避難所6
案内されたのは校舎と校舎の間に設置された中庭だ。
それほど広くはないが、それでも百人程度は集まるスペースがある。
普段であればベンチが置かれ、花壇が設置されていたのだろうが、それらは全て撤去されており、むき出しの土の地面が残っていた。
優に対応した男が山野であり、もう一人は加藤と名乗った。
二十代前半ほどで、この避難所にいる自衛隊員の中でも若い男たちだろう。
中庭の中央に立って、山野が振り返った。
「少しは鍛えているようだからな。どれ、俺たちが見てやろう」
小さく手を振りながら、振り返る。
言葉とは裏腹に、その表情に浮かぶのは暗い笑みだ。
「礼はいらんぞ――立派な兵士に育ててやる。なに、ここには医者もいるからな、怪我のことは心配いらん、安心して付き合え」
「訓練でしたら、藤堂さんからは明日という事を聞いていますが」
「うるせぇ。俺が鍛えてやるっていってんだ!」
それまで形ばかりであったが、少なくとも笑みを浮かべていた山野が怒声をあげた。
その声に、校舎から何事かと見下ろす影がある。
避難者だ。校舎に住んでいることから中級及び上級なのだろう。
こわごわと覗き込む影に対しても、山野は怒りの声をあげる。
「見せもんじゃねえ。うせてろっ」
叫び声に反応に、慌てたように顔が引っ込んだ。
「や、山野一士、加藤二士。何をされているのですか!」
その時、中庭に飛び込んでくる者がいた。
その人影に、山野は苛立ちの視線を向ける。
自衛隊員だ。山野たちよりもまだ若いだろう、二十にもなっていないであろう。
おそらくは優たちよりも一つ上か、幼い顔を残したショートカットの女性であった。
怯えた表情を向けながら、胸に手を置いて――それでも、女性は言葉を続けた。
「私刑は法律によって禁止されています。彼らは民間人なのですよ」
「人聞きの悪いことをいうな、大場三士。これは彼らに生き残るためのすべを教える訓練だ」
「近接戦闘を知らない民間人相手に何を言っているのです!」
「知らないからこそ教えるのだろう。いいか、邪魔をすると貴様も独房行きだぞ」
言葉に、大場が唇を噛み締めた。
悔しそうに、揺らぐ視線は睨むように山野を見ている。
胸の前で握る拳が小さく震えた。
「ふん。学校卒業もしない新兵が口を出すことじゃない。今すぐうせろっ!」
「いいえ。お願いします、彼らは――」
山野の銃口が、大場に向いた。
「な、にを?」
「うせろと、俺は言ったはずだ。大場三士――これ以上邪魔をするなら」
「その辺でいいだろう。こちらはいい加減待ちくたびれているんだ」
銃口の間に入るのは優だ。
肩をすくめながら、ため息を吐く姿に、目的を思い出した山野が面白そうに笑った。
銃口をゆっくりと下ろせば、
「ああ。そうだったな。ルールは簡単だ。近接戦闘訓練、素手のみで反則はない。お前は俺が相手をしてやろう、加藤」
「そっちのでかいのは俺が相手だ」
浜崎に向けて、加藤が指差せば、脇に自動小銃を置いてゆっくりと前に出る。
その光景に呆然と立ち尽くしていた大場が慌てたように、今宮の袖をひっぱった。
「あ、あなたたちも早く逃げなさい。ここは私が落ち着かせるから」
「落ち着いている雰囲気じゃなかったけれどね」
「いいから。あっちは軍隊格闘技を習ったプロなのよ。勝てるなんて思わないで!」
「今宮?」
中央に出た加藤を見れば、浜崎が問いかけるような視線を送った。
「怪我をすれば、今後に支障が出る」
「そうか。なら――暴れてくるとしよう」
浜崎隆文はにやりと、野獣のような笑みを浮かべた。
Ψ Ψ Ψ
浜崎が前に出れば、その巨体はより明らかになる。
決して小柄ではない加藤であったが、それよりも頭一つ以上大きい。
「力は強そうだが。あたらなきゃ意味がねえ」
だが、それでも加藤の表情から余裕は消えない。
どれほど体格に恵まれていても、あるいは力が強くても人間には弱点というものがある。
筋肉に覆われていない下腹部や顎、金的――あるいは間接。
それらは決して鍛えられない場所であり、それらを素手で破壊するのが近接格闘術だ。
自衛隊に入隊後、徹底的に仕込まれた。素人相手に負けるわけがない。
「いつでもいいぜ。素人と玄人の戦い方の違いを教えてやる」
「ああ。そうか――」
浜崎がゆっくりと肩を回せば、前へ。
それは早くもなく、ただゆっくりと歩く動作。
両手をだらりと下げたまま、まるで馬鹿にするような動きに、加藤の眉間に皺がよった。
「馬鹿に、すんじゃねぇっ!」
叫びとともに、加藤は足を踏み出した。
