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「おーい地球人、プロレスしようぜ!」  作者: 鶏の照焼
第十一章 ~炎精「イゾルデ」、電精「イゾルデ」登場~
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「病みと燃え」

「ザイオン」


 夢の中で自分の名を呼ぶ声を聞いた。ザイオンは身を起こし、その場で一人立ち上がった。

 そこは四方を闇に包まれた、自分以外に何もない暗黒の空間だった。それまで自分が使っていたダブルサイズのベッドも、そして自分の隣で寝ていたイザベルもそこには無く、また自分の着ている寝間着と素肌の擦れる音以外には何も聞こえない完全な静寂に満ちていた。


「ザイオン。聞こえますか」


 そこに新たな音が加わる。エコーのかかった女の声だ。しかしそれはただの人間の声ではなく、聞く者をその場で跪かせる重々しい威厳に満ちていた。

 例に漏れず、ザイオンはその場で片膝をついた。しかし彼は声に恐れを覚えたからそうしたのではなく、単純にこれから姿を見せる相手に敬意を表すためであった。


「聞こえております」


 片膝立ちの姿勢で頭を下げ、ザイオンが静かな声で返す。その直後、頭を垂れるザイオンよりやや高い、彼と正面から相対する位置に一筋の光が生まれた。その光は輝きを増しながら段々と大きくなっていき、闇の中を明るく照らし始めていった。

 やがて光はザイオンの身長よりを越えるほどに大きく膨れ上がっていった。しかしそこで光の成長は止まり、代わりにその光の奥から一人の人間が姿を見せた。


「久しぶりですね、ザイオン」


 その人間は光の「門」を出て闇の中へと足を踏み出し、傅くザイオンの前に立って微笑んだ。彼女の背後で膨張しきっていた光が急速に萎んでいったが、それまで辺りを照らしていた輝きは衰えることはなかった。その光の中から現れた女性の全身が、例の光と同じくらいに輝いていたからだ。


「顔を上げなさい」


 女性が優しく言葉をかける。それに従いザイオンが顔を上げる。

 そこにいたのはイザベルだった。否、正確には自分がまだ学生だった頃に知り合った、学校指定の制服を身につけた年若いイザベル、の姿をした「何か」だった。

 その「何か」の正体をザイオンは知っていた。


「いたずらは止めてください」


 溢れんばかりの美に満ちた妻の姿を見たザイオンが眉を顰めて言った。相手からの顰蹙を買ったそれは「ごめんなさい」と一度親しげに謝った後、その体を足下から光のベールで包み込んでいった。


「これでいいでしょうか」


 それから暫くして、一人の女性がいたずらっぽく言いながら金色の粒子となって上空に散っていくベールの中から姿を現す。そこにいたのはイザベルではなく、全く違う姿をした、しかしそれでいて十分美しい女性だった。

 長く、ウェーブのかかったブロンドの髪。目はぱっちりと開いてスラリと締まった鼻は高く、肉感溢れる唇には赤いルージュが引かれていた。控えめに膨らんだ胸と引き締まった体を白いローブで覆い、さらにその上から金色の鎧を着込んでいた。両手には手甲、両足には足甲をはめ、右手には汚れ一つ無い槍を持っていた。そんな完全武装した彼女の体は神々しく光り輝いており、そして何より人目を引いたのが、その背中から生やした一対の純白の翼だった。


「あなたも相当やんちゃですな」

「人の子と相対する時には、厳格さだけではなくユーモアも交えた方が円滑に話が進むのですよ。ちょうど今のように」


 そんな翼を生やし電球のように全身を発光させる鎧姿の女性を前にして、ザイオンは全く驚く素振りを見せずに彼女に向けて言葉を放った。そう言われた女性も気分を害したようなポーズは取らず、むしろ口元に空いた方の手を当てて愉快そうに笑いながらそう答えた。


「あなたをあっと驚かせるジョークは何なのか、これでも結構考えた方なのですからね」

「刺激の強い物はあまり歓迎しませんがね」


 そんな女性にザイオンが断言する。「甘党なのですか?」と返す女性に、ザイオンは「辛いのよりは甘いのが好きですな」と言った。


「辛い、というのは、正確には味覚ではないのです。あれは刺激物が舌の神経を攻撃している感覚、言ってしまえば痛みなのですよ。私は自分で自分を痛めつける趣味はありません」

