救出活動1
日原昌司の家は、北西に存在する拠点のさらに北側。大高山の麓に程近い田舎であった。
街から遠く離れているため、二階建て以上の建物は数件しかない。
さらにバスを走らせれば、民家同士の間隔も離れており、畑や空き地が広がっていた。
のどかな風景は、一瞬現実を忘れさせる。
時折ゾンビとすれ違ったが、どれも単体であって――バスを追いかけようとして見失っていた。
「お前、こんなとこに住んでたのか」
「こんなとこって酷いな、宮下。でも、学校まで遠かったのは事実だけどさ。仕方ないよね。整備やってるから、騒音も出るし。あ、もうすぐ付くよ」
遠目から、その整備場は姿を現した。
さび付いたトタン壁が見える。
敷地内には様々な乗用車が並び、レッカーも出来るのだろうクレーンが付いた小型トラックも止まっていた。
人気はない。
ゾンビに襲われた様子もなく、その整備場は静かに佇んでいた。
日原がハンドルを切り、整備場の敷地内にバスを止める。
運転席のスイッチを押せば、左右の扉が音をたてて開いた。
すでに何度目かの行動は、手馴れたようなものだったが、それを行えばすぐに脇の扉から敷地に足を踏み出した。
優が背後から続く。
腰に巻かれた紐には二つの手斧だ。
同様に、降りてくる面々もそれぞれが武器を手にしている。
誰も見えないとはいえ、油断はしていない。
朝になってゾンビのうめき声が聞こえなくなった。
それは精神的には良くても、見つけにくいという点ではマイナスの要素だ。
いつ襲い掛かられたとしても、おかしくはない。
そして、それが日原のたった一人の家族である父親だとしても。
日原の母親は離婚して出て行ってしまっているらしい。
だから、家には父親が一人なのだといっていた。
仕事熱心であるが、それが離婚の原因だと本人は苦笑交じりに話していた。
「父さんー?」
手にしたモップを握り、日原が意を決したように声を上げた。
トタン壁の整備場の中に、声が広がる。
やがて。
ガタン――整備場の奥で音がして、開いた出入り口から足音が聞こえた。
誰かがつばを飲み込んだ。
だが、それ以上に緊張しているのは日原昌司だ。
「ま、昌司か?」
焦ったような言葉とともに、姿を現したのは小柄な男性だった。
小柄だが鍛えられている。
豊かな白い髭と筋肉質からは、ほぼ同じ身長であるはずの日原よりも大きく見えた。
まるでファンタジーに出てくるドワーフのようだ。
その手には斧ではなく、タイヤ交換用の極太のレンチを握り閉めていたが。
「良かった、無事だったんだね」
「無事だったじゃねーっ!」
喜び近づいた日原に、ドワーフの野太い声が怒声を浴びせた。
「こんなときにまで外でやんちゃをしやがって。心配させんじゃねえ。まっすぐ帰って来い、馬鹿息子が」
「い、いや。そりゃ帰らなかったのは悪かったけど……その、ごめん」
「ごめんですんだら警察はいらねーぞ。馬鹿、この馬鹿」
怒鳴られて、けれど素直に謝ったのは抱きしめられたからだ。
野太い二つの腕が、レンチを放して日原を抱きしめている。
熊に捕らえられた人間のようにも見えたが、日原自身も謝りながら父の背に手を回した。
「感動の場面だな」
「泣けんぜ」
遠藤のからかいの言葉もどこか嬉しげだ。
けれど、言葉に日原は気づいたように体を離し。
「と、父さん。友達もいるし」
「あ。ああ……なんでぇ。ずいぶんそろいもそろって――この馬鹿息子を送ってもらって、すみません。ほら、てめぇも謝れ」
「日原にはこっちが助けられた。いなかったら、俺たちはゾンビから逃げられなかっただろう」
浜崎が苦笑しながら、言葉にすれば、父親は不思議そうに息子を見下ろした。
「お前が人助け? おめぇ、なにやった――」
と、疑問を浮かべた言葉が途中で止まった。
