避難所1
翌日八時ころに、駐車場に調達隊のメンバーがそろった。
精鋭を集めたため、各隊はばらけている。
出発するのは今宮優、浜崎隆文、秋峰琴子、滝口鈴、滝口信二の五名であり、拠点に集まる調達隊の中でも戦闘力に長けた者たちだ。選ばれなかった者は拠点に残り、拠点の防御を担当することになっている。
それぞれ最終的に装備を確認している。
優は二つの手斧を腰につるし、浜崎は太い鉄パイプを握る。
琴子はナギナタであるし、滝口鈴は日本刀を――滝口信二は二つのサバイバルナイフだ。
武器のほかに、肩に下げるリュックには二日分の食料と水が入れられていた。
装備自体は日頃の調達と変わらない。
「本当にいりませんか?」
日原が尋ねたのは、手にした猟銃の件だ。
念のためにと差し出すが、優は首を振った。
「いや。さすがに猟銃を持ってたら話し合いにならないだろう。それに、これも持っているから大丈夫さ」
そう言って、シャツをめくれば一丁の自動式拳銃が腰に下げられていた。
念のためとはいえ、使う機会がないにこした事はない。
優が一丁、浜崎が一丁を、それぞれ懐に忍ばせている。
猟銃よりは威力に劣るが、それでも護身用には十分であろう。
そう告げれば、日原も納得したように頷いた。
「燃料と――言われたとおり、小型発電機も積み込んでおいたがいいのか?」
車両を整備していた日原正則が、尋ねた。
小型発電機とは夜店の屋台や工事現場で使われる、ガソリンで動く発電機だ。
小型のもので持ち運びも便利なそれを、優たち調達隊は工事現場からいくつか手に入れていた。
「ま、お土産にはいいでしょうね。学校や公民館に発電設備もないでしょうし――ライフラインの心配は向こうもしているでしょうから」
食料や水の類は配給によって手に入れているかもしれないが、発電機自体は存在しないだろう。もちろん発電機は貴重であるが、拠点とする銀行には太陽光設備があるため、優たちにとってはどうしても必要なものではない。
もっとも、あくまで情報なり物資と交換であって、ただであげるわけにはいかないが。
優が周囲を見渡せば、それぞれが自分の装備の確認や準備を行っていた。
駐車場に止められた車のボンネットに地図を広げているのは、鈴だ。
咥え煙草をふかしながら、慎重に経路を見ている。
背後から覗き込めば、地図には二点の印。
公民館と大高小学校だ。
除き込んだことに気づいて、鈴が振り返って確認を行う。
「経路的には近いのは小学校だけど」
「駅前を通らないといけませんよね。それなら、公民館から先に回って――」
と、優が経路をなぞっていく。
拠点から出発し、北側に迂回して――公民館へと至る道だ。
その後、指が北側から幹線道路側へと向かい。
「最終的に小学校にしたほうがいいと思います。公民館は田舎道ですから大丈夫ですけど、問題はその後ですね」
「ああ。三ヶ月経って道路がどうなってるか予想もできない。最悪は迂回も考えないといけないね」
「ええ。そのために今回はバスじゃなく軽ワゴンで走りますから。ある程度の細い道も使えます。ただそこが塞がれていたら大変ですけれどね」
「最近、駐車違反が多くて困るよ」
肩をすくめる優に、苦笑しながら煙草をもみ消して、鈴は地図を折りたたんだ。
「今宮君」
「ん?」
「気をつけてね――これ、お守り」
そう告げて、明日香は優の腰にさした手斧にストラップを巻きつける。
そこに吸血鬼と狼男が手斧の柄から小さくぶら下がった。
笑う。
相変わらずだなと。
そして――どこからこんなリアルなストラップを持ってくるのだろうと。
「二見らしいね。ありがとう、必ず帰ってくるさ」
「無事で。約束だよ――まだ学園祭もしていないんだから」
拗ねたように口を尖らせる姿に、優は笑い――。
「約束は守るさ」
Ψ Ψ Ψ
公民館へと至る道はスムーズに進んだ。
元々、公民館自体が北側の田舎地帯に立てられている。
そのため拠点である銀行を出発して、北側へと向かい東へと進路を変える。
大高市西北は調達隊が主として活動していた場所であるので、なれたものだ。
