救出活動2
「だから、悪かったっていってんだろ」
「悪かったですむか。俺は飛んだんだぞ、空を! 第一、どこをどう間違えたら、セカンド入れようとして、バックになんだよ」
「いや、母ちゃんのトラックはオートマなんだよ。マニュアル何て慣れてねー」
「バイクは全部マニュアルだろうが」
「ありゃ、ギアを足で変えるし。そもそもバックギアはねぇ」
運転席と助手席では不毛な会話が続けられていた。
遠藤が荷台を嫌がったため、現在助手席にいるのはピアス男の遠藤剛だ。
幸いにして、最初の事故を除きスムーズだ。
滝口自身も運転に慣れてきたのだろうが、エンストの回数も減ってきている。
もっとも、減ってきているというだけであり、ゼロではないのが恐ろしいところだ。
「二見もちゃんと掴まっていた方がいいぞ」
「うん」
会話を耳にして、明日香はクレーンを持つ手に力を込めた。
現在のところ、道路自体にゾンビの姿はない。
意図的に周辺の過疎部を回っていることもある。やはりゾンビは人の多いところに固まっているようだと、地図を広げながら優は思った。
けれど、家を回るとすればいずれは中央に向かわなければならない。
運転初心者である滝口が、不安と言えば不安だったが他に方法はない。
優自身もマニュアル車と言うよりも、車の運転自体したことがない。
任せるしかないと言うのが、現状のところであった。
「大丈夫だよ。映画だとスムーズに進む方が危険なんだから」
「出来れば現実はスムーズに進んでもらいたいだけどな」
難しいことだと笑いながら、時計に視線をやった。
十時三十分。
出発から二時間半あまりが経過している。
それは整備場での物資の積み込みに時間がかかったこともあるが、現状で行けばスムーズと言っていいだろう。うまくすれば、三時くらいには戻れるはずだ。
地図に再び目をやれば、日原の赤丸から外周の過疎部を周り中央へと向かっている。
そこに点在する赤い丸が目的地であって、一番近い場所――滝口信二の実家があった。
「そろそろか」
顔を上げれば、再び畑などの空き地から住居区画へと移り変わっていた。
空き地は数を少なくして、逆に低階層の建物が目に付く。
平屋や二階建てのアパートなどだ。
コンビニやガソリンスタンドといった、商店もちらりと見えてきた。
そして、ゾンビも。
「おい。前!」
「ああ。わかってるよ。行くぞ、俺だって覚悟してんだ。日原にだけ我慢させてたまるか」
滝口はクラッチを切って、目の前に立ちふさがるゾンビを睨み付けた。
やってやる。
仲間は、俺が守る。
そして、ギアを、バックに入れた。
Ψ Ψ Ψ
「俺が運転する」
フロントガラスに頭を強打した遠藤が、赤くなった額を押さえながら呟いた。
「いや、何だ。シートベルトしてなかったお前が悪い」
「てめぇも、頭フロントガラスに叩きつけてやろうか」
結局、ゾンビの目前で急停止した車両は――悶絶する遠藤を尻目にトラックに襲い掛かった。その瞬間、トラックの屋根を走った優の手斧に沈黙することになったが。
「ま、一体だけならあえてひく必要はないさ」
明日香の隣に座りながら、優は苦笑混じりに運転席に声をかけた。
不機嫌そうな明日香と、いまだ怒り覚めやらぬ遠藤が驚いたように優を振り返る。
「どうしてもというなら、仕方がないが。その衝撃でガラスが割れたり、最悪、壊れる事だってありえるからな。かわせるなら、それに越したことはない」
「は。だ、だろ?」
「でも、ゾンビの真ん中で立ち往生だけはやめてね。滝口君?」
思わぬ助けに、笑みを浮かべかけた滝口に、明日香の冷たい言葉が刺さった。
「すみません」
素直に謝罪の言葉を口にして、やがてトラックはアパートの手前で停止した。
木造の古いアパートだ。
二階建ての小さな、ぼろと言えばぼろなのだろう。
洗濯機が出入り口脇にむき出しに置かれており、扉も木製の簡素なものだった。
「ついたぜ。ここが、俺の家だ」
そういえば、滝口がシートベルトをはずして運転席の扉を開いた。
荷台から優が飛び降り、周囲を警戒する。
「どこだ?」
「ああ。こっちだ、この一番東の端――懐かしいなぁ」
「遠藤、周囲の見張りを頼む。近づいてきたら教えてくれ」
「わかった」
頷いた遠藤も、頭をさすりながら周囲を見渡している。
「それと二見は……滝口、油断するな!」
見渡した優が、叫んだのは滝口が嬉しそうに扉を開けた瞬間だ。
刹那。
伸びる腕が滝口の腕を掴み、その頭部に。
見事な右ストレートが叩き込まれた。
「この化け物が。頭カチ割ってやろうか」
その頭をカチ割った後で、罵声が響き渡った。
見事な一撃を食らった滝口は派手に吹き飛びながら、二回転。
そして、沈黙した。
誰もが言葉を発することが出来ず、その光景を見守っている。
倒れた滝口を見て、命にはかかわらないと、次に伸びた拳の先を見る。
若い女性だ。
まだ三十ほどの、髪を赤く染めてシャギーを入れている。
強い瞳とボリュームのある体つき、口にタバコを咥えながら睨んでいる。
