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「魔窟」

 月光学園校長、松戸朱美は苛立っていた。彼女はその苛立ちを隠そうとせず、その皺だらけの顔を怒りと不愉快さに歪めて肩をいからせ、履いていたハイヒールの底で足下を叩きつけるようにして廊下のど真ん中をずんずんと大股で進んでいった。

 反対方向からこちらに歩いてきた生徒達は、その全員が鬼神と化したような尋常ならざる校長の姿を見て反射的に脇へとどいていった。彼らは皆頭で察知するより前に、「あれに触れてはならない」と本能で察し、無意識のうちに体を動かしていたのだ。それは死に瀕した野生動物が抱くような、純粋な生存欲求の発露でもあった。

 そうしてモーゼが海を真っ二つに割るように次々と左右に退いていった生徒達の間を、朱美はただ前だけをじっと睨みつけながら進んでいった。生徒達はそんな校長の姿を蛇に睨まれた蛙のように無言で、かつ怯えと驚きの混じった目で追い続け、彼女の背中が見えなくなるまでじっと見つめていた。


「あれ、なんだよ」

「俺に聞くなよ。俺だって知らねえよ」

「なんか、すっごい怒ってたみたいだけど、どうしたのかな」


 そうして「鬼」が完全に視界から消えた直後、そこにいた彼らは息を吹き返したように一斉に話し始めた。それまで沈黙を余儀なくされていた分、そこが廊下であるにも関わらず彼らの話し合いは止まることを知らなかった。


「あれ絶対おかしいって。誰か何かしたの?」

「俺はそんなの知らねえよ。そんなことやった覚えねえし」

「やるとしたら、あそこじゃねえの?」


 そのうち、生徒の一人がそう声を上げた。あそこってどこだよ、と問いかける別の生徒に対し、その男子生徒は苦々しい声で言った。


「あそこだよ。二年D組」

「ああ」

「あそこか」


 次の瞬間、そこにいた生徒達の殆どは納得したように頷いた。D組の連中が最近「やりすぎている」ことはここにいる生徒達だけでなく、この学園にいる生徒全員が既に知っていることだった。


「今度は何やったんだろうな」

「さあ?」

「ひょっとして、生徒会長が病院送りになったのと関係あるのかも」

「うそ、マジで?」

「潤平様がああなっちゃったのって、あいつらが原因なの!?」

「何それ、許せない!」


 心身失調で橘潤平がこの町の中にある病院に送られたことは、教員を通してではなく生徒達が独自に築いていた連絡網を通して既に学園内の全員に伝わっていた。そしてその潤平が病院に送られたことにD組が関与しているかもしれないと察した途端、彼に心酔していた何人かの生徒は一斉に怒りを露わにした。まだ明確な証拠を掴んでいないにも関わらず、既に彼らの中では潤平を痛めつけたのはD組の連中であるということに決定されていた。

 実際そうだったのだが。


「信じられない! 潤平様まで傷つけて!」

「なんであんな連中がここにいるのかしら! 理解できないわ!」

「いくらなんでも、やっていいことと悪いことがあるはずよ!」


 そうして思い思いに感情をぶちまける彼らだったが、そうやって直接言葉にして荒れ狂っていたのはほんの一握りの生徒だけだった。しかし残りの大半も表に出さないだけでそれらと同じ感情を抱いており、要はその場にいた全員がD組に対して悪感情を持っていた。


「でもさ」


 しかし騒ぎも一段落したところで、生徒の一人が小さい声でそう言った。そして自分に視線を向ける他の生徒達に、その気弱そうな見た目の生徒は見た目通りの弱々しい声で続けた。


