「異界の姫」
「待っていたぞ!」
なんだかんだあって昼食を済ませ、D組の面々が学食から下駄箱と教室に繋がる大廊下に出てきた直後、突如前方から彼らに向かってそのような声が飛んできた。この時D組の生徒達が使った出入り口とその周囲には彼ら以外の生徒がまだまばらにおり、彼らとD組の面々は同時にその声を聞いて一斉にその声のする方へ目を向けた。この日は休みだったのだが、今日はここでビッグマンデュエルが行われるということで多くの生徒が学園に集まっていた。食堂が開いていたのはいつものことで、休日にも部活のために学園にやって来る生徒を対象としていた。
そしてそこにある光景を目の当たりにして、それを見た大半の人間が絶句した。
「何あれ……」
「お、お化け?」
「気持ち悪い」
そこにいたのは紫色のローブで体を包んだおかっぱ頭の少女と、その傍らに立つ首なしの騎士だった。そのうち生徒の大半の注目を集めていたのは少女の隣にいた首無し騎士の方であったのだが、騎士と少女はそんなことなどお構いなしに自分の目の前にいるD組の方へと歩いていった。
「予想通りであるな。ここで待っていればお主達と会える気がしていたのだ」
そしてD組のすぐ間近まできた少女は自分よりも背丈の高い先頭の生徒の一人を見上げ、無い胸を張って自信満々な声で言った。いきなりのことでどう反応していいか生徒達が困っていると、少女が続けざまに言葉を放った。
「わらわは人を探しているのだ。つい先ほどここの近くの広場で戦っていた男だ。お主達、何か知らぬかえ?」
「戦ってた男?」
「先生かな?」
「なんでそんなこと俺達に聞くんだ?」
少女に問われた生徒達が小声で言葉を交わしあう。D組と関係ない周囲の生徒達はその光景を興味深げに見つめ、そんな周囲からの注目を集める中で亮が後ろの方から生徒達をかき分けて少女の前に立った。
「それはひょっとして、俺のことか?」
そして亮が少女に話しかける。その亮の姿を見た瞬間、おかっぱ頭は輝きに満ちた目をいっぱいに開いて喜びの声をあげた。
「そう! そうだ! わらわはお主に会いたかったのだ!」
「そうなのか。それで、俺に会っていったい何がしたいんだい?」
「あの時の戦いのことを聞きたいのだ。わらわの目ではお主達を追えなかった。決着が付くまでの間何が起きているのか、とんとわからなかったのだ。わらわはあそこでお主達がしていたことが詳しく知りたい。だからお主に詳しい話を聞きたくてここにきたのだ」
「そういうことか。でも、なんで俺がここにいるってわかったんだ? それになんでここでD組を待っていたんだ?」
亮からの問いかけに対し、その少女は「知りたいかえ?」と不敵な笑みを浮かべて言った。その意味深な態度を見た亮が内心訝しみながら「ああ、知りたい」と返すと、少女は「よかろう」と短く答えた後ローブの中から真っ白い両手を出し、その両手の平を胸の前でくっつけた。
この時、亮は少女の手の甲から肘にかけて、びっしりと紋様のような入れ墨が彫られていたのを見た。
「散ッ」
しかし亮がそのことを認識した直後に少女が短く声を放つ。腕の紋様から紫の光が漏れ出す。次の瞬間、彼らの目の前から少女の姿が消えた。
突然のことに驚く周囲の面々を尻目に、D組と亮に向けて姿を消した少女の声が聞こえてきた。
「それは簡単だ。わらわは戦いが終わった後、お主がこの者達と親しくしていた所をばっちり見ていたのだ。それからわらわ達はここまでお主達をつけて、ここでお主達が出てくるまで待っていたという訳だ」
「その能力を使って?」
「そうだ。この不可視の力を使っての」
「なんで食堂の中に入らなかったんだ?」
「食事の邪魔をしては悪いと思ったのでな」
そう言った後で少女は再び「現ッ」と短く声を発し、次の瞬間には先ほどと同じように亮の目の前に姿を見せていた。
「便利な能力だ」
「そうであろう? わらわもこの力はとても気に入っているのだ。おまけにこの能力は他の者にも使うことが出来る」
そう言うなり少女が両手を動かしてその手の平を隣に立っていた首無し騎士に向けた。そして微動だにしない騎士を前に少女は両腕を光らせ、次の瞬間には先の少女と同じく騎士の姿がそこからぱっと消え失せた。
「へえ、凄い」
「うむうむ、わらわは凄いのだ」
普通に感心する亮の前で、両手を自分の元へ戻しながら得意げに少女が答える。そして数秒もしない内に首無し騎士が姿を現した後、亮の後ろにいた生徒の一人が少女に向けて質問を投げかけた。
「あの、それで、あなたは一体誰なんですか?」
「む、わらわのことか?」
「は、はい。そういえば名前聞いてなかったなって思いまして」
「そう言えばそうであるな。自己紹介がまだであった」