鈴の運転する軽ワゴン車は、田舎道の悪路を走りぬける。
やがて、大高市の中央を抜ける道路へと至り、鈴の表情に真剣な色が浮かんだ。
「増えてきたね」
田舎とはいえ、大高市を東西に貫く幹線道路――そして、南北へと向かう道路まで到達すれば、さすがにゾンビの姿も増えてきた。
この南北に広い道路を下れば、ちょうど街の中央――駅前へと到達する。
そこからあぶれてきたゾンビの姿か、南北の道路には多数のゾンビが集結し、同様に打ち捨てられた車と死体が散乱している。
広い道路にうごめくはゾンビだけであり、人の姿も車の姿もない様子は一昔前の世紀末を想像させる。まだアスファルトの道路自体が整備されているのが救いだろう。
「予定通り東へ抜けてから、住宅街の道路を抜けるよ」
「ええ。狭くなりますから、速度には気をつけて」
「任せな」
鈴はにやりと笑むと、南北道路を横切って進み、細い路地を南に進めば、住宅街に侵入する。
そこはいつか滝口が運転した道路だ。
このまま南側へと進めば滝口の家にたどり着く。
その前に、もう一度、鈴はハンドルを切った。
今度は西に、ちょうど南北道路を迂回する形である。
公民館まではあと少しと――優の目が開く。
「止めてください!」
それは突然の言葉であったにもかかわらず、鈴の反応は早かった。
ブレーキを踏み込み、速度を落とす。
急なブレーキにより、前のめりに倒れそうになった琴子を浜崎が支え、支えがなかった滝口は車のフロントガラスに頭をぶつけていた。
「ちょ、何だよ」
頭を押さえる滝口の前で、鈴が小さく目を開いている。
同様に優もまた前を睨むように――なんだと視線を振れば、視界の先。
ちょうど、道路を横切るように線が見えた。
ワイヤーだ。
止まった車から慎重に外に出て、優がそれを手にする。
車一台分が進める小さな道路の先で、行く手を塞ぐように置かれているのは細いワイヤーの柵だ。それは左右のブロックに固定されている。
「な、何でこんなとこにワイヤーなんて張ってんだよ」
頭をぶつけた恨みか、滝口も外に出ながら、恨めしげに口にする。
「ゾンビよけだろうな」
ワイヤーを引っ張りながら強度を確かめて、優は呟いた。
頭をがりがりとかきながら、鈴も姿を現す。
不機嫌そうなのは、走っていて気づかなかったからだろう。
それほどにワイヤーは細く、ともすれば歩いていてもぶつかってしまうかもしれない。
「ゾンビをよけるのはいいけど、下手したらこっちの車までおしゃかってのは勘弁してもらいたいね」
「まったくです」
気づくのが遅ければ、事故を起こしていたかもしれない。
それは無言の壁となって、優たちの前に立ちふさがっていた。
「で。どうする――っていっても、切るか歩くかしかないんだが」
「壊すのも気が引ける。あと百メートル程度だからな、歩こう。浜崎――後ろの荷物を頼めるか」
「ああ――滝口、発電機を頼んだ。俺は燃料とリュックを背負う」
「わかりました」
頷いて、ワゴン車の後部座席に置かれていた荷物を回収する。
それを見届ければ、優はワイヤーを広げると間に体を通して、中に入り込んだ。
Ψ Ψ Ψ
公民館までの道のりは、ワイヤーの柵から離れてはいない。
それでも百メートルほどの道のりがあるが、公民館へと至る道にはワイヤーを使った柵が所狭しと設置されている。
住宅街の細い道しかないという事も理由なのであろうが、それなりの強度のあるワイヤーが張り巡らされれば、ゾンビといえども容易に進入することはできないらしい。
ワイヤーの中に入れば、ゾンビと遭遇することはなかった。
「危険ではあるが、効率的な柵だな」
「よく考えられていると思うよ。少ない資材で最大限の効果が発揮できる。もっともうちの拠点じゃ道幅が広すぎて、ワイヤーじゃ弛んでしまうだろうけどね」
固定する場所もないしと優が肩をすくめた。
実際にワイヤーの柵は有効であろう。
時間もかからない上に、ゾンビの侵入も防ぐことが出来る。
今のところ、ゾンビ自体はバリケードや侵入できない場所があれば、そこに人間がいると確信しなければ、無理に進入しようとはしない。
