「新世界」
その日、世界の様相は一変した。
最初に南極、続けて地球上のあらゆる場所に生まれた時空の歪みは、そこから「こことは異なる世界」の存在を際限なく吐き出し始めた。異世界の住人に始まり、その世界の装備、道具、乗り物、建築物、果ては大陸そのものまでもが出現し、「こちらの世界」に溢れ出したのだ。
特に大陸は「こちらの世界」に対して、物理的な面で深刻な影響をもたらした。地球上に元からあった大地と次元の裂け目から現れた大地は互いに惹かれ合い、一つに重なり始めた。二つの存在が「融合」したのだ。
これによって地球の地理は、歪みが生まれてからのたった数時間足らずで大きく様変わりした。北アメリカ大陸は一面が砂漠地帯と化し、南アメリカ大陸は雪嵐が吹き乱れる極寒の地となった。ロシアでは金鉱脈が次々出現し、かつて中国と呼ばれていた一帯とそこに連なる中東地帯は丸ごとジャングルになった。ブリテン半島には見たこともない歪んだ構造をした建築物が至る所に立ち並び、それ以外の欧州各国では機械が錆び付いたり森林が枯れ果てたりした。オーストラリア大陸は空中に浮かび、アフリカ大陸は中心から南北に砕け、丸ごと水没した。
日本は本州全てが溶岩地帯へと変じ、熱帯を通り越して灼熱の大地と化した。北海道では大量の塩が雨のように延々と降り注ぎ、四国と九州には血の雨が降り注いだ。沖縄は島そのものが生物になった。
そんな一瞬で変貌した地球の大地に、人間の価値観から大きく逸脱した者共が次々とやってきたのだ。人間の混乱は一瞬で極限にまで達した。やってきた異邦人に対して意志疎通を行わずに一方的に攻撃し、その報復によって根こそぎ消滅した人間も少なくなかった。もしくは何の警告も無しに向こうから先制攻撃を受け、そのまま対抗できずに壊滅した町も山ほどあった。この混乱を五体満足で乗り越えることが出来た場所は一つもなかった。
これが特異点の影響によるものだということに気づいていた人間は全くと言っていいほどいなかった。特異点という言葉を知っていた学会の爪弾き者達も、まさか特異点がここまで甚大な被害をもたらすとは思いもしていなかった。
しかし時間とは無情なものであった。そんな人間の混乱をよそに陽は沈んで夜となり、月が顔をのぞかせた後でそれと入れ替わりに陽が昇って朝になる。二つの天体の移り変わりはその後も淡々と進んでいき、気がつけば歪みが生まれてから一週間が経過していた。この頃になれば最初と比べて混乱も比較的収まっており、地球の各所でおっかなびっくりながらも人間と「異邦人」との間で異文化交流が始まっていた。当然ながら「異邦人」と人間がなおも戦い続けていた場所もあったし、決着がついて静寂を取り戻した場所もあった。
しかしドームに覆われていたその町は、一週間経った今もなお、死んだように静まりかえっていた。
亮達の住んでいたその町は、他の場所に比べて「異邦人」の流入が激しくは無かった。もっと言うと、彼らが町に接近してきたのは最初の落下から一週間も経った後のことだった。その溶岩地帯が落ちてきた「異邦人」達にとっても厄介な環境であり、満足な探索体勢を整えるのに時間がかかったのと、町を覆うドームが凄まじい存在感を放ち、「異邦人」達に向けて「これは触れてはいけないものである」と言外に主張していたのが、彼らの介入を難しくしていた大きな理由であった。
しかし彼らの進行はゆっくりと、しかし日を経るにつれて着実に進行していた。そして最初の降下から一週間後、恐る恐る未知の領域に踏み込んだ「異邦人」の一部は、その人気のなくゴーストタウンと化した町の姿を見て更に恐怖と焦りを覚えた。頭上に浮かぶ大陸の存在もまた彼らの焦燥をかき立てた。
そんな時に偶然出会ったのが、偶然ドームの穴を見にやって来ていた新城亮とエコー・ル・ゴルト・フォックストロットの二人であった。彼ら以外で町を出歩いている者は殆どいなかった。
「今はこんな感じですが、かつては人でごった返していたんですよ」
最初に接触した人間を代表して、亮が彼らに町の紹介をした。元宇宙刑事なら道の生命体とのコンタクトも不足なくやってくれるだろうとエコーが彼に丸投げしたのがその理由であった。
一方で亮達の接触した「異邦人」は、人間とは異なる形を持った非常にバラエティ豊かな面々であり、そして亮達にとって幸運なことに紳士的であった。また「異邦人」にしても、こちらの世界にやって来て最初に接触した「現地の生命体」がこういった非常事態の類に慣れていた亮達であったことは、非常に幸運なことであった。
彼らはマグマに飲まれることなく黒こげの大地に落ちた後、体勢を整えて異なる種族同士で協力関係を結び、合同捜索隊を結成した。このときの対象が自分たちの敵となるかどうかはこの時点では定かで無かったが、敵の敵は味方という理論から彼らは同盟を結んだのだった。
そしてドームの壁に開けられた穴の奥に見える光景からこの町の存在に気づき、その中に入ってみようと穴に近づいた所でばったり亮達と出くわしたのだった。そして互いの幸運が実を結び、両者は目立った確執も衝突も起こすことなく、互いが理性的な感情を持ち合わせたまま、自己紹介と今のこの世界の情報を共有しあうことが出来たのだった。
「あれがビルです。あそこから中に入って階段を登り、自分の行きたい部屋に向かうんです」
