「朝の一幕」
ケン・ウッズの朝は速かったり遅かったり、日によってまちまちである。彼は自分が運営している地下闘技場「リトルストーム」の中にある個室の一つを改造して自分の住居として使用しているのであるが、彼は朝日の昇りきらない内に扉を開けて誰よりも速く作業を始める時もあれば、正午を過ぎてようやく選手や副支配人の前に姿を見せる時もあった。一日中その中に籠もりっぱなしな時も一度や二度では無かった。
そして支配人がその日一度も外に出てこず、引きこもったままの自室の堅く閉ざされたドアを目にする度に、副支配人のイツキは「お風呂とトイレは別の所に置いておくべきだったか」と考えるのだった。ケンの自室の中には浴室とトイレが設けられており、さらには代金を払えば選択した商品をその場で送り届ける宇宙通信販売装置も据え付けられていたので、その気になれば部屋から一歩も出ずに生活することも余裕で出来るのだ。
なおこの地下施設の中にはイツキが住処としている部屋もあり、そこにはケンの部屋にある物と同じ物が置かれているのだが、それでもイツキはきちんと己を律して規則正しい生活を送っていた。要は心の持ちようなのだ。
もっともケンは引きこもっていても自分の仕事はしっかりこなすので、例え彼が自室から姿を見せなかったとしてもイツキはそれを必要以上に咎めようとはしなかった。無理矢理外に連れ出そうとすることも一度も無かったのだ。
しかし今日は事情が違った。
「ケンさん出てきてください! 志願者の裁定手伝ってくださいよ!」
「やだよ、もうめんどくさい。全員採用でいいじゃんもうさあ」
時刻は午前九時。少女が着るようなゴシックロリータの服を身に纏ったイツキはケンのいる部屋のドアを激しく叩きながら、中にいるケンを外に引っ張り出そうとしていた。手入れの行き届いた紫の長髪を揺らしながら必死の形相でドアを叩くその姿は、普段ならば考えられない姿であった。
「なに言ってるんですか! 今来てる人全員採用したら、ここパンクしちゃいますよ! 施設の拡大工事もまだ終わってませんし、今採用できるのは三人で限界なんですから!」
「ちなみに、今の時点でどれくらい来てるの?」
「五十人です」
「そのうち人間はどれくらい?」
「四人です」
「あーもう、めんどくさいなあ」
ドアの向こうからケンの声が返ってくる。その声はため息と共に漏らされた、心の底から面倒くさがっているような声であった。その声を聞いた後でイツキがさらに言葉を付け加える。
「その人間を除いた四十六人のうち、二十人がリザードマン(トカゲ人間)、二十人がゴブリン、六人がオーク(豚人間)です」
「またファンタジーな連中だなあ。それあれでしょ? 例の宇宙海賊の連中でしょ?」
「全員腕に同じ腕章をつけていましたから、おそらくそうでしょうね」
「やっぱりそうか。ドームだけじゃ物足りないってことかねー」
イツキの言葉を聞いたケンがドア越しに気の抜けた声を漏らす。その直後、イツキの目の前で音もなくドアが開き、そこから寝ぼけ眼でパジャマ姿でボサボサ頭のケンが姿を現した。
「じゃあ行くよ。すぐ準備するから、ちょっと待ってて」
そしてそう言ってから再びドアを閉めたケンを見て、イツキは安堵のため息を漏らした。ケンは嘘はつかない人間であるということを、イツキはこれまでの彼とのつきあいを通して知っていたからだ。
「じゃあ行こうか」
そして宣言通り、ドアを閉めてから二分もしない内に身だしなみを整えたケンがドアを開けて姿を現した。ビジネススーツを着こなしてリーゼントヘアを整えたその様は清廉なのか不良なのかわからないアンバランスな姿であったが、聞けばこれが彼の宇宙刑事時代からの正装であったらしいので、イツキはそれについて言及することは無かった。
「あのドームを作った連中か。昨日も同じ連中が