その点を考えれば、効果的であろう。
もっとも、車も通行できないというデメリットはあるかもしれないが、配給があって外に調達にいかないのであれば、それも必要ないのかもしれなかった。
五分ほど歩き、いくつかのワイヤー柵を抜ければ、公民館は姿を現した。
大高市公民館は、住宅街の真ん中にぽつりと立つ小さな建物だ。
歴史的にも古く、築三十年を超えている。
そのため建築当初は周囲には何もなかったが、次第に発展する街並みに飲み込まれてしまっていた。
立てられた当初は重厚であった木造作りが、今は風化して一部は腐っているようだ。
漆で塗られていたであろう立派な扉も、今では漆が削れて木本来の木目が見えてしまっていた。
「久しぶりにきたけど、相変わらずお化け屋敷みたいだなぁ」
その立派な様子を見上げながら、滝口が唖然と口を開いて見せた。
滝口の家からそれほど離れていないという事もあり、小さいころにはクリスマスのイベントで来た記憶がある。その時にも古い建物だという印象があったが、街が廃墟のように静まりかえる現状では、なおさらに不気味さをかもし出している。
「住んでいる人の身にもなんな」
その頭を小さく叩きながら、鈴が視線を振れば、優が小さく頷いた。
一見すればお化け屋敷の様相だが、現時点で言えば避難所の一つである。
確実に人がいるはずであり――とはいえ、その人気のなさに少しの不安を感じながら、優は前に進んだ。
あるいは既に壊滅しているのではないかという不安だ。
扉の前に進み、その分厚い扉を叩く。
ごんともどんとも鳴り響いた音とともに、声を出した。
「失礼します。ラジオでこちらが避難場所と聞いたのですが、どなたかいませんか?」
声をかけて、後ろに下がれば――反応はない。
怪訝に思いながらもう一度叩き、同様の言葉を発し、次はドアノブを引っ張った。
鍵はかかっているようだ。
さてと、優は仲間の下へと向かう。
どうだったとの問いかけに対しては小さく首を振り、けれどと続けた。
「誰もいないわけではないと思う。ワイヤーの柵も壊されているわけではない」
「今宮!」
滝口の言葉とともに振り向けば、滝口が公民館の二階を見上げていた。
「いま、誰かこっちを見てた」
そう告げられて視線を追えば、硬く閉じられた窓。
そこで揺れるのはカーテンだ。
風ではない。慌てて閉じたように左右に揺れている。
「誰もいない――ってわけじゃないみたいね」
「武器を持っての来訪者だ。少しくらいはこちらも用心するさ」
慎重に呟いた琴子の言葉に、感情のこもらぬ声が答えた。
その冷静な言葉は扉から――いつしか扉を開けて一人の青年が姿を現していた。
眼鏡をかけた大人びた顔立ちをした青年だ。
大高東高校の制服に身を包み、ゾンビと同じように表情はない。
ただ淡々と優たちを見る――生徒会長須藤康平が、公民館の姿があった。
Ψ Ψ Ψ
「須藤――会長?」
「確か秋峰君だったね。あとは滝口君と浜崎君、それに今宮君か。珍しいね、君たちが一緒にいる何て」
全員の名前を呼びながら、須藤は変わらぬ表情のままに残る鈴を見た。
「あたしは、この信二の母親。滝口鈴よ」
「初めまして、私は須藤康平と言います。滝口君には――」
須藤は少し考えて、
「学校の窓を割った件と消火器を噴射させた件では、非常に世話をしました」
「ちょ――」
そんな事は聞いてないと視線を降ろした鈴に、滝口は慌てる。
「ま、その他のメンバーがもっと個性的過ぎてたいした懸案ではありませんでしたけれど」
須藤は唇をゆっくりとまげて、少し楽しげに浜崎と今宮を見た。
そう言われれば、浜崎は苦笑を浮かべ、優は心外とばかりに肩をすくめた。
「ともあれ、無事で嬉しいよ。ただ少しこの場所は特殊でね」
「特殊?」
問いかけた優の言葉に、そうだと須藤は頷いた。
「説明することもあるし、聞きたいこともある。少し中で話そう」
「そうしてくれると助かる。あまり外では騒ぎたくないしね」
同感だとばかりに須藤が扉を開けば、視界に公民館の受付が広がる。
そして、その背後の人影も。
人影は三人。
