「胎動/益田浩一の場合」
「失礼。益田浩一のお宅はこちらでよろしいでしょうか?」
モノとの戦いを終えた翌日の朝、自室のベッドから目を覚ました浩一はいきなり自分の横から聞こえてきたその声を受けて、無意識のうちに寝た姿勢のまま顔をそちらの方へ回した。そして意識が覚醒していく内に視界もはっきりと冴えていき、やがて開けた視界に見えた物を見て浩一は呆然とした。
「お前誰だ?」
そこには妖精が浮いていた。正確には四枚二組の羽を羽ばたかせてその場に浮遊していた。その妖精は褐色の肌を持ち、雪のように白い髪を束ねてうなじの部分で留め、飾り気よりも実用性を重視した長袖の白いシャツと白いズボン、シャツの上から白いチョッキを身につけていた。
胸はこの妖精が女性であるということを証明する程度に膨らんでおり、決して巨乳という類のものではなかった。手足は細くすらりと伸び、手には白い薄手のグローブを、足には白いハイヒールを履いていた。腰には一振りの白く細身の剣を挿していた。露出の類は一切なく、簡素だが清楚で上品な印象を見る者に与えた。
浩一の知り合いに妖精がいるが、今彼の目の前にいるのはそれとは違う存在であった。上体を起こし、その見慣れない妖精をまじまじと見つめる。
「誰だ? 俺はお前のこと知らないぞ」
そして浩一が同じことを言った。白いドレスの妖精は上品な仕草で口元に手を当てて小さく笑った後、真剣な顔で浩一をまっすぐ見つめながら言った。
「失礼、私の自己紹介がまだでしたね。私はローディ。ディアランドの妖精国の親衛隊長を務めています」
「ディアランドの妖精国?」
「そうです。あなたのところにご厄介になっている、ソレアリィ様をお守りするのが我らの使命です」
「じゃあ、ここにはあいつを守るために?」
「そういうことになります」
浩一からの問いかけにローディが恭しく返す。すると浩一の部屋のドアが開き、廊下の側からもう一人の妖精が姿を現した。そちらは浩一とローディのよく知る妖精だった。
「あ、コーイチ起きてたんだ? アタシはちょっとお風呂使わせてもらってたんだけど・・」
その妖精は羽を使って浮遊しながらのんびりした調子で室内に入ってきたが、その浩一の横に浮いていた存在に気づいてそちらに目をやり、次の瞬間には驚きに目を見開いた。
「え、うそ! なんで!? なんでここにいるの!?」
「それはもちろん、姫様を守るためにございます」
姫と呼ばれた妖精、もといソレアリィが目に見えて狼狽する。一方で彼女の狼狽える原因となっていたローディはその彼女の方に体をまっすぐ向け、宙に浮いたまま深く頭を下げた。
「お久しぶりでございます、姫様」
「え、ええ。久しぶりね」
「異世界での暮らしはいかがでしょうか? 慣れないことや不自由なことも多いと思われますが、問題はございませんでしょうか?」
「へ、平気よ。特に困ったことなんて、その、あんまり無いんだから」
そして頭を上げたローディからの問いかけに対して、ソレアリィは素っ気ない態度で答えた。そのどこかよそよそしい態度を見た浩一はベッドから降りつつソレアリィの方を向いて言った。
「お前どうした? 様子変だぞ」
「へ、変かしら。そんなつもりは無いんだけど」
「嘘つけ。さっきからよそよそしいぞ。どうしたんだいったい」
「申し訳ありません。姫様が私を見てこうなってしまうのは、全て私に原因があるのです」
体を動かして浩一の視線の中に入りこみながらローディが言った。どういうことだ、と問いかける浩一に、ローディが恥ずかしそうに視線を逸らして言った。
「実は私は姫様が幼いときに、姫様の教育係を務めていたことがあるのです」
「なんでそれで避けられるん……」
そこまで疑問を口にしたところで浩一が後の言葉を飲みこむ。それからローディの方を向き、それまで出掛かった言葉の代わりに別の言葉を発した。
「スパルタだったのか」
「私としては優しく接したつもりだったのですが」
「そんな訳ないじゃん!」
浩一の言葉に首を縦に振りながら答えるローディに、ソレアリィが頭をカンカンに怒らせながら返す。
「あーもう! 思い出しただけで嫌になる! ローディは手を抜くってことを知らないのよ! まだ剣を握ったばっかの私に本気で斬りかかってきたりするんだから! しかも本当に切れる戦闘用の剣で!」
「獅子は子を千尋の谷に突き落とすと申します。これは愛ゆえの行為です」
「死んだら元も子もないでしょ!」
「私は信じておりましたから。姫様は死ぬことなく、この訓練を最後までやり遂げてくださると」
「勝手に期待しないで!」