その視線が、優へと向いて――そして、倒れた滝口に向いた。
「って、あれ? 信二」
口にするのは疑問の声だ。
「い、いでで。な、なにすんだよ。母ちゃん」
ようやく意識を取り戻した滝口が、殴られた頬をさすりながら顔を起こす。
その顔に、女性は驚いたように口を開けた。
「いや、化け物かなーと思ってさ。いやほんと、あんたはてっきり食べられたもんだと思ってた」
「息子の命を簡単に諦めるなよ! というか、いきなり殴るか普通」
「君が悪い」
苦笑しながら、優が手を貸して滝口を起こした。
「こんな状況でいきなり扉を開けたら、誰だって攻撃するさ。それにもしゾンビだったら、今頃本当に腹の中だ」
「声もかけずに扉を開けるなんて、死んじまった旦那に似て馬鹿な子だよ。いつもいつもいってんだろ、帰る時はただいまっていいなってね」
「何か殴られた俺が悪いみたいじゃね?」
「みたいじゃない。君が悪い」
優がもう一度繰り返せば、様子を伺っていた明日香も遠藤も笑い声を上げた。
口を尖らせながら。けれど、生きていた母親の姿に滝口も自然と表情をほころばせた。
Ψ Ψ Ψ
「なるほどねぇ。あんたが助けてくれたんだ」
「別に助けたってわけじゃない。一緒に行動しただけです」
「同じことさ。この馬鹿息子一人じゃ、生き残れるわけじゃない。さっきの行動でもわかるだろ。だから――ありがとな」
狭い五畳ばかりの部屋と台所。
乱雑に詰まれた書籍と脱ぎ散らかされた服。
整理整頓とはかけ離れた場所で、滝口信二の母親――滝口鈴は頭を下げた。
「お礼にっていっても金なんかないし。何だったら、キスくらいしてやろうか?」
そう言って、自らの唇に指を当ててみせる。
「息子の前で堂々と誘ってんじゃねー」
「結構です!」
滝口と明日香が、即座に叫んだ。
「なんだい。減るもんじゃないし、いいだろ。それとも、彼女一筋とかかい」
「そういうわけじゃないですが、遠慮します。今は時間が惜しい」
「やれやれ、せっかちだね。わかった、荷造りしてその大高都市銀行に行けばいいんだね」
「ええ。もちろん、一緒の行動が嫌だと言うなら別ですが」
「嫌なわけないさ。ちっと待ってくれよ、元々荷物なんざねーし。すぐに終わるからさ。信二――台所の酒と、着替え、あと父ちゃんを忘れんな」
「もう詰め込んでるよ。ってか、なんだよこれ。整理しろよ――つか、下着を脱ぎっぱなしにすんじゃねー」
ダンボールに乱雑に荷物を詰め込みながら、滝口が口を尖らせる。
その様子に、再び煙草を咥えながら、滝口鈴は押入れの扉を開ける。
どさっと荷物が山のように崩れながら、毛布を取り出して広げる。
「何にもないとこだし――化け物あいてにゃ役不足だろうけど」
そう言いながら押入れから取り出すのは――木刀、金属バット、そして日本刀に、軍用の大振りナイフまである。
次々に取り出される武器に、明日香は目を丸くした。
「た、滝口君。お母さんの職業ってなんなのかな!」
「トラック運転手っていったろ。ってか、昔レディースとかいう族の頭だったんだよ。思い出の品とかで今も持ってる」
「お、思い出にしては生々しいよ!」
「捨てるに捨てられないって言うか。ゴミに出して見つかったら大事だろ。どう捨てていいもんか迷ってるうちにたまっちまってさ。ま、使い道が出来たし、結果オーライさ」
一通り毛布に包み込めば、それを縛り両腕で持った。
「さ。こっちの準備は完了さ。信二終わったかい。父ちゃん忘れんなよ?」
「わかってるよ。てか、前から思ってたけど何で遺影が特攻服なんだよ」
「かっくいいだろ?」
「いつも拝んでるときに睨まれている気がして、嫌なんだよ」
苦笑しながらも、仏壇に飾ってあった遺影を大切そうにダンボールにしまい、口を閉じた。
「こっちも完了だ」
ダンボールを抱えた滝口の上に、毛布が置かれた。
「お、おおっ」
武器の数々をいきなり上に乗せられて、浜崎の次に大柄な滝口もさすがによろけた。
「その前に、ほら」
そして次に置かれるのは、トラックのキーだ。
「て、母ちゃん。これ」
「母ちゃんのトラックだよ。場所は知ってんだろ、この先の駐車場にとめてるから」
「いや、それは知ってるけど。母ちゃんがそれで行けばいいだろ」
「何をいってんだ。あんた、マニュアル運転できるのかい。こっから先の運転は母ちゃんに任せて、あんたはその大高都市銀行ってとこに戻ってな」
「い、いきなり何言ってんだよ」
「毎週、何百キロって走ってる。これでも腕は確かなつもりさ。それでいいだろ?」
言葉を振られて、優は小さく目を開いた。
「それに、あんたにも興味あるしね」
「ま。いきなりエンストされるよりはいいだろうけどね。わかった、滝口はトラックで先に戻っててくれ」
「ったく」
説得は無理だと思ったのだろう、ため息を吐きながら玄関へと向かう。
その滝口に背に、声がかかった。
「ああ。わかってると思うけど、もし途中でぶつけたりしたら」
鈴は笑顔で、ゆっくりと腕を伸ばした。
親指を上にあげ、それを一気に下に向ける。
「半殺し」