それから少女は一歩後ろに下がり、亮とD組の面々をまっすぐ見据えながら芯の通った声で言った。
「わらわはトト。レッドドラゴンの一人よ。それからこっちの首無しはエンク。よろしくの」
それから数分後、トトとエンクを加えた一同は彼らがいつも使用しているD組の教室に集まり、そこで改めて話をすることにした。最初に自己紹介を済ませた後で彼らの中で話に上ったのは、つい数十分前に行われた亮とアオイの「見えない戦い」のことであった。
「説明できないよ」
話題は亮のその一言で終了した。彼の近くにいたアオイもそれに同意するように頷き、それから控えめに口を開いた。
「流れに身を任せるといいますか、無意識のうちに体を動かしたといいますか、まあそんな感じです」
「特定の流派とか技とかに則ってやったって感じじゃないな。乱暴に言うと喧嘩殺法だ」
「むう、そうなのか」
そんな当事者二人の言葉を聞いたトトが残念そうに呟く。しかし彼女はすぐに顔を上げ、どこか申し訳なさそうに佇む亮とアオイに向けて快活な声で言った。
「気にすることは無いぞ。それだけ激しい戦いだったということであろう? それがわかっただけでもわらわは十分だ」
「本当に済まない。期待させておいてこんな終わり方にしてしまって」
「気にせずともよい。きちんと申してくれただけでもわらわは満足である」
トトが満足げな顔で言った。その声は明るく活発で恨みの念は混じっておらず、心から感謝の念を抱いているのが見て取れた。
「いい子だな」
「ご両親方の子育ての賜物でございますな」
それを見たエコーが感心したように呟き、それを聞いたエンクが自慢するように答える。それからエコーはエンクの方を見て「どこから声を出してるんだ?」と問いかけ、エンクはそれを聞いて「ちゃんと口から出していますぞ」と小脇に抱えていた兜を見せながら答えた。
「ここから声を出しているのです」
「不思議生命体め」
「トト姫様でございますか?」
そんなエンクに対してエコーが言葉を漏らしたのと同じタイミングで、カミューラがトトの前に出てそう言った。カミューラの姿を見たトトは暫くその顔を見つめた後、思い出したように目を見開いて言った。
「おお、お主カミューラか。そう言えばお主もこちらにおったのだったな」
「はい。彼らより先にこの星に到達しましたので、今はここで気ままに生活しております」
「そうかそうか。元気でやっておるようだな。わらわは安心したぞ。しかしなぜ今まで黙っていたのだ?」
「お話が終わるまで邪魔をしてはいけないと思いましたので」
「そうであったか。気を遣わせてしまったな」
カミューラとトトが親しげに言葉を交わす。それを見た生徒の一人が不思議そうに声をあげた。
「あの二人なんか仲良さそうだけど、何かあったのかな?」
「あの姫様が脱走の首謀者だからよ」
浩一と共に学園にやってきていたソレアリィが、その生徒の言葉に対してそう答えた。「えっ?」と軽く驚きながらそちらに顔を向ける生徒に、ソレアリィが肩をすくめて続けた。
「正確にはあいつの両親がね。あいつの両親は上級貴族で凄い高い地位にいたから、それにあわせてあいつも姫様って呼ばれてるのよ」
「へえ、そうなんだ」
「ついでに言うと、転移魔法の存在をバラしたのもあいつの両親。あの二人は元々人望もあってその考え方に賛同してた奴も多かったから、結果として多くの脱走者が生まれたってわけ」
「その考え方っていうのは、あれか? 自由主義的なやつなのか?」
浩一が問いかける。ソレアリィが答える。
「そういうこと。あの二人の考え方はかなり急進的で、王宮側も警戒していたほどなのよ」
ソレアリィやカミューラが元々いた世界「ディアランド」は徹底した管理社会の元に成り立っており、おおよそ個人の自由というものは存在していない。浩一はソレアリィの言葉を聞きながら、そんなかつて自分が聞いたことを思い出していた。
一方でトトもそのソレアリィの言葉を耳にしており、彼女の言葉を聞いたトトがさりげない口調で言った。
「うむ。全てはわらわの父上と母上のお陰であるのだ。もっとも父上と母上はこちらの世界に降りた直後に死んでしまったがの」
「……えっ?」
それはあまりにさりげない言い方であったので、思わずそのまま聞き流してしまうところだった。実際その場にいた全員がそれを深刻に受け取ろうとはしなかった。しかし「父と母が死んだ」という部分にスレスレの所で気づいた亮が声を発そうとした時、それを遮るようにトトの方から亮に話しかけた。
「それよりお主、リョウと申したな。わらわは一つ、お主に何かお返しがしたいのだ。なんでも一つ願いを叶えてやるぞえ」
「お願い?」
