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避難所5



「天国ね」

 藤堂が去り、残された優と浜崎は視線を感じながら呆れたように呟いた。

 異臭だ。


 風呂にすら満足に入れていないのだろう。疲れきった表情と汚れた顔の避難民が六十名近くも体育館に押し込められていた。須藤から聞いた人数よりも足りないのは、中級、上級階級のものが校舎にいるだろう。それでも六十人以上近くが体育館にいるため、左右との間隔は数メートルほどだ。ダンボールを床に引き、毛布を並べている。

 新たに入ってきた人間に対して、興味を抱く者――そして、興味を抱く元気すらないのか、再び俯く者。対応こそ様々であるが、等しく表情は疲れきっている。


「素敵な場所のようだ」

「まったくだ」

 しばらく立ち尽くしていたが、そのままずっといるわけにもいかない。

 体育館へと一歩足を踏み入れ、それなりに広いスペースに足を踏み入れる。

すると、奥側の窮屈な場所から猿に似た男が駆け寄ってきた。

 小さい――だが、年齢的には優たちよりも上だろう。

 大学生くらいの青年である。


「君たちは初めてかい?」

「ああ。今日きたばかりだ。よろしく」

「そう。いろいろ聞きたいけど、ここはまずい。ちょっと来てくれ」

 そう呟けば、案内するように猿のような男は奥へと走っていく。

 どうすると浜崎が首を傾げれば、優は苦笑。

「ついていけばわかるだろう」

 と、男に続いて、奥へと足を踏み入れた。


 奥は入り口よりも遥かに狭い。おまけに入り口と窓からも遠いため、異臭の匂いはさらに強くなった。淀んでいる空気に浜崎が眉をしかめる。

 奥へと走っていた男はすでにその場におらず、周囲を見渡せば女性や老人の姿が多い。

 男もいないわけではなかったが、数名程度だ。約二十人ほどだろうか――それが奥まった小さなスペースに押し込められるように存在していた。

「お待たせ。はい、君たちのだよ」

 その状況に言葉を失えば、背後から声がかかった。

 振り返れば、先ほどの猿に似た男が毛布を二つ持っている。

 汚れている上に、返り血なのか血まで付着している。


 それを差し出されて、優と浜崎は一瞬躊躇し、受け取った。

「ささ、ここあいているから座ってくれ。いまお茶を入れるね」

 そう言って、男は自分のスペースであった場所で水出しの麦茶を紙コップに注いだ。

 優と浜崎もその場に座る。

「僕の名前は沢井。沢井賢悟――あのスペースは初級の人間の場所なんだ。君たちはまだ階級なしだろ?」

 なるほどと納得したように、優は背後を見た。

 何名かが興味深げにこちらを見ている。中には優越感すら浮かべるものもいた。


 別にあのスペースがそれほど羨ましいとは思わなかったが。

「わからないことがあったら、何でも教えるよ。僕はこれでも最初からいたからね」

「あ。あの私たちも教えます。だから」

「静かにしてくれ。いま僕が話しているんだよ?」

 その後ろに座っていた中学生らしき少女がおずおずと声を上げれば、沢井の言葉にかき消された。怯えたように再び毛布に蹲る。

「あ、ごめんね。いろいろ人がいたら話も聞けないと思ってさ。とりあえず、僕がここでまとめているって形なんだ」

 不自然な様子に浜崎が怪訝そうな顔をする。


 どうするかと優を見れば、とりあえず話を聞こうと小さく頷いた。

「ここは、階級なしの場所って事でいいのかい」

「そう。見てわかると思うけど、体が弱かったり女性だったり、年をとってたり、いろんな理由があってみんな働けない避難民さ。あ、でも君たちは違うだろ? すぐに初級に――ううん、それくらいの体格があれば上級だって夢じゃない」

