山賊
声がした方へと振り向けば、三人の男が立っていた。
四十を過ぎた髭面の男だ。
おそらく三ヶ月前から一切髭を剃ってはいないのだろう、無精ひげを伸ばして登山服に身を包んだ男たちだった。
三人の男のうち、二人は鉈とナイフで武装しており、もう一人は。
「聞こえなかったのか。その銃をこっちへよこせ」
中央に立っている男が叫んだ。
その手には明日香の握る猟銃よりも大型の猟銃が構えられている。
それは明日香の持つポンプ式ではなく、クレー射撃用の上下二連式だ。
その二口の銃口が優へと向いており、その状況に優は不快そうな表情を浮かべた。
「俺たちがゾンビではないという事を知っていて銃を向けているのか?」
「やかましい。いいから、その銃をよこせ。撃たれてぇのか!」
「ええと。何で、銃を向けられてるのかな」
尋ねかけた明日香に向けて、銃を持つ男の周囲から下卑た笑い声が巻き起こった。
「俺たちの縄張りを荒らしてよく言うぜ」
「いいからさっさと出すもん出して、帰りな」
「縄張り――ね」
なるほど、理解が出来たとばかりに優は息を吐いた。
ゾンビから逃げ延びた彼らは、当初の優の予定のように山にこもることを選択したのだろう。そして、この場所が彼らにとっては縄張りだったと言うわけだ。
「なるほど。でも、それならこの鹿を奪えばいいだけの話じゃないのか?」
銃声が鳴り響いた。
それは優の足元の土を巻き上げる。
男が一発を足元に撃ち放ち、その表情に苛立ちを浮かべている。
「まだ、状況が理解できてないみたいだな。こっちは殺してから奪ってもいいんだぞ」
「死にたくなけりゃ、大人しく銃をだしな。なに、殺しまではしないからよ」
中央で男が銃を構えたままに、にやにやと笑い声を上げながら左右の男が近づく。
その視線が向くのは、明日香の豊かな胸だ。
明らかに銃を奪うだけでは終わらない表情とともに、身だしなみ同様に風呂には一切入っていないだろう、すえた体臭に明日香は眉をひそめた。
「なんかさ。山賊みたいだね」
「はっ。面白いことをいうなお嬢ちゃん。そうだ、俺たちは怖い山賊だよ。ゾンビの前に素っ裸に放り出されたくなけりゃ。大人しくしな――ああ、色男。お前は先に帰ってもいいから。あとで俺たちがお嬢ちゃんを送り届けてやるから」
明日香の上下をなめるように見渡せば、男が優の頬を鉈で撫でた。
「まあ。手馴れた様子でいまさらなんだが、俺たちの敵はゾンビであって、人間ではないはずだが」
「この状況で何言ってんだ。見ただろう、街を――もう警察もいねぇ、政府もねぇ。誰も助けてくれねぇ」
男の叫びに、優は眉をひそめた。
一部の地域において暴動が発生したと言うニュースは聞き及んでいる。
余裕と言うものは、生活が安定して初めて得られるものだ。
食料が足りなくなる、あるいは死ぬかもしれないという大きな不安の元では、人はたやすく壊れてしまう。その結果、救いを求めて宗教が蔓延り、弱気を虐げる。
結果として、こんな人種が増えてしまうという事も当然かもしれない。
既にゾンビと言う絶対的な強者を前にして、それに立ち向かうと言う選択は困難である。
むしろ、それよりも弱いものを狙って行動した方が生物としては楽なのだ。
それが人間としての尊厳を失うことになるかもしれないが。
血走った瞳に走る男を見ながら、優は小さくため息を吐いた。
本来であれば、彼らもまた怯えていた人間だったのかもしれない。
けれど、銃という武器が彼らの気持ちを変えてしまった。
銃を向ければ、大抵の人間は大人しくなる。
楽に物が奪え、欲望も楽に処理をすることができる。
