻る事が出来る。そのようなシンプルな力であった。
「強い能力というのは、基本的にシンプルなものなのだ。単純な構造をしている物ほど強力なのだ」
一つ目の怪物、もとい宇宙警察長官のドグはそう亮に問いかけた。宇宙警察のトップがこうして一介の刑事である亮に直接話していたのは、亮の才能を見出して地球にいた彼をスカウトし、刑事として育て上げたのがドグであったからだった。その後亮はドグの指導の元で才能を開花させ、今では他の刑事の中でもトップクラスの実力を得るまでになった。そうした事情から亮はドグの中で最も信頼できる刑事となっており、ドグは今回のような緊急性の高い事案は優先して亮に回していたのであった。
当然ながら、そうして亮が特別扱いされていることを不満に思う者もいた。しかし亮はそのドグの信頼にしっかり答え、そして自分の立場を鼻にかけて尊大な態度を取ることも無かったので、亮を露骨に嫌悪する者はほぼ皆無だった。
「その能力を持つ者を保護しろということですね?」
そんな亮が自分の引き受けた仕事の内容を確認するように言った。こちらも原子還元能力の内訳と同様にシンプルな内容だった。ドグが頷いて答えた。
「そうだ。原子還元能力を持った何者かが、宇宙海賊の一派に誘拐されたとの情報が入った。諜報部からの信頼できる情報だ」
「海賊連中がその能力を悪用すると?」
「確実にするだろうな。こんな強力な力を放置しておく道理もない」
ドグが体全体を左右に振る。それは人間が首を振るようなニュアンスを含んでいた。その後ドグは巨大な一つ目を再び亮の方に向けながら言った。
「そしてそれを見過ごす訳にもいかない」
「助け出せばいいんですね」
「そういうことだ。既にその海賊連中の居場所は掴んでいる。頼めるか?」
「やりましょう」
亮は即答した。ドグはそれを聞いて驚いたりはしなかった。まるでこうなることを予期していたかのようであった。しかし亮はそれを見て不愉快な思いをしたりはしなかった。ドグがそんな態度を取るのはいつものことだったからだ。
「しっかり解決してきますよ」
「お前がそう言うと心強いな。詳細は端末に送る。星図も一緒に送っておく。頼むぞ」
期待の眼差しを向けるドグに、亮は黙って敬礼で返した。その顔は適度にほぐれ、自信と決意に満ちていた。緊張しすぎず、弛緩しすぎてもいない。まさに信頼に足る姿であった。
その後、亮は星図に従って件の海賊が駐留していると思われる地点へ向かった。そこは複雑に凹凸の刻まれた小惑星帯であり、そして情報通り、その巨大なじゃがいもの中に紛れるようにして宇宙海賊の戦艦が停止していた。
「ビンゴだ」
端末に表示されていた「目標物」の画像と眼前に見えるそれを照らし合わせた亮が目を細める。この時彼は私服の上から対真空装備を施した強化装甲服を身につけ、そして流線型で象られた一人乗り用の小型戦闘機に乗っていた。戦闘機は目標の宇宙戦艦からはたった一キロ離れた地点にいた。これほど近くにいて相手に見つかる気配が無かったのは、戦闘機に搭載されていたステルス機能のおかげであった。
しかしステルス性能を高めた代償として、武装は同じサイズの戦闘機しか満足に撃墜することが出来ない小型レーザー砲二門だけであった。装甲も薄く、当然戦艦に狙われたら命は無い。
なのでまだこちらの姿が見えてないとはいえ、慎重に行くに越したことはない。亮はそう考え、通常航行用エンジンを切ってステルス用の無音エンジンに火をつけ、ゆっくりと戦艦に近づいていった。こんな所で見つかるわけにはいかない。亮はいつも以上に慎重に動いた。
「うん?」
戦艦に近づくこと自体は容易であった。しかしそこからいざ乗り込もうとした段階で、亮は眉をひそめた。戦艦後部にある艦載機用の離着陸デッキに繋がるハッチが開けっ放しになっていたのだ。そしてデッキの中には、その戦艦が元々積んでいた何百もの戦闘機の中に混じって明らかに異なる形をした、見慣れないタイプの小型戦闘機が一艇停まっていた。他全てが面の一つを地面に接した状態で停まっていた青い三角錐型の戦闘機だったのに対し、その唯一異なるタイプの戦闘機は赤く、縦に押し潰されたようにのっぺりとした楕円形をしていた。
「なんだあれは?」
