避難所12
「走って!」
琴子が先頭に立ちながら、廊下を疾走する。
途中、数体のゾンビに遭遇したが、ナギナタを一閃した。
やはり違っている。
遭遇するゾンビは鈍重であって、そして、避けるという動作など行わない。
それは容易に彼らの首を跳ね飛ばし、あるいは地面に叩きつける。
「くそっ!」
後方では叫びながら、山野が弾を交換している。
従業員用の通路を疾走する足音が響き渡る。
通路からエレベータまでは一直線の道のりだ。
しかし、行きとは違い、既に溢れているゾンビが邪魔をする。
遅々として進まない速度に、琴子は後方を何度も振り返った。
薄暗い通路の先には先ほどの傷顔の姿は見えない。
だが、安心はできない。
「大丈夫?」
わきを走る少女、松井江里に声をかけた。
そもそも体力のない集団だ、疲れと共にこの全力疾走で彼らの息もあがっていた。
響き渡る足音に重なるように、荒い息が聞こえた。
「だ、大丈夫です――」
「そう。無理だったら言ってね、背負うから」
「そんな迷惑かけられ……ません」
「だいじょ――ぶよっ!」
叫んだ琴子がナギナタを振るう。飛び出したゾンビが足を払われて、転がった。
迷わず頭部を踏みつけてから、再び疾走を開始して――絵里がおずおずと声を出した。
「あの、怖くないんですか?」
「怖いわよ。あんなゾンビ初めて見たわ」
答えは即答であった。
じゃあ、何でと見上げられる視線に琴子は肩をすくめた。
「私はさ。昔、アニメとか漫画とか好きだったのよね。主人公とかかっこいいわき役とか、憧れてた。ま、それを話したら明日香の事を言えなくなっちゃうんだけど。で、今でもたまに考えちゃうのよね、もし今の私の姿を他の人が見たらどう思うんだろうって。だって、私の人生なのに三流の悪役なんて姿見せられないでしょ?」
そう言って微笑みかける視線に、強いなと思った。
怖がっていたとしても。
震えたとしても。
でも、それでも前に進む姿に――。
「私も……私も――そう、なれますか」
「もちろん。でも、今宮ならこういうと思うわ。『それを決めるのは自分だ』って」
「厳しい人ですね」
「鬼よ。でも、妙に頼りになるのよね」
微笑んだ絵里に、琴子は視線を前に向けて――微笑を浮かべた。
そこに優と滝口の姿がある。
Ψ Ψ Ψ
エレベータホール手前。
従業員用の通路とスーパー内を隔てる扉の前では、ゾンビと優達が応戦していた。すでに大量のゾンビはスーパー内に侵入しており、エレベータをあがった優達は期せずして、従業員通路を結ぶ狭い扉の前で遭遇した。
立花と浜崎が扉の前で侵入を防げば、探索に向かおうとした滝口信二が先に琴子の姿に気づいた。
「無事で――って、てめぇっ!」
「待って、滝口。わけは後で話すから、とりあえず逃げるわよ」
怒りを浮かべた滝口を琴子がなだめれば、優は眉をしかめた。
避難民を連れ出したはずの山野が背後を気にしながら、走っている姿がある。
彼から逃げているわけではない。
視線があえば、山野は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「なんだか、厄介な事になっているようだね」
「ええ。一体、やばいのがいるわ」
「わかった。ともかく、下に降りよう。俺はあちらを手伝う、滝口案内を」
頷きと共に、滝口がエレベータホールへと向かう。
ホール内ではエレベータを鈴が止めている。
入ろうとした時のこと――音がした。
それはわずかな異音だ。
聞こえた音に、滝口が頭上を見れば、そこにゾンビがいた。
まるで張り付く様に、細い配管を握りしめた傷だらけのゾンビが。
「ひっ!」
「危ない!」
琴子が叫び、手を伸ばす。
間に合わない。
眼下で呆然と立ち尽くす絵里へと――傷顔は大きく口を開けて、飛び降りた。
「馬鹿が」
それは誰よりも早く。
時が止まったように静まり返った世界で、はっきりと見えた。
ゆっくりと、しかし力強く伸ばされた手が絵里を押しのけた。