「辛党の皆様に失礼では?」

「あれを否定する気はありません。ですが私は嫌です」

「勇気を持つことも大事ですよ」

「もう歳ですからね。そんな勇気は持てませんよ」


 フレンドリーに話しかけてきた女性に同じような雰囲気で返した後、ザイオンはその女性の目をまっすぐ見据えながら言った。


「さてガブリエル様。そろそろ本題に入りましょう。前にも言いましたように、私はもう歳なのです。夜はぐっすり寝ないと満足に体が動かせない」


 四大天使兼お目付役のガブリエルは、それを聞いて同意するように頷いた。


「そうですね。ではさっそく本題に入りましょう。今日あなたを呼んだ理由は一つです」


 夢枕で天使と対話することが出来る。誰も信じてはいなかったが、ザイオンは確かにこの時、天上の世界に属する神に最も近しい存在とコンタクトを取っていた。





「はしたない姿を見せてしまったわね。ごめんなさい」


 あれから数分後、頭に大きなたんこぶを作った白いイゾルデは、城内にある大食堂の一角で紅茶を飲みながら、周囲に腰掛けた面々に向かって素直に謝罪した。ちなみに白イゾルデのたんこぶは人間態の富士満が直接殴ってつけたものだった。ついでに言うとトリスタンの頭に同じ大きさのたんこぶが出来ていた。


「あなたが止めてくれなかったら今頃どうなっていたか、本当にありがとう」

「気にしないでよ。こっちも好きでやっただけなんだしさ」


 そしてイゾルデは紅茶の注がれたカップに口を付けて気分を落ち着かせた後、自分を殴りつけた女生徒の方を向いて言った。満は嬉しそうに頬を赤らめながらも謙遜の態度を崩さなかった。あのとき、トリスタンと発狂したイゾルデの間に割って入った宇宙怪獣は、その場を丸く収めるために喧嘩両成敗の道を選んだのだった。


「しかしなぜ私まで殴られなければいけなかったのでしょうか?」


 白いイゾルデの隣に座っていたトリスタンは今も不服そうだった。確かにあの時、トリスタンは一方的にイゾルデから襲われていただけあり、彼の方から逆襲を試みた事もなかった。しかし誰もそのことについて理不尽とは思わなかった。


「そもそもお前がハッキリ自分の気持ちを言わないからこういうことになるんだよ」

「自業自得だね」


 満の同族であるセイジとイツキが容赦なく突き放す。他の面々もほぼ同意見だった。それに気づいていないのはトリスタンだけだった。


「んーっ! んーっ!」


 なお、それまでトリスタンにべったりついていた赤い方のイゾルデは、今は灰色の太いロープで全身を簀巻きにされ、口にガムテープを貼られた状態でトリスタンの座る場所とテーブルを挟んだ反対側の方に転がされていた。縛っておかないとまたトリスタンに引っ付くだろうし、そうなるとまた白いイゾルデが狂いかねない。それでは落ち着いて話も出来ない。そう考えての措置である。口を塞いだのは単純にうるさかったからだ。


「それで、なぜあなたはここに来たのですか?」


 そしてここまで来た段階で、初めて情報交換が行える。自分から質問役を買って出たランスロットは、まずは穏やかな声で白いイゾルデに話しかけた。イゾルデの腰にはあの時トリスタンを相手に振るわれた剣が今も提げられていたが、今はその刀身に電流が這い回ることもなく、まるで彼女の落ち着いた心を映すかのように静まりかえっていた。