ハッチが開けっ放しになっていたのも気になったが、その見慣れない戦闘機も亮の警戒心を刺激した。あれはどこかよそから来た戦闘機で、ここには客人としてやってきたのだろうか? しかしいくらなんでもハッチを閉じないのはおかしい。
亮は悩んだが、すぐに悩むのを止めた。「悩む前にまず動け」、これが当時の彼のモットーであった。亮は速度を落として戦闘機を動かし、開けたままのデッキの中に進入した。不法侵入と言われるかもしれないが、この場合はドアを閉め忘れた方が悪いのだ。そう考えつつ亮はヘルメットを被って真空状態に備えた。ヘルメットと結合した襟元からカチリと小気味よい音が鳴り、亮にこれが一個の宇宙服としても機能することを知らせた。
「さて、行くか」
それから亮は戦闘機から飛び降りて無重力の浮遊感を味わいながらゆったりと着地した。そして懐から端末を取り出し、そこに戦艦のマップを表示しながら目的地へ向かった。彼が目指したのは艦橋だった。
デッキと艦橋はそれぞれ正反対の位置にあったのだが、そこに至る道中はとても静かなものだった。青白い照明の灯る通路に争ったような形跡はなく、死体が転がっている訳でもない。個室もいくつか調べたが、何もいなかった。
戦艦は死んだように静かだった。それとも、もうここには誰もいないのか? そう考えながらも亮は艦橋へ向かった。そして艦橋と通路を隔てるスライド式のドアの前まで到達した時、そのドアの向こうから物音が聞こえてきた。
誰かいる。通路側にいた亮は安堵すると同時に気を引き締めた。そしてドアロックがかかっていないこと、念のために装甲服の対真空機能がしっかり動いているかどうかを確認した後、腰からレーザー銃を引き抜きドアの開閉スイッチを押した。
風をなびかせず、完全に無音の状態で扉が左右に動く。そしてそこで目に飛び込んできた光景を見て、亮は愕然とした。
「は」
まず目に映ったのは、戦闘機だった。
戦闘機が正面モニターを外からぶち破って艦橋の中に侵入していた。機首からコックピットまでが丸ごと艦橋の中に入り込んでおり、砕けたモニターは至る所から火花や千切れたコードを吐き出し、地面にはそれまで艦橋を構成していた大小の瓦礫が散乱していた。突っ込んできた戦闘機は艦橋の前半分を完全に占領しており、そこにいたであろう乗組員がどうなったのかについては想像巣るをの止めた。そして被害を免れた艦橋の後部、亮の近くでは、三人の生物がそれぞれ向かい合っていた。
「ま、待ってくれ。金なら払う。だから命だけは助けてくれよ。な?」
「人身売買」
正確には一人の少女がもう一人の女の足にすがるようにしがみつき、そしてその女は三人目の男と向かい合い、その男の眉間にレーザー銃を突きつけていた。少女はぼろぼろのワンピースを、女は体のラインを強調するようにぴっちりと張り付いた深紅のボディスーツとマントを、身につけ、片目に眼帯を当てていた。男は損傷の激しい宇宙服を着ていた。逃げだそうとして失敗したのだろうか。
亮は無言でその場に立ち尽くした。微動だにせず、息を殺してじっとしていた。状況がわからない以上、下手に動くわけにはいかなかった。そんな亮の視線がその女の足下にいた少女に向けられた時、少女もまた亮の方を向いた。
「あっ」
二人の視線が交錯した瞬間、少女が声をあげた。女がそれにつられるように亮の方を向き、そしてそこに「四人目」がいることに気づいた女は、目を見開いて息をのんだ。
「まだいたのかよ!」
女が驚きの声を上げる。一瞬の隙が生まれた。銃を向けられていた男はそれを逃がさなかった。脇へ目をそらした女に向かって、両手を振り上げて勢いよく突っ込んでいく。
女がそれに気づいた時には、すでに男は女の眼前にいた。振り上げた男の拳が女の顔面に迫る。
反射的に亮が腕を振り上げる。
「うわっ!」
男が横にのけぞる。咄嗟に亮が投げたレーザー銃が男のこめかみにぶつかったのだ。男の拳はすんでのところで狙いを逸れ、女のすぐ目の前で虚しく空を切った。
女の行動もまた亮に劣らず迅速だった。宙を舞うレーザー銃をすかさず空いた方の手でキャッチし、元から手にしていた方も合わせて二丁の銃を勢い余って倒れた男に突きつける。
「動くなよ」
そして男に向かって冷ややかに告げた後、女は銃を男に向けたまま首を回して改めて亮の方を見た。
「お前、誰だ?」
