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別離



「い、今宮君! お、おじさんが――」

 背後から聞こえた間延びした声に、明日香は振り返って伝えようと努力した。

 けれど、声が上ずって上手く伝えられない。

 伝えなければと思うのに、頭の中がはっきりとしない。


 呆然と彼の名前を呼ぶ自分に、優は戸惑うだろう。

 そう思ったが、彼の口から出たのは、

「大丈夫、知ってる」

 と。

 一言だけ呟くと、優は栄治が階下へと降りた階段をじっと見つめていた。

 

 持ってきたであろう安物のオイルライターを手の中で弄び、黙っていた。

 やがて、口から洩れるのは深いため息だ。

「何が俺が寂しがると思って待ってた、だ。親父もあんたも、責任だけは無駄にあっただろう。撤退するって話になったのなら、俺の事なんて待つわけがない」

 苛立ちを持った言葉に、明日香は黙って彼の顔を見上げた。

 悲しいのか、怒っているのか。

 表情から判断する事はできなかった。


 決して、あのゾンビのように表情がないわけではない。

 噛み締めた唇、浮かぶ表情は複雑なものだった。

「あんたもおいて行かれたんだろう。他の奴らと同じように」

「他の……」

「ああ。あちこちに死体が落ちてたよ。皆、頭を撃たれていたがね。残された仲間達を楽にさせたかったんだろう。だから、ずっとここにいた。撤退したとしても、どこにも行かず――ただここに」


