「躁鬱」
話し合いが終わったのは、赤いイゾルデが消えてからすぐのことだった。もうこれ以上話すこともないだろうと亮が切り出し、他の面々もそれに頷いた。
「トリスタン様、私と一緒に来てほしい所があるの」
白いイゾルデがトリスタンに向けてそう話しかけたのは、話し合いが終わり場の空気が弛緩していった中でのことだった。彼女はトリスタンの腕にしがみつき、上目遣いで彼を見つめながらそう問いかけてきた。
「私、あっちのイゾルデから襲われなくなる場所を知ってるの。そこに行きましょう」
彼はこの後、こちらの世界のどこかにある「隠れ家」に戻る予定だったのだが、結局は「こっちの方が安全だから」というイゾルデの言葉を信じて彼女と共にそこへ向かうことにした。トリスタンの決心は固かった。
ちなみにこの「隠れ家」とはランスロット達を追ってやってきた守護騎士達が拠点としている場所であり、そこには守護騎士を束ねる存在であるキング・アーサーもいた。だがその「隠れ家」がどこにあるのかについて、ランスロット達はトリスタンから聞き出すことは出来なかった。トリスタンの口が堅かったからではない。ランスロット達が単純にそれを聞き出すのを忘れていたからだ。
「ところで、その場所というのはどこなのですか?」
代わりにグィネヴィアがイゾルデにそう尋ねる。イゾルデはあっさりと答えた。
「地下に国があるの。そこの人に頼んで匿ってもらうわ」
「そんな場所があるのですか?」
「ああ、あそこか」
驚くグィネヴィアの横でセイジが思い出したように声を上げる。「知っているのですか?」と声を上げるモードレッドを見ながらセイジが言った。
「俺そこに住んでるから」
「本当にあるのですか」
「ああ。結構快適な場所だぜ?」
「なかなかに凄い世界ですね」
ランスロットが素直な感想を述べる。それを聞き流しながらセイジがイゾルデに言った。
「ところで、なんであんたあそこ知ってるんだ?」
「キングの隠れている場所は当てにならないと思ってたから、別の隠れ場所を探してたのよ。トリスタン様がより安全に過ごせるよう、防御と魔力の高い場所をね」
「防御は何となくわかるけど、なんで魔力?」
「カモフラージュよ。私の世界の人間、特に魔力に長けた人間は相手の魔力を辿って相手を追いかけることが出来るの。そしてトリスタン様や他の騎士達は、常に体から魔力を放出している。これは呼吸と同じで止めることは出来ないわ。ちなみにこれはディアランドの人間全員に当てはまる特徴よ」
赤いイゾルデの姿を脳裏に思い浮かべながら白いイゾルデが返す。泥棒猫の姿を思い返していたその顔は普段と変わらず平静を保っていたが、よく見るとわずかに眉間に皺が刻まれていた。それに気づきながら気づかない振りをして浩一が言った。
「なるほど。だから体から出てくる魔力以上の魔力を持っている場所に隠れれば、その体から流れてる魔力をごまかせるってことか」
「そういうことよ。こっちの世界には魔力が全くないって知ったときは焦ったけど、それとは違うけど性質は同じ力で溢れる場所があったからなんとかなったわ」
「そこがアルフヘイムって訳か。あそこは霊験あらたかな場所だって話だったな。霊力? みたいなものが溢れてるってザイオンから聞いたことあるな」
セイジが言葉を挟む。納得したように浩一が言った。
「霊力って魔力の代わりになれたのか」
「なれると思うわ。私の感じた限りではあれは魔力と同じものだと思う」
「でも随分用心深いな。そこまでする必要あるのか?」
「別の世界に飛んだからと言って、元々いた世界から刺客が送られてこないとは限らない。あの赤いのとか赤いのとか赤いのとかね」
やり取りしていた浩一の方を見ながら白いイゾルデが答える。その声色は低く憎しみに満ちており、その波動をまともに食らった浩一は死神に心臓を握られたような気分になった。
冷や汗を流す浩一を仇であるかのようにじっと見つめながら白いイゾルデが言った。