よほど腹に据えかねていたのか怒り心頭に発した状態でわめくソレアリィに対して、ローディは相変わらず冷静な態度で感情を表に出さず静かに答えた。ソレアリィの怒りはことごとく右から左に受け流されている有様であった。
ソレアリィは納得がいかない様子だったが、このまま続けても堂々巡りになるだろうと思った浩一はいい加減話をやめさせようと二人の間に割って入った。
「それで、お前はなんでこっちに来たんだ?」
「ああ、そう言えば言い忘れていました」
それを聞いたローディはハッとした表情を見せ、それから浩一とソレアリィの両方を見ながら言った。
「私がこちらに来た理由は他でもありません。姫様をお守りするためです」
「守る?」
「なんでそんなことしなきゃいけないのよ?」
「こちらに脱走者の全勢力が集結したとの情報を手に入れましたので」
「は?」
浩一が渋い顔を浮かべてローディに言った。
「どうやって知ったんだよそれ」
「実は姫様方には内緒にしていたのですが、姫様が飛び出された後、こちらの方でも何人か密偵をこの世界に送り込んでいたのです。姫様の手を煩わせることなく、独自に情報を集めるために」
「ふーん、そうなんだ」
「そしてその密偵を使って情報を集めていきましたところ、今現在こちらの世界において、例の勢力が大規模な侵略を企てているとの報を知り、私がこちらにやって来たという次第です」
「その侵略って、あれか? 今ここにあるドームと戦艦のこと言ってるのか?」
「そうです。これらは全て、ディアランドから逃げ出した者達の仕業です。今彼らはレッドドラゴンと名乗っているようですが」
「あいつらの仕業だったのか」
浩一がベッドに腰掛け、腕を組んで小さく呟いた。その浩一の横に移動しながらソレアリィがローディに尋ねた。
「でも、なんであなただけが来たの? ここにあなたを転送することが出来るなら、軍隊なりなんなりを直接送り込んじゃえばいいのに。ここにあいつらがいるなら一気に攻め込んで、一網打尽に出来るじゃない」
「それは……一度に転送出来る数に限りがありますので、まず姫様の身を第一に考えて護衛役の私がここに来たのです」
ソレアリィの質問にローディが答える。浩一はこの時のローディの言葉に違和感を覚えた。彼女の言葉の中に何かを言い渋るような、隠し事をしているような雰囲気を感じ取ったからだ。
だが彼がそれを言及するよりも前に、ソレアリィがローディに向けて言葉を放った。
「そっか、数に限りがあるのか。じゃあ仕方ないかな」
「そう言うことです。追って鎮圧部隊もこちらの世界に送られてくると思いますので、どうかご安心を」
「うん。わかった。だってさコーイチ」
「ああ」
空返事を返しながら浩一が立ち上がる。それから彼はまっすぐクローゼットに向かい、そこから制服とワイシャツを取り出して着替え始めた。
「そう言えば今日学校だっけ」
「ああ」
「ガッコウ? それはなんですか?」
ソレアリィと浩一のやりとりを聞いていたローディが疑問を口にする。浩一は着替えを続けながら「ああ学校っていうのはな」と説明を行おうとしたが、そこでソレアリィが割り込んで言った。
「ローディも一緒に学校行く?」
「お、おい、お前」
突然のことに着替えを中断して狼狽する浩一に、ソレアリィが彼の方を向いて言った。
「口で説明するより直接見せた方が早いんじゃないかって思ってさ。別にいいでしょ?」
「いや、それは」
「私が連れてくって言ったら連れてくの! コーイチもローディもそれでいいでしょ! はい決まり!」
「ええ……」
ソレアリィの強引な物言いに浩一は絶句した。浩一はこうなったソレアリィはもう梃子でも動かないことを短いつきあいの中で知っていたからだ。そんな浩一の様子を見たローディは小さく笑い、「従うしかないですね」と困ったように言った。
「ああなった姫様はもう絶対に動きませんよ。困ったものです」
「そっちも苦労してたのか」
「あなたほどではありませんよ」
そしてお互いの心労を察した二人は、互いの顔を見つつどちらからともなく疲れた笑みを浮かべた。
「いけー! 潰せー!」
「そこだ! やれ! 負けるな!」
それから数十分後、月光学園に到着した彼らはロボット演習用の大型グラウンドの中でトカゲ人間と取っ組み合いをする学園の生徒を見つけた。浩一とソレアリィはそれが自分のクラスの生徒であることに気づき、ローディは「自分の敵」とその敵によって侵略を受けているはずの「こちらの世界」の人間が大まじめにじゃれ合っているのを見て唖然とした。
「これが、ガッコウですることなのですね……」
異世界に来て早速カルチャーショックを受けたローディだった。




