「外の世界の住人」
最初に動いたのはアオイだった。巨大な狼と化した彼女は後ろ足で地面を蹴り上げ、その勢いのまま口を大きく開けて白光の巨人へと飛びかかった。巨人は素早くそれに反応し、飛びかかってくる狼に向けて剣を上段に振り上げた。
白光の巨人が剣を振り下ろす。バチバチと稲光をまとわりつかせながら、「斬り捨てる」のではなく「焼き切る」ために作られた雷の刀身が狼の頭上に迫る。
しかしそれを察知していた狼は、自分の脳天にそれがぶつかる直前、口を開けたまま首を持ち上げて顔を上に向けた。
狼が首を捻り、近づいてくる雷の剣に躊躇いなく噛みつく。直後、剣から放たれた電撃が狼の全身を駆け巡る。鼻先から尻尾の端まで、細身の体が青白い光で包まれる。光は激しく明滅し、何百万ボルトもの電撃が狼をその内側から責め苛んでいく。それはまるで狼そのものが自力で発光しているかのような光景だった。
「これはなんと強烈な電撃だ! さしもの灰狼もこれには」
その光景を見ていたラ・ムーはそこまで言いかけて言葉をのんだ。それまで狼を包んでいた光が、その瞬間、あろうことか狼の口の中へと吸い込まれていったのだ。まるで波が引いていくかのように尻尾の端から電光が剥ぎ取られていき、瞬きする間に狼は光の束縛を抜け出し元の姿を取り戻していた。
「飲んだ! 狼が今度は電撃を飲み込んだ! 奴の食欲は底なしかーッ!」
「バカな」
信じられない光景を目の当たりにした白光の巨人が呻く。その巨人の眼前で、電撃を全て飲み込んだ狼は傷一つついていない顔で鼻を鳴らしながら首を捻り、噛みついていた雷の剣をへし折った。それを見て更に驚く巨人を尻目に狼はそこから前に進んだところへ降り立ち、そこで首を回して背中越しに巨人を見ながら、その様子を見せつけるように噛んでいた剣の一部をそのまま飲み込んだ。
「刃先から、だと?」
「苦いですね」
小さくゲップをしながらアオイが巨人に言い放つ。その口調はまるでレストランのスタッフにクレームをぶつける嫌味な客のようだった。巨人はそれを見て、驚愕以上に屈辱を味わった。その狼の態度が、自分を小馬鹿にしているような気がしたのだ。実際狼は巨人を馬鹿にしていたのだが。
とにかくこの一瞬、巨人の意識が全て狼に向けられた。完全な「隙」が出来た。その「隙」を炎の巨人は見逃さなかった。
「どこ見てるのよ愚図!」
しかし同時に、炎の巨人も隙だらけであった。自分の意識を雷光の巨人にのみ傾けており、周囲の注意を疎かにしていたのだ。
「どこ見てるのかな?」
それに食いついたのはイツキだった。体の両端に頭を一つずつつけた形になっていた双頭の蛇は片側の頭を前に伸ばし、もう片方を尾の代わりにして後ろに伸ばしながら、蛇が上体を持ち上げて炎の巨人に飛びかかった。空中で体を左右にくねらせ、口の前部に生えた鋭い牙で巨人の側頭部に噛みついた。
炎の巨人が真横から襲撃を受けたと気づいた時、それは既に横向きのまま地面に押し倒されていた。巨人に噛みついた蛇はその勢いのまま全体重を巨人の方に傾け、向こうから倒れるように仕向けていた。蛇は初めからこれを狙っていたのだった。
「もう逃がさないよ」
「逃げられると思わないことだね」
蛇体を巨人の体に巻き付けて動きを封じながら、双頭の蛇がその二つの頭を巨人の顔に相当する部位に近づけてそれぞれ口を開いた。蛇の体は巨人の全身に巻き付いてもまだ余裕がある長さを誇っていた。そしてこの時巨人の体はなおも激しく燃え盛っていたが、それに密着していた蛇の体は火が移って燃えるどころか焦げ跡がつく気配すら無かった。
「クソ、離せ!」
「離せと言われて離す奴があるかい?」