まあ、それも人間らしいと言えば人間らしいことだが。
間違いがあるとすれば。
「わかった。じゃあ、俺は君たちを敵だと認識しよう」
この瞬間――今宮優の敵になったことだった。
Ψ Ψ Ψ
「あ?」
小さく疑問を呈した男の前で、優の腕がしなった。
それは一撃で鉈を持った男の頬骨を砕き、弾き飛ばす。
飛ばす方向は斜線――男が銃を向けている方向だ。
突然人間が吹き飛ぶと言う自体に、銃を向けていた男は引き金を引くことすら出来ない。
その瞬間にはもう一人の男が、優に首をつかまれ、盾にされていた。
ナイフを持っていた腕は、優の腕に掴まれ、もう片方の腕が喉を締め付ける。
「て、てめぇ、これが目には入らないのか!」
「こっちにもあるけどね?」
既に明日香もまた猟銃を構えている。
優の肩越しに狙いを定めるのは、銃を向けた男だ。
銃を放とうにも、既に優と明日香は仲間の体を持ち上げて盾にしている。
必死で動こうと試みるが、優の力を前にして仲間の男は抵抗できなかった。
動けば締め付けられていた喉に力がこめられ、男は蒼白となって口をぱくぱくと開いた。
「さ。どうするのかな?」
「――て、てめっ!」
事態が飲み込めず、怒りに瞳を血走らせる。
考えることもせずに銃を構えた――その背後で。
「死にてーの?」
冷たい感触が男の喉に触れた。
硬直する。
突然の声と、そして喉に当てられた氷のような刃。
その一瞬の硬直で、男は手元の銃を奪われた。
日原だ。
日原昌司が銃を奪えば、それを男へと向けて構える。
男の背後では、いまだ滝口信二がナイフを男の首に当てたまま。
「な、何だ、てめぇら」
「何だも、なにもねぇ」
「二発も銃声がしたら、誰だって気づくだろが。で、うちの隊長に銃を向けてくれた落とし前どうつけてくれんだ。あ?」
「ひ、ひぃっ」
滝口がどすの利いた言葉で脅せば、銃すら奪われた男は情けない悲鳴をあげた。
腰が抜けて座り込みだす様子に、滝口は鼻で笑いながらナイフを脇へとしまう。
日原は奪った銃を向けたままであったが、それも無駄かもしれない。
男の戦意は完全に失われており、その股間の間が染み始めていた。
日原、滝口――そして遅れて宮下が姿を現せば、嬉しげに明日香が猟銃をおろした。
「ありがとう、助かったよ」
「今宮一人でも大丈夫だったろうけどな」
「そんな事ないさ。銃は下手に扱われると困るからな」
「その手に持ってるものを見たら、全然信用ねー」
からからと笑う滝口に、気づいたように優は手に持ったそれを見た。
「そろそろ離してあげないと、しんじゃうよ?」
「忘れてた」
優の手元ではいまだ喉を締め付けられた男が、泡を吹きながら、失神していた。
+ + +
男たちを集めて、荷物をあさった。
「何か、どっちが山賊わからないよね」
明日香のあっけらかんとした言葉に、優は苦笑した。
もっとも食料品の類は持っておらず、荷物も男たちが持っていた武器のほかには、双眼鏡やオイルライターくらいしか出てこなかったが。
それでも銃を一丁と弾薬百発あまりを手に入れられたのは幸運だろう。
自分たちのかばんから物資を取り出されて奪われる様子を憎らしげに見つめながらも、日原と宮下に銃を向けられれば、何も言うことは出来なかった。
「さてと」
座り込む三人の前に、優がしゃがみこみ視線を合わせた。
その動作に、三人の顔に恐怖が浮かぶ。
つい先ほどまで殺しかけていた――それも、一瞬で二人を戦闘不能に追い込んだ人間を前にすれば、恐れない方がおかしいのだろう。
「な。な、あ、人間だろ」
「ああ。そうだ、人間だ」
