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救出活動6



「いやいや、ご丁寧に。お礼の言葉もございません」

「あ。いや、そんな大した事をしたわけでは」

「ちょ、お母さん、お父さんも。浜崎さんが困っているじゃないか」

 困ったように高木が頭をかいた。


 人のよさそうな眼鏡の男性と、ふくよかな女性が並んで座っている。

 高木稔の両親――高木秀介と高木恵子であった。

 ちょうど秀介は昨日は仕事が休みであり、恵子は専業主婦だ。

 息子の帰りがなく、探しに行きたい。しかし、テレビでは非常事態宣言のため外に出ることを禁止されている。


どうしようとそう思っていたところで、彼らが到着したのだった。

高木稔の姿に、丁寧にお礼を言われれば、浜崎たちも頭をさげるしかない。

「どうぞ、ごゆっくりしていってください。いまお茶を入れますから」

「お母さん、そんな悠長なことをしている場合じゃないんだ。いま、浜崎さんたちと一緒に大高都市銀行に集まっている。お母さんたちも準備をして」


「あら、銀行――?」

 不思議そうに母親である恵子は首をひねった。

「何でまたそんなところに」

「いろいろとね。防犯設備もしっかりしているし、何より太陽光パネルがあって電気も使える。ここよりはよほど安全で、快適だと思うよ」


「太陽光パネルですか。それは素晴らしい、最近良く注文が入るよ」

目を光らせたのは隣に座る、高木秀介だ。

「お詳しいのですか?」

「私は便利屋をしておりまして。最近は太陽光パネル人気で、よく設置の依頼を受けます」

「それは凄い」


「いえ。凄いというほどのものでは、とどのつまりは何でも屋ですよ。トイレのつまりをとったりとか、蜂を退治したりとかいろいろです」

「だから、自己紹介はあとでもいいだろう。ほら、用意していくよ」

 疲れたように高木が促せば、そうだねと秀介が立ち上がった。

「じゃ。母さんはこっちで荷物を積み込んでくれるかな、僕は外で車の準備をしてくる」

「車があるのですか?」


「うん、仕事用のね。一通りの仕事道具は入っているし、役に立つと思うよ。稔、大高都市銀行だね」

「ああ。そうだ――」

「わかった。じゃ、僕たちは準備を終えたら出発するから。そっちは先を急ぐといい」

「って。ゆっくりなのかせっかちなのか、はっきりしろよ」

「稔が急げって言ったんじゃないか」

 くすりと、秀介は微笑を浮かべた。


 Ψ Ψ Ψ 


 秋峰家は木造の古風な一軒家だ。

 敷地自体は浜崎の家には劣るが、それでも道場が併設されているために一般の民家以上の広さがある。

 バスから滑るように降りて、振り返り。

「いま呼んでくる。すぐに戻るから」

「いや、一応付いていこう」


「心配性ね」

 降り立った浜崎に小さく笑いながら、琴子はナギナタを手に木製の門扉を開けた。

 日本風の家屋だ。

 門扉を開けば、飛び石が家の玄関まで続いており、ガラス戸があった。

 割れている。


 スライド式のガラス戸は、一部が欠落し剥がれ落ち、ヒビが入っていた。

 何かがぶつかったような痕跡に、門扉を開けたままに琴子は小さく体を震わせた。

「大丈夫、よ」

 そう呟いたのは独り言のようで、手にしたナギナタに力がこもった。

 ガラス戸には鍵がかかっている。

 スカートのポケットから、鍵を取り出してあけた。


 音がして、ゆっくりとスライドされて開かれる扉。

 崩れかけていたガラスが、外れて硬質的な音を立てた。

「ただいま――っ!」

 琴子の言葉に、出迎える声はない。

 薄暗い板張りの廊下があって、壁掛けの古びた時計が飾ってある。

 そして、その長い廊下を走るのは――赤い紅い染み。

 琴子は浜崎を置いて、駆け出した。


 靴を脱ぐことも忘れ、走り出す。

 廊下に続く血痕は、まっすぐに奥の部屋へと向かっている。

 仏間だ。

 後ろから浜崎が声を上げて、追いかける。

 聞こえない。

 ただ自分の荒い息だけがわかる。


 閉じられた仏間の扉を開けようとして、開かなかった。

 何かが引っかかっているようで、引いても押してもびくともしない。

「秋峰、下がってろっ!」

 言葉とともに、分厚い足が扉に食い込んだ。

 衝撃音――続けざまに、もう一撃足が繰り出されれば崩れるような音が仏間から響いた。


 すでに半壊している扉を、こじ開ければ、そこには机を重ねたバリケードがある。

 その奥で。

「おとうさんっ!」

 琴子は悲鳴を上げた。


 Ψ Ψ Ψ


 秋峰琴子の父親――秋峰恭介が倒れていた。

 血にまみれ、身を包んだ白い衣装がまるで赤だったように染まっている。