「私がここに来た理由?」

「そうです。まずはそこから教えてください」

「トリスタン様に会うためよ」


 イゾルデが断言した。怯むことなくランスロットが続けて問う。


「どうやってここにランスロット様がいらっしゃると気づかれたのですか?」

「においよ」

「においですか」

「そうよ。トリスタン様の匂いを辿ってここまで来たの」

「汗の匂いですか?」

「ええ。あの方の汗の匂いは他の連中と違って特別なの。この世のどんな香水よりも高貴な香りを放つの。体中に浴びたいくらい素晴らしいものなのよ」

「好きな人の汗はそこまで特別なんですか?」

「ええもちろん。あなたも一度味わってみればわかるわ」


 イゾルデとランスロットはそうして平然とやり取りを進めるが、周囲の面々は揃って唖然としていた。当たり前のようにその様を見つめていたのはモードレッドだけだった。


「なんていうか、なんだ、その」

「ヘンタイだな!」

「おま、やめろ、思っても言うんじゃねえよ」


 何を言っていいかわからず言葉を濁すエコーの近くでミナが快活な声を放つ。浩一が反射的に制止しようとしたが手遅れだった。


「ていうか汗の匂いとかわかるクマ?」冬美が懐疑的な声を漏らす。

「あちらのイゾルデ様にはわかるのでしょうね。現にあの方はこうしてここまで来られているのですから」モードレッドが真面目な顔で答える。

「おそらくは動物並に嗅覚が優れていたのでしょうね~」エコーの部下の一人で自身も宇宙クジラであるアルファが素直な感想を述べる。

「どっちにしろ変態よ」優が切り捨てる。


「それではあなたは最初から、トリスタン様に会うためにここにやって来たということですか?」


 そんな外野の声を尻目に、ランスロットはイゾルデに質問を続けていた。イゾルデは首を縦に振り素直にそれに答えた。


「そうよ。最初はそのつもりだった」

「最初は?」

「トリスタン様に会えればそれで良かった。いたずらに力を使うつもりも無かった。だけど、会いにいったらあれがいた」


 イゾルデがそう言って、簀巻きにされていた赤いイゾルデを睨みつける。彼女は続けてその視線をトリスタンに向け、表情は変えないで言葉に怒りを乗せながら言った。


「それからあれにくっつかれて喜ぶトリスタン様がいた」

「待て、私は喜んでいた訳ではないぞ」


 トリスタンがイゾルデを見返しながら叫ぶ。イゾルデの両目に宿った怒りの炎は消えなかった。


「つまり、こうですね。そんなトリスタン様を見てしまったあなたは、トリスタン様がこちらのイゾルデ様と楽しそうにしているのを見て逆上し、剣を抜いて攻撃してしまったと」


 イゾルデの爆発を防ごうと、ランスロットが彼女を抑えるように言葉をかける。イゾルデはそれを聞いてランスロットに向き直り、肩の力を抜きつつ答えた。


「その通りよ。トリスタン様は私を裏切ってはいけない。私以外の女を見てはいけない。そして私の思いを踏みにじったトリスタン様と、トリスタン様を誘惑した女は死ぬべきなの。女に騙されて汚れてしまったトリスタン様は、私が裁いて初めて救われるの」

「それ本気で言ってるのか」

「ええ」


 亮からの問いかけに白いイゾルデが断言する。それどころか彼女は「なんでそんな当たり前のことを聞くのか」と亮に対して不審げな表情を見せていた。それからイゾルデは座りながら簀巻きの方に目を向け、それを冷ややかに見つめながら言った。


「だからそれは私がもらう」

「殺すのか」

「当然よ」

「トリスタンも?」

「トリスタン様も殺す。殺して差し上げるのがトリスタン様のためなの。汚れた肉体から心を解放し、救済して差し上げるのよ。トリスタン様も心の奥ではそれを理解してくださっている。自分はイゾルデというものがありながら他の女に現を抜かしてしまった。だから死んで詫びるしか道はないと、そう思っていらっしゃるのよ」


 イゾルデの言葉に迷いは無かった。本気で人を殺す目をしていた。聞き手に回っていた亮は冷や汗をかきながら、そこでちらとトリスタンの方を見る。亮の視線に気づいたトリスタンは首を激しく左右に振った。


「少なくとも彼はそう思っていないようですが」

「それは上辺だけの反応よ。心の中は違うわ。心の奥では私の裁きを受け入れようと覚悟している。私を愛するがために、私に殺されるのを待っているのよ」

「本当にそう思っているのですか」

「違うわ。私が思ってるんじゃない。これは私の推測じゃない。トリスタン様がそう思っていらっしゃるのよ。あの方の奥深くではそういう思いが渦巻いている。妻である私にはわかるの」


 イゾルデが三度言い切った。その顔は真面目そのものだった。妄想が爆発して自分の理想像を頭の中に思い浮かべ、実像からかけ離れたそれを前にして喜びを感じているような顔ではない。自分の本心から、「彼はそういう人間なのだ」と本気で考えている顔だった。彼女は理想と現実を重ね合わせて見ていた。相手の心などお構いなしだ。愛情が暴走して、相手の全てを理解したつもりでいる。

 このイゾルデは病んでいる。亮はそう思わずにはいられなかった。


「だから私は二人を殺すの。その後で私も死ぬ。私の魂は肉体を離れて天国に昇り、そこで汚れのない純粋な形に生まれ変わった夫と新しく結ばれ、永遠の愛を誓いながら生きていくのよ」


 真面目な顔でイゾルデが続ける。妄想に浸っている顔ではない。この女は本当にそうなると、心の底から思っていた。亮は戦慄と嫌悪を同時に覚えた。トリスタンは申し訳なさそうな表情で俯き、ランスロットとモードレッドは気の毒そうにそのトリスタンを見つめていた。その他の者達は亮と同じように恐怖を覚えつつ、それでも怖い物見たさからくる好奇心でイゾルデを見つめていた。


