「胎動/新城亮の場合」
町がドーム状の物体によって閉鎖された後も、新城亮とその周りの日常は特に変わりはしなかった。むしろ以前よりも彼の周囲の環境は暮らしやすい物へと変化していた。
「なんだあれは」
「着陸地点でしょうか?」
まず総出でモノの暴走を食い止めた後、デルタ号が件のドームを目視出来る距離まで近づいた時点で、その「暮らしやすい変化」が起きていた。その巨大なドームの上部の周りには半透明の大きな足場がいくつも浮遊しており、さらにその足場の外周をぐるりと取り囲むように、小さな照明がいくつもついていた。
「あんなの無かったよな」
「あるわけ無いでしょ。始めて見るわあんなの」
「まあ、使えるんなら使わせてもらうだけだ。実はここだけの話なんだが、こいつをどこに停めようか全然考えてなかったんだよ」
「町の中に降ろせばいいじゃないですか~」
「頼むからそれだけはやめてくれ」
生徒達に混じってさらりと言ったエコーとアルファに向けて亮が苦言を漏らす。一方でその足場に「船」の類はまだ一つも無かったが、次の変化はすぐに訪れた。
「そこの戦艦、直ちに進行を止めなさい」
いきなりドームから声が聞こえてきた。外部スピーカーから聞こえてきたエコー混じりの声で、通信機を介さずデルタ号に積まれている集音装置を通してその声が環境に届けられてきた。
「こちらはドーム船舶監督局です。そこの宇宙戦艦、直ちに移動をやめてください。繰り返します。移動をやめなさい」
「船舶監督局?」
「宇宙船の停泊を管理する部署みたいな所だと思うぞ、たぶん」
「直ちに停止し、船舶の名前を伝えなさい」
「どうします?」
聞き慣れない言葉を受けてそれをオウム返しに口にした優に、亮が腕を組んで難しい顔で答える。その一方で繰り返し告げられたその文言を受けて、部下のチャーリーが肩越しに振り返って船長のエコーに対応を求める。エコーは黙って首を縦に振り、それを見たチャーリーはコンソールに向き直って外向けスピーカーのスイッチを入れて声を出した。
「こちら宇宙船デルタ号、今より停止する」
チャーリーの言葉に続いてアルファが操作パネルの上で両手を動かし、直後デルタ号はゆっくりと速度を落としてその場で停止した。さらに後退用の前部ブースターで前に進む力を相殺し完全に停止した後、そのブースターの出力を切ると同時に艦底部に配置された滞空用のブースターを一斉に起動し、その場で船体を浮かせたまま固定させた。
「デルタ、停止完了。次の指示を待つ」
「こちら船舶監督局。協力に感謝します」
滞空を始めたデルタ号の艦橋の中でエコーが手に取った無線機に向けて言葉を放ち、それを聞いた先方の通信手が改まった声を出す。それからその通信手はデルタ号に向けて「五番発着場に降りてください」と言葉を発し、次の瞬間足場の一つの上で輝いている照明の光が一段と強まった。
「あそこに停まれってことか?」
「たぶんそうクマ」
それを見た生徒の数人がざわめき始める。そんな彼らを後ろに控えたエコーが前進の指示を出し、デルタ号はゆっくりと前に進みながらその灯りのついた足場の上に着地した。
「船体の固定はこちらで行います。クルーの皆様はそこにあるワープポータルで地上に戻ってください」
着陸したデルタ号に向かって通信手が言葉を放つ。はたしてそれの言う通り、足場の隅の方に紫色の光を放つ円形の物体が床の上に置かれていた。そして船から下りて実際にそれを見た生徒達は、若干躊躇いながらもそれに足を踏み入れた。
最初に踏み出したのは冬美だった。彼女は特に躊躇いも感じず、慣れた足取りポータルの中に入っていった。そして彼女がそれの上に両足で立った次の瞬間、冬美は月光学園の正門前にいた。一瞬の出来事であったので、冬美は最初自分がワープしたことにすら気づかなかった。