 そう語る様子に、なるほどと優は頷いて周囲を見渡した。

 階級なしと呼ばれる二十名ほどの人間は、いま優を興味深げに見ている。

 つまり、早々に階級を上げる人間に対して貸しを作ろうという事なのだろう。

 ここで優しくすれば、いずれ階級が上がった時に上手くしてもらえる。

 浜崎も理解した。

まさしく、役割が行動へとつながっている。


「スターリングラードの監獄だな」

「スタンフォードだよ」

「なんだい、それは?」

「こちらの話です。沢井さんは最初からいるのに、どうしてここに?」

「沢井でいいよ。はは、そう言われると辛いな。僕は昔から力が弱くてね。水汲みとかだけでも初級には上がれるんだけどね。途中でばててしまうんだ、だから階級なし」

 確かに、周囲にいるのは長時間の労働には耐えられないような人間である。

 老人や女性、体の細い男性。


 振り返って初級のスペースを見れば、一般人程度には育っている人間もいる。

 もっとも、初級の中にもここ以上に細い女性もいるため、一概に体格だけの問題ではなさそうだが。

「どんな仕事を?」

「そうだな。初級は水汲みとか物資の配給とかが主な仕事だよ。ただ、来たときに連続して働かないといけない。あとは自衛隊の方々の秘書をしたりとかね」

「自衛隊に秘書が必要だ何て初耳だな」

「まあ、いろいろあるんだよ」

 沢井は言葉を濁し、話を続けた。

「中級になると外に出て、食料とか日常品をとって来たりする。ゾンビがいる外にだよ――僕は無理だな。上級になると、周辺のゾンビを倒したり見張りをしたり」


「別にゾンビが殺せたからってえらいわけでもないだろうに」

「とんでもない。あんな化け物に近づくの何てゴメンだ。だから、外に出なくていい初級が多いんだけどね」

 とんでもないとばかりに首を振った沢井の様子に、浜崎は驚きを見せた。

 それはゾンビと戦うなど現在では日常的なことだ。

必要があれば食料をとりにいくし、ゾンビが近づけば仲間が来る前に殲滅する。


「どれくらいの割合なんだ。見るところ、階級がないのは二十人くらいだけど」

「うん。初級になると五十人くらいかな、中級だと三十人、上級だと二十人くらいしかいないよ。君たちはどこから来たの?」

「南の集落さ。しばらくこもってはいたけど、食料がなくなってね」

「凄いね。それで出て来れるなんて、僕だったら飢え死にしちゃうな」

 ははと沢井はうなだれて、小さく息を吐いた。


「別に。中央に行かなければゾンビも少ないし、冷静に対処すれば怖い相手でもない」

「そういえるのが凄いんだよ。あの顔をみたかい、あの人間じゃないような無表情な――それが人の肉を」

 沢井の言葉に、周囲がざわめいた。

 聞かないようにぎゅっと耳を閉ざし、俯く。

 トラウマか。

 既に彼らは戦えなくなっていた。

 力ではなく、恐怖によって。

だからこそ、この理不尽な状況下でも逆らうこともできないのだろう。そして、逆らうことが出来ない人間を最下層にしたピラミッド型の図式。


 上位の不満は下位へ、下位の不満はさらに下位へと流れ、行き着く先は抵抗すらやめた人間たちだ。不満をぶちまける力も勇気もない。

 なるほど、ある意味よく出来ている。

吐き気がしそうなほどに。

「失礼。嫌なことを思い出させたようだ――少し休むよ」


 目の前の青年の肩に手を置いて、優は壁際のスペースにずれた。

 浜崎が横に並ぶ。

「凄いな、この監獄効果ってのは」

「ご丁寧に、役割まで増やしてくれているらしい。須藤会長は優秀だな。もし子供がいれば真っ先に標的にされていた」


「最悪すぎて、反吐もでねぇ」

 想像して浜崎は眉根をしかめた。

 壁際に移動しても、階級なしの人間は遠巻きに彼らを見つめている。

 初級らしき人間もまた、何名かは興味深げにこちらを見ている。

 だから、他には聞こえぬように互いにもたれあい、ささやくように話を進めた。


「何が違うんだろうな」

「何がとは?」

「俺たちとここの違いだよ。それとも、どこの避難所もこうなのか」

「そんなわけがない。少なくとも公民館はまともだったろう。結局、上によるところだろうね」

 優は指でピラミッドを宙にかいた。


 その一番上を指し示す。

「古くから独裁者が問題視されてきた理由は、上の意見が全てになるからだ。間違えた案件を誰も止めることができない。だから、選挙があるし、民主主義が生まれる」

「ここは日本だぞ」

「そう。けれど、その上を管理することが出来なければ民主主義も何もあったもんじゃない。この状況下で一つ一つの避難所に対して、どういう状況であるか管理できているといえるか?」

「だが、それだけでここまで酷くなるのか?」


「普通であればそんなわけがない。そのために、部外の機関としてマスコミがあるし、あるいは裁判所なり警察署なりに訴えることができる。二重三重に監視されるシステムが構築されていたわけだ。ところが、その社会システム事態が」

 ぱっと優は手を開いた。

「完全に崩壊してしまっている。時間とともにもっと酷くなるだろうね」


「社会の役割なんざ、考えたこともなかったが。なるほど、無駄なようで存外によく出来ていたわけだ」

「必要のない仕事なんてないさ。そこに必要性が出てくるからこそ、仕事が生まれる。だから言ったろう、代表なんて簡単に決められるものじゃない」


「ああ。うちは今宮が代表で本当に良かったと思っているところだ」

「後悔しないといいけどね」

 浜崎の言葉に、優は苦笑した。

「それで。どうする?」

「状況もある程度知ったし――聞きたい情報もあることはあるが、この分だと教えてはくれないだろう。時間もないし、夕食前には帰りたいね」


「帰してくれればいいが」

 現在のところ監視の目はない。

 だが、外に出るとなればゾンビ対策を含めて監視されているだろう。

 校門に置かれたカメラが一つであるという理由はない。

「それが問題だ」

 優が答えれば、金属のきしむ音がした。


 体育館の扉が開いて、自衛隊員の姿が見える。

 その顔に見覚えがあった。

 それはあちらもそうであったようで、奥に陣取る優たちを見れば、視線があう。

 その表情に見下すような、愉悦の笑みが広がった。


「おい。新入り――まあ、なんだ。付き合え」

「なかなか楽しそうな事になってきたな」

「嬉しいのはわかるが、表情だけでも隠した方がいい」

 そう告げる優は、面倒そうな様子でため息を吐いた。


 

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