来なかったっけ?」
「ええ。でも昨日は全部で十人くらいでした。たぶんその内の何人かがアジトに帰って、そこでここのことを話して聞かせたんでしょうね」
「奴らが町を閉鎖して今日で三日目か。何が目的なんだろうな」
「全くわかりません。積極的に支配する気もないようですし。最初の攻撃以来、全く攻めてくる気配もありませんから」
「そうか」
そしてイツキは面接会場となっている受付に向かうまでの道中、ケンの服装について言及する代わりに、ケンとこの町に起きたことについて話を交わした。
全ての始まりは、空に瞬いた星の群が町に落下したことだった。落ちた星はその場で輝きを失い、その光の膜の下に隠されていた本当の姿を衆目の前に露わにした。
それは惑星圏外に駐留している宇宙艦隊が衛生軌道上から地上に歩兵を直接投下する際に使われる強襲降下ポッドであった。しかし満足に宇宙に飛び出していない地球人にそのことがわかるはずもなく、落ちてきたポッドの周りにいて幸運にもそれの着陸と同時に発生した衝撃から難を逃れた人間達は、姿を現したその金属の六角柱に恐る恐る近づきながらそれをまじまじと見つめた。
そんな彼らの目の前で、突如としてその六角柱の六つの面が同時に上に跳ね上がった。そして驚く人間達の目の前で、その一つの面の中から一匹ずつ、合計で六人のトカゲが姿を現した。それは鎧を身に纏い、二本足で立って二本の腕で剣と盾を持った細身のリザードマンだった。
驚く人間達の目の前に躍り出たリザードマン達は、その人間達を縦に割れた瞳で睨みつけながら声高に言った。
「今日からここは我々の支配下に置く! 逆らう奴らは皆殺しだ!」
それを聞いた人間達は全員恐怖に慄いた。そしてその恐怖のままに、無軌道に逃走を始めた。その人間達の頭上ではなおも無数の降下ポッドが空から続々と降り注いでおり、時間が経つごとにここと同じ光景をいくつもの場所で見ることが出来た。
「なんだあれは!?」
「宇宙人だ! 宇宙人の侵略だ!」
次々と降ってくる星を前に、人間達はただ逃げまどうしかなかった。そしてそんな人間に追い打ちをかけるかのように空がねじれ、その中からそれまでポッドを撃ち出していた宇宙戦艦が姿を現した。しかも一隻出現した直後空のあちこちでそれと同じねじれが生まれ、そこから同じ形をした宇宙戦艦が続々と姿を見せた。
そうして姿を見せた宇宙戦艦は、今度はその底部の一部を左右にスライドさせて中から件のトカゲ人間を直接降下させ始めた。背中にジェットパックを背負ったリザードマンは何の抵抗もなく町中への着地に成功し、我が物顔で人間の築いた町を闊歩していった。更に降下部隊を送り終えた後、町の上に鎮座する艦隊群は今度は真上に向けて一つの球体を撃ち出した。
その灰色の球体は全て同じ高度にまで到達すると同時にそこに滞空し、その直後に自ら破裂、空中に灰色の液体をまき散らした。液体は重力に逆らって水平に薄く広がっていき、同じく破裂して広がっていた他の液体と結合、一つに溶け合ってますますその版図を広げていった。
やがて液体の面は広がる途中で下方に折れ曲がり、緩やかなカーブを描いて地面に降りた。そうして出来た灰色のドームは町全体を覆い尽くし、町から逃げ遅れた大半の人々はその人智を越えた事態の連続を前にしてこれから自分達はどうなるのかとただ怯えるしかなかった。
だが彼らの「侵略活動」はそこで打ち止めとなった。彼らは空中に浮遊し町を閉鎖した後は特に何もせず、時折兵士のリザードマンを降下させては町中で彼らを我が物顔で闊歩させるだけであった。
人間に害をもたらすようなことは一切しなかったのだ。ドームの外に出るようなことも同様に無かった。ただ町の中を歩いて、興味深げに建物を覗いたり店の中に入ったり、交差点のど真ん中で同族同士で喧嘩を始めたりするだけだったのだ。中には今こうしてリトルストームに参加しようとしている者と同じように、人間の文化に興味を持って自分からそこに馴染んでいこうとする者の姿もあった。