そして冬美に続いて他の面々も次々とその場所に送られてきた。彼らも冬美と同じく最初は自分が転送されたことに気づかず、そして背後に正門を見た時点でようやく自分達がワープしたことに気がついた。それから彼らは自分達がドームの中にいることに気がつき、首を動かして周囲を見回した。
「特に変化はなさそうだな」
「ぱっと見はね」
周囲の町は死んだように静まりかえっていた。空の上にはデルタ号と同じ大きさを持った宇宙戦艦が滞空していたが、それにしたところでそこに浮いたまま何もしてこようとはしなかった。
「こっちはこっちで異常だけどな」
「なんか不気味ね」
「結局なんなんだよこれ」
その戦艦の群れとその上に浮かぶ光る球体を見て生徒達が顔をしかめる。その中にあって亮は思い出したように腕時計に目を落とし、それから周囲に集まっていた面々に向けて声を放った。
「まあ今は色々言いたいこともあると思うが、今日はここで切り上げて皆家に帰ろう。もういい時間だしな」
「うむ。確かに先生の言う通りであるな」
亮の言葉を聞いてから自身も腕にはめた時計を覗き、その後で多摩が声を上げた。確かに二人の時計の針は短針が十の部分を指しており、空もすっかり暗闇に包まれていた。
「ていうか、空見えるんだな」
「あのドームは内側からは透けて見えるように出来ているのかもしれませんわね」
「これも宇宙人の仕業なのかのう」
「おそらくな。こんな芸当は今の地球人には無理だろう」
浩一の言葉に麻里弥が答え、多摩が娘の後に続いて言葉を放ってエコーが答える。彼らの言う通りドームで覆われていたはずのしかしそれ以上は特に話題も続かず、この日はそこでお開きとなった。エコー達はデルタ号の諸々の調整のために船に戻ることとなり、生徒達はそれぞれ家に帰って行った。
「先生、今日は本当にお世話になった。改めてお礼申し上げるぞえ」
そしてそこに最後まで残った多摩が亮に向かってそう言葉を述べ、麻里弥共々頭を下げる。それを聞いた亮は突然のことに面食らい、恐縮して言葉を返した。
「自分一人の功績ではありませんよ。これはあそこにいた全員の手柄です」
「確かにそれはそうであるが、ここはひとつ、彼らの代表として礼を受けてくれんかのう。我ら一家のために骨を折ってくれたのは事実なのだからな。それに麻里弥の友人達にも、後でしっかりとお礼をするゆえな」
「そういうことですか。そういうことなら素直に受け取っておきます」
そう言って亮が素直にそれを受け入れると、多摩は顔を綻ばせて満足そうに頷いた。それから二人はもう一度頭を下げた後、自分達の家である屋敷に戻っていった。
その後ろ姿を見届けた後、亮もまた自分の住んでいるマンションの一室へと足を向けた。道中はなんの問題もなく進むことができ、途中でへべれけに酔ったトカゲ人間と出くわしたが特に問題も起きずにその横を通り過ぎることが出来た。
「本当に何しに来たんだあいつらは」
トカゲとすれ違ってからある程度進んだところで立ち止まり、亮が後ろを振り返って呟く。彼の視線の先では例のトカゲが千鳥足で進みながら電信柱に激突し、頭を押さえて後ろに下がりながら八つ当たりとばかりに何も無い所を蹴り上げていた。それはもはやどこにでもいるヨッパライの姿だった。
「まあ、後で考えよう」
とにかく今日は疲れた。亮は思考を切り替えて体の向きを変え、まっすぐ家路に向かっていった。
「シンジョー! シンジョーが帰ってきた!」
自宅に帰って玄関のドアを開けた亮に投げかけられてきたのは、そんな声変わり前の女の子の声だった。亮がそれに気づいて視線を前に向けると、玄関口とまっすぐ繋がった廊下の奥の方から一人の少女がぺたぺたと裸足でこちらに向かって走ってくるのが見えた。
「ミナ! なんで?」
その姿を見た亮は咄嗟に叫んだ。それと同時にミナと呼ばれた少女は床を蹴って飛び上がり、そのまま亮の体に飛び込んできた。亮はすぐさま両手を広げてそれを受け入れ、自分の胸元に突っ込んできた幼い少女の背中に両手を回して抱きしめた。
