「イフ」
亮達がトリスタンらと対面してから七日後、町には二つの変化が生まれていた。一つは純白の鎧と兜を身につけた人間の一団が町の中に現れ始めたことだった。キング・アーサーに仕える守護騎士が擁する騎士隊によって構成された偵察部隊である。
「よいな、我々の任務はあくまで偵察だ。下手に騒ぎを起こさず、穏便に事を運ぶのだ」
その一団は必ず四人一組で姿を現した。そして彼らは表に装飾の施された盾と長剣を構え、それぞれが背を向け合って四方を警戒しつつ車道のド真ん中を進んでいった。おかげで歩みはひどく緩慢であったが、代わりにその動きには乱れが無く、まさに一個の生物であるかのように統率の取れたものとなっていた。
彼らがこのように警戒を強めているのには当然理由がある。彼らにとってここは未知の世界であり、そしてこの世界には自分達と同じ世界からやってきた「敵対勢力」が潜んでいたからだ。
「騎士連中だ! やっちまえ!」
「隊長! 奴らです!」
野蛮な声に反応した騎士の一人が、左隣にいた別の騎士に声をかける。声をかけられたその騎士――自身の兜に他の三人には無い赤い縦のラインを引いたその騎士は、まず右隣にいる部下の方を向き、次に彼の指さす方へ目を向けた。そこには土気色の胸当てと肩当てを身につけ、手斧や棍棒を携えたトカゲ人間の集団がいた。数は五人。彼らは宇宙海賊「レッドドラゴン」、その中でも過激派に属する面々である。
彼らは自由に生きることを是とするレッドドラゴンの方針に従い、どこまでも己の欲求に従って生きる集団であった。破壊や強奪を進んで行う、用は純粋な悪党の集まりであった。宇宙戦艦が最初に町の上に現れた時、一番始めに町に降り立ったのも彼らであった。
「ヒャッハー! こんなところでお前等にお会いできるとはなあ!」
「あいつらの鎧は高く売れるぜ! 野郎ども! 全部ぶんどっていくぞ!」
「ヒャッハー! お宝だー!」
彼らに交渉は通じない。欲望のままに暴れ回るあの連中から助かりたければ、力でねじ伏せるしかないのだ。
「奴らめ、ここにもいたのか!」
「隊長、彼らは話し合いに応じる気はなさそうです」
「前からわかっていたことだ。こちらも応戦するぞ」
赤いラインを引いた兜を被る騎士が冷静に告げる。彼の言うとおり、彼ら無法者がこの町に出没することは騎士団がこちらの世界に来てから数時間でわかったことであり、そして彼らと意志疎通が取れないのもその数時間のうちにわかったことであった。異世界に飛んできたばかりで、拠点の確保はおろか戦う準備すらすら出来ていないところに問答無用で襲いかかってきたような連中に、今更話が通じるとは思えなかったのだ。そしてその推論を裏付けるように、偵察部隊の前に現れたトカゲ達は全員が武器を構え、血走った目をこちらに向けていた。
「突っ込めェ! 一人も逃がすなァ!」
そのトカゲの一人が声高に叫ぶ。それを合図に他のトカゲ達が一斉に騎士達に向けて走り出す。話し合いが出来ないのは日を見るより明らかだった。
そしてそれを見た騎士達もまたガチャガチャと金属のこすれる音を立てながら横一列に並び、迎え撃つようにトカゲの方を向いて盾を構える。
トカゲの一団と騎士達の構える盾が激突する。二体のトカゲが後ろに吹き飛ばされ、一人の騎士が思わず姿勢を崩して尻餅をつく。そこからは作戦も何もない、火花と怒号が交錯する純粋な力と力のぶつかり合いが始まった。
「騎士連中め! 死ねえ!」
「やかましい! 死ぬのはお前等の方だ!」
こうした小競り合いが、今では町の至る所で発生していた。ありとあらゆる場所で甲高い金属音が鳴り響き、時折それに混じって鼓膜を揺さぶる爆発音も聞こえてきた。その騒乱は一時的なものではあったが、それはまさしくディアランドにおける「戦争」を短時間の間に凝縮したものであった。
おかげで元々この町に住んでいた人間はますます家に引きこもるようになり、目の前の現実からさらに目を背けるようになった。この間もコンビニやスーパーでは実験を行うトカゲで溢れ返っており、純粋なこの世界の人間の肩身はさらに狭くなっていった。当然月光学園も休校状態となり、その無人と化し静まりかえった校舎にかつてのエリート校としての威光や権勢はかけらも無かった。
「誰もいない学校というのも風情があっていいものデース!」
「俺は怖いと思うけどな」
「冒険にスリルはつきものですわ」
実は時々人目を盗むように特定のクラスの生徒が学園に出入りしていたのだが、それを直接見た人間は一人もいなかった。それを見たのはトカゲや騎士達だけだったが、彼らにしてもその動きが何を意味するのか理解出来ずにいた。だからそれを気にしたり、指摘したりする者は一人もいなかった。学園とは関係ない人間が我が物顔で校舎の中に入っても誰も咎めなかった。