右の回し蹴りから繰り出される攻撃は、わき腹――浜崎が腕で防ごうとした瞬間――加藤の動きが切り替わった。体重を落とせば、右回し蹴りを途中で中断し、地面を踏み込む。本当の狙いはそこから前に繰り出された、蹴りだ。
右足を軸にして打ち込まれるのは、左足の裏での前蹴り。
だが、それは的確に浜崎の膝を狙っていた。
人間の体で膝関節は弱点だ。
筋肉に覆われていない上に、正面から打ち抜かれれば容易に砕ける。
その一撃を――浜崎は軽々と足を上げて、受け止めた。
鈍い音とともに、まるでタイヤを蹴りつけたような衝撃が加藤に走る。
「あの山崎に比べたら、蝿が止まるような遅さだな」
浜崎が笑みを消せば、まるでつまらないといわんばかりに大きく首を振った。
「自衛隊ってのはその程度なのか?」
「ああっ――!」
言葉に、加藤が叫んだ。
怒りどころか、殺気すらもこもった視線を向けて――拳を握る。
浜崎がさらに前に、繰り出された拳は伸びきることなく、途中で浜崎の腕に止められる。
終わらない。
加藤の腕から繰り出された攻撃が、次々に浜崎の頬をわき腹を捉えた。
「っ」
小さく顔をしかめながら、浜崎の足は止まることなく――前へ。
顎を狙った拳が浜崎の巨大な手のひらに止められば、握り締められる。
「なめてんじゃ、ねえ!」
捕まえたのはこちらだと加藤は心中で呟いた。
近接戦闘は単純な打撃以外に間接も存在する。
拳を握り締められたら、そこからいかようにでも間接を極めることができる。
回り込んで肘をへし折ってもいい、あるいは十字に固めて筋をねじ切って――。
動き始めた加藤の手が、実にあっさりと握りつぶされた。
「あ。あ。あ。ああああああ――」
決して完全に潰されたわけではない。
だが、拳を握りつぶされたかの激痛が加藤の腕に走った。
それは単純な握力の差だった。
スチール缶ですら握り潰す浜崎の力が拳にかかって、動きを一瞬止める。
その頭に、浜崎の手のひらが伸びた。
巨大な五指が加藤の頭を包み込み、がっちりと握り締める。
そのままに――。
「っっっっ!」
加藤は持ち上げられた。
片手一つで頭を持って、加藤の足は地面から離れていく。
食い込んだ指が、頭蓋を圧迫する。
もはや宙にすら浮かされれば、いかなる技術を持とうが対応は不可能である。
回りこむことも、あるいは関節を奪うことも出来ず、ただなすがままだ。
その光景に、大場は動くことも出来ず見ていることだけでしかない。
まさに一瞬だ。
それは戦闘術とか格闘技とかの次元ではない。
ただただ単純な強者による――暴力。
既に加藤の体は痙攣を始めており、もがいていた腕すらもだらんと伸びきっていた。
「き、きさまあああああっ!」
叫んだのは山野だ。
その異常な事態に、ようやく我を取り戻した山野が、叫んで銃口を上げた。
それは浜崎を向く前に――優の手に止められた。
「それは反則だろ?」
言葉とともに繰り出された拳の一撃に、山野は空を飛んだ。
一撃だ。
頬に直撃を受けた山野は一瞬宙に舞い、地面を転がりながら滑っていく。
「凄い……」
その光景に、大場はぽつりと呟いた。
人を片手で持ち上げるのも、殴っただけで人が飛んでいくのも始めてみる。
訓練所での戦い方からは想像もできない、単純な力の差がそこに存在していた。
気絶した加藤を地面に落として、浜崎は苦笑した。
「物足りないな」
「あれだけ殴られておいてよく言う」
優が肩をすくめれば、中庭に踏み込む足音がした。
怒声だ。
「お前ら、何をしている!」
藤堂の声を先頭にして、中庭に踏み入るのは五つの足音だ。
自動小銃を構えた自衛隊員が中庭に踏み込み、睨むような視線を優へと向けている。
地面に転がる山野と加藤を見て、苦い表情をした。
「初日からやってくれる」
「違います。彼らは訓練をつけるといって呼び出されただけです」
「訓練? くだらんことを」
なだめようとした大場の言葉に、藤堂は不機嫌そうに息を吐いた。
それはどちらに向けられた言葉か、山野たちを医務室に連れて行くように指示をすれば、優へと近づいた。
「事情はどうあれ、隊員に手を上げたことは事実だな」
「訓練と聞いていたからね」
「誰がそれをしていいといった。君らの教育は私が任されている――反省もないようだ」
「訓練を命令したのは――」
「大場三士は黙っていろ」
藤堂の言葉に、大場は唇を噛み締めた。
悔しそうに吐き出そうとした言葉が、声として出てこない。
「牢屋で頭を冷やせ。明日からゆっくりと『教育』してやる。ここのルールをな。おい!」
藤堂に命じられて自衛隊員が二人ずつ、優と浜崎の脇に駆け寄った。