「イゾルデ」
地下帝国「アルフヘイム」の管理人であるザイオンは、基本的にその思考を「その日一日をどうやって退屈せずに過ごそうか」ということにのみ傾けて生きていた。アルフヘイムは既に彼の手を離れてそこの住人達の自治によって完全に回っており、ザイオンが介入する隙間は殆ど無かったのだ。
時折ザイオンの知恵を借りなければ解決できないほどの深刻な問題に直面することもあったが、それにしたって一年に一度あるか無いかの頻度でしか発生しなかった。この世界の基盤を築いたのは確かに彼であったが、今のアルフヘイムはもう「生みの親」の庇護を必要としなくなっていた。
要するにやることが無くて暇だったのだ。
「じゃあいっそのことさ、ここを自分の好きなように動かそうとは思わなかったわけ? ザイオンならやろうと思えば何でもやれんじゃん」
前にそんな愚痴にも似た話をここの用心棒として雇っていた「戦闘狂獣」のセイジに放した際、彼の口からそんな疑問が飛び出してきた。しかしザイオンは「独裁者に興味は無いよ」と返し、彼の提案を一蹴した。
もちろんこれは本心だった。世界の支配者となることにに興味は無く、やるだけ面倒だと考えていた。それにこんな狭い箱庭のような世界で王を気取っても、すぐに空しくなるのは目に見えていた。まったくつまらないことである。
しかしそれ以外に理由もあった。彼は所詮この世界の管理人であり、実際にこの世界を支配していた存在は別にいたのだ。彼らに無断でこの世界をコントロールしようとすれば、文字通りの「神からの天罰」が落ちてくるのは確実だった。実際にザイオンはセイジがくる前にそれを一度食らっていた。しかし自分の食らったそれについて、ザイオンは堅く口を閉ざして説明を拒んでいた。
ちなみにこのやり取りは亮達が初めて地下世界を訪れる前のことであり、それをセイジが知るのは当分先のことであった。
「夢の中で天使に説教されたと言っても誰も信じてはくれんだろうしな」
「なんの話っすか?」
「いや、なんでもない」
そんな訳で、ザイオンは暇を持て余していたのだった。アルフヘイムに散歩に行くこともあったが、朝から晩までそれだけでは飽きも早いし、何より体力が保たなかった。なので常日頃から新しい刺激が欲しいと思っていたのだが、アルフヘイム自体が隔離された場所にあったのでそれも期待薄であった。
「失礼、こちらの王はどなたかしら?」
しかしその日は事情が違った。町の地下に作られた自分専用の工場の一角に据えられた自室の中で回転椅子に座りつつ、惰性で回りながらいつものように暇を持て余していたザイオンの目の前に、いきなり一人の女性が姿を現したのだ。その女性はザイオンの眼前の空間に縦に切れ目が走り、その切れ目が左右に広がって出来た楕円状の裂け目の奥、そこに広がる三原色がマーブル状にねじれて絡み合う異空間の中に突然出現し、そこからそう言葉を放ちつつ、しきいを跨ぐように裂け目を越えてこの部屋の中に足を踏み入れてきたのだった。
そうしてやってきたのは、白い髪を眉毛が隠れる程度にざっくばらんに短く切り、金色の瞳を持ち唇に紫のルージュを引き、首から下を白いマントで隠した大人の女性であった。金の眼光は鋭く、猛禽のような鋭さを放っていた。
「驚いた。空間転移か」
ザイオンは実際に驚く様子は見せず、椅子の動きを止めて言葉だけで自分の感情を表現した。一方で裂け目の奥からやってきた女性は首を回して周囲を軽く見渡し、「おかしな所ね」と呟いてから再びザイオンに向き直った。
「あなたがここの王なのかしら?」
「なぜそう思うのかね」
「ここから一番強い力を感じたからよ。こちらの世界に移って色々調べてみたけど、ここが一番強い力を放っていたの」
「それはつまり、あれかね? 魔法的な、霊的な力のことを言っているのかね?」
椅子に座ったままザイオンが問いかける。今の彼の脳内では、相手の素性を知ることは完全に二の次となっていた。ザイオンはそれまでの暇の反動もあってか、いきなり突拍子もない現れ方をしてみせたこの女性にすっかり興味を覚え、その得体の知れない相手との対話にすっかり夢中になっていたのだ。
「ええ、そうよ」
そんなザイオンからの問いに、女性は素直に頷いた。こちらもこちらで、なぜここに強い力が宿っているのかについて深く問いかけようとはしてこなかった。ここが一番強力な場所である、ということがわかればそれで十分であるというスタンスをとっているようであった。
「なるほど。一番強い魔法の力を持っている場所を探していたということか」
「そうなるわ」
「そうかそうか。それで君はその魔法の場所を治めている人間に会って、いったい何をするつもりなのかね?」