視線の先はバスだ。
バス――何度かゾンビを跳ね飛ばし、そして血にまみれた跡がある一台のバス。
それを見て、気づいたのだろう。
ドワーフの顔が鬼のように険しくなった。
「おめぇ。人を跳ねたな?」
日原昌司の父、日原正則は殺気すら浮かべて、息子を睨みつけていた。
Ψ Ψ Ψ
その剣呑な様子に、睨まれた日原はもちろんのこと浜崎ですらも気おされた。
誰もがかける言葉を失った前で、怒りを浮かべる正則は拳を振るわせる。
「答えろ。おまえ、人を跳ねたのか?」
「あ……」
「あじゃねえ。車は人殺しの道具じゃねえぞ」
振り上げられた拳が止まる。
殺気立つ視線が捕らえたのは、優だ。
「殴るのはやめてください。病院にも行けない、怪我でもしたら大事だ」
「怪我だ。ふざけんな、ひかれたらこんなもんじゃすまねぇんだぞ」
「だとしても、日原に怒るのは筋が違う。ひかせたのは俺だ」
「て、てめえがひかせただと」
「ああ。ゾンビに囲まれてね、それしか脱出できなかった。だから俺が命令した――もし彼が否定すれば、俺がアクセルを踏んだだろう」
「なに考えてやがる」
怒りに体を震わせながらも、けれど優の腕を振り払えない。
だから、逆の手で彼を殴ろうと拳を振るった。
その手もまた、優の手に捕らえられた。
「ゾンビだ? それは全員だったのか、中にはまだ人間もいたんじゃねえのかよ。第一、狂人病が治らないって誰が決めたんでぃ。治る病だとしたら、それは人間を引いたことになんだぞ。人を殺したことになるんだ、それも車で、だ! もう一度言うぞ、車は人殺しの道具なんかじゃねえ!」
正則の烈火の怒りを受けながらも、優の表情に変化はない。
ただ疲れたな。そんな雰囲気を持った淡々とした口調だ。
「なら逆に聞くが、治る病だと誰が決めた。あるいは治る病だとしても、いつ治る。齧られた後か、先か? 車を大切にしていると言うあなたの心はわかるし、俺も車が人殺しの道具だとは思っていません。けれど、俺はそんな考えよりも命を大事にしている。それを守るためなら、何だって使うだろう」
強い言葉に、正則の表情が気おされた。
「死んだら全て終わりだ」
正則が大きく目を開いた。
「主義主張を持つことは自由だし、立派だ。けれど、そんなことのために仲間を危険にはさらせない。そんなことのために、俺は仲間を殺させない。だから、死ぬ一瞬まで諦めないし、そのためには何だって使う。そして、日原は――あなたの息子は仲間のために行動した。それに文句があるというのであれば、俺を殴ればいい。命令した俺が責任を取る。もう一度言います、日原を怒るのは筋が違う」
「殴るだ……ええい、貴様はどんな力してんだ。殴れねえじゃねえかよ。いい、わかった、だから手を離せ」
いまだ怒り覚めやらぬようで、手を振りほどけば優は素直に手を離した。
「餓鬼が。責任何て言葉を簡単にいうんじゃねえ。人の命はてめーの責任一人で解決できるほど軽くねえぞ」
「別に、命を償う何ていうほど宗教家ではないのでね。こちらに危害があるならば、遠慮なく排除させてもらうし、それで恨みを買うというのなら、俺はいくら恨まれてもかまわない」
「お前、人でなしとか言われたことないか」
「よく言われます。あと、鬼とか」
踵を返した優が、唇を曲げた。
苦笑。
疲れたように正則が息を吐き、落としていたレンチを拾い上げた。
「ぴったりすぎて泣けてくらぁ」
Ψ Ψ Ψ
言葉が終わって優に明日香が近づいた。
励ますような声に、優が苦笑交じりで会話をしている。
そんな様子を見ながら、疲れたように正則が息子を見下ろした。
すでにその顔に剣呑な表情はない。
「あれが、おめーのリーダーか?」
「あ、ああ。うん、いま大高都市銀行で固まってるんだ。父さんも」