「それよりそのザイオンとかいう奴、なんで俺たちを集めたんだろうな? 君達は何か話とか聞いてないのかい?」
「ソーリーネ。ワタシも昨日その話をきいたばかりで、詳しいことは全くわからないヨ。寝耳に水とはこのことネ」
「わたくしも細かい話は何も。ですがそれもこの後わかると思いますわ。まずは集合場所にむかいましょう」
その我が物顔で校舎内に入った部外者ケン・ウッズは、前を向いて階段を上りながら両隣にいる私服姿の少女に尋ねた。一方でその二人の少女、アスカと麻里弥は彼と一緒に階段を上りながらそれぞれそう答えた。そして三人は揃って目的の階に到達し、集合場所であるD組の教室を目指して横並びに廊下を歩いていった。
「ザイオンは今あそこにいるのデスね」
と、廊下の中程まで来たところで窓側にいたアスカが不意に足を止め、首を回して窓の外に目を向けた。その目は眼下に広がる町の方ではなく、灰色のドームの天井が広がる上方へ向けられていた。
しかし今、彼女の視線の先にドームは無かった。ついでに言うとそれまで空中に浮遊していた戦艦の姿も無かった。
「あの人もまた滅茶苦茶なことをしたものデス」
「これについても説明くるのかね?」
「してくれることを願うしかありませんわ」
アスカと並んでケンと麻里弥も窓に近づき、揃ってアスカと同じ方向へ目を向ける。彼らの視線の先には宙に浮く陸地があった。
「アルフヘイムが丸ごと地上にやってきたのデス。これは一大事なのデース!」
ドームに覆われた町の端から端まで丸ごと覆い尽くすように上空に出現した大陸を見ながら、未知の展開を前にして嬉しそうにアスカが言った。ちなみにそれまで空中に浮かんでいた戦艦の群は、その大陸が空中に転移した際に発生した空間震動の不意打ちを受けてコントロールを失い、今は浮遊大陸の地面に一隻残らず突き刺さっていた。
「特異点?」
それから暫くして、静まりかえった体育館に集まった面々はそこでザイオンの話を聞いた。そして彼の言葉を聞いた何人かが、揃って彼の話の中で出てきた見知らぬ単語を口にした。教室ではなく体育館になったのは、人が多すぎて入りきらなかったからである。
「なんでここでやることになったんだよ」
「他にいい場所が見つからなかったからだろ」
「あっちの浮いてる大陸じゃ駄目なのか?」
「どうやってあそこまで行く気だ」
そもそもなぜ学園でやるのか、ということについては授業が無くて暇だったからという理由でここに全員参加していたD組の生徒達の殆どが疑問に思ったが、誰もそれ以上追求しようとはしなかった。するだけ無駄、疲れるだけだと悟っていたからだ。
閑話休題。
「なんだそれ」
「何かの造語かな?」
「ていうか最近説明ばっかだな」
「言うな」
ザイオンの説明を聞いてそれぞれが思い思いに言葉を発し、それまで静かだった体育館の中がやにわに騒々しさを増していく。彼らの前に立ったザイオンは一つ咳払いをした後、ちゃんと説明するから静かにしなさいと釘を刺してから口を開いた。
「特異点というのは、つまりあれだ。いくつかの平行世界が一つに繋がってしまう場所のことを言うのだ。次元の壁を越えて複数の世界がくっついてしまう、その接合面のことを指す。時には世界が近づきすぎて、世界同士が重なり合ってしまうこともあるがな。今回の場合は、我々の住んでいるこの地球そのものが丸ごと特異点になったと言っていい」
「違う場合もあるんですか?」
「もちろんある。近所の団地が特異点になったりもするし、町一つが特異点と化す場合もある。今回のように星一個が丸ごとそうなることもあるし、もっと大きくなると銀河系そのものがそうなる場合もある」
「銀河系が特異点になるって、具体的にはどうなるんですか?」
「最悪、同じ場所に地球が五つ出現することになる」
太陽と月も同じ場所に五つだ。ザイオンが言った。もしそうなったらどうなるのか、誰もが想像の翼を広げ、そして途中でやめた。ロクな結果にならないのは日を見るより明らかだったからだ。
「ところで、君達は平行世界というのは知っているかな?」
不意にザイオンが質問を投げかけた。生徒の一人が機敏に反応した。
「パラレルワールドってやつすか」
「そう、それだ。極めて近く、限りなく遠い世界のことだ。本来なら交わることのないイフの世界だ
「そんな世界本当にあるんですか?」
「あるのだ。可能性の数だけ世界は存在する。そして先程も言ったように、この我々から見た可能性の世界がくっついてしまった際の接着面を、特異点と言うのだ」
「なんかファンタジーみたい」
「残念ながら、これは現実だよ」
スケールの大きさについていけずに呆けた声を出した女生徒に対し、ザイオンが冷静に返す。すると今度はべつの男子生徒が、この時のザイオンの説明に反応して言った。