一人は見知らぬ人間で、筋肉質の体付きに角刈り頭だ。
その手には猟銃とは違う別種の自動小銃が握られ、扉が開いたいまも油断なく構えている。その姿勢や体格から、一般人ではなく――おそらくは自衛隊の人間であると想像させた。
扉を開いた先に銃を向けられ、小さく目を開けば、銃口を隠すように須藤の手が動いた。
「大丈夫です。千葉さん」
その言葉に千葉と呼ばれた男がゆっくりと、銃を降ろす。
安全が確保されれば、次に向かうのはその他の人影だ。
ほっとしたように息を吐いた琴子が、驚いた声を上げた。
「って、青野先生に、田向井先生!」
「あ、秋峰さん? だ、大丈夫だったの」
「先生こそ」
驚きの言葉は人影からもあがった。
千葉の背後に立っていたのは、大高東高校の教師青野弘子と田向井透の姿だ。
田向井は三十代半ばの独身である。
教師というよりは人の良いオタクという印象が強く、知識は豊富であるものの教師らしからぬ失言も多い。見た目は悪くはないため、いまだに独身であるのはその趣味と口が災いであろうと生徒からは噂されていた。
その隣――青野弘子は大学を卒業したばかりの新任教師である。
学校のときと変わらない須藤や田向井と違い、女性にはこの三ヶ月は厳しいものであったのだろう。綺麗にそろえられていた髪はぼさぼさであって、表情にも疲れが見える。
扉が開いた直後は怯えの表情すら浮かべていたが、琴子の姿に驚きながらも嬉しげな表情を見せていた。
田向井もまた現れた学生たちに驚いたよう表情を見せたが、表情を崩した。
「驚いたな。君たちが一緒だとは」
そう問いかけられれば、一緒に並ぶ今宮と浜崎は視線をかわし、苦笑する。
「事情がありまして」
「どんな事情があれ、無事でいてくれたのなら喜ばしいことだ」
再開の会話の中で、全員が公民館に足を踏み入れれば、千葉が扉に近づいた。
ガチン。硬く閉ざされた扉の鍵に続き、太いかんぬきがかかる。
須藤の案内で、狭い廊下を歩き出す。
室内は外見同様に古く、汚れや落書きが所狭しと書かれていた。
クレヨンで書かれたそれは、一見すれば何の絵か優には想像できない。
黒い丸がかかれ、そこになぞるように赤いクレヨンが横切っている。
床まで書かれているそれを覗き込もうとして、須藤が廊下の途中で振り返った。
「さあ。ここだ――どうかしたか、今宮君?」
「いや」
小さく首を振って、優はその応接室へと向かった。
応接室の中は、やはり狭く古ぼけている。
本来の用途もまた来客用のスペースなのだろうが、多人数が入ることを考えられていないに違いない。
乱雑に積み重なった絵本や落書き帳が、その狭さをより強調させていた。
横長のソファには三人が座ればいっぱいで、正面にも一人がけのソファが二つしかなかった。正面には千葉と須藤が座り、対面するように優と浜崎、琴子が腰を下ろした。
滝口親子はその背後に座っている。
青野はお茶を入れてくると立ち上がり、同時に田向井も青野に呼ばれていた。
手伝いだろうか。入り口前で一度話し、田向井が青野を連れて出て行った。
二人がささやきながら遠ざかる音を聞きながら、正面でゆっくりと須藤が口を開いた。
「とりあえず、自己紹介からかな。こちらは千葉誠さん、自衛隊の方だ。この公民館の代表をやられている」
「いえ。私は派遣されて、ここの防衛の任についているだけです。この施設に関することは須藤くんに任せています」
そう愚直に答える様子は、軍人というイメージそのままであった。
全て任せているといわれても、須藤の表情は揺るぎがない。
「任されているといっても、送られる物資を手配して、配給をしているくらいだけれどね。で、こちらが学校で問題児だった今宮君と浜崎君と滝口君、優等生の秋峰さん。あとは滝口君の御父兄の――」
「滝口鈴。いつも馬鹿息子がお世話になってます」
「いえいえ。それも仕事ですからね」
さして気にした様子もなく、笑いを作りながら答え、須藤は再び表情を消した。
見つめるのは正面に座る優だ。
「さて――結論から言うけれど。ここで君たちを受け入れることは出来ない」