「あそこの人達、自由でいいよね」

「はあ?」

「どういう意味だよ」

「だってあそこ、地球の人じゃないのも色々混じってるんだよ? それに陰陽師だったり、悪魔使いだったり、宇宙刑事だったり、なんでもありじゃん」

「だからなんだよ」


 生徒の一人が突っかかるように尋ねる。気弱な生徒はそちらに顔を向け、なおも自信のない声で言った。


「なんかさ、楽しそうじゃん」

「楽しそうって」

「規則とか地球人とか関係なしにさ、変にガチガチしないで自由にやりあってるんだよ。それってすごい楽しそうじゃん」


 それに対する目立った反論は無かった。彼の言葉を聞いた生徒達は皆、複雑な表情を浮かべて黙っていた。

 彼の言葉と同じ感情が他の生徒達の心の中にわずかに、しかし確かに芽生えていたからだった。これがD組の影響であることもまた、聡い彼らは理解していた。





 松戸朱美は苛立っていた。

 原因はもちろんあの問題集団、二年D組である。


「あいつら、どこまでも好き放題やって!」


 あそこが元々素行の悪い人間、そしてこの学園の規律に従わない連中を一カ所に集めるために設けられた「隔離場所」であることは朱美自身承知していたし、あそこに集められた連中が学園の色に簡単には染まらないことも予測していた。しかし最近のD組、特に監視と抑制のために外部から派遣してきた新城亮があそこの担任になってからのD組の振る舞いは、学園の長として黙認出来るレベルを遙かに越えているものであった。


「規則をなんだと思っているのかしら! この学園で過ごすからには、この学園のルールに従わなければならないと言うのに! なぜそれすらも守れないのかしら!」


 新城亮が来るまでのD組は、こちらの意思に素直に従いこそしなかったものの、ある意味ではとても穏やかなクラスだった。少なくとも学園の調和を乱すような大仰なことはしなかった。

 しかしあの元宇宙刑事とやらが来てからは異常事態の連続だ。学園の調和と品格、さらには町の平和をも乱しかねないほどの事件が立て続けに発生した。そしてその異常事態の中心には、いつだってD組の誰かがいた。

 もはや今の朱美にとって、D組はただの厄介者の集団では無かった。彼らは町や学園関係者を幾度となく危険に晒し、学園の地位や評価をどこまでも貶めていく疫病神。敵といっても過言ではなかった。


「これ以上彼らをのさばらせて、我が校の威厳につく傷を無駄に増やす訳にはいきません」


 今日にしたって、あのクラスの連中は訓練用のグラウンドを丸ごと独占してトカゲ人間共と取っ組み合いの喧嘩をしていたというではないか。この町の上空に突如として出現し、町をドームで覆って完全に閉鎖し、今もなお我が物顔で空の上に居座るあの侵略者共と。

 もはややりたい放題である。朱美はもう我慢ならなかった。


「こうなったら一度、誰がここの学園の長であるかを知らしめる必要があります。この学園を支配しているのは誰か、力ずくでもその身に刻みつける必要があります」


 指にはめた大きなルビーの指輪をもう片方の手でさすりながら、朱美が決意を新たにする。その間にも彼女の足はずんずんと前に進んでいき、ついにその体は目的地である扉の前に到達した。

 二年D組の教室に続くドアである。

 朱美はそのドアを乱暴に叩いた。


「新城先生! いらっしゃいますか!」


 叩くと同時に朱美が声を荒げて言った。今は時間的に帰りのホームルームが終わった直後、当然担任も生徒もいるだろう。


「はい。なんでしょうか」


 案の定、ドアの越しに亮の声が聞こえてきた。そしてそのドアの奥は、亮の声をかき消すほどの喧噪に満ちていた。その規律も何もない動物園のような騒がしさは、ただでさえ高ぶっていた朱美の精神を更に逆撫でした。

 もう朱美は我慢できなかった。


「あなた達に言いたいことがあります!」


 そう叫ぶなり、朱美はドアを力任せに開いた。





 次の瞬間、朱美は絶句した。


「あ、校長先生だ」

「何しに来たんだろ?」

「どうでもいいデース! このまま話し合いを続けるデース!」


 当然そこには生徒達が全員集まっていた。教壇の前には亮も立っていた。その中にはD組の生徒でない者も一名混じっていたが、朱美はそれに気づかなかった。


「わ、わわわっ、校長先生ですよう。どうしましょう、まずいですよ~」

「もうどうにもなりませんね」

「開き直るしかねえな」

「そういうことだな。ま、どうとでもなるさ」


 そしてなぜか、教室の後ろ側の隅に新任の教師四人がいた。その男二人女二人の四人組は元宇宙海賊であったのだが、朱美は未だにそれを信じていなかった。


「私は新城先生の指導する姿をこの目で直接見て、教師としての有り様を勉強するためにここにおりました。なのでお気になさらないでください」


 そしてその四人組の隣には、この学園の保険の担当がいた。その教員は自分がここにいることを全く問題だと思っていないようであった。ちなみにこの女教師は実は異世界から来た吸血鬼なのだが、朱美はそれを知りながら知らないフリをしてきていた。