 この既に廃墟と化した警察署にたった一人置いていかれて、どれだけ心細かっただろう。

 それまで苦楽を共にした仲間が変わっていくところをみながら。

 おまけに、それは数時間もすれば自分にも起こりうる事なのだ。

 その気持ちがどれほどのものか、明日香には想像がつかない。

 もし、明日香であったならばきっと泣き叫び、助けを求めて外に走ったはずだ。


 だから。

「強いね」

 と、胸が締め付けられて、吐きだしそうになる感情を抑えながら呟いた。

 ただ、黙っている優の前で自分が泣くわけはいかないと思った。

 同時に思う。

 こんな時なのに、我慢しなくてもいいのだと。


 きっとそれは自分がいるからで。

「ああ、強いけど。残された人間の事も少しは考えろ、自分で言ってただろう」

 それはいつしか、優の父親の葬儀で――栄治が呟いた言葉であった。

 普段、強がりしか見せなかった叔父が、父の葬儀で酒に酔い呟いた言葉だ。

 全く似たもの同士だなと、優は小さく首を振った。

 その胸に、ふわりと柔らかいものがあてられる。


 明日香だ。

 まるで子供を抱きしめるように、優の背に手を回している。

「泣いてもいいんだよ?」

「別に。泣くような事じゃない――こんな事」

 首を振りながら、優は想像する。

 そして、呟いた。


「これから日常茶飯事で、そして誰の身にも起こりうる事だ」


 Ψ Ψ Ψ


 大丈夫と、明日香の身体から身を離した優は手にしたライターをポケットにしまう。

 それよりもと呟いた姿は、いつもの彼の表情だった。

 どこかつまらなく、諦めているような表情。

 彼の叔父に似た整った目鼻立ちながら、まったくかっこいいと思われないのは、その表情によるものであろう。


 明日香の友達による評価も、不細工ではないけれどと言ったものだった。

「問題は君だ。警察署がこうだろうから、電話何て通じるわけがない。君はどうする気なんだ?」

 問いかけられて、明日香は今まで忘れていた事に気付いた。

 焦る。

 こんな状態が、街の至る所であったとしたら、母や弟は大丈夫なのか。


 思わず口に手を当てながら、どうしようと思う。

 まさに彼が先ほど言った、日常茶飯事との言葉は――明日香にも当てはまる言葉であった。

「わ、私行かなきゃ!」

「まあ待て。二見、お母さん達はどこに買い物にいったんだ?」

「シルフィー。そこの従業員用倉庫に逃げ込んでるって……」


「あの海岸近くの?」

 頷いた明日香の姿に、優は絶望的に息を吐いた。

 シルフィーと呼ばれる総合ショッピングセンターは、買い物施設や映画などの娯楽施設がそろう近隣でも大きな総合施設である。

 当然、遊びに行こうと思えば、そこに行く者も多い。


 つまりは。

「人が集まる場所だな」

 そんな場所で狂人病が発生すれば、多くの人間が犠牲となる。

 電話があってどれほど経っているかは知らないが、最初は通り魔だけであったとしても、向かう頃には化け物だらけになっているだろう。


 犠牲になっていなければいい。

 だが、その状況下で助かるすべもない。

 頼りにすべき警察も、すでに撤退してしまっている。

「行かなきゃ――ありがとう」

「一人で行くつもりなのか」


 深く頭を下げる明日香に、頬をかきながら優が尋ねた。

 うんと、明日香は頷く。

「迷惑かけられないし。そ、それにね? こう見えても、私ホラー映画好きなの。だから対処法もばっちりだよ!」

「いや、君がホラーが好きなのは、その髪飾りとかストラップとかでわかるから。危険だぞ?」

「だ、大丈夫だよ。ゾンビ映画で助かる人の六割はショッピングセンターなんだよ。だから、むしろ安全だし」


「教会とかじゃないんだな」

 力強く呟く明日香に、優は小さく苦笑した。

 大丈夫と何度も自分を励ますように呟いている。

 小さく震える身体を揺らし、不安を覆い隠すように。

「家族か……」

 優は頭をかいた。


 きっと好きなのだろう、そうでなければ死ぬかもしれない場所に飛び込むはずがない。

「いいよ、ついでだ。連れてってやる」

 呟いた優がヘルメットを、明日香の頭にかぶせた。

 戸惑いが表情に浮かび、慌てて首を振った。

「だ、駄目だよ。危険なんだよ! 人がいたらゾンビは集まってくるんだから!」


「さっき安全だとか言ってなかったか」

 優が苦笑し、出口へと向かう。

「家族なんだろ」

 ぽつりと呟いた言葉が、後を追う明日香の耳に響いた。

 出口から漏れ出る光が優の表情を隠している。


 どんな感情を浮かべているのか、声だけでは判断する事ができないが。

「俺にはもう家族って呼べる人間はいないけど。でも、君はまだいるんだろう――なら、大事にするといい」

「……ありがとう」

 だから、明日香はただ深々と頭を下げた。


 Ψ Ψ Ψ 


 走りだすバイクは、警察署から郊外へと向かう。

 駅にほど近く、走ればそれまで人影が少なかった理由がわかった。

 駅だ。

 正確には駅の周辺の繁華街は、大賑わいを見せている。


 ゾンビ。

 それらが、生者を求めて徘徊している。

 立てこもる屋内からは悲鳴がそこらかしこから聞こえ、あるいは逃げる人間を追いかけ、捕まえている。

 駅から逃げようとした車が襲われ、置き去りにされたのだろう。

外へと続く幹線道路は、そのために長い渋滞が出来ている。

 優自身もまた狙われた。


 喜びすら浮かべない無表情の人間が、集団で押し掛ける。

 しかしバイクの特徴である機動力を生かし、細い路地を駆け抜ける事で、何とか逃れる事ができた。

 助けてくれと叫んだ声が耳にこびりついた。

「な、何でいきなりこんな事に」

「潜伏期間だろ」

「で、でも日本ではつい先日発見されたばかりなんだよ?」


 騒ぎになったのは、学級閉鎖が起きた時からだ。

 換算すれば、まだ一週間も経っていない。

「患者はな。当然、その前の段階で患者に接触した人間がいるだろ」

「で、でもそうだとしても。テレビじゃ何も」

「接触感染って聞いたろ。接触すれば潜伏期間は短くなる――発病した人間が身近な人間を襲いだして、それがさらに発病する。ああ、俺も今朝襲われたよ、隣の人に」


 それは高度情報化社会のいまですら、予想できないスピードで。

 日本中、あるいは世界中がこうなっているのか。

 何をきっかけとして、爆発的に増大したのか、優には理解できないが。 

「君の好きなホラー映画のゾンビは、こんなに急に広がるのは珍しいのか?」

「ううん。大体、こんな感じかな……でもね。そういうのって、大体いきなり始まったりするから。患者が見つかったって言われて、一カ月も経ってから増えたりしないよ」


「そりゃ、時間の都合によりって奴だな。一カ月間の日常を映すわけにもいかないだろう。つまり、その映画の最初がいまってわけだ」

 飛び出すゾンビを、車体を寝かせながら避けて、優は苦虫を噛み潰した。

 何が起こっているか、全てを理解する事は出来ないが、想像する事はできる。

 その想像の中で、複合施設のシルフィーに向かうのは、自殺行為と言っても良い。

 駅周辺の繁華街ですらこれだ。


 近隣から人が集まる場所では、どれほどのゾンビがいるのだろう。

 下手をすれば、全員がゾンビになっていてもおかしくはない。

 むろん、背後にいる明日香にその事を告げる事はできないが。


 幕が開いた。


 優は小さく呟いた。


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