「ゼロポイント」
「なんだこれ」
城で話し合いを終え居候先であるアルフヘイムに戻ってきたセイジは、その帝国のある大地の外周、帝国をぐるりと囲む城壁と唯一の出入り口である巨大な城門を一望できる位置に立ちながら眉を顰めた。町に火の手が上がっているわけでもなければ壁や門がひしゃげているわけではなかった。彼の不審を買ったそれは、城壁に背を向けた状態でそれを守るように壁の周りにぐるりと配置されていた。
それは細長い槍と体を背丈ほどの大きさの盾を持ち、青銅の鎧を身に纏った戦士の群れだった。
「全隊、構え!」
城門の方から声が聞こえてきた。すると壁に沿って配置されていた戦士達が一斉に身を屈め、前方に盾と槍を構えた。全員が同時に、一糸乱れぬタイミングで防御の姿勢をとるその姿を見て、セイジは自分の知り合いが最近作っていたある物の存在を思い出した。
「全隊、突け!」
その知り合いは門の前にいた。そうして守りの
体勢に入った戦士達に命令を飛ばし、全員がプログラミングされた機械のように同じタイミングで槍で突き始めた戦士達を見て満足そうにうなずく知り合いめがけてセイジは一直線に歩み寄り、そして眼前にまで近づいた知り合いの肩を叩いて声をかけた。
「なにしてるんだお前」
「ん? おお、セイジか」
セイジの声を聞いた禿頭の老人が彼の顔を見て声を弾ませる。それから見た目の年齢不相応に鋭くギラついた両目をセイジに向けながら老人が問いかけた。
「なんだ、何か言いたそうな顔をしているな。どうしたんだ?」
「それはこっちの台詞だ。いきなりどうしたんだ、こんなことして」
「ああ、これかね」
盾と槍を構えたまま静止している戦士達を一瞥してから老人、帝国の管理人であるザイオンが言った。
「防御を厚くしているんだよ」
「なんでそんなこと」
「新しく出来た友人がとても用心深い性格でね。もっと物理的な守りも固めてくれって言われたんだよ」
「それあれか? ひょっとしてイゾルデとか言う白い女か?」
「君はあの子を知ってるのか」
ザイオンが驚いた声を出す。そんな彼に対して、セイジはつい先程までその子と話をしていたことを告げた。それから彼は続けて「あんたもあの子を知っていたのか」と逆に問いかけた。
「ああ。知っていたぞ」
ザイオンは即答した。ついでに彼はセイジが城で会う前から彼女と会っていたことを明かした。しかしセイジはこの日、地上で直接会うまで彼女の存在を知らなかった。隠し事をされていたことに対してセイジは軽い憤りを覚え、顔をわずかにしかめた。
しかしザイオンは済まなそうな素振りは全く見せなかった。
「すまんな。あの子は用心深い子でな、自分の存在は自分から明かすまで誰にも話さないでくれと言われていたのだ」
そして素っ気ない態度でザイオンが釈明する。セイジはそれで納得するしかなかった。居候の身分で家主にでかい口を叩くわけにはいかない。郷に入っては郷に従え、とは良く言ったものである。
「それで、そのイゾルデから頼まれてこんなことしてんの?」
セイジはそこまで考えたところで話題を切り替えた。彼は視線をザイオンから壁沿いに武装した戦士達に向け、どこか呆れた声でザイオンに話しかけた。それを聞いたザイオンが自信満々に答える。
「そうだ」
「なんでそんなこと」
「面白そうだったからな」
ザイオンがニヤリと笑って返す。だがその目はやる気に満ちており、遊び半分でやっているわけではなさそうだった。
「ふざけてやってる訳でもなさそうだな」
「当然だ。やるからには何事にも全力で取り組むべし。我が家の家訓だ」
「まったく」
そんなザイオンを横目で見た後、続けて戦士達の方を見ながらセイジが言った。
「あれ、新型の憑依兵でしょ」
「そうだ」
「前に月光学園にプレゼントした奴の発展系?」
「微妙に違うぞ。私はD組に渡したのだ。あの学園には渡してない」
ザイオンが厳しい表情で訂正を求めてくる。細かい所だったが、繊細な老人には大事な部分だったようだ。
そんなことより、と老人よりは比較的図太い神経を持ったセイジが話の軌道を元に戻そうと、ザイオンの方を見て言った。
「これ最新型、出来たばっかの虎の子じゃねえか。いいのかよこんなことに使って」
「出来たばかりだからこのようなことに使うのだ。この機会を利用して、確実に動作するかどうかテストするのだ」
「そういう考え方もありか」
「そういうことだ」
納得した声を出すセイジにザイオンが言葉をあわせる。それから彼は「全隊休め」と声をかけた後、一度セイジに目配せをしてから門の方へ歩き出した。
「なんだ? 俺に何か手伝わせたいのか?」
「うむ」
ザイオンの視線に気づいたセイジがワンテンポ遅れて歩き出しながら前を行く老人に話しかける。ザイオンはその背中からかけられた声に前を向いたまま短く肯定し、そしてやはり前を向いたままセイジに言った。
「少し面倒な事態になってな。戦闘狂獣としてのお前の力を借りたいのだ。それとついでに言っとくと、さっきの憑依兵達もその面倒事に備えて配置したものでもあるのだ」
「随分深刻そうだな? 何が起きたってんだよ?」
「地球が特異点になった」
今まで聞いたことのないほど真剣な声で話しかけてきたザイオンに違和感を覚え、あえておちゃらけた態度で言葉を返したセイジだったが、ザイオンはそれまでの真剣な調子を崩さずに言葉を続けた。そしてザイオンの口から放たれた言葉を聞いたセイジもその直後に表情を一瞬で引き締め、強張った顔を浮かべつつザイオンに尋ねた。