降りゆくゾンビが、大きく顎を開けて食らいつく、突き飛ばした肩口が噛み千切られる。
自らの肩がえぐられる痛みに眉をしかめ――山野はゾンビを突き飛ばした。
抉られた肩からは鮮血が吹き出し、山野の顔を染めていく。
音が戻った。
「な、何で」
呆然と立ち尽くす言葉に、山野は唇を噛んだ。
命をかけてまで守るなんて割に合わないことだ。
だが。
「てめーらが思い出させたんだろうが」
それは入隊した時の気持ち。
命をかけて、力のない市民を守ると誓ったあの一瞬を。
そのための厳しい訓練だった。
そのための力だった。
だから。
「さっさと逃げやがれ!」
腕を振って伝えれば、驚いたように避難民が身体を震わせた。
「あなた――」
「何ぐずぐずしている。さっさといけ、馬鹿どもが!」
左腕を持ち上げて、銃弾を巻き散らせる。
言葉に弾かれたように、避難民がエレベータへと乗り込んだ。
元々がきき腕ではない上に、出血も激しく狙いは定まらない。
ただ闇雲に壁を穿ち、弾はすぐに切れた。
「秋峰!」
飛びかかろうとした傷顔の胴を掴み、浜崎が叫ぶ。
投げ捨て式のジャーマンスープレックスだ。
背後から担がれてもたれた傷顔が後方へと投げ出されるように、弾き飛ばされた。
それを。
「立花さん!」
優が声をかけて、投げ出された――ゾンビへと回し蹴りを繰り出した。
転がっていた『傷顔』は避ける事も出来ず、通路からスーパ内へと続く扉に群がるゾンビを巻き込んで、派手に転倒した。
その一瞬の空白をぬって、立花が下がる。
周囲を巻き込んだ傷顔は、跳ね起きると、うまそうに肩肉を頬張り、
「ぁぁぁぁぁっ」
歓喜の声をあげた。
「っ!」
立花が叫びと共に、自動小銃を放つ。
群がったゾンビが、次々に屠られていく中で、傷顔はスーパー内へ姿を消した。
叩きつけるように扉をしめつけ、浜崎の鉄パイプで固定。
ゾンビが入ろうと扉を叩きつけ、閂のように固定された鉄パイプが衝撃で歪んだ。
一撃――二撃――。
振り返れば、エレベータホール内は、外の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
絵里が、琴子が、そして避難民が――山野の行動に何も言えないでいる。
酷い出血だ。
すでに顔色は悪く、青く変化している。だが、それ以上に。
噛まれた。
その事実が誰もが声を失っていた。
「何にしてんだよ、さっさと逃げろよ」
溢れる出血を抑える事もせずに、山野は見られる視線に戸惑ったように頭をかいた。
「その助かった……わ」
「うるせぇ」
ようやく絞り出したお礼の言葉に、山野は小さく手を振れば、前に立つ人影に気づいた。
立花だ。
分隊長時代から厳しく険しい先輩が、いまは何て声をかけているか戸惑っているようだ。
そんな表情を初めて見れば、なかなかに楽しいものだと山野は声を出さずに笑った。
「なに辛気臭い顔をしてるんだ。さっさと行っちまえ」
「正直、殴ってやろうと思っていたよ。君は最低の隊員だ」
「何を今更――」
「戦死は最低の行為だよ。組織にとっても、そして上官にとっても」
「はぁ」
山野は顔をしかめた。
目があった。
「優秀な隊員を失うのは、自衛隊の大きな損失だ。馬鹿なことを。本当に、君は最低の自衛官で――最低の部下だ」
抱きしめられた。
その身体の暖かさは、既に熱を奪われた山野の身体を抑え込む。
震えている。けれど、それは怒りのためではなくて。
「いつ勝手に死んでいいと教えた――馬鹿もの」
「う。うるぜぇ」
言葉にならなかった。
自分の様な人間に対して、泣いてくれている上官に申し訳なくて、悲しくて。
もう遅いと――呟いた時の想いが蘇る。
自衛官と呼ばれるにはあまりにも汚すぎた自分自身に対して、それでも自分を自衛官と、部下と呼んでくれる上官に。
「ありがとう」
「礼を言うのはこちらだ。すまない――私もまた最低の上官だな」
「違います。あんたは……あんたは」
唇をかみしめて、山野はゆっくりと離れた。
これ以上暖かさを感じていれば、こっちまで泣きたくなる。