「久しぶりだな、シンジョー! 本当に久し振りだ!」
抱きしめられたミナは亮のたくましい胸板に顔を埋めながら、とても嬉しそうな声を出した。なにせ自分の命の恩人と数年来の再会を果たしたのだ。ミナの喜びようは半端ではなかった。
「ああ懐かしいなあ! お前は地球で元気にやってるのか!」
「ああ、おかげさまでな。でもミナ、なんでここにいるんだ?」
どうやってここに入ったんだ、とは言わなかった。ミナは分子還元能力を持った超常生命体であり、自分の体を分子レベルにまで分解して鍵穴から進入することなど朝飯前だったからだ。そして亮はミナがここにいることを知って、すぐにもう一つのことを思い出した。
「まさかミナ、あの人も来てるのか?」
「そうだぞシンジョー。私は父様に呼ばれてここに来たんだ!」
父様。正確には育ての父。
そして新城亮のかつての上司。
「なんでも、お前に話があってここに来たんだそうだぞ。それで私にシンジョーに会いたいといったら、いいと言ってくれたんだ。だから私は父様と一緒に、お前に会いに来たんだ」
「それで、お前の父様はどこに?」
「ここだよ」
そう言って、廊下の奥から別の人影が姿を現した。視線をあげてその人物を見た亮は、思わずその人物の名前を口から放り出した。
「ドグ、長官」
「よう」
ドグと呼ばれたその人物が片手をあげてそれに答える。口が無い代わりに思念波を亮の脳内に飛ばして語りかけるそれは、正確には人間では無かった。
「相変わらず細いですね」
「これでも体重が増えたんだぞ。五グラムくらいな」
それは外周部分から水銀の小枝を四本生やした巨大な目玉だった。指だけで折れそうなほどに細長く伸びた両足は鈍い銀色に輝き、両手もまた足と同様に風に煽られただけでもポキリといってしまいそうなほど頼りない代物だった。
そんな両足に支えられた眼球は亮の胴体と同じ背丈を持ち、亮が両手を後ろに回して抱きしめてもその手が背後で繋がらないくらいの大きさを持っていた。どうやって自立出来ているのか不思議でしょうがなかったが、実際に立てているのだから深く考えるのは御法度だった。
宇宙警察長官ドグ。それはその姿を初めて見て、一瞬で彼が全ての宇宙刑事をまとめ上げる宇宙警察のドンであると想像する者はいないであろう異様な風体の持ち主であった。
「長官、なんでここに来たんですか?」
だが宇宙刑事として長く活動してきた亮は、その一つ目の怪物と相対しても全く怖じることなく普通に接した。その風貌を見て腰を抜かすのは、彼はもう何年も前に通過した道であった。
「うむ。実はお前に頼みたいことがあってな」
そしてドグもまた自然な態度でそれに答えた。人間と目玉が向き合って会話をするその姿は、「まともな」人間が見れば一気に正気を失ってしまうくらい異様な光景であったが、人間の常識を鼻で笑うような宇宙の神秘と怪異に長いこと向き合ってきた彼らにとっては、これくらいはもはや日常的な光景と化していた。
この程度でビクついていては宇宙刑事は務まらないのだ。
「頼みたいこと? いったいなんなんです?」
そんな強靱な精神、もしくは正気を削りすぎて感覚が麻痺してしまった亮が目玉に問いかける。ドグはその巨大な眼球で亮を見つめ、これまでと同様にテレパシーで彼の脳に直接思念を飛ばして語りかけた。
「うむ。今すぐ決めてくれという訳ではないがな。少し考えて欲しいことがあるのだ」
「考えて欲しいとは?」
「とても大事なことだ」
ドグが瞼を降ろして目を細める。そしてミナを抱いたまま身構える亮に向かって、ドグがゆっくりと思念を放った。
「宇宙刑事として復帰してほしいんだ」
それはいくつも怪異を乗り越えてきた亮の精神をさらに削り取るのに充分な一撃であった。