「なのにあのキングは不用心すぎる。ここは別の世界だからと、守りも固めないで安心しきっていた。あんな奴の所にトリスタン様は任せておけないわ」
「あんな奴って、言い切っていいのかよ」
「あくまでトリスタン限定なんだな」
まずそうに顔をしかめる浩一に続いて、ゴスロリ服のフリードが腕を組みながら呆れた声を出す。浩一の言葉は無視してフリードの方を見ながらイゾルデが言った。
「なんで他の騎士のこと考えないといけないのよ。私はトリスタン様さえ無事ならそれでいいんだから」
イゾルデはブレなかった。その一貫性を見て、周囲の面々は感心すら覚えた。しかしイゾルデはそんな周りの反応すら無視して、再びトリスタンに顔を向けて言った。
「そう言うわけで、トリスタン様。今からそちらに向かいましょう」
「待ってくれイゾルデ。せめてキングにこのことを説明してからにしてくれないか?」
「あれを気にする必要はありませんよ」
イゾルデがバッサリ切り捨てる。そしてイゾルデはひきつった笑みを浮かべるトリスタンの腕を掴んで立ち上がり、トリスタンを半ば強引に立たせて周りの面々を見ながら言った。
「では、私達はこれで失礼させていただきます。またの機会にお会いしましょう」
言いながらイゾルデが腰の剣を引き抜き、トリスタンを自分のそばへ引き寄せながらその切っ先を軽く足下にぶつける。カツン、と乾いた音が響いた直後、その足下から青白い稲妻が昇っていった。
それは一瞬の出来事であり、龍が天を目指して昇っていくかのようであった。しかしそれが激突した天井の部分は傷一つついておらず、床にも損傷は無かった。そして一瞬の内に稲妻が消えたと同時に、イゾルデとトリスタンもまた姿を消していた。
「強気な方ですね」
「強引とも取れますね」
グィネヴィアの言葉にモードレッドが答える。彼は軽い頭痛を覚えていた。
家に帰った亮は軽い頭痛を覚えた。
「おう新城、ミナに頼んで上がらせてもらってるぞ」
「シンジョー! ドグは私が入れてやってるぞ!」
リビングには自分の元上司で宇宙警察長官の「一つ目の怪物」ドグと、かつて自分が保護し今はドグの養子となっているミナの姿があった。ミナは今白いワンピースだけを身につけていた。しかし亮が頭痛を覚えたのは彼らのせいではなかった。
二人とも顔見知りであったし、ミナは体を原子レベルに分解して好きな場所へ移動できる特殊能力を持っていた。鍵穴から侵入して内側から鍵を開けて家の中に入ることなど彼女にとっては朝飯前だし、そもそも彼らに入られて困るようなことは一つも無かった。
頭痛の種はミナの足下に転がっていた。
「んー! んー!」
どこかで見た光景だった。赤い服に身を包んだイゾルデが、簀巻きにされた状態でのたうち回っていたのだ。ご丁寧に不燃性の特殊合金繊維で編み込まれたロープを使われている。前に見たように彼女の袖口が黒く燃え盛っていたが、その炎はロープに着くことはなかった。
「助かったなシンジョー! こいつお前の家のドアを破ろうとしてたんだぞ! 手から炎出して燃やそうとしてた!」
「お前の家にお邪魔しようとしてたら、偶然こいつと出くわしたんだ。まったく間一髪だった」
得意げに話すミナの反対側で、複数の触手を使って器用に立つ一つ目の怪物が、その巨大な虹彩をイゾルデに向けながら言った。その異形を前にしてイゾルデは一瞬本気で恐怖の感情を覚えたかの如くその顔を凍り付かせたが、すぐに威勢を取り戻して声を放った。
「べ、別にドアを燃やそうとした訳じゃないわよ! 鍵がかかってて開かなかったから、ちょっと鍵を外そうとしただけなんだから!」
「十分犯罪だぞ!」
「じゃあなんで今も袖を燃やしてるんだよ」
「これが解けないからに決まってるでしょ! さっさと離しなさいよ!」
イゾルデは強気だった。ミナの言葉を無視し、亮の問いかけにも気丈にやり返した。なんでこいつはこの状況でここまで強気なんだ。亮はそう思わずにはいられなかった。しかしなんとか気力を振り絞って亮が言った。
「なんで俺の家に入ろうとしたんだ?」
「殺すためよ!」
