救出活動3
もちろん。出会いは幸福なだけでのものではない。
一般の、平凡な家庭の住居。
そのリビングルームで、泣きつく二人の女性を抱きしめながら呆然と遠藤剛は立ち尽くしていた。
「お姉ちゃんが……おねえちゃんが」
「わ、わかった。わかったから、翔子、純子落ち着けな。だから、説明しろ。姉ちゃんが、姉ちゃんがどうしたってんだよ」
遠藤剛は父と母と、そして姉一人に妹が二人の六人家族だ。
妹の二人は双子なのだろう。
まだ中学生ほどのあどけない顔立ちに、一人が髪を右にまとめ。もう一人は髪を左にまとめている。
暗い室内で呆然と座り込む二人は、しかし遠藤剛の姿にその表情を崩し――泣き出した。
そこに他の住人はいない。
誰かいたならば、すぐに出てきているはずだ。
それほどまでに、妹二人の嗚咽は深く、深く――悲しい。
「お、お父さんがおかしくなって。お母さんを。お、お姉ちゃんが何とかしたんだけど、でも、でも今度はお姉ちゃんが噛まれて」
ところどころ、聞こえる言葉を遠藤はただ呆然と聞くしかない。
理解なんて出来ない。
したいわけがない。
そんな彼に、言葉もかけられず明日香はただ扉の外から彼の背を見守るだけだ。
その肩が叩かれた。
つらそうに、滝口鈴が立っている。
彼女もまた、同じように言葉を失っていた。
足音。
二階から静かに降りてきたのは、今宮優だ。
静かに首を振る。
その動作で、二階で何があったのか全て理解できる。
そんな動作だった。
「もう、大丈夫だからって。でも二階には上がっちゃ駄目って。それから、お姉ちゃん戻ってこないの。かえってこないの」
「わかった。わかったから、もう大丈夫だ。こっちにはつえぇ味方もいるし。兄ちゃんが守ってやるから。だから、泣くな――泣いたら、姉ちゃんが悲しむだろうが」
懸命に励ましながら、遠藤剛は唇をかみ締めた。
「な。ほら、可愛い顔が台無しだ。二見――」
「え。あ、はい」
「二人を頼んでいいか? ここ寒いからよ、車に入れてやってくれよ」
「う、うん。わかった」
「さ。あのお姉ちゃんについていってな。暖かくして、おりゃぁすぐにいくからよ?」
二人をもう一度抱きしめて、制服姿の二人の肩におそろいのカーディガンをかけてから、背中を押した。迷ったように振り返ったが、唇を曲げるような遠藤の笑顔――明日香と鈴に肩を抱かれて、何も言わずに玄関へと向かった。
そして、遠藤は腰を落とした。
震えている。
かける言葉もなく、優もその場を後にしようとした。
その時――。
「なあ、二階どうだった?」
かけたのは震えと恐怖が混在した、小さな声だ。
それは独り言だったのかもしれない。
けれど、優は無視することもなく。
「妹さんの言ったとおりだ」
と、その背に声をかけた。
「三人とも。お姉さんはゾンビにはなっていなかった」
短い言葉。
ただそれだけで、全て理解できるような端的な言葉だった。
父と母は姉が始末したのだろう。
そして、噛まれた姉もまた自らの手で、その残酷な運命に幕を下ろしたのだ。
ひっくと、嗚咽が漏れでた。
一度出た声は、やむことがなく、それは慟哭へと変化していく。
「わ、わかってんよ。こんな事があるってことくらい――感染率マックスのやべー病気だぜ。誰も彼もこんなことになってるって。だから、妹二人が無事だったってだけで喜ぶべきだって」
わかってるわかってると何度も繰り返しながら、遠藤は肩を震わせた。
「姉ちゃんは命を懸けて守ったんだ。だから、次は俺が守らなきゃなんねぇ。泣いてる場合じゃねーってわかってる。それはわかってんだよ」
上がる感情を憎らしげに、遠藤は拳を床に振り下ろした。
何度も何度も。
痛みで悲しみを紛らわせるように。
「何で、何で今宮はつぇーんだ」
「強い?」
「もう今宮には誰も残ってねえんだろ。でも、俺は二人も残ってる――血の繋がった家族が。なのに、何でそんなに冷静でいられんだよ。何で俺はこんなによえーんだ」