「我々って、どの辺りの人がそういう言葉使ってるんですか? 俺は聞いたことないんですけど」
「一部の学者が使っているな。それも全体から見てほんの一握り、メジャーとは言えないニッチな集団だ」
「窓際においやられてるって感じなんですか?」
「うむ。彼らの話に積極的に耳を傾けようとする学者は殆どいないな。今いる学者の大半は、彼らを異端児扱いしている。そんなものは現実には存在しないと高を括っているのだ。自分達の科学で解決できない事柄は、なんでもかんでもあり得ないものとして処理してしまう。それが今の学者と学会なのだ」
へええ、とザイオンの解説を聞いて生徒の中から関心を寄せる声があがる。学生だけでなく、地下闘技場の副支配人や悪魔のような姿をした宇宙海賊の首領も同じように面白そうに頷いていた。要はそこにいたほぼ全員が彼の話に興味関心を寄せていたのだ。ちなみにトリスタンとイゾルデはここにはおらず、ランスロット達もここには来ていなかった。
「それで、もしこの世界が特異点になったとして、それが原因でどんな問題が起きるんですか?」
そこで先の悪魔とは別の宇宙海賊であり、現在は新任教師としてこの学園で教鞭を振るっていた女エコーの部下の一人であるチャーリーが、自分の持つ知的な雰囲気を更に高めていた銀縁眼鏡を片手でくいと持ち上げながらザイオンに尋ねる。ザイオンは斜め上に首をひねって顎に手を当て、「さてどう説明しようか」と呟いてから言葉を発さずに思案にふけった。
「まあ、大混乱になるだろうな」
しかし結局、ザイオンは一番簡単で無難な回答を述べた。続けてザイオンが言った。
「異なる文化や文明を持った世界が一同に介するのだ。穏やかに済むはずがない。くっついてきた別世界が、日常的にどこかに戦争を仕掛けているような危険な世界ではないという保障はどこにもない。絶対に安全な状況などどこにもないのだ」
聴衆の何人かが生唾を飲み込んだ。それぞれが思いつく限りの最悪の事態を想定して、その自ら思い描いた惨状を前に戦慄していたのだ。そして平行世界は可能性の限り無限に存在し、それ故にその彼らの妄想は決して妄想で終わるとは限らないという事実もまた、彼らの感じる恐怖を助長していた。
往々にして、事実は小説より奇なのだ。
「その特異点の発生と、あの大陸の出現には何か関係があるのか?」
と、その時悪魔の如き容貌を備えた宇宙海賊「レッドドラゴン」首領のサティが、血のように真っ赤な両目でザイオンを睨みつけながら言った。彼の船団は現在、突如として出現した浮遊大陸の大地に一隻残らず墜落ないし不時着しており、その際の損傷によって自力で飛ぶことは困難を極めていた。
いきなり現れた余所者に自分の戦艦を潰されて、サティは腹が立っていた。
「なんのためにあんなことをしたのだ」
「避難所を作るためだ」
しかしザイオンはそのサティの怒りの視線に気づきながら、顔色一つ変えずに平然と言い返した。それから彼はサティや他の面々を見渡しながら、それまでと変わらない調子で話し始めた。
「外の世界から攻撃を受けた場合に備えて、避難所を用意しておいたのだ。アルフヘイムを解放し、そこに町の住人を避難させる」
「それってこの町の人だけを対象にしてるんですか?」
「そうだ」
生徒からの問いかけにザイオンが即答した。別の生徒が尋ねる。
「他の町とか国とかの人はどうするんだ?」
「知らん」
こちらも即答した。続けてザイオンは「人間には出来ることと出来ないことがあるのだ」と言った。
「よそはよそで対策を講じてもらいたい。何がどうなろうが、私にはそれを止めることは出来ない。私が出来ることには限界があるのだ。全部やれと言われても無理なものは無理だ」
「じゃあ、なんでこの町を助けようとするんだ?」
「君達がいるからな」
また別の生徒からの質問にザイオンはそう答え、それからD組の生徒達の方へ視線を向けた。
「せっかく出来た友人をむざむざ危険に晒したくはないからな。だから言ってしまうと、町を助けるのはついででしかないのだ」
「ついでかよ」
「それでいいんじゃない?」
益田浩一と芹沢優が、それぞれ呆れた声と達観した声を放つ。それから優は「私らは助かるんだから愚痴言ったら駄目でしょ」と諦めにも似た言葉を放ち、周りの面々もそれに従うかのように疑念の声を収めていった。
そうして静まりかえった聴衆を前にザイオンが言った。
「だから、避難したくなったらいつでもこちらにくるといい。アルフヘイムは鉄壁だ。君達が住んでいる町よりずっと安全だぞ。それともし町の人間を避難させることになった時は、君達にも協力を頼むことになると思う。よろしく頼むぞ」
直後、体育館の天井を飛び越えた彼らの遙か頭上で爆発音が轟いた。