「ちょ、ちょっとした冗談じゃないか。助けてくれよ、な?」
「冗談で君らは山賊になるのか。いったい今までどれくらいの人間を襲ったんだ」
優の言葉の前に、男たちの表情が揺らいだ。
三人に対峙する優の表情は真剣であり、嘘を許されないという雰囲気を持っている。
「ご……いや、六人だ。でも奪っただけだ、まだ誰も殺してはねえ」
「おまっ」
慌てて、仲間の男たちが男の言葉を止めようとする。
だが、その行動は男の言動が本当のものであることを伝えていた。
視線を向けられて、男たちが黙り込む。
「奪っただけか?」
「あ……いや」
「最低」
言葉に詰まる男に、明日香が酷く不愉快そうな表情をした。
「最悪だな」
明日香だけではない。
滝口も日原も不愉快そうに男たちを眺めていた。
「し、仕方ねえだろ。あ、あんなゾンビが街に溢れてるんだ。助けもこねえ!」
「それは俺たちも一緒だよ。てめーらと一緒にすんな、カス」
苛立ったように滝口が言葉を吐き捨てる。
助けがこない。
食料もない。
不安は大きい。
だが、だから人を襲ってよいという理屈にはならない。
苛立ちを浮かべながら近づいた滝口に、男たちは情けない悲鳴をあげた。
助けてくれと懇願する男たちに向け、
「奪われた奴らも同じこといったんじゃねーの?」
なお近づいた滝口を、優が呆れ顔で止めた。
「やめとけ、後味が悪くなるだけさ」
「――今宮?」
訝しげな滝口の表情に、助かる巧妙を見出したのだろう。
優に向け、しきりに懇願する様子に、優は小さく息を吐いた。
「さっきも言ったが、こんな状況で人同士が争う意味はないと思う。まあ、食料が足りないと言えば話は別だが、今のところこの山だって食料が足りないほどではないのだろう?」
「ああ……」
「だったら、助け合っていくべきだと俺は思う。少なくともゾンビっていう共通の敵がいるわけだ、人間同士で争うのは無益でしかない」
淡々とした言葉に、助かったと男たちの表情がほころんだ。
甘いと表情には出さずに、内心で笑みをこぼす。
その彼らへと向けて、さらに優の言葉は紡がれる。
「だけど。君らは先ほどの――そして、今までの行動でそれを振り払ったんだ。自分たちの行動の意味を考えるといい。君たちは助け合うと言う言葉を、自らの行動で否定したんだよ。だから」
その瞳が細くなった。
「君らはこれから、俺たちの敵だ。今後、この近くに限らず君らを見たら、迷わず攻撃を開始する。話し合いも、助け合いも、容赦もなしだ」
告げられる言葉に、男たちの顔が青くなった。
その言葉の意味を理解して、男たちに震えが走る。
嘘や冗談ではなく、優のその視線は本当に敵を見るものであった。
「今日は殺さない。だけど、気をつけろ――今後、俺たちは君らを敵と認識している」
行こうかと、荷物の整理を終えた仲間たちに優は声をかけた。
いまだに男たちを睨むもの、軽蔑の視線を向けられて、男たちは震えた。
殺されなかったとはいえ、次はその限りではない。
おまけに武器も奪われている。
「ちょ、ちょっとまてよ。てめ、ほんとに人間か。こんな場所で武器を全部とられて、どうやって生きていけっていうんだ」
「さて。それは敵である俺たちの考えることではないな」
「んー。かわいそうだし、これあげるよ」
そう言って笑い、明日香が投げてよこしたのはナイフだ。
木製の小さなペーパーナイフ。
それを足元に投げられて、手に取れば男たちの表情が呆然としたものに変わった。
「なんか。二見が今宮に似てきたな」
楽しげに笑う明日香の様子に、宮下が小さく声をあげた。
「失礼な」
二人の声が同時に重なった。