「赤いあいつ」
自分達の乗っている戦艦の近くに何かがいたことは、それ、もといマントの能力で透明化していたガラハドが攻撃を行う前から既に把握していた。何がいるのかはわからなかったが、何かがそこにいたのは確実にわかっていた。これは全て戦艦に積まれていた赤外線レーダーの功績であった。
そして周囲の熱を視覚化する赤外線レーダーのもたらした戦艦外部の映像によって、「それ」がおもむろに片腕を持ち上げていたこと、こちらに向かってそれを振り下ろそうとしていたことも全て予測できていた。今から逃げても手遅れであることも。
「衝撃に備えろ!」
テーブルの上に映されたその立体映像、格子で形作られた戦艦の真横に立って片腕を振り上げたように見える全身真っ赤に染められた人型の熱源を見て、咄嗟にサティが叫ぶ。そこにいた全員がそれに従い、周囲にある物に次々しがみつく。トトはエンクにしがみつき、エンクは床の上に這いつくばってその金属製の床に己の十本の指を突き立ててめり込ませ、そのまま両手を握りしめて「床」にしがみついた。
亮とエコーは揃ってテーブルの縁に掴まった。サティと報告のためにここに来ていたトカゲも同じように、彼らの向かい側の縁に掴まった。船体に衝撃が走り、彼らの体を激しく揺さぶったのはまさに四人がテーブルにしがみついた直後だった。
体をテーブルから引きはがそうとするかのように全身を襲うその衝撃に耐えながら、不意に亮が顔をあげた。それは彼の本能がその存在を意識するよりも前に「それ」に気づき、己に襲いかからんとする「それ」を視認するための動作であった。だが亮が顔をあげた時には、「それ」は既に彼の眼前にあった。
最初の衝撃によって引きはがされた天井の一部、大人の顔を丸ごと覆うくらいの大きさを持った薄い金属製の板が、不意に顔を上げた亮の顔面に正面から激突する。それに気づいたエコーが亮の方を見て悲鳴を上げ、その悲鳴をかき消すくらいに船体が金属のひしゃげる金切り声をあげる。
しかしそれはもはや亮の耳には聞こえていなかった。金属の板との熱いベーゼは代償として彼の意識を一撃で刈り取り、あまつさえその「アバンチュール」の証拠を残すかのように、彼の顔から離れた板が別れ際にその角でもって彼の頬を引き裂いた。足下が大きく傾き、自分の体がテーブルから離れて艦橋の前の方に落下していくことにも、彼は最後まで気づくことは無かった。
そして亮が次に目を開いたとき、彼はなぜかそれまで自分がしがみついていたテーブルの上に仰向けの姿勢で寝そべっていた。目をこすりながら周囲を見渡してみると、モニターは全て粉々に粉砕されて天井も床もボロボロになり、そしてなぜか艦橋の出入り口が自分から斜め上の所にあった。
自分がどうしてそんな所にいるのか、そもそもなんでこんな状況になっているのか、亮は一瞬理解することが出来なかった。しかし次の瞬間に彼は自分が意識を失うまでの全ての記憶を思い出し、そしてそれと同時に彼の耳に聞き慣れた、威勢のいい声が聞こえてきたのだった。
「決まったー! 赤いロボットの拳がクリーンヒットーッ!」
声のする方に目を向けると、そこには唯一無事だったモニターが光を放ち、それにかじり付くように見入っていた一団の姿があった。そこにはサティとトトとエンク、そして最初から艦橋にいたトカゲ達がおり、彼らの注目はそのモニターに向けられていた。
「なにがどうなってるんだ?」
ゆっくりとテーブルから降りて、亮がそのモニターに固まっている一団の元に近づいていく。トトが一番最初にそれに気づいて亮の方へ顔を向け、「目が覚めたか」と嬉しそうに声をかけた。それに対して亮は「なんとかね」と返してから彼らに合流し、トトの方に目を向けて彼女に問いかけた。
「今は何をしてるんだ?」
「観戦しているんだ。外でやっている試合をな」
「試合? ここから出なくていいのか?」
「それは後だ。今いいところなんだからな。ほら、お主も見てみるといい。凄いことになっているぞ」
言われるがままに亮がモニターをのぞき込む。直後、彼の目はそのモニターに釘付けとなった。
「サイクロンD」
彼の注意はそこに映る巨大な騎士ではなく、それと相対している真紅の巨大なロボットの方に向けられていた。
「エコーの奴、あれを引っ張り出してきたのか」