支配したいのか共存したいのか、彼らの行動理念がまるでわからなかったのだ。
「何がしたいんだろうなあいつらは」
「さっぱりわからないですね」
そこまで話をしたところで、二人はようやく受付前に到達した。そこにはイツキの報告通り、大量の人外共でひしめいていた。
それを見たケンはげんなりした。
「これは骨が折れるな」
「まともにやってたら日が暮れちゃいますよ」
「どうしようかなー。こうなったらもう直接・・」
「おい、いつになったらここで戦えるんだ」
そしてお互い困った顔で話し合うケンとイツキに対して、トカゲの一匹が声を荒くして言った。そのトカゲの方に顔を向け、ケンがヤケクソ気味に言った。
「わかったわかった。じゃあこうしよう。ここにいる全員と、俺とこの子とで戦う。四十対二だ。それで俺達を倒して生き残っていた奴を採用する。これでいいか?」
一瞬その場が静まり返り、直後、早朝の受付は歓声と喧噪に満ち溢れた。そこにいたほぼ全員が携えていた武器を手に取り、高々と掲げてケンの条件に賛同する旨を態度で示した。
「また強引なやり方にしましたね」
「一人一人相手にするのも面倒だからな。イツキもそれでいいか?」
「僕もそれでいいですよ。こっちの方がずっと速く済むし」
「死ねェ!」
ケンとイツキの二人が話し合っていた所に一匹のトカゲが飛びかかる。その手には斧が握られ、トカゲはそれを高々と掲げて二人のうちのどちらかに向けて振り下ろそうとしていた。
「あいつらを倒せばいいんだ! やっちまえ!」
「いけいけ! 束になってかかれ!」
そのトカゲに続いて、他の面々も次々と襲いかかる。そんな四方八方から襲いかかる敵の群れを前にして、しかし迎え撃つ二人は動じることなく平然とそこに立っていた。
「どれくらいでいける?」
「二分もあれば充分かと」
「じゃあ二分だ」
そしてそう静かに言葉を交わした二人を、怪物と人で出来た四十人の人の波が容易く飲み込んでいった。
それから二分後、そこに立っていたのはリトルストームの支配人と副支配人のコンビだけだった。彼らの体に傷は一つもなく、二分前までそこで立っていた参加者全員は今は一人残らず気絶し死んだように地面に突っ伏していた。
「全員不採用だな」
「ですね」
その惨状を見てケンが残念そうに呟き、イツキが面倒くさそうな表情を浮かべて言葉を返す。そして足下に広がる気絶した生物の群を見てケンが改めてため息をもらした時、彼らの眼前で正面入り口のドアがゆっくりと開いた。
「あらあら、やっぱり全員やられてしまいましたか。まあ想定通りではありましたけれどね」
開かれたドアの向こうから聞こえてきたのは、とても穏やかな女性の声だった。その声に気づいた二人が声のした方に目を向けると、そこにはくすんだ金髪を一束の三つ編みにして後ろに垂らし、薄地で黄緑色に染まった長袖のシャツとロングスカートを身につけた大人の女性が立っていた。その綺麗に整った顔は柔和な笑みを浮かべ、顎に手を当てて何か考え込むような所作でそこに立っていた。
「あなたは? こいつらの関係者ですか?」
そんな女性の姿を見たケンが咄嗟に尋ねた。反射的に喉をついて出た言葉だったので、その声にはいくらか刺々しさが混じっていた。
一方でそれを聞いた女性はケンの方を向き、それから何かを思い出して困ったように眉尻を下げ、とても恐縮した表情で弱々しく声を放った。
「ああ、その、申し訳ありません。いきなり出てきて変なことを言ってしまって。やはり物事には順序ともうしますか、まずは自己紹介からするべきでしたね」