向けられた女の目は刃物のように鋭かった。眼光だけで人を殺せるほどに冷たく、鋭利で無情なものだった。しかし亮はその目を正面から受け止め、怯むことなく言い返した。
「宇宙刑事だ」
ひいっ、と伏せていた男から悲鳴が漏れた。自分を捕まえに来たと思っているのだろう。亮は言葉に出さずにそう思った後、意識を再び女に向けて言葉を続けた。
「俺は新城亮。ここにある人物が囚われていると聞いてやって来た」
「そいつを保護しようっていうのか?」
「そうだ。そのために来たんだ」
「へえ」
相槌を打った女が、おもむろに亮の方へ腕を伸ばして銃を突きつける。それは亮が投げた銃だった。もう一方の銃はガタガタ震える男の方へ向けられたままであり、銃を向けられた亮はヘルメットの奥で冷や汗一つかかなかった。
「借りが出来たな」
不意に女が静かに告げ、表情を解して不敵な笑みを浮かべた。鋭い眼光が和らぐと共に場の空気も若干緩み、そして亮に向けていた銃をそのまま亮に向かって放り投げた。
「私も逮捕するのか?」
銃を受け取った亮に女が話しかける。銃を手に持ったまま亮が答えた。
「それは話を聞いてからだな」
「話?」
「見たところ、お前はこの船の乗員じゃなさそうだからな。まずはなんでここに来たとか、そういう理由を聞いてからじゃないと」
「なんで私がここの船員ではないと言えるんだ?」
「勘だ」
亮が言ってのける。実際その通りだった。怪しいと思える部分はいくつもあるのだが、それを裏付ける証拠はまだ見つけていなかった。まあ当たっても外れてもなんとかなるだろう、と亮は高をくくっていた。
「刑事の勘という奴か」
「そういうやつだ」
女が呆れたように笑みをこぼした。それから凛々しく不敵な笑みを向けつつ亮に言った。
「私はエコー・ル・ゴルト・フォックストロット。これとは別の船の船長をしている」
「やっぱり違う所から来てたのか。まあいい、ここにはなんで来たんだ?」
「部下の尻拭いだよ」
エコーと名乗った女が言った。それを聞いて、いまいち意味を把握しきれず片眉を吊り上げる亮に、エコーが愉快そうに笑いながら言った。
「まあここで立ち話というのももあれだ。私の船に来い。そこでゆっくり話すとしよう」
「その子も一緒に?」
「置いていく訳にもいくまい」
エコーが先ほどからずっと足にしがみついている少女に目を向けて言った。その後、エコーは「それに」と亮に視線を戻しながら言葉を続けた。
「お前もこの子を追ってここまで来たんだろう?」
亮は無言でエコーを見つめた。その通りだったからだ。亮はそのエコーの足下で縮こまっていた少女を保護するためにここに来たのだった。
「で、どうする? 一緒に来るか?」
エコーが催促する。そこで亮はいったんエコーから視線を外して少女の方に目を向けた。エコーにしがみつきながら亮を睨む少女は、亮に向けて明らかに警戒心を抱いていた。無理に引き離そうとしても良い結果にはならないだろう。
「じゃあ、ご一緒させてもらおうかな」
亮はエコーについて行くことにした。無理に急ぐ必要はない。相手のことを知ってからでも遅くはないだろう。亮はそう考えながら、「じゃあ行こうか」と前を歩くエコーと少女について行くことにした。
今になって思い出すとはな。
深夜三時。自分の寝室にあるベッドの上で不意に目が覚めた亮は、自分の隣で寝息を立てていたエコーの髪を撫でながら物思いに耽っていた。それまで自分が見ていた夢、かつて自分が担当した最後の事件の記憶の夢を思い出していたのだった。
「んう……」
髪を撫でられたエコーが気持ちよさそうに声を漏らす。まるで撫でられて喉を転がす子猫のようだ。あの時はまさか二人がこんな関係になるとは思いもしなかった。それがいくつもの偶然が重なり合って、結果としてこうなったのだ。
確かに二人が結婚したのは自分たちでそう決断した結果である。しかしその決断の機会を二人にもたらしたのは、やはり「偶然の産物」なのだ。少しでも運命の歯車が違う形に噛み合っていたら、そもそも二人はこうして出会わなかっただろう。
「偶然に感謝、だな」
亮は二人を結びつけた偶然に感謝しつつ、再び毛布を被って眠りについた。
窓の外ではその「偶然の積み重ねの結果」によってとんでもない事態が進行していたのだが、再び寝息を立て始めた亮がそれを知るのは朝になってからのことであった。