「違うわ! トリスタン様と結ばれるのはこのあたしなのよ!」


 簀巻きが声をそう上げたのはその直後のことだった。突然のことに驚いて振り向く面々の前で簀巻きにされていたイゾルデが仰向けの姿勢から背筋の力で飛び上がり、そのまま空中で姿勢を整えて二本の足で着地する。立ち上がった赤いイゾルデはそのまま白いイゾルデを睨みつけ、対抗心剥き出しの顔で言い放った。


「お前なんかにトリスタン様は任せていられないわ! あたしの方がずっとトリスタン様にふさわしい女なんだから!」


 イゾルデが吼えたその瞬間、彼女を縛り付けていたロープが黒い炎に包まれた。炎はイゾルデに引火することなくロープだけを燃やし、それを瞬く間に灰へと変えていった。


「そうよ。あんたみたいな病気女に、トリスタン様は渡さないわ! 白馬の王子様を迎え入れるお姫様は、このあたしなのよ!」


 そうして自由になった赤いイゾルデの両手の袖口は黒く燃え盛っていた。それまでロープを燃やしていた炎はその後も燃え尽きることなく、まるで蛇のように細長くなりながら彼女の体の周りを漂っていた。

 イゾルデが右手首を回す。するとそれまで穏やかに遊泳していた蛇は突如その場で動きを止め、直後、猛スピードで右袖を燃やす炎の中へと吸い込まれていった。そして袖口についていた炎もまた、その動きにつられるようにするりと袖の中へと消えていった。そうして炎の消えた袖口に焦げ跡は無く、新品同様の姿を見せていた。


「ま、待つんだイゾルデ。ちゃんと話し合って」

「お前はあたしが倒す! それからあたしの邪魔をするお前らも! 全員首を洗って待ってなさい!」

「え、ちょ」


 トリスタンの言葉を無視して炎の消えた右手を白いイゾルデの方へ伸ばし、人差し指を突き出して赤いイゾルデが高らかに宣言する。その直後、彼女の足下からまたしても黒い炎が噴き出し、それは囂々と燃え盛る炎の竜巻となって彼女を包み込んだ。先程の言葉を聞いて「それはどういう意味だ」と思わず近づこうとする者も何人かいたが、その竜巻の発する熱波によって誰も近づけずにいた。


「トリスタン様、待っててくださいね! そいつら全員やっつけて、このあたしがすぐに助け出してあげますから!」


 竜巻の中から声が聞こえてきた。それは希望に満ちた明るい声だった。

 その声が聞こえなくなると同時に竜巻も立ち消えていき、後には竜巻によって地面につけられた円形の焦げ跡だけが残っていた。


「逃げた」


 その焦げ跡を見ながらフリードが言った。隣でセイジが後頭部に両手を回しながら答えた。


「これさ、ひょっとして俺らも敵として認識された、ってこと?」

「恐らくはな」

「うげえ」


 フリードの短い断定の言葉を受けて、セイジが呻き声を上げた。確かにあの赤いイゾルデを縛り上げたのは自分達だ。恨みを買っても文句は言えないだろう。渋い顔で浩一が声を放った。


「まずいなそれ」

「まずいですね。相手は目的のためなら無差別で攻撃が出来る。罪悪感を簡単に捨てられる」


 ローディが浩一に同意するように言葉を返す。


「そうなったらそうなったで、なんとかするしかないよね」


 イツキが諦めたように薄い笑みを浮かべる。トリスタンは「本当にすいません」と申し訳なさそうに頭を下げた。


「何かあったら、こちらに逃げてきてください。身を守るくらいのことは出来ると思います」

「ランスロット、いいのですか」

「困っている人を放ってはおけません」


 その面々に対してランスロットはそう助け船を出し、一瞬渋い顔を見せたモードレッドも彼の言葉を受けてそれ以上は何も言えなかった。


「大丈夫よトリスタン様。あなたのことは私が絶対に守るから」


 白いイゾルデはトリスタンに引っ付きながら静かに言った。その目は慈愛に満ちていたが、同時にトリスタンしか映していなかった。


「あいつは気楽でいいな」

「悩む必要が無いからな」


 その白いイゾルデを見ながら、エコーと亮は揃って愚痴をこぼした。

 ほんのわずかに羨ましいとは思ったが、ああなりたいとは絶対思わなかった。

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