「あ、いや、そんなどうもご丁寧に。こちらもぶしつけな対応をしてしまい、大変失礼しました」
「なんだアオイじゃん。こんな所で何してるの?」
予想外に控えめな反応を返されて狼狽えるケンの横で、イツキが真顔でその女性に声をかけた。それを聞いたケンは即座に視線をイツキに向け、それから件の女性と彼とを交互に見ながら言った。
「イツキ、知り合いなのか?」
「ええ。昔なじみです」
「宇宙人の友人か何かなのか?」
「戦闘狂獣のアオイさんですよ」
イツキの言葉を聞いたケンが反射的に女性を見る。アオイと呼ばれた女性は恥ずかしそうに苦笑を漏らし、その後で「イツキ君の言う通りです」と控えめに答えた。
「アオイさん、なんでこのトカゲ人間と面識があるようなこと言ったんですか? 説明してくれると助かるんですが」
それから自分の方を向いて親しげに問いかけるイツキに、アオイは女性向けの格好をしている彼に奇異の視線を向けながら「それは」と前置きした上で言った。
「私、その方達と同じ船に乗って地球にやってきたんです」
「これと?」
「あの船に?」
ケンとイツキの問いかけにアオイが無言で頷く。それからイツキは「木星でバカンスしてたんじゃないんですか?」と彼女に問いかけ、それに対してアオイは目をわずかに逸らし、とても恥ずかしそうに声を抑えて言った。
「その、恥ずかしながら、木星旅行をしていた途中でお金が尽きてしまいまして。あの船には旅費や食費などを稼ぐために乗っていたんです」
「何かの雇われ仕事をしていたってことですか?」
「はい。地球に着くまでの間の用心棒をしていました。あの船団が木星に寄港した際にその仕事を募集していたのを見て、天の助けとばかりにそれを受けたんです」
「だからこのリザードマン達と面識があったということですか」
「はい。彼らはとても気さくで、雇われの私にもとても良くしてくれました」
ケンからの問いかけにアオイがハッキリと答える。それを聞いたイツキは「難儀してたんですね」と同情しつつ、次にアオイを見ながら言った。
「ところで、アオイさんはあの船団の名前とかご存じですか? もし良ければ教えて欲しいんですが」
「彼らの船団の名前、ですか? ええと、確か・・」
顔を上げて目線を天井に向け、何かを思い出そうとするようにアオイが呟く。そしてそれから一分もしない内にアオイは「思い出しました」と声を放ち、二人の方を向いて嬉しそうに声を弾ませて言った。
「思い出しました。そうです思い出しました。あれです」
「あれとは?」
「アオイさん、ちゃんと名前で言ってください」
「レッドドラゴンです」
直後、ケンの体が石のように固まった。自分の耳を疑うようにその場に硬直するケンの目の前で、喉に引っかかった魚の小骨が取れた時のように喜びを発露させながらアオイが言った。
「そうですそうです。宇宙海賊レッドドラゴンです。私、彼らのお世話になってたんですよ」
そう言ってうれしさを見せるアオイの顔は無邪気な子供のそれだった。そんな見るからに嬉しそうな態度を見たイツキは片手で頭を抱え、その体勢のままアオイに問いかけた。
「アオイさん、宇宙海賊って言葉の意味、知ってますか?」
「えっ? 宇宙海賊ですか?」
イツキの質問を受けてアオイが動きを止める。それから彼女はきょとんとした表情を浮かべていたが、すぐにその顔を幸せそうに破顔させながらきっぱりと言った。
「全然わかりません。食べ物か何かなんですか?」
戦闘狂獣アオイ。かつて生み出された戦闘狂獣の中で、最も「戦闘」に特化して生み出された最強の存在。その戦闘力を活かし、深く考えることをせずに正面からぶつかっていき、己の腕っ節だけでくつも勝利をもぎ取ってきた最強のパワーモンスター。
悪く言えば物覚えの悪い脳筋。
それを思い出したイツキは、今度は両手で頭を抱えた。