そうして接触した「異邦人」相手に、亮は若干ぎこちないながらもガイド役を行った。自分の後ろをついてくる面々は見たことも聞いたこともない異形の存在ばかりだったが、亮はそれらを前にしても変に気負ったりはしなかった。なぜなら彼らはこちらと話ができ、意志疎通が可能であったからだった。言葉と気持ちが相手に伝わるのは、道の存在とコミュニケーションをとる上で非常に大きなアドバンテージであった。
なお現在の隊形は亮が先頭を行き、その横にエコーが立ち、二人の後ろから「異邦人」が追いかけるような形になっていた。この時D組の生徒やその他の関係者はそれぞれ自分に出来るやり方で町での生活を続けていた。
「びる? ビルとはあの角張ったものを指すのですか?」
その亮のガイドを聞いていた「異邦人」の一人、宙に浮きつつ六つの表面全てから触手を一本ずつ生やした立方体型の生命体が質問した。亮はそれに対して「ビル」という物についての簡単な説明を行い、それを聞いた立方体の生命体は一つ相槌を打ち、満足したように黙りこくった。
「ここで戦える場所は無いのか? 俺は戦いが出来ればそれで十分なんだ」
すると今度は別の「異邦人」が亮に話しかけてきた。亮やエコーより一回り大きく、筋肉質で薄青い肌をしたゴリラのような存在だった。ぱっと見は無毛であることと肌の色を除けば巨大なゴリラだったのだが、人間でいうところの足にあたる部分から足の代わりに腕を二本生やし、その腕を使って直立していたのがいわゆる普通のゴリラと異なる部分だった。
「戦える場所だ。どこか知らないか? それともこっちの世界の連中は戦いをしないのか?」
聞けばこのゴリラ型の種族は、文化の一つとして決闘を行っているようであった。それも飛び道具を使わない、己の肉体と近接武器のみを用いた原始的な決闘である。彼らにとって一対一の戦いは、互いの精神と肉体をぶつけ魂を高めあう神聖な儀式であり、自分よりも強い相手と戦うのはその者にとって大いなる栄誉であるらしかった。
しかし亮はその物騒な生態を聞いて、「それはおかしい」とは思わなかった。彼自身は戦闘種族ではなかったが、かと言って相手を全否定するほど狭量な人間でもなかった。命がけの戦いを誇り高い行為であると認識している生命体は宇宙に行けばいくらでも存在しているし、亮は実際にそういった種族と何度も接触していたからだった。
そんな彼らと比べると、こうして会話の成立しているこのゴリラ種族は、むしろずっと「ましな部類」の存在であった。なぜなら亮は宇宙刑事時代にそうした戦闘種族とコンタクトを取ろうとした際、出会い頭に決闘を挑まれることがしょっちゅうであったからだった。今のように人の話を聞いてくれる奴など殆どいなかったのだ。
「どうなんだ? あるのか?」
「ええ、あります。それはありますよ」
そんな立方体型の生命体を押しのけて亮に迫ったゴリラ種族の催促を受けて、亮が若干慌てながら答えた。そしてこの時、亮は頭の中で「次に案内する場所はあそこにしよう」と考えていた。
「押さないでください。慌てないでください」
彼らの耳にそのような言葉が聞こえてきたのは、まさにそのときだった。声のする方に目を向けると、そこには拡声器を持って声を呼びかける鎧姿の人間と、その横に縦一列で並ぶ人の群れがあった。人々は誰もが力なく俯き、生きる気力を失ったかのように悄然としていた。誰も何も言わず、荷物さえも持たず、ただ足だけを引きずるように動かして前へと歩いて行っていた。
「まだまだ次があります。指示に従って、ゆっくりと進んでください」
赤銅色の鎧を着込んだ人間は淡々とした口調で、その死人のような人の列に声をかけていた。そんな並んだ人々の先には真上に伸びた銀色の円柱型のチューブがあり、それは遙か上空に浮かぶ浮遊大陸と地上とをまっすぐ繋げていた。そしてチューブと地面に接する一部分がドアのように左右にスライドし、順番待ちをしている人間達を中に招き入れていた。
「あれは何をしているんです?」
「異邦人」の一人、人間より一回り巨大な体躯を持った巨大ミミズが亮に問いかけた。亮はそちらの方を向きながらミミズに答えた。
「避難してるんですよ。こっちの生活に耐えられなくなった人たちが、空中にある町に避難してるんです」
「ほう」
「確かに、この辺りは熱いですからな。快適に住むには適さない場所でしょう」
世界が混じり合って一週間が経過したが、未だにこの町にはマグマが入り込んだりはしなかった。町を覆うドームが防護壁の役割を果たし、それの進入を防いでいたのだ。しかしマグマは無理でもそれによる熱気はしっかりと町の中に進入しており、おかげでこの町は毎日が真夏日のような、拷問にも近い環境下に置かれていたのだった。
「空中に浮かぶ都市ですか。中々幻想的でいいですね」
「まあ我々のいた世界では珍しくはないが、興味はあるな」
「そちらにも後で寄ってみたいものだ」
「案内してもらってもよろしいですかな?」
亮の説明を聞いた後、「異邦人」達の中から次々とそのような声が上がっていった。エコーはそれを聞いて「またやることが増えたわね」と半分呆れた調子で苦笑しながら亮に問いかけ、亮はエコーの方を向いて「やることがあるのは良いことだ」と返した。
「少なくとも、余計なことを考えなくてすむ」
「それもそうね」
エコーはそれに同意すると、自然な動作で亮に近づき、その腕にそっと抱きついた。亮はそれを振り解くことはせず、後ろからの好奇の視線を努めて無視しながら、そのまま次の目的地に向かって進み始めた。
世界が異世界と混じり合って一週間が経った。混乱はまだまだ収まりそうには無かった。