それは普段は次元の狭間に隠されている「奥の手」、自身の妻であるエコー・ル・ゴルト・フォックストロットの愛機の姿であった。
「あやつ、お主の敵討ちをするために出て行ったのだぞ。なんとも夫想いの良き妻ではないか」
トトが感慨深そうに言ったが、この時亮の意識はモニターに移るエコーの愛機の姿に向けられており、それに気づくことはなかった。
「強い! このロボット、でかくて強い!」
久しぶりの実況だからかいつもより力を込めて、二足歩行する豚のラ・ムーが円盤に乗って眼下の光景を見下ろしながら叫ぶ。彼の視界の中では今まさに赤いロボット、亮が「サイクロンD」と呼んだ超巨大ロボットが右腕を振りかぶり、相対する騎士を殴りつけていた。騎士は両腕を顔の前で交差させて防御の態勢を取っていたが、そんなものどうしたと言わんばかりにサイクロンDの巨大な拳は騎士の「上半身」を丸ごと殴りつけ、そのまま騎士の体を後方に吹き飛ばした。
「やったーっ! クリーンヒットーッ!」
ラ・ムーが立ち上がってマイクを掴み、目の前のコンソールの上に足を乗せて雄叫びをあげる。テンションが上がってきた彼の見せるリアクションの一つであった。そしてその横で、鶴のソロモンが眼下の戦闘を見ながら冷静にコメントを残した。
「あれは痛いですねえ。あれは痛いです」
語彙が減ってきているんじゃないかと疑ってしまうほどのストレートすぎる解説だったが、これは彼もまた隣の豚と同じように興奮しているからであり、目の前の戦闘の展開が気になって解説に集中できていなかったのであった。これは彼らが共に感情が極限まで高ぶった際に見られる特殊な反応であった。
実況解説としてそれでいいのかとは彼らが地球に来る前から色々な場所で言われていたのだが、そんな彼らの「一ファンの素の反応」を楽しんでいる層も一定数いたのだった。
「来な。まだそれで終わりじゃないだろう」
そんな観客の一人のような反応を見せている実況解説の視線の先で、騎士を吹き飛ばした真紅のロボットはその相手を殴った腕を引き戻し、素早く構えを取って相手を睨みつけていた。といってもそのロボットに頭は無く、ただ構えたまま正面を向いていただけのことであったのだが。
「ここまでやるとは、こちらの世界の戦士を少々甘く見ていたようだ」
そしてそう構えを取るサイクロンDの視線ーー目があればの話だがーーの先、そこから数十メートル離れた騎士の墜落地点から、低くくぐもった声が聞こえてきた。それを聞いたエコーが目を細めて前方に意識を集中させたその瞬間、土埃と瓦礫を巻き上げながら一つの物体が真上に飛び出した。
「なんだそれは」
それは金色に光り輝く球体だった。全体から金の光を放ち、まるで太陽のように周囲を明るく照らし出す、汚れの無い神聖な物体であった。エコーも、実況と解説も、そして亮達を含めたその試合をカメラ越しに観戦している視聴者全員も、意識を等しくその物体に傾けて、取り憑かれたようにそれをじっと見つめていた。
「オーバーアウト!」
やがてエコー達の見守る前で、その球体の中央からジグザグに亀裂が走り、それに沿って球の表面が左右に割り開かれていった。丸みを帯びた表面がピンと伸び行くその様はまさに鳥が翼を大きく左右に広げるようであり、そしてその依然として金色の光を放ち続ける翼が完全に開ききった時、その中心部には翼と同じく金色の光を放つ一人の騎士がいた。
否、それはもはや騎士ではなかった。背中から金色に燃える翼を生やしたそれは、まさに太陽を象徴する天使のようであった。
「これぞ秘中の秘技。国を守護する者の持つ真の力だ」
騎士から天使へと姿を変えたガラハドがゆっくりと言い放つ。そこに慢心はなく、ただ信念と覚悟が込められていた。その姿と声を目の当たりにした者達はその圧倒的な迫力を前にして一様に生唾を飲み込み、中にはあまりの神々しさ故にモニターの前で思わず姿勢を正して背筋を伸ばしてしまった者もいた。
「まさに奥の手ってやつか」
その中にあって、直接対峙していたエコーはただ一人、球形に作られたサイクロンDのコクピットの中で不敵に笑っていた。この時エコーはそのコクピットと言うべき空間の中で全方位から伸びてきた何十何百ものコードによって大の字に縛られ、宙に浮いた状態で磔にされた格好となっていた。手足や腹、そして胸にいたるまで、顔を除く