ザイオンからの問いかけを受けて、女性がじっと彼を見つめる。この時の彼女はいつの間にか自分が質問されている立場になっていたことに気づき不愉快そうに眉間に皺を寄せていたが、すぐに表情を元に戻して彼に言った。
「手を貸して欲しいの」
「具体的には?」
「ある人物を倒したい。どうしても邪魔な奴が一人いる」
「ほう」
「直接助太刀してくれなくてもいい。その魔力を私に貸してくれるだけで構わない」
その女性は表情をぴくりとも動かさずにそう言い切った。それを聞いたザイオンは黙って立ち上がり、女性と向き合いながら口を開いた。
「本気で言っているのかね」
「本気よ」
「わかった。私はここの王というわけでは無いが、出来る限り手を貸そう」
「随分簡単に決めるのね」
「面白そうだと思ったからな」
禿頭の老人がニヤリと笑う。女性は眉一つ動かさずにそれをじっと見つめ、「まあいい」とわずかに肩を竦めて言葉をこぼした。
「手を貸してくれるならそれでいい。異存はないわ」
「そうか。交渉成立だな」
「その代わり、言ったからにはちゃんと手を貸してもらうから」
「もちろんそのつもりだ。神に誓って嘘はつかない」
そう言ってからザイオンが手を差し出す。それに視線を向けた女性にザイオンが言った。
「私はザイオン。一応はここの責任者だ。よろしく頼む」
女性が自分の名を名乗った男の顔と男の差し出した手を交互に見比べる。それからマントの隙間から手を伸ばし、ザイオンの手を握り返しながら言った。
「イゾルデよ。こちらこそよろしく」
先日何者かによって吹き飛ばされた益田浩一の家は、件の会談を終えた直後ランスロットによって元通りの姿に直された。これは「家を元に戻して欲しい」とどさくさに紛れてソレアリィが出した要求にランスロットが二つ返事で首肯したためであり、そして彼はその後浩一達と共に崩壊現場に赴いて「指定した場所の時間を巻き戻す魔法を使います」と彼らに対して宣言した。
それからランスロットがかつて浩一の生家を構築していた瓦礫の山へ手を突きだし、その開いた手のひらを青白く光らせる。直後、まさにビデオの巻き戻し映像を見るかのように瓦礫の山が独りでに動き始め、みるみるうちに元々の家の姿を取り戻していった。
「凄いな」
そうしてほんの数秒の内に元通りの姿を取り戻した自分の家を見て、浩一が素直に驚きの声を上げた。その彼の顔のすぐ横で羽を動かして滞空しつつそれを見ていた妖精のソレアリィも同じように驚嘆しながら声を上げた。
「ここまで速い再生魔法を使える人は見たことないわ。さすがは守護騎士ね」
「お褒めに預かり恐縮です」
手放しで褒められたにも関わらず、ランスロットはあくまで謙虚な姿勢を崩さなかった。騎士としての矜持がそうさせたのであろうが、まだ完全に感情を制御しきれていないのかその顔は少し赤らんでいた。
「さて、あとは犯人を見つけるだけね」
そんなランスロットを尻目にソレアリィが腰に手を当てながら言った。それから彼女はまず浩一の方に顔を向け、「何か知らない?」と彼に問いかけた。
「わかるわけ無いだろ。俺そっちの世界の住人
じゃないんだから」
「そっか。それもそうよね」
浩一の言葉に納得した後、今度はランスロットの方に目を向けて言った。
「あなたはどう? 何かわかる?」
「いえ、まったく。申し訳ありませんが、何の心当たりもありません」
そもそも我々が妖精国の姫様を襲う道理がありません。ランスロットは続けてそう言った。浩一がそれに対して彼に尋ねた。
「そうなのか?」
「はい。元々ぼく、じゃなくて、私達守護騎士は、妖精の国を守っている訳ではありません。ディアランドを支配している共通のルールの下にあるだけであって、私達と妖精の方々は全く違う場所にいるのです」
「そうなのか」
ランスロットの返答に浩一が言葉を返す。そして彼はソレアリィの方を見て「手がかりゼロか」と言葉を漏らし、ソレアリィもまた「困ったわね」と同意するようにため息を吐いた。
「心当たりならあります」
不意にローディが言葉を放ったのはまさにその時だった。三人の注目の視線を受けながら、ローディが続けて言った。
「恐らくあの襲撃は、騎士とは無関係のものでしょう。レッドドラゴンとの繋がりもないはずです」
「なんでそう言い切れるんだ?」
「でもローディ、あの時襲ってきた連中、明らかに騎士団の格好してたわよ」
浩一とソレアリィが同時に疑問をぶつける。対してローディは首を横に振り、「それは彼女が騎士から戦力を借りていただけです」と答えた。
「彼女?」
「これを誰がやったのか、ご存じなのですか?」
「確証はありませんが、一人心当たりが」
浩一がオウム返しに言葉を放ち、その一方でランスロットからの問いにローディが答える。それは誰なんだ、という三人からの無言の期待に答えるように、ローディが彼らの方を向いて口を開いた。
「イゾルデ」