「餓鬼どもがやんちゃしているだけだと思ってたが、なんでぇ」
そこで認めたくないような、そして嫌そうな顔を正則はした。
「立派なリーダーを持ったもんだ。度胸もしっかりしてるし、心も強い。最近の子供にしてはたいした野郎だ。まさか俺が説教されちまうとはよぉ。そうだな、お前は仲間のために命をかけたんだな――ああ、まあずいぶん立派になっちまって」
たいした野郎。
それは口の悪い正則の最大級の褒め言葉だ。
だから日原昌司は戸惑ったように。
「あ。いや、あれは今のリーダーで。俺のリーダーは」
「あ?」
戸惑ったような正則に、困ったような浜崎が近づいた。
頭をかきながら。
「息子さんの所属している、組織の元リーダーの浜崎隆文です。その、いまさらの挨拶だが」
「元って浜崎さん。俺は今でも『黒夢』ですよ」
「今それを言っても仕方ねえ。第一、今のリーダーは今宮だ」
「おいおい。俺にわかるように説明してくれよ」
「簡単に言えば、彼に――今宮に全部任せた。俺よりも適任だから、な」
言葉に、正則の表情に笑みが広がった。
豪快な笑みを浮かべ、ばしと浜崎の背中を叩く。
「それが出来ずに、間違える餓鬼は糞ほどいるが。自分の力を見極めるってのは存外難しいもんだ。昌司――良いリーダーにめぐりあえたな」
「だ、だろう?」
「で、これからどうするっていうか。この分だと、全員の家を回るってわけだ」
「あ、ああ。うん、だからトラックを一台もらいたいんだけど」
「ああ、使え使え。それに車だって必要だろう。ワゴンもあったはずだ、それで俺は都市銀行に先に行っておくよ。あとは――工具とか燃料とかもいるな。悪いが手伝ってくれ」
「力仕事はお安い御用だ」
Ψ Ψ Ψ
整備に必要な工具一式、そしてオイルやガソリンが次々にワゴンに積み込まれていった。
用意されたのは、白いワゴン車とクレーンの付いたトラックだ。
ワゴンの荷台いっぱいに物資が積まれ、同時に日原家の少ない服や食料も合わせてつまれて行った。その中には卒業写真や昌司の赤ん坊の写真なども含まれている。
昌司は要らないと言い張ったが、正則は手放す気はなさそうだ。
予備のタイヤがワゴンの助手席にまで侵食し始めて、ようやく荷物整理は一段落を迎えた。
「じゃ、大高都市銀行でな」
「うん。気をつけて」
「それはこっちの台詞だ。もうひくなとはいわねえが、安全運転だけは心がけろよ。いいか、何度も言うが車は凶器じゃねえ。だが、使い方を間違えれば人を簡単に殺せる道具だ。自分も含めてな」
「うん、わかってる」
強く頷いた息子の言葉に、正則は満足そうに頷いた。
ワゴン車がアクセルを入れて先行する。一度、ハザードランプがたかれて、右に曲がれば加速して見えなくなった。
「さて。こっちも行くか」
先ほどの睨みあいなど気にした様子もなく、優が小さく伸びをした。
北側を担当するのはクレーンの付いたトラックだ。
運転は滝口が担当して、助手席には明日香が乗り込んでいる。
ワゴン車に積みきれなかったガソリンや軽油が荷台に乗っており、遠藤がもクレーンに捕まりながら、荷台に乗り込んだ。
「さて。気をつけてな。特に南側は幹線道路を抜けなきゃいけない。出来るだけ中央はさけて、東の道から回り込んだ方が安全だろう」
「ああ。ま、こちらは南側の住宅街だ。一軒家の方が多い。むしろ、そっちの方がマンションやアパートが多いから、危険だろう」
「どっちも危険であることには代わりがない」
「違いねぇ」
浜崎は笑いながら、肩をすくめた。
優も荷台に乗り込んだ。
「じゃあ――いいぞ」
言葉にトラックが、出発する。
緩やかに加速したトラックを見て、浜崎もバスに乗ろうと声をかけた時。
トラックが急停車――慣性の法則とともに、荷台から遠藤が飛び出した。
「いけね。ギアをバックに入れちまった」