体中のいたることろに細いコードが絡みつき、時折その表面を黄緑色に光らせながらエコーの自由を完全に奪っていたが、エコー本人はそれを全く苦とは思っていなかった。
何百メートルもある巨体を自分の手足のように動かすために、全身に巻き付くコードを通して自分の神経と機体の運動系統を接続させ、脳からの信号や命令をその機体の各駆動系に直接送る。まさに自分自身が「機体の脳」となり、サイクロンDを「ただの乗機」から「自分の体」へと昇華させるのだ。
これがレバーやペダルよりも遙かに効果的な、サイクロンDの一番の動かし方だったのだ。
「大した能力だな」
「私がこの力を発動させるのは二つの時だけだ。国を守る時と、全力を出すに値する敵と出会った時だ」
そんなコードで雁字搦めにされていたエコーの言葉に、ゆっくりと地上に降りながらガラハドが答える。そして二本の足で地面に降り立った後でそれまで広げていた翼を折りたたみ、それから剣を両手で持って切っ先を上に向け、静かに構えを取った。
正眼の構え。ガラハドの取ったそれは剣道の試合で選手達が見せる、まさにその構えであった。
「正々堂々か」
「騎士とは常に正々堂々、正面からの戦いを征するもの。小細工や卑怯な手段に頼るのは愚か者のすることだ」
相手の本気を肌で感じ取ったエコーがそう問いかけ、ガラハドが迷いのない声でそれに答える。それを聞いたサイクロンDはいったん構えを解き、そしてすぐにその場で左足を一歩前に踏み出し、同時に腰を捻って握りしめた右手を大きく後ろに振りかぶった。
まるで眼前の敵に殴りかかるかのような素振りであった。実際の敵は何十メートルも離れた場所にいるというのに。
「おおっと、これはなんのつもりだ真紅のロボット! 目の前にいない敵を殴ろうとでも言うのか!」
「なんだそれは? それがお前の構えというのか」
「いいや、違う。これは小細工だ」
ラ・ムーが声をあげる一方、その真下でガラハドが疑問を口にする。それに対してエコーはそうきっぱりと答えたが、ガラハドはまだ要領を得ていない様子だった。そんなガラハドに対してエコーが続けて言った。
「私は元々宇宙海賊だったのでな。お前の嫌う小細工や卑怯なことは大の得意なんだ。いや、そういうことをしなければ生きていけなかったと言うべきか」
「それはお前が弱いからだ。己の信念を最後まで貫こうという気概が無いからだ」
「意思を貫いて死ぬつもりはない。私は長生きしたいんだ」
「意思を曲げてまで生きようというのか」
「じゃあお前は意思を貫ければ死んでもいいのか?」
「無論だ」
「お前は馬鹿だな」
ガラハドの言葉にエコーが言い返す。二人の考えは平行線を辿り、交わることがないのは明らかであった。
「そうか。私を馬鹿と呼ぶか。ならば馬鹿なりに、お前のその小細工とやらを正面から叩き潰してやろう」
そして馬鹿と呼ばれたガラハドはそう答え、全身から放っていた威圧感を更に強めた。それは今なお全身から放たれていた金色の光よりも遙かに強烈であり、安全な上空からそれを見守っていたラ・ムーとソロモン、そして亮達を含むモニター越しの観衆までもが、彼がプレッシャーを強めた瞬間首筋に刃物を押しつけられたような感覚を味わい、一斉に冷や汗をかいたほどであった。
触手のようなコードに縛り付けられていたエコーも同様だった。だが彼女は額から嫌な汗を流しながらもそれ以上尻込みすることはなく、構えを解くこともせずに言い返した。
「一回だ。小細工一回で決めてやる」
それを聞いたガラハドが堂々と答える。
「来い」
次の瞬間、それに答えるようにサイクロンDが上半身のバネを勢いよく動かし、そこから動くことなく目の前の「何もない空間」に向かって殴りかかった。
異変はその直後に起きた。
「ああっ、あいた!」
ラ・ムーが叫ぶ。その彼の眼前では、右拳の進行方向上にある空間に穴が空いていた。それは拳がそこを通る直前に何の前触れもなく、突如として縦に裂け目が入ると同時に左右に割り開かれて大きな次元の穴を形成し、誕生した次の瞬間にはそこに向かって猛然と進んでいた拳がすんなりと穴の中へ吸い込まれていった。
ガラハドはその初めて見る異常な光景に一瞬見入っていた。その一瞬が勝負を分けた。