「あれがここの学園のトップなのか」

「随分化粧っ気濃いね。厚塗りしすぎじゃないかな?」

「あらあら、イツキちゃん本当のことを言ってはいけませんよ。普通はあれくらいしないと、歳取った人は取り繕えないんですよ」


 また教室の窓側に目を向けると、そこには三人の女がいた。そのうち二人の少女はそれぞれ白と黒のゴスロリ衣装をまとい、白い方は相手を射殺すような鋭い眼光を放っていた。

 最後の一人は清楚で露出の低い黄緑色の衣装を身につけた大人の女性であり、他二人よりも背が高く、またさりげなく朱美に毒舌をぶつけてきたのも彼女だった。そして黒いゴスロリ服を身につけた方の少女は実は男だったのだが、朱美はそれに気づかなかった。


「なんじゃお主、ここに何か用があって来たのか? 悪いが我らは今忙しいのだ。特に用事が無いならまた後で来てくれんかのう」


 そう言ってきたのは、教壇の上に腰を下ろして暇そうに両足をブラブラさせていた少女だった。その少女は紺色の和服を見事に着こなし、時代がかった言葉遣いで朱美に話しかけていた。

 しかもこの少女は右手に日本酒の一升瓶を持ち、瓶の中身は半分まで減り、その顔は僅かに赤らんでいた。朱美は己の目を疑ったが、その少女が実はこのクラスに籍を置いている十轟院麻里弥の実母であることに朱美は気づかなかった。


「シンジョー! あれなんだあれ! シンジョーの今のジョーシか!?」

「こらこら、人を指さしたら駄目だろう。めっ、だぞ」


 そして教室の前側の奥の方には、白いワンピースを来た幼女と水銀のように輝く細長い触手を生やした巨大な一つ目の怪物がいた。幼女は無邪気に朱美を指さし、目玉の怪物は触手の一本をのばしてその幼女の頭を諭すように優しく叩いた。

 朱美がその目玉の怪物に驚きそれを注視していると、その真横にいた幼女の姿が前触れもなく一瞬で朱美の視界から消えた。「あれ? 何かおかしいな」、とそれまでの光景から何かが欠けたことに朱美が気づいた次の瞬間、その欠けたピースが朱美の足下に音もなく現れた。


「へー、お前年寄りだな! 年寄りなのに結構化粧してるんだな! わたし知ってるぞ! そういうの若作りっていうんだぞ!」


 いきなり間近で声をかけられ、朱美が驚いて足下に視線を動かす。しかし朱美が顔を下げた時にはそこには誰もおらず、すぐさま顔をあげて怪物のいるほうに目を向けると、そこにはそれまでと同じように目玉の怪物の隣に件の幼女が立っていた。


「あいつ変だぞ! かなり無理してる! ヘドロみたいな顔になってる! シンジョーはわたしに自然体でいろって言ったのは、ああならないためだったんだな!」


 そしてその幼女は前と同じく朱美を指さし、元気な声で朱美の心を抉っていった。目玉の怪物はまたしても「こら、やめないか」とその幼女の言動を諭したが、その言葉遣いと動きから本気で彼女を止める気は全くないように思われた。


「あれがここの校長よ。まあリーダーみたいなものね」

「なるほど。ここのリーダー、指導者、コウチョウ、というのですね。しかし指導者にしては、随分と覇気が感じられません。空威張りの雰囲気しか見られないのですが、本当に大丈夫なのでしょうか?」


 極めつけは益田浩一の机の上に座っていた二人の小人だった。その小人は一人はレオタード姿でもう一人は露出の殆ど無いシャツとズボンを身につけており、そのどちらも背中から四枚二組の羽を生やしていた。敬語で話していたのは露出の少ない方であり、こちらの方が下の立場にいる者であるということを言外に知らしめていた。


「あ……あああ……?」


 だが朱美にそれを知る余裕は無かった。彼女は目の前の現実を受け入れることが出来ず、その場に力なく崩れ落ちた。もはや自分がなんのためにこの教室に入ってきたのか、それすらも記憶から抜け落ちていた。


「こ、ここ、ここ、こ」


 ここは魔窟だ。

 松戸朱美はただそれだけを理解した。

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