こちらの方は全員がはっきりと認識することが出来た。しかしそれを聞いた亮は別の意味で困惑した。
「俺、何か君にしたっけ?」
「わらわの頼みを聞いてくれたであろう。そのお返しよ」
「さっきの戦いのこと?」
「うむ」
「まともに説明できなかったのに」
「一回は一回。それに変わりは無い。それにわらわのために貴重な時間を割いてくれたのも事実だ。さ、なんでも申してみよ」
トトが迷いのない口調で言い切った。そんな紫の少女を前にして、亮は軽い目眩を感じた。こんな「できた人間」に会うのは生まれて初めてであり、しかもその人間はまだ年端も行かない少女なのだ。自分は今夢を見ているのではないかと、亮は一瞬本気で考えかけたほどだった。もっとも見た目と実際の年齢に齟齬が生じるのは宇宙ではよくあることであり、彼女も見た目通りの年齢ではないのかもしれないが。
しかし「これは現実である」とすぐに自意識を空想から引き戻した後、亮はトトに向けて口を開いた。
「じゃあ、一個だけ、お願いがあるんだけど」
亮はトトの言葉に甘えることにした。相手からの好意は無碍にせず素直に受け取っておくのが肝要である。そんなどこかの参考書に書いてあったことを思い出しながら亮が口を開いた。
「実は明日か明後日あたりに、レッドドラゴンの人達と話をすることになってるんだ」
「ほう。お主がかえ?」
「そうだ。そのための仲介役も既に準備してくれている。それで俺としては、彼らとは対等に話し合いがしたい。お互いの腹を探りあうんじゃなくて、腹を割って話がしたいんだ」
「なるほど。つまり余計な小細工はするなと、向こうに釘を差しておけばよいのだな?」
「ああ」
本当にこの子は子供か? 察しの良すぎるトトを前にして思わず喉から出掛かった言葉を何とか飲み込み、亮が相槌を打つ。それに対してトトは「あいわかった。帰ったら早速言っておこう」と答えた後、亮の目をのぞき込みながらニヤリと笑みを浮かべた。
「ところでお主よ」
「な、なんだ?」
「先ほど、わらわのことを疑ったであろう? わらわは実は見た目以上に老けているのではないかと思っていたのではないかえ?」
図星だった。亮は息をのんだまま何も言えなかった。そしてそれを見ていた面々も一様に息をのむ。先ほどのやりとりを見た際に、亮と同じことを考えていたからだ。
そしてそんな風に黙り込む亮を見て、自分の予想が当たったと見たトトが大口を開け年相応の無邪気な笑い声をあげた。突然のことに驚く周囲を尻目に、トトはそれから暫くの間さも愉快そうに笑い続けた。
「ひーっ、ひーっ……全く愉快じゃ、愉快じゃのう」
それから一頻り笑った後でそれを納め、笑いすぎて目尻にたまった涙を指で拭いながらトトが言った。
「よいよい。そう考えるのも無理からぬことよ。わらわが見た目以上に歳を取っていることは事実であるしの」
「そ、そうなのか?」
おずおずと問いかける亮にトトが答える。
「うむうむ。なんとか子供らしく振る舞おうとは思うておるが、どうしても地の性格が出てきてしまう。変に悟ったりせずにもっと馬鹿っぽくなった方がいいのかのう?」
「変にキャラ作らない方がいいクマ。無理はしない方がいいクマ」
トトの言葉に冬美が答える。トトはそれを受けて「そうなのか」と素直に頷き、冬美もまた「それがいいクマ」と答えた。
クマの着ぐるみを着ているお前が言えたことじゃないだろ、とは誰もが思ったが、今更な話だったので誰も口にはしなかった。
「それで、実際いくつなのよ?」
そこまで来たところで、今度は芹沢優がトトに向かって口を開いた。恐れ知らずな物言いであったが、当の優はそのことを気にする様子は無かった。またそう聞かれたトトの方も特に怒る素振りは見せず、視線を優の方に向けてそれに答えた。
「わらわの歳かえ? 答えてやりたいのは山々なのだが、途中からめんどくさくなって数えるのをやめてしまっての。正直覚えておらんのだ」
「え、そんなに?」
予想外の返答だった。これにはさすがの優も唖然とした。するとそれまで遠くから見守っていたエンクがトトに言った。
「姫様、私はしっかりと覚えておりますぞ。今の姫様のお歳はきちんと数えておりまする」
「おお、そうかそうか。ならば申してみよ。わらわは今いくつなのだ?」
トトからの問いかけにエンクが背筋を伸ばし、「では恐れながら申し上げます」と言った後でその答えを放った。
「姫様は今年で、三万八千七百四十九歳となります」
全員絶句した。その中でトトが愉快そうに声を上げた。
「おお、そんなにいっておったのか。わらわも相当長生きよのう」
それから暫くの間、トトはまた大口を開けて楽しそうに笑い始めた。エンクは黙って背筋を伸ばし続け、その他の面々は何も言えないまま笑い転げるトトの姿を見つめていた。