「君が降参するまでずっとこのままでいようかな」
全身をあっという間に拘束され、それでもなんとか束縛から逃れようと巨人がもがく。しかし両手を胴体の側面に、そして両足同士を密着させるように巻き付かれていたので、巨人の自由は殆ど奪われていた。
「本番はこれからだ」
「覚悟するんだね」
二つの蛇頭が揃って唇の端を吊り上げてサディスティックな笑みを浮かべ、それから全身に巻き付いた蛇体にそれまで以上の力を込めてゆっくりと締め上げていく。その動きはじれったいほどに緩慢なものだったが、それが却って相手に「じわじわと死へ近づいていっている恐怖」を味わわせることに繋がっていた。
イツキはこの状況を見て笑っていた。楽しんでいた。ある意味で素晴らしい性格をしていた。
「次は脇腹をいただきましょうか」
「化け物が・・ッ」
その一方で、雷光の巨人と狼の戦いも続いていた。こちらは狼が優勢に立っていた。相対して余裕を見せる灰色の狼は殆ど無傷だったのに対し、巨人の方は両腕を肩口から失っていた。しかしそれも次の瞬間には気合いの雄叫びと共に切断面の中から伸び生えてくるように再生したのだが、それでも巨人の方が追い詰められていることに変わりはなかった。
「あなたはいったい何者なの? ここまで強い奴は、巨大化した私達に真っ向から立ち向かえるような奴は今まで見たことが無い」
「普通の宇宙怪獣ですよ」
巨人からの問いかけにアオイが答える。そして巨人がそれに反応した刹那、狼は既に巨人の真横をすれ違ってその背後に前脚から降り立っていた。巨人はその動きには反応できており、首を回して背後に跳んだ狼の方を肩越しに見ていた。しかしすれ違った側の自分の脇腹がへその辺りまでごっそり抉り取られていたことに関しては、その時点では気づいていなかった。
「な……っ」
それから一拍遅れて巨人は違和感を覚え、眼球だけを動かして視線を下に向けそれに気づく。直後、巨人は片膝をついて抉られた腹の内側を両手で押さえ、言葉にならない呻き声をあげた。悲痛と喪失感と屈辱に満ちた、暗い絶叫だった。
「ありえない。私がこんな、こんなことで」
「駄目ですよ油断してちゃ。元いた世界でどういう立場にいたのかわかりませんけど、こっちの世界でそちらの理屈は通じないんですから」
狼狽する巨人に向けて、アオイが抉り取った腹を丸飲みにしてから説教めいた言葉を投げかける。一方でその巨人の腹は開いた穴を埋めるように光が密集し、すぐに元通りに戻ったが、腹を食われたという事実は消えず、巨人の自尊心は傷つけられたままであった。
元々いた世界では、巨大化するということは即ち無敵の存在になれるのと同義であった。生身の人間の振るう力など、巨大化した者にとっては蚊に刺された程度の痛みしか与えない。自分のように魔力を直接巨大な鎧に形成するタイプも同様だ。一度この力を使えば、自分に仇なす者は存在しなくなる。無敵になれるのだ。
その分巨大化の術を拾得するのには常軌を逸した修練を積む必要があった。自分の場合も同じだった。ディアランドの住人は全員が生まれた時から魔力を持っているが、ここまで巨大な魔の鎧を形成できるだけの膨大な魔力を持つ者は自然には存在しないのだ。だからこそ修行を、それこそ守護騎士のような途方もない時間をかけて修行を積み、蓄積できる魔力の量を増やしていく必要があるのだ。
その凄まじい積み重ねの果てに手に入れた無敵の力が、この場では全く通用しなかった。要するに自分の行ってきたことを全否定されたような状況だったのだ。巨人は絶望と共に、それと同等の怒りを覚えていた。
「さて、せっかくですからもう少しいただきましょうか」
