廃車
「お母さんっ! って、琴子、何でいるのよ」
驚いたような言葉に、やはり驚いているのは琴子も同様であった。
「明日香こそ。あんた、何で!」
言葉の前で、ゾンビを跳ね飛ばしたバイクが勢いそのままに転がり、飛びのいた少年が拳を振るう。
その勢いは、先の浜崎を超える。
人間が、ゾンビがまるでゴミの様に弾き飛ばされていく。
その少年に、琴子は見覚えがあった。
彼女がその名前を呼ぶ前に、暴風の様な影が飛び込んだ。
「い、今宮ぁ!」
「あ。浜崎か、珍しいところで会うな」
「そりゃ、こっちの台詞だ。つーか、何でお前、ジャージ?」
「家庭の事情だ」
呆れたように、どこか嬉しげに笑いながら、駆けつけた浜崎が近づいたゾンビを投げた。
それは手を伸ばすゾンビを巻き込みながらも、吹き飛ばし――二人は並んだ。
「ちょ、今宮って!」
「浜崎さんと夢のコラボレーションかよ。いける、今宮がいたらいける!」
彼の登場に、それまで絶望を浮かべていた少年たちが目を輝かせた。
手に武器を握り、ゾンビへと向けて走り出す。
それまで厳しい顔で前を見ていた浜崎も、周囲を見渡す余裕ができた。
そこは防ぐ場所もない広い空間だ。
ゾンビに包囲され、ともすれば何人も同時に扱わなければならない。
一撃で、弾き飛ばせる浜崎とは違って、彼の取り巻き達にそこまでの力はない。
いや普通の高校生にそれを求めるのは酷な事だろう。
浜崎と今宮が別格なのだ。
一人であれば、周囲の取り巻き達はあっという間に殺されるだろう。
少年がスコップを構えて振り上げようとした、その肩を掴まれる。
その瞬間、絶望を浮かべた少年の前で掴んでいた女の顔が吹き飛んだ。
今宮優だ。
繰り出された左回し蹴りが、口を開いていた女の顔を痛打する。
その衝撃を持ってしても、ゾンビは腕を離さない。
蹴られた事すら気にしていないように、腕をひく。
その手が、跳ね跳んだ。
優がいつしか少年のスコップを奪うと、それを振るっていた。
切られた腕がいまだ少年の肩を掴んでおり、慌ててそれをひきはがす。
さすがに、既に切り離されていた腕は力がなく、簡単にはがす事ができた。
「あ、ありがと」
「突出するな。引きずりこまれるぞ」
優は不器用にそれだけ呟くと、スコップを彼に返して、再び戦場へと戻って行った。
その光景に、浜崎はゾンビを殴りながら満足そうに笑みを浮かべた。
一人ではないと思う、そう思えば彼の頬に浮かぶのはいつもの豪快な笑みだ。
敵を圧殺する捕食者の笑みだ。
その表情に、周囲の少年達も勇気づけられたように武器を握りしめる。
すでに武器を振るっていた腕は疲労により、力が抜けている。
息もあがっているし、春だというのに暑いほどに汗をかいている。
けれど、負ける気がしない。
彼のリーダーである浜崎がその笑みを浮かべて、いままで一度しか負けてはいない。
おまけに、その一度の原因である今宮が、いまは味方として存在している。
負けるはずがない。
「ゾンビ風情が『黒夢』を舐めてんじゃねえぞ」
振り絞った叫びが、少年たちの士気を向上させていく。
Ψ Ψ Ψ
背後に明日香達家族を守りながら、秋峰琴子も長刀を振るっていた。
僅かばかりの戦闘で、このゾンビ達の特徴はある程度掴んでいた。
それは幼少より武道一筋であった彼女だからこそ、なせる技であろう。
初対面の敵との試合のように、戦いの中で相手の特徴を判断する。
敵は多い、そして強い。
力は例え女性や老人であっても、侮れないほどに強い。
もし彼女が掴まれれば、一瞬のうちに引きずられて噛みつかれるだろう。
耐久力も半端ではない。
普通であれば意識が飛び、痛みに戦意を喪失するであろう攻撃をものともしない。
仲間が倒されても、怯みもしない。
まさにゾンビと呼んでしかるべき、異形の存在だ。
だから、戦法としては二つ。
相手を弾き飛ばして、時間を稼ぐこと。
浜崎や今宮は、単独でそれができる。
それほどでもなくても、男である少年たちは二人がかりでそれを成し遂げている。
力の弱い琴子に、それは出来ない。
だからもう一つの戦法。
「夢に出てきそうだわ、はあああああっ!」
気合を一閃、琴子の長刀が銀の線を描いて、浜崎の脇を抜けたゾンビに向けて振り抜く。
それは首に正確に吸いこまれ、一撃の元でゾンビの首が吹き飛んだ。
刃引きをしている刀とはいえ、元は鉄製の刀である。