みっともないところを民間人に見られるのはごめんだ。
誤魔化すように瞳を拭って、立花の表情を見返した。
「行ってください。立花三曹」
「……わかった」
ゆっくりと頷くのを見れば、山野は手にしていた自動小銃を預けた。
「もう不要だ。弾も」
装備を渡せば、次にと優を見る。
「それと、お前――今宮だったか」
「ああ、そうだが」
「お前はこれを受け取れ」
投げられたのは鍵だ。
驚いた表情を見せる優に対して、山野は唇を曲げた。
「表のトラックの鍵だ。お前がどこの集落にいるかわからんが、あいつらを任せた」
「いきなり任されてもな」
「うるせぇ、ルールをいい加減覚えやがれ。下のもんが上のもんに逆らうんじゃねぇ。それにな。嘘でも何でも、さっき守ってやるって約束しちまったんだよ」
吐き捨てるような言葉ともに、山野は背後を振り返ってみた。
そこに未だ呆然と立ち尽くす避難民の姿がある。
相変わらず怯えている――だが、不安と共にあるのは心配という二文字。
何も出来ないでいる人間に対して、感じていたイライラは今は全く感じなかった。
「だから頼んだぞ」
振り返った視線を優は変わらぬ様子で見ている。
やがて、諦めたように。
「わかった。約束しよう」
言葉に山野は満足げに微笑み、さあと腕を振った。
「さっさといけ! お客さんがお待ちだ」
扉を叩きつける音が変わった。
Ψ Ψ Ψ
エレベータに入れば、一階のボタンが押しこまれた。
ゆっくりと閉まる扉と共に、鉄パイプの閂が弾け飛ぶのが見えた。
その間の事態に、松井江里は何も出来ないでいた。
命を狙われたのだから、当然のことだ。
閉まっていく扉の外に、山野の姿を見た。
助けてくれた。
怖い人だと、恐ろしい人だと思っていた。
想像するだけで怖い、身体が震えた。
なにも見ず、ただ助かる事を待っていればどれほど楽だろう。
だが、それを助ける人は――。
噴き出した出血が痛むのか、顔をしかめる。
それを見れば、
「山野さん!」
思わず、口に出していた。
その声は今までで一番出ていたと思う、驚いたように山野も振り返った。
「あの、ごめんなさい。ありがとうございました」
気の聞いた言葉など浮かぶはずもない。
ただ自然に浮かんだ言葉は、ありきたりで言っても言わなくても良かったかもしれない。
けれど。
言われた山野は、ゆっくりとその表情に嬉しげに変えた。
「うるせぇ――」
「は、はい。ごめんなさい。でも、でも」
「守ること」
「はい?」
「夢だよ夢。前に聞いただろうが――お前らの命だけじゃねえ。お前らが夢をかなえられるように、その日常生活を守ることが俺の夢だ――夢だった。いまさらの話だが」
驚いたように目を開く。
「夢――かなえろよ。ま、俺はバイオリン何ざ高尚な趣味はねーが――」
ゆっくりと扉が閉まる。
「なれるかどうか、せいぜい楽しみにしてやる。あの世からよ」
その声が聞こえたかどうかはわからない。
溢れ出る大量のゾンビに囲まれて、もはや解答の声すらも聞こえない。
ただ、山野の耳には少女なりの精一杯の声で、はいと――そう確かに聞こえた気がした。
振り返れば、既にゾンビはこちらへと向かってきている。
視界がかすむ。
果たして、食われている最中にゾンビになれば、ゾンビは食べるを停止するのだろうか。
それを知ることはごめんだがと、ゆっくりとした動作で山野は懐からそれをとりだした。
怖くはない。いや、怖くないわけがなかったが、それでも思い出すのは最後に言われたお礼の言葉。
それはありきたりなものであって、今まで何百回と聞いてきた陳腐な言葉。
けれど。
「この三か月言われた事何ざ無かったな。何でぇ、言われると嬉しいもんだ」
ぴんっと抜かれたのは手榴弾の安全ピン。
安全コックが弾け飛んだそれを腕の中で回しながら、山野は小さく笑った。
「おう、加藤。お前もいるのかよ――何だかんだで、入隊からずっと一緒だったよな。まさか死ぬまで一緒とは思わなかったが、まあなんだ。付き合えよ」