「強いと言うのかな、それは」
問いかけられた言葉に、困ったように髪を撫でて、優は苦笑する。
「泣かないから悲しくないわけでもないし。泣かないから強いわけでもない。ましてや、泣いたから弱いわけでも」
背後から語られる言葉は、どこか困ったようで――説明に戸惑っている。
そんな雰囲気が感じられた。
「誰もいないか。そうだな、俺にはもう誰もいない。そういわれて実感するのは、もしかしたらそんなことを考えたくなかったから。考えていなかったからかもしれないな」
「……」
「自分の気持ちを説明するのは難しいし――俺は自分を強いとは思ったことはない。それは他の人が判断することだし、それをもって何でと問われても非常に困るわけなんだが」
本当に、本当に困ったように優は髪をかきながら、苦笑して見せた。
「ただ、君の守りたいという思いは強いものだと思う。そして、泣きたいと言う感情を弱いものだとは思わない。君が俺を強いと判断してくれたように、俺も君を見て、そう思う。外に出ている、落ち着いたら出てくるといい」
そういい残して、優もまた玄関の扉を開けた。
一人――いまだ日常が残るリビングルームで、ただ一人の少年の嗚咽だけが響いた。
Ψ Ψ Ψ
二見明日香の自宅は、小さな住宅だ。
アパートほどに狭くはないが、マンションほどに広くもない。
住宅の並ぶ敷地に、正面には小さいながらも公園があった。
そこにトラックが停車して、明日香と優が降りた。
「荷物をまとめたらすぐに出てくるから、みんなはここにいて」
「大丈夫かよ。襲われるなよ?」
いまだ元気のない声ながら、それでも小さく遠藤は笑った。
「大丈夫だよ。こっちには今宮くんがいるし」
「そっちに襲われるかもしれんぞ」
「襲うか」
優が苦笑いを浮かべれば、冗談だよと遠藤が作ったような笑みを浮かべた。
困ったように。
「さっきは悪かったな。あたっちまって」
「たいしたことじゃないさ」
手を振り、明日香と伴い家へと向かう二人を見送りながら、助手席で遠藤剛は頭をかいた。
「やっぱ、俺はよえーよな」
小さく呟いた言葉に、運転席から伸びた手がその肩を叩く。
「そう思うなら強くなんな。諦めたら試合終了だよってね」
「どこの監督だよ」
鈴に口を尖らせながら、そうだなと遠藤は思う。
弱いならば強くなればいい。
いや、強くなくてもいい。
ただ、彼のように――自分がいれば大丈夫だと、そう言ってもらえるように。
兄ちゃんは強くなる。
荷台の妹二人を振り返りながら、遠藤剛はそう思い、ピアスをはずした。
「見掛け倒しとは、もう卒業だ」
投げたピアスが小さく、銀の色を輪をかいた。
Ψ Ψ Ψ
住宅は静かなもので、綺麗に整理されていた。
モノトーンの色調は陽菜の趣味であるところだろう。
室内には荒らされた様子もなく、そのままの状況を持って家人を出迎えた。
「あ。冷蔵庫にお茶が入ってるから、お茶でも飲んでて。私荷物をつめてくるから」
そう言って階段を駆け上がった明日香を見送り、優は進められるままにリビングに入る。
女性の家に入るのは初めてだなと思いながら、リビングに飾られる『吸血鬼』のポスター。
予想とは違う人物の出迎えに、二見明日香らしいと優は笑みをこぼした。
テレビラックの上に乗せられているのは、写真立てだ。
陽菜が、明日香が、そして和馬が笑っている。
その小さな写真――中央にいる男性は今は亡き父親なのだろう。
優しげに微笑んでいる。
それを手にして、家族と言うものにどこか懐かしさを感じた。
二階では物音が響いている。
悲鳴はなく、ただ荷物を盛大に詰め込んでいるような梱包の音だ。
少し時間がかかるなと、優はテレビのリモコンに手を伸ばし、スイッチを入れた。
砂嵐。
それは電波が途切れていることをあらわしていた。
別のチャンネルに切り替えれば、今度は無人のスタジオを映し出している。