速度と場所、そしてタイミングが合えば、相手の首を飛ばす事も可能。
一撃必殺。
それが琴子の選択した戦法。
それまで人間であった人へと向けて刃を走らせるのに、抵抗はあるが。
けれど、私にも守りたい者がある。
親友と、その家族を。
守りたいと思う。私の力はそのために身につけたのだから。
Ψ Ψ Ψ
倒しても倒しても湧きあがるゾンビに、浜崎は嫌気を浮かべていた。
弾き飛ばす事に専念しているため、ゾンビの数は遅々として減らない。
むしろ、その騒ぎに気づいてゾンビの数が増えている印象がある。
やべぇなと、小さく呟いた浜崎の隣に、今宮の姿があった。
「で、浜崎。今後のプランを聞いていいか?」
「あ、何だ?」
「プランだよプラン。計画って奴だ、このままじり貧で潰されるつもりか?」
「そんな奴があったら、最初からそうしているよ! 全員倒したら、終わりだろうが」
「そんな一か零かの選択は計画ってよばねぇ」
呆れたように、優は嘆息。
やがて、少し考え。
「外。定期バスだったか――あれが、放置されていた」
やがてぽつりと呟いたのは、ここに来る途中で見たバスだ。
この複合施設シルフィーと駅を結ぶため、定期バスと呼ばれるバスが運行している。
車を持たない多くの人間は、そのバスでこの施設にくる。
それが放置されていた。
ゾンビに襲われたのか、はたまた別の理由か。
「そりゃ、どこだ」
「バス停だ。二台くらい並んでいた」
バス停かと、浜崎は思案する。
バス停は最初に、このゾンビが発生した場所だ。
広いロータリーと駐車場になっており、そこからこの施設に客は入ってくる。
そして、この倉庫は海からの輸送のため海岸にほど近い場所だった。
つまり。
「真逆だな。遠いぞ」
女性も子供もいる。
走っても追いつかれるかもしれないし、何より施設を抜けると言う事は他のゾンビをおびき出しかねない。
「このままここにいても、結局は同じ事だろう。そろそろ他の奴らの息があがってきている」
視線をめぐらせれば、確かに――最初は元気だった少年たちが、いまはしゃべることも億劫というように、ただただ力任せに武器を振るっていた。
潰されないのは、その合間合間に浜崎と今宮が救出し、秋峰琴子が長刀を振るっているからだろう。
わずか一つでも崩れれば、あっという間に押しつぶされる。
まさに砂上の楼閣であった。
確かに潮時だろうと、浜崎は呟いた。
「なら、ショッピングセンターにこもるって手はないのか」
「ガラス張りの入口しかない場所でか?」
「店を閉めて入ってこないようにすれば、何とかなるんじゃないか」
「三日だな」
そう優が即答した。
「水もトイレも、食料もない場所で、こんな人数が詰めかけるんだ。体力的にも精神的にも耐えられないだろう。それとも三日で助けが来る予想があるのか?」
「こんな酷い状況だ、警察や自衛隊が動くだろう」
「警察か。それならすでに撤退している」
浜崎は目を開いた。
冗談だろうと言いたがったが、警察に行くと言っていた二見がここにいる。
そう考えれば、彼の言葉を疑う理由はなかった。
最悪だと小さく眉をひそめる。
「だが、バスに鍵がかかっていたらどうする?」
「夜中にぶんぶん走りまわってんだろう。バスの鍵くらいそっちで何とかしろ」
「無茶をいうな、バスを盗む奴がどこにいるんだ」
「えっと。俺、出来ますよ?」
二人の会話に、おそるおそると言った様子で入ってきた。
日原昌史と呼ばれる小さな男だ。
実家が自動車工場で、趣味が機械いじりという何とも不良らしからぬ少年だ。
喧嘩もあまり得意ではないが、仲間のバイクを修理メンテナンスするため、重宝されている。
「決まりだな。子供は俺が背負う。先頭を走るから、そっちは後方を任せた」
「ああ。わかった。ただ問題は、こいつらが簡単には通してくれなさそうだってことだが」
「それなら――」
すっと指し示したのは、ゾンビの輪の中だ。
そこに既に持ち主がいなくなった、青色のバイクが横たわっている。
激突の衝撃によってボディがへこみ、亀裂からガソリンが漏れている。
「まだローンが5年も残っているんだけどな」
「この騒動だ。ローンも一緒に吹き飛ぶさ」
「だといいんだけどね」
優が苦笑を浮かべ、ポケットからオイルライターをとりだした。
点火、一瞬の迷いを残してオイルライターを投擲した。
それは宙を舞い、ゾンビの中央――バイクへと、狙いたがわず、落ちた。