 顔に深い噛み傷があり、頬の肉がごっそりとかけ落ちていた。


 うなだれる様に仏壇にもたれかかりながら、それでも前を向きバリケードを凝視している。

「おとうさんっ!」

 叫び飛び出そうとした琴子を、浜崎は制止した。

「秋峰。秋峰、落ち着け! 親父さんは、噛まれてる!」

「うるさいわね。いいからそこをどいてよ。離してよ!」


「離すか。落ち着け――親父さんは噛まれたんだ!」

「いいから、離せ!」

 叫び声とともに繰り出されたのは膝だ。

 それは狙い違わず、浜崎の股間を捕らえた。

 突然の金的にさしもの浜崎も衝撃を受けたように、崩れ落ちる。


 その手が離れた。

「お父さんっ!」

 叫び駆け出した琴子が、父親に近づいた。

 けれど――動かない。

 琴子が父を抱きとめ、力強く揺する。

 だが、その体に力はなく、体温もない。


 琴子が揺するままに体が揺れて、上下していた。

 やがて。

 その光景に、最悪の状況を予想していた浜崎は驚きを浮かべる。

 なぜ、襲わない。

 ただ琴子の呼びかけにも答えず揺すられるままだ。

 家族だから――そんな馬鹿な。


「大丈夫、よ。お父さん、襲わないよ」

 そんな潰れそうな声が、琴子から漏れ出た。

 それは消えそうで、切ない小さな声だ。

「だって、もう死んでるから」

 浜崎は大きく目を開いた。


 ゆるりと体を起こし、痛む股間を押さえながらも慎重に足を進める。

 そこに秋峰琴子の父親はいた。

 頬を噛まれ――そして、肩から腹部にかけて深い裂傷がある。

 まるで何かに切られたように。

 ゾンビ化する前に、死んだのか。


 深い血溜りの中で、汚れることもかまわず、琴子は佇んでいる。

 振り返る、死んでいるともう一度消えそうな声で言った。

 その瞳に涙はない。

 感情もない。

 だが、それはゾンビのような無表情ではない。


 怒り、悲しみ、そして怯え――様々な感情が入り混じった無表情。

 浜崎はかける言葉を失い、琴子を見下ろした。

 再び父親へと振り返り、小さく抱きしめる。

 かける言葉など思いつくはずもない。

 首を振った浜崎の耳に、小さな音がした。


 ことりと。

 すぐに周囲を見渡して音の場所を確認する。

 琴子の耳にはその、微かな音は聞こえなかったようだ。

 だが、確かに音がした、そんな気がする。

 浜崎は思う。


 なぜ、彼の父はこの部屋に閉じこもった。

 出血多量になるほどであれば、まず治療を考えるはずだ。

 自分がゾンビになることを恐れ、閉じこもったのだろうか。

 違う。

 それならば、わざわざバリケードなど張る必要もない。


 死を前にして、彼は――秋峰琴子の父親はゾンビを塞ごうとしたのだ。

「秋峰、ちょっとどいてろ!」

「浜崎?」

 意味がわからないと、ただ仏壇の前から浜崎に押しのけられて怒りを浮かべる。

 そんな表情を一瞥もせずに、浜崎は仏壇を抱えた。


「ぐがっ」

 力をこめて、それを引き抜く――投げ捨てれば、仏壇は崩壊の音を立てて倒れた。

「ちょ、ちょっと浜崎。いい加減にしてよ!」

「守ったんだ」

 叫んだ琴子の前で、浜崎が安堵の表情を浮かべている。


 何がと、浜崎の視線をおって、琴子は大きく目を開いた。

 仏壇が塞ぐ壁の中。

 人が入れるようなわずかばかりの隙間の中で、子供を抱く――女性。

 意識を失っているのか、気絶しているが――その体に深い傷はない。

「守ったんだよ、秋峰の親父さんは。死にそうになりながら、それでも大切な人を」

「お母さん、千里も」


「自分が噛まれて、切られて、死んでも――ずっと」

「うん……」

 腕の中で、あとは任せたとばかりに眠る父を抱きしめながら、琴子は一筋の涙を流した。


 Ψ Ψ Ψ


「いいのか?」

「ええ。もう大丈夫――お父さんの思いは無駄にしないわ」

 力強い言葉が返ってきて、浜崎は頷いた。

 目を覚ました秋峰琴子の母親――秋峰里美と妹の千里が全てを話してくれた。


 感染した祖父が襲い掛かったこと。

 それを守るために父親がどれほど強く戦ったかを。

 そして、彼女たちを隠し部屋に隠したのだ。

 最後まであなたのことを心配していたと、母親に言われ、琴子は再び涙した。

 それを拭い、琴子は強い表情で浜崎を見た。

「私は今から決着をつけてくる。お父さんが出来なかったことを」


「一人で大丈夫か?」

「大丈夫。浜崎はお母さんたちをよろしくね」

「任された」

「琴子」

「私は大丈夫だから。それにこれは、私の手でやらないといけないから」

 そう言われれば、不安げな里美も小さく笑った。


「しかし、不思議ね。まさか琴子か彼氏を連れてくる何て」

「お、おかっ!」