もちろんそんなことアオイは知らない。知っても無視するだろう。相手の都合に合わせてやる義理はそもそもない。戦いとは言ってしまえば、勝てば官軍なのだ。
「ふざけるな……ッ」
獲物を前に舌なめずりする狼を前に、腹を完全に復元した巨人が立ち上がる。その気迫はまだ死んではいなかった。
「面白い。まだやれるんですね」
それを見たアオイが嬉しさに声を弾ませる。このとき彼女は心中で「まだ食べられる」のではなく「まだ戦える」と思い、そちらの方で喜びを感じていたのだった。何よりも優先して戦いのことを考えるのは、戦闘狂獣の性とも言うべきものであった。
やがて狼が顔から笑みを消し、獲物を睨みつけて姿勢を低め、後ろ脚に力を込める。次の狙いは頭だ。
「いただきます」
どちらの意味にも取れる言葉を吐き、狼が跳躍する。先の脇腹を抉った突撃と同様、それはまさに「弾丸」と形容してもおかしくないほどの超高速運動だった。巨人は身構えようと体を動かした。
結局巨人は反応できなかった。巨人が体を動かした直後、その顔面に狼が正面から食らいついた。
しかもそれでは終わらなかった。
「解放ッ!」
噛みついたままアオイが叫ぶ。直後、狼の体の両側面の一部が上下に割り開かれ、奥から灰色に染まった無機質なジェットブースターが出現した。
「点火ッ!」
ブースターの後ろに炎のリングが出現する。次の瞬間、二基のブースターから青白い炎が吐き出され、狼の体が巨人ごとかっ飛んでいった。
「狼がッ! 噛みついたまま前にすっ飛んでいく! ジェットエンジンか何かを使って、巨人を引きずりながら前へと進んでいく!」
アオイは巨人の顔面に噛みつき、その超加速の勢いのまま直進移動を敢行したのだった。その様は強力な銃弾を食らった人間が衝撃で後ろに吹き飛ばされていくようにも見えた。しかし巨人の頭に噛みついた状態で、しかも巨人の足を地面につけた状態でそれを後ろ向きのまま引きずり、体の一部をずらしてブースターを出現させ、その推力を使って進行方向上の建物を根こそぎ破壊しながら前へと突撃していくその姿は異常としか言いようが無かった。
更に距離を進むたびに巨人の足は地面から離れていき、最後には狼共々完全に宙に浮いた状態で前へ前へと驀進していった。狼の側面に出現したブースターの炎は未だ衰えを見せていなかった。
そしてその頃には地上の被害も殆ど無くなり、そして彼らの進行方向上には高々とそびえ立つ灰色の壁が見えてきた。
「この町を覆うドームに肉薄していく! いったい何をする気だ!」
実況の豚が叫ぶ。しかし彼は内心ではこの後の展開を予想できていた。ここまで来たらすることは一つだろう。恐らくは視聴者の何割かもこの後の展開を先読みしていた。
そんな彼らの予想通り、町中を低空で進んでいた巨人は無抵抗のままドームの内壁に激突した。背中から全身が壁にめり込み、望んでもいないのに磔にされた。巨人は悲鳴さえ上げられなかった。
「ぶつかったーッ! ドームの内壁に激突ッ! 容赦のない一撃だーッ!」
「アオイちゃんやるねえ」
「久しぶりの本番だから加減が出来てないだけでしょ」
実況の声を聞き流しながら、巨人に絡みついていた蛇の双頭がそれぞれ言葉を放つ。そしてそう言葉を交わしながら、片方の頭はその内壁にめり込んだ雷光の巨人を見据え、もう片方の頭は今自分が拘束している炎の巨人をじっと睨みつけていた。蛇の締め付けはまだ続いており、逃がすつもりは毛ほども無かった。そのうち雷光の巨人を見ていた方の蛇頭が首を動かして、もう片方の蛇頭に視線を向けて言った。
「で、こっちはどうするの?」
「このまま続けていけばいいんじゃない?相手を無力化出来てるんだし」