「がっ!?」
サイクロンDの拳が穴の中に吸い込まれた刹那、ガラハドの頭上から出現した拳がその騎士の金色の体を押し潰したのだ。ガラハドの頭上に穴が空いて、それから拳がその中から出現するまで一秒ほどの時間がかかったのだが、ガラハドは避けることも防ぐこともせず、それをまともに食らってしまっていた。
「食らったーッ! なんと真紅のロボット、己の拳をワープさせたーッ! あの機体、ワームホールの生成機能を持っているのかーッ!」
「しかしあの騎士、その気になれば避けれたと思うのですがねえ。頭の上に出口が出来てから拳がそこを通って飛んでくるまで若干のラグがありましたし。ベテランならば」
「しかし実際は食らってしまった! あれだけ気を張りつめておきながら察知に失敗したというのは、やはりあの光景に驚いて判断が鈍ってしまったからなのでしょうかね?」
「そうかもしれませんし、そうじゃないかもしれません。しかしいずれにしても、あの金ピカの騎士が回避に失敗して大火傷を負ってしまったのは事実ですねえ」
その光景を見たラ・ムーが叫び、それから幾らかテンションを抑えたラ・ムーの質問を受けてソロモンが冷静に解説を加えていく。観衆はガラハドが避けなかった理由が全くわからなかったが、その実況組の推測の通りなのだろうと納得し、この時は早々と思考を打ち切っていた。
しかしエコーは納得しなかった。彼女の意思通りにサイクロンDは自ら生み出した穴から拳を引き抜き、それからゆっくりとした足取りで倒れたガラハドの元へ向かった。やがてサイクロンDの真紅の巨体がガラハドのすぐ傍にたどり着いたが、その自分を見下ろす巨人を目の前にしても、ガラハドは何のアクションも起こさずに仰向けの姿勢で手足をだらりと伸ばしていた。
「何の抵抗もしないのか」
「私は負けたのだ。悪足掻きはすまい」
潔い態度だった。あまりに潔すぎて、エコーは却って嫌悪を覚えた。彼女は負けた後にあっさりと降参して命を投げ出す者よりも、何が何でも生き延びようとする者の方に魅力を感じる女だった。かつての亮のように。
お前はまだ五体満足だろう。剣は握れなくても、砂をかけるなり瓦礫をぶつけるなり出来るはずだ。命乞いだって出来るはずだ。エコーはそう思い、また相手がそうすることを願った。決してサディスティックな情念からではなく、相手が純粋な「生きることを辞めない意志」を持っていることを願っていたのだ。
だがガラハドは彼女を裏切った。
「さあ、ひと思いにやるがいい。恨み言も泣き言も言わぬ。勝者は敗者の命を断つ権利があるのだ」
エコーの全身から力が抜け落ちた瞬間だった。自分はこいつに何を期待していたのだろう。徒労と倦怠が彼女の体を襲い、もうどうでもいいやとさえ思うようになった。本来勝者が手にする敗者への生殺与奪の権利さえも、今の彼女には石ころ同然の代物と化した。
「どうした。なぜ何もしない。この期に及んで同情を覚えたか」
「一つ聞かせろ」
そして苦々しく言ってきたガラハドの言葉を無視して、エコーが逆に彼に問いかけた。どれだけ相手に興味を無くそうとも、これだけは聞いておきたかったのだ。それから相手の反論を遮るように、エコーが続けて言った。
「あの時、なぜ私の攻撃を避けなかった? やろうと思えばやれたはずだ」
ガラハドは無言だった。その様を見たエコーが呆れたように「都合の悪いことは言えないのか。それでも騎士か」と言い放つと、それに触発されたようにガラハドが兜の奥の目をサイクロンDに向けた。
真紅の巨人をじっと見つめながら、ガラハドが兜の奥に隠れた口を開いた。
「見惚れていたのだ」
「なんだと?」
「お前の見せた攻撃は今まで見たことがなかった。その初めて見る突拍子もない攻撃に驚き、ほかの世界にはそんなやり方もあるのかと見入ってしまっていたのだ」
「そんな理由で?」
「我が一生の不覚だ。命を落とすに十分すぎる落ち度だ」
ガラハドが悔しそうに言葉を滲ませる。それを聞いたエコーがコクピットの中で大きくため息を吐き、それから呆れ果てた声でガラハドに言い放った。
「やっぱりお前は馬鹿だよ」
そう言い残してサイクロンDがガラハドに背を向けたのと、試合終了のコールが鳴り響いたのはほぼ同時だった。