血だ。
普段はコミカルなバラエティを流している会場は、鮮血と死体を持って出迎えていた。
これが現実だと、視聴者に見せ付けるように。
もう誰もいない。
お前も諦めろと。
チャンネルを切り替えれば、緊急ニュースという文字とともにリポーターが目を血走らせている様子が映し出された。
『現在。日本国全域にわたり、非常事態宣言が発令されております。皆様、決して戸外には出ず、誰も入れないでください。繰り返します、狂人病の蔓延に伴い、現在の首都機能は崩壊しており、政府は海上輸送艦より指揮をとっております。自衛隊、在日米軍が合同で対策をとっており、区画ごとの制圧作戦を決行――決して、安易な情報に惑わされることなく、事態の収拾までいましばらくお待ちください。では、現地から』
そして場面が、移り変わる。
それは渋谷だ。
有名な駅前のセンター街で、完全武装をした自衛隊員たちが迫りくるゾンビに向けて発砲していた。
次々に打ち倒されるゾンビの姿は、とても放送できるものではない。
けれど。現在の状況であれば仕方がないことかもしれない。
ゾンビは制圧できる。
それを伝えなければ、恐怖はさらに加速させ、膨張させることになるだろうから。
『現場から佐藤が伝えます。昨日の当時、渋谷には数万人以上の人間がいたと考えられており、現在――』
どんと強い衝撃音が響いた。
巨大な電光掲示板に着弾したそれは、破片を撒き散らし黒煙を巻き上げる。
「げ、現在。自衛隊による決死の救出作戦が行われておりますが、現在のところ救出者は数百名に満たないとの発表されております。前線では、いまだ戦闘が続いておりますが、武器を持たないゾンビは恐れるものではなく、順調に区画を開放……」
そして、悲鳴が響いた。
カメラが振り向けば、前線にいた兵士の頭上に落ちている。
落ちている、落ちている――人。
それは高いデパートの最上階からの落下だ。
恐怖すらも感じさせず、頭上からその肉体ごと兵士を押しつぶし、そして。
噛む、噛む、噛む。
引き剥がされたゾンビが頭を打ちぬかれた刹那、潰された兵士が牙をむいた。
『奴ら、上からも来るぞ!』
『撃て。撃て、撃て!』
叫び声と悲鳴、銃声が響き渡り、画面が一瞬フェーズアウト。
再び中継は、室内へと戻った。
『げ、現場は混戦の模様です。しかし、すでに政府は新宿における大規模救出作戦を成功させたと発表しており、各街へも作戦部隊が向かっています。繰り返しますが、皆様はそれまでもうしばらく、もうしばらく家に閉じこもり、決して外には出ないでください。以上、緊急ニュースをお伝えしました、コマーシャルの後はゲストの東都大学』
トン。
音に振り返れば、トランクを持った明日香が背後に立っていた。
じっと画面を凝視している。
「そ、そっか。そうだよね、そりゃ自衛隊だっているし、大丈夫だよね?」
「どうだろうな。実際、見たところある程度は押していたようだが、犠牲も出ている。自衛隊の総数が二十四万くらいか。空気感染率があるから、それから数万ひいて二十万。全て開放するまでに人数が残っていればいいけどね」
肩をすくめたのは、優だ。
「どうしてそこで、正論を言って不安にさせるかな」
「嘘はつきたくないだけだ」
「そういう時は嘘でもいいから、大丈夫だよって言うといいと思うよ」
「まあ、なんだ。すでに大高市だけでこんな廃墟の状況で、チャンネルもほとんどない。インターネットの方も今朝方にはほぼ検索サイトが消えかけていたが――まあ、根拠はないが、大丈夫だよ」
「全然信用できないよっ!」
頬を膨らませて、明日香は台所に向かった。
冷凍庫から冷凍の肉類や冷凍食品を取り出し、紙袋につめていく。
『現在、各国政府が合同で新薬の開発に乗り出しております――私もその一員となって、ええ。ここで説明を終えましたらすぐに、取り掛か――』
「手伝おうか?」
苦笑し、優はリモコンの電源を切った。