もう片方の頭がそれに答える。答えを聞いた頭も「了解」と返し、それから蛇の四つの目が一斉に巨人へ向けられた。
「さて、まだ続ける?」
「降参するなら今のうちだよ?」
二つの蛇頭が先の割れた舌を出して威嚇するよう新居それを鳴らしながら巨人に告げる。それは勝利を確信した余裕たっぷりな声であったが、しかし巨人はそれに対して「ふざけるな」と返した。
「お前らなんかに負けてたまるか!」
そう叫んだ瞬間、炎の巨人はその姿を人型から一本の細長い紐状の物体へと変質させた。そして突然のことに驚くイツキを後目に、燃える紐と化したそれはバランスを崩して崩れ落ちていく蛇体の中を泳ぐように駆け抜けていき、蛇の束縛から逃げおおせることに成功した。
「よくも今まで好き勝手やってくれたわね!」
空中に逃げ延びた紐がその場にくずおれる蛇を見下ろしながら怒りのこもった声を放つ。それから紐は一カ所に固まるように丸まり、膨張し、また一瞬にしてその姿を人型と変えた。ただし今回の場合は背中から炎の翼を一対生やしており、その燃え盛る翼の端からは己の火の勢いを示すかのように、真っ赤な火の粉を次から次へ周囲にまき散らしていた。
蛇が頭の片方を持ち上げてこちらへ目を向ける。それと同時に滞空した巨人は両手をその蛇の頭に向けて伸ばし、手のひらを見せつけるように両手を開いた。
「宇宙怪獣だかなんだか知らないけど、本気でやるってんなら容赦しないわ!」
突き出された巨人の手の前に光が収束していく。それは一瞬にして金色に輝く光球となり、まさにもう一つの太陽であるかのようにまばゆい光を放ち始めた。
強烈な光を浴びた蛇が思わず目を細める。遠くにいた亮達もそろって顔を背け、空中にいた実況二人も短い悲鳴を上げる。
「消し飛べ!」
巨人が叫ぶ。次の瞬間光球が弾け、そこから蛇に向かって炎の渦が放たれた。それは地上に倒れる蛇を丸ごと飲み込んでしまうほどの巨大な渦であり、横向きの竜巻とも言うべき圧倒的な熱量の塊だった。
強烈な熱波が周囲を襲い、窓ガラスが溶け、周りの景色が揺らめいていく。しかしその無慈悲な灼熱の波を前にして、イツキは全く動じなかった。片方の頭は地面に突っ伏したまま、持ち上げていた方の頭をおもむろに揺らしながら口を開いた。その口内には黒く渦巻く球形のエネルギーが潜んでいた。
「ばあッ!」
蛇の口から黒いエネルギー流が放たれた。それは蛇の頭よりも巨大で量感溢れる漆黒の光であり、ドリルのように回転する破壊力の塊であった。そして巨人の放つ炎よりもずっと強力で純粋な暴力の光だった。
それはこちらに向かって飛んできた炎の竜巻を正面からぶつかって消し飛ばし、巨人の体をすっぽり飲み込んでなおも直進を続けた。さらにその奔流は上空にある浮遊大陸を貫通し、ドームの天井に激突する。そして天井さえも突き破ってはるか空の彼方へと突き進んでいき、やがて存分に力を振るって満足したかのように立ち消えた頃にはその進行方向に沿って大陸とドームに大きな穴があいていた。
「戦闘狂獣は、戦うために作られた存在だ」
その光の進行方向上にいた巨人を見据えながらイツキが言い放つ。このとき巨人は左手と右足が消し飛んでおり、翼を形成していた炎の勢いも目に見えて衰えていた。
「君たちが誰だか知らないけど、戦いで誰かに負けるわけにはいかないんだよね」
黒い煙を口の端から吐き出しながらイツキが言った。遠方では積み上げられた何かが崩れ落ちるような音が鳴り響き、それに続けて高らかな狼の雄叫びが聞こえてきた。それは勝利を確信した高らかな叫びだった。
「せんとう? あんた達、何者なのよ」
ふらつきながらなおも滞空を続ける巨人からの問いかけに、未だ無傷な蛇が素っ気ない声で答えた。
「ただの怪獣だよ」