即答である。ここまで潔いと尊敬すら覚える。
「なんでシンジョーを殺そうとしたんだ?」
「こいつがトリスタン様にひっつく悪い虫だからよ!」
「俺は男だぞ」
「うるさい! だれであろうとトリスタン様に近づく奴はみんな敵なのよ!」
ミナからの質問にイゾルデが噛みつくように答える。亮は呆れかえったが、イゾルデは自分がおかしな事を言っているとは露ほども思っていなかった。
その時、亮はドグがその視線を自分に向けていることに気づいた。亮が顔を上げてドグの方へ向けると、頭の中に直接ドグの声が響いてきた。
「なかなか厄介だな」
「まったくです」
「いつもこんなトラブルに巻き込まれているのかね?」
「いつもと言うわけではありませんが」
「災難からは逃げられないようだな」
「こっちは平穏に暮らしたいんですけどね」
亮が頭の中で言葉を思い浮かべると、それを感じ取ったドグが同じように言葉を返してくる。テレパシーの一種である。思念を飛ばしあっている者以外がこの会話を聞き取る事は出来なかった。
「よし、少し黙らせよう」
そのうち、ドグが亮にそのような思念を飛ばしてきた。なにをする気なんです、と脳内で問いかける亮に、ドグは「見てればわかる」とだけ返した。
「このままでは少々うるさいからな。まずは大人しくさせて、それから話を聞くとしよう」
ドグの行動は迅速だった。彼はそう念じた次の瞬間、後ろに丸めて隠していた触手の一本を伸ばして勢いよく振り下ろし、イゾルデの顔面をしたたかに打ち付けた。触手が空を切る音と打擲音とイゾルデの短い悲鳴が重なり合い、その場が静けさを取り戻した頃には鼻血を出して白目を剥いているイゾルデの姿があった。
「骨折れてないですよね?」
「手加減はしたつもりだ」
その顔を除き込んで渋い顔を浮かべる亮に、叩きつけた触手を丸めて再び背中に隠しながらドグが素っ気ない感じの思念を飛ばす。亮の反対側からミナが同じようにイゾルデの顔をのぞき込み、それから実に嬉しそうな調子で言った。
「こいつすごいブサイクだな!」
ミナは情けというものを知らなかった。確かに今のイゾルデの顔は美しいとは言えないものだったが、そこまで言うことはないだろう。
亮はそう考えたが、考えるだけに留めておいた。こいつの肩を持つ義理はない。未遂で終わったとはいえ、こっちは殺されかけたのだ。
しかし、かと言って放置する訳にもいかない。
「まあ、見苦しい顔ではあるな」
そんなわけで、亮はまずミナの言葉に同意した。それから亮はミナどドグ、そして気絶したイゾルデと共に自分の家で夜を過ごし、自分とドグが交代で休みながらイゾルデを見張ることにした。彼女が逃げ出そうとしたり、寝込みを襲って危害を加えたりするのを防ぐためである。
なお、ミナも最初は「自分も見張りを手伝う」と息巻いていたのだが、夕食を食べ終え入浴を済ませた後で結局ぐっすり眠り込んでしまった。今は煎餅布団の中で静かに寝息をたてていた。
「ぐへ、ぐへへ」
そしてイゾルデも爆睡していた。気絶した後で放置していたのだが、どうやらそのうちに眠り始めてしまったようだった。すっかり忘れていた。簀巻きにされた状態で鼻から頬にかけて赤黒い跡を引きつつ、時折幸せそうに表情を緩めていた。
「気楽なもんだ」
いったいどんな夢を見ているのやら。そのソファの上で毛布をかけられ、簀巻きにされたままで幸せそうな寝顔を浮かべるイゾルデを見ながら、見張りについていた亮が欠伸を噛み殺しつつ呟いた。その亮の視線の先にあるイゾルデの表情はとても嬉しそうだった。
「トリスタンさまあ……」
「やれやれ」
亮が再度欠伸を噛み殺す。そこで彼は「なぜこの女はこうまでトリスタンにこだわるのだろう」とぼんやり疑問に思ったが、その思案はすぐに眠気によって妨害された。亮が三回目の欠伸を噛み殺した時には、その疑問は頭の中から完全に消え去っていた。
一方でイゾルデは自分の置かれた状況を理解できないまま、夢の世界で妄想を爆発させていた。全くいい気なものだった。
 