その言葉を聞いた瞬間、ああ、とランスロットがどこか納得したような表情を作った。そして誰のことかわからず首を傾げている浩一とソレアリィに対し、ローディがその「イゾルデ」の説明を始めた。
「私の幼馴染です。私と同じ妖精族で、今は確か、人間の大きさになって守護騎士の誰かと結婚したと聞きましたが」
「まだ結婚はしていませんよ。ですがトリスタンとの交際は続けています」
「トリスタン? そいつも騎士の一人なのか」
「はい。謹厳実直な方です」
浩一からの言葉にランスロットが反応する。一方でそれを聞いたローディが「まだそこまでは行っていなかったのですね」と呟き、そしてそのローディに向かってソレアリィが言った。
「それで、そのイゾルデがなんでこれをやった犯人だって思うの?」
「私と彼女は昔からライバル同士でもあったんですよ。そしてイゾルデは昔から、自分が勝つためなら手段は選ばない妖精でした」
「ああ、なんかわかった」
浩一が不意に声をあげた。そして自分を見てくるソレアリィとローディに向けて、浩一は持論を展開した。
「つまりこういうことだろ。ローディがこっちにいるって知ったそのイゾルデが、恋人の騎士から戦力を借りてローディを潰そうとした」
「爆弾まで使って」
浩一の言葉に「その通りだろう」と言わんばかりにローディがあわせる。ソレアリィは顔をひきつらせてローディに言った。
「普通そこまでする?」
「イゾルデは執念深い妖精なのですよ。一度負けた相手には勝つまで挑み続ける。絶対に諦めたりはしない」
「自分の実力で勝たなくてもいいのか」
「勝てばそれでいいんです」
「滅茶苦茶な奴だな」
浩一がげんなりした声で返す。それに同意するようにローディが頷き、それからローディはランスロットの方を向いて彼に尋ねた。
「イゾルデが今どこにいるのか、ご存じないですか?」
「決着をつけるおつもりなのですか?」
「このまま彼女を放っておくと、いずれ姫様や他の方々までもがそのとばっちりを受けることになります。狙われるのが私一人ならまだいいのですが、さすがに無関係な方々を危険な目に遭わせる訳にはいきません」
そのローディの決心を聞いたランスロットは感銘を受けたが、同時に目を閉じ、申し訳なさそうに首を横に振りながら答えた。
「あなたのお気持ちは痛いほどわかります。ですが、私達はそれに答えることは出来ないでしょう」
「全くわからないと?」
「全くです。こちらの世界に既に来ているのかもしれませんし、もしかしたらまだ向こうの世界に残っているのかもしれない。とにかく、何もわからないのが正直な所です」
「そうですか」
「そんなに気にする必要もないと思うけどな」
ランスロットの言葉を聞いて目に見えて落胆するローディに浩一が声をかける。顔を持ち上げて
彼の方をみるローディに、浩一が言葉を放った。
「そのイゾルデって奴は、一回失敗したくらいじゃ諦めないんだろ?」
「はい。それだけははっきりと言えます」
「なら次も襲ってくる可能性があるってことだ。その時にまたどっかの誰かが来たならそいつを捕まえて、どこでイゾルデと接触したのか吐かせればいい」
「なるほど。そういう手もあるわね」
浩一の提案にソレアリィが同意する。ローディは一瞬同意しかねるという風にしかめっ面を浮かべたが、他に手もないと判断したのかすぐに顔から力を抜いて肩を落とすように頷いた。
「現状では、それが一番かもしれませんね」
「だな」
「待つしかないってことね」
ソレアリィの言葉を受けて浩一とローディが互いに目を合わせて頷く。彼女の言う通り、現状では待つしか手は無かったのだ。ランスロットは「手助けしたいが、その余裕は無い」と自分の思いと現状を正直に告白し、同時に「何かあったら城に来て欲しい」と付け加えた。浩一はそれに礼を述べ、またランスロットに「困ったときはお互い様だ」と返した。
その場はそこでお開きとなった。そうして城へ戻っていくランスロットの背中を見つめながら、ソレアリィは浩一に言った。
「いつ来るのかしらね」
「さあな。明日だったりしてな」
浩一が茶化すように返した。ソレアリィは「真面目に答えてよ」と言ったが、ローディは気難しい表情でその浩一の言葉を脳内で反芻させていた。奴らは来る。ローディは冗談抜きでそう考えていたのだ。
その日の夕方過ぎ、何も知らない両親が帰ってきた。二人とも泊まりがけで仕事をしていたので、家に何が起きたのかわからずにいたのだ。それから夕食を食べ終えた後、浩一とソレアリィとローディは揃って浩一の自室に戻っていき、各々夜の時間を過ごした後で眠りに就いた。ソレアリィはベッドで眠っている浩一の顔のすぐ横に、ローディは浩一の普段使っているデスクの上に、いつもの位置で眠り始めた。午後十一時のことであった。
深夜二時。その浩一の自室が爆発した。




