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発症



 最初に――その病が発生した時は、週刊誌の一ページを騒がせただけであった。

 それは多くのゴシップ記事に埋もれ、記憶に残した者は少なかった。

 次に、それはスポーツ新聞に取り上げられ、海外のニュースで報道される事になった。


 それでも多くの人にとっては、それは遠い国の出来事であって、大変だと言う認識はあったとしても、どこか他人事であったのだろう。

 それが、潜伏期間二週間の伝染病だと気づいた時。


 全ては遅かった。


 クラウレンクラッシュブレイン症候群。

 その病につけられた正式名称は、誰も覚えていない。

 それが発症した地方の名前であったのか、あるいは発見した学者の名前であるのか。

 クという字がやけに多いなという印象を持つ名前。

 もはや、誰もその名前で呼ぶ事はない。

 ただ、その症状と恐れを持って、狂人病と。


 そう呼ばれた。



  * * * 


 大高東高等学校。

 周囲に商店街の姿がないため、外の騒々しい声もここまでは伝わってこない。

そのため、休