「マジなのか?」
ザイオンが前を向いたまま無言で頷く。このとき二人は正門の前に到達しており、そしてセイジが生唾を飲み込む音と門が開け放たれる金属の軋む音が同時に生まれ、重なり合った。
「おそらく地上は大混乱になる。どこまで騒ぎが大きくなるかはわからん。だからそうなる前に、出来るだけ手を打っておかなければならん」
ザイオンが肩越しにセイジを見据える。その目は老人とは思えないほどに鋭く研ぎ澄まされ、相手の反論を許さない威圧感に満ちていた。
「誰かが光を無くした者達の拠り所とならねばならん。それが大天使様のご意向だ」
「電波を受信したってわけか」
「声を聞いたのだ」
「ああいい。声でいいよ。それで具体的に何する気だよ」
「アルフヘイムを地上に飛ばす」
ひときわ腹に溜まる重苦しい音を響かせ、門が完全に開かれる。
「転送装置の準備をする。お前も来るのだ」
ザイオンは門が開ききると同時にセイジにそう告げた後、再び前を向いて歩き始めた。
「無茶苦茶考えるなあ」
セイジもまたワンテンポ遅れて、その背中を追いかけるように歩き始めた。ザイオンの提案を聞いても彼は目立って驚かなかった。
むしろこれから自分達のすることで何が起きるのか、世界にどう影響を及ぼすのか、それらについて考えれば考えるほど、セイジは抑えきれないほどの興奮を感じていた。言ってしまえばワクワクしていた。世界の「特異点化」は、下手をすればその世界の文明が全て滅び去ってしまうほどの緊急事態だと言うのに。
彼は図太い神経の持ち主だったのだ。
「状況はそこまで進んでいるのですね」
同じ頃、月に居を構える王国の女王であるヨミもまた、その異変に気づいていた。こちらは玉座に収りながら、険しい表情で臣下の科学者からの報告を聞いていた。
「では、もう進行を遅らせることは出来ないと?」
「残念ながら」
服の上から白いポンチョのようなものを羽織った科学者は、片膝をついた姿勢のまま重々しく首を横に振った。それは今地球で起きている事象を知る者にとっては、死刑宣告にも等しい言葉だった。それまで地球という星で、人類という種が何千年もかけて育んできた文化や文明に対する、明確な死刑宣告だった。そして当然、死人も大量に出るだろう。
「わかりました。また何かありましたら、報告をお願いします」
それからヨミは説明を終えた科学者を帰した後、額に手を添え、眉尻を下げて物憂げな表情を浮かべた。
「腹を据えねばなりますまいな」
玉座に座る彼女の横に立っていた側近の一人が厳めしい口調で言った。強面で口元に白髭を生やした初老の男だった。ヨミはその忠臣であり、かつて幼い頃の自分の教育係を務めていた男の言葉に一つ頷き、それから慎重に言葉を選ぶように言った。
「我々の方にも影響が出ないとは限りません。準備は怠らないようにしましょう」
「そうですな。しかし、地球人の方はこの事態を察知出来ていないようですな」
「彼らの科学力はまだその域まで達していませんからね」
この事態を知るには時空に関する深い知識と、時空を制御しコントロールする技術が必要であった。要はワープ装置を自力で作れるかどうかにかかっていたのだ。当然ながら今の地球人はそんなもの持っていなかった。
「彼らに教えましょうか?」
「そうした方がいいでしょう。彼らを見捨てることは出来ません」
「素直に聞くとは思えませんが」
男が眉根を指でつまみながら苦い声で返す。それを聞いたヨミも同様に表情を曇らせた。今の彼らは天狗になっている、と男が呟いた。
「今の人類は外宇宙からの技術を手に入れてはしゃぎ回っている。ほしかった玩具を手に入れて浮かれている子供のようだ」
「そうなった子供は親の言うことも素直に聞かなくなりますからね。外野からの他人の声を聞くとは思えませんか」
「私はそう考えております。女王様もそうお思いのはずだ」
ヨミが頷く。男が一つため息を漏らし、物憂げな表情を浮かべた。
「噂によれば、彼らはその玩具を使って兵器を生み出しているとか。他国への牽制、同じ人類を圧倒するための兵器を」
「もっと他のことに知恵を使うべきだと思うのは私だけでしょうか」
「私も同じことを考えております。彼らは未だに外の世界に目を向けようとしていない。内に籠もって、自分達の世界がこの世の全てだと思っている」
「嘆かわしいことです」
「まったくですな。ですが彼らは、そのうち嫌でも外の景色を直視することになると思います」
特異点。男の言葉を聞いたヨミがその単語を脳裏に思い浮かべた。全ての世界と繋がる地点。言うなれば「世界の交差点」となったのだ。
原因はあの城か?
「逆さまに落ちてきた城が原因でしょうな。確定は出来ませんが」
男もヨミと同じ意見だった。それから二人は揃って「まったく余計なことをした」と難しい顔を浮かべ、やがてどちらからともなくヨミが言葉を漏らした。
「あれの時空転移が次元を歪めたのでしょうね」
「やれやれですな」
男は言葉では肯定も否定も表さなかった。しかしそのため息は彼の真意を如実に示していた。
翌日。日本時間午前六時十七分。
軌道上を周回する人工衛星の一つが南極大陸中央部に大穴が生まれたことを観測した。