「残念なのですが、そういう関係ではないんですよ」

「あ、当たり前でしょ!」

 強く否定の言葉を口にして、まったくと琴子は小さく息を吐いた。

 浜崎が母親と妹を連れて行く。


 残された琴子は背後を振り返った。

 祖父がゾンビになったと聞いた。

 だが、彼はいまだにそこで待っている。

 そんな強い確信が琴子の胸に宿った。


 琴子のナギナタの師匠であり、そして琴子を溺愛してくれた大切な祖父。

 それが待っている。

 だから、行かなければならない。

 父親が出来なかったことを成し遂げるために。

 そして、大切な祖父を楽にするために。


 そう思い、強くナギナタを握り締めると、琴子は道場へと足を向けた。

 道場では祖父が静かに座っていた。

 厳格で、皺に刻まれた強い意志はすでにその表情にはない。

 ただただ無表情で、静かに座っている。


「お爺ちゃん」

 小さく呼びかけても、答える声はない。

 ただ握っている。

 それは真剣のナギナタだ。

 動かない、言葉もない。

 ただ、その意思を理解して、琴子は手にしたナギナタを脇において、壁にかけられたナギナタに手を伸ばした。


 こちらも練習用とは違う、刃が付いた――真刀。

 立ち上がった。

 ゆるりとあける口に広がるのは、紅い血痕。

 清潔な白い胴衣も、すでに父親の血に染まり――それがゆっくりとナギナタを構えた。


 道場中央、近づいて一礼。

 そして、戦いが始まった。


 Ψ Ψ Ψ


 加速する踏み込みは、琴子の予想よりも遥かに早い。

 年をとってからの祖父は、基本的にはカウンターの戦術が多い。

 緩やかな最小の動きでこちらの攻撃をかわし、一撃する。

 けれど。


 いまゾンビ化した祖父には体力の限界も、筋肉の衰えも存在しない。

『秋峰流は、烈火の攻撃を特徴とした剛剣』

 そう表現していた、全盛期の祖父の動きに琴子は構え、笑みを深くした。

 強いと思う。


 だからこそ、超えたいと思う。

 それは武道を修めた者の願い。

 より強く、より高みに。

「はっ!」

 研ぎ澄まされた一撃が、打ち込まれる――刃先を滑らされた祖父の刃が琴子の脇を駆け抜け、床を轟音をもって抉り取った。


 交わしざまに、柄を振るう。

 激突音とともに、狙い違わずそれは祖父の膝を打ち据えた。

 しかし、痛みを感じないゾンビは打ち据えられた足を軸に回転。

 鋭い蹴りを繰り出して、琴子はそれをナギナタで受け止めながら同時に背後に飛んで衝撃を逃がした。


 追撃。

 大地を叩き走り出す祖父が、縦横無尽にナギナタを繰り出す。

 まさに烈火の攻撃に、琴子は柄で刃で、それらの攻撃を全て叩き落した。

 攻撃を主体にするのは、秋峰流の特徴だ。


 防戦は不利と、繰り出される攻撃の中で琴子は体を沈ませて、足を振りぬいた。

 膝へと。

 叩き込まれても祖父は動じない。

 なお沈ませた琴子を狙いナギナタを動かす。

 その脇を転がるようにして交わして、立ち上がった。


 汗が頬を伝い、かすった肩から小さく血が滲んだ。

 振り返る。

 かわらず無表情のままに、祖父はいた。


 それまでのゾンビとは違う。

 ナギナタを手にして、武術の動きを覚えている。

 でも。

 でもと、琴子は悲しげな表情を浮かべた。

「出来れば、意識がある状態で戦いたかった」

 再び祖父が動き出した。


 駆け出す動作はそれまでよりも遥かに速い。

 自らの身すらも捨てた、大上段の振り抜きだ。

「はあっ!」

 叫びとともに琴子が疾走――道場中央で、琴子は祖父と顔を見合わせた。

『痛いのは嫌か。でもな、琴子――痛みを忘れると人は強くはなれんぞ』


 そう言ったのはお爺ちゃんよね。

 あの時はわからなかった。

 だって、祖父にナギナタで体中を打ち据えられた後だったから。

 でも、今はわかる。


「わかるよ、お爺ちゃん」

 痛いからこそ、人は避けようと思う。

 痛いからこそ、人は優しくなれるのだと思う。

 だから。


「痛みを忘れたゾンビに、私は負けないっ」

 言葉とともに繰り出した攻撃は、再び祖父の足を打った。

 その足が、折れる。

 痛みがあればかわせたであろう攻撃。


 だが、それは祖父に気づかせることなく、祖父の足を完全に破壊していた。

 折れ曲がった足が、振りぬかれた大上段の一撃を支えることも出来ず、傾いていく。

 その首を――振りぬいた琴子のナギナタが、跳ね飛ばした。

「ありがとう、お爺ちゃん」

 倒れ行く祖父の体に一礼して、秋峰琴子は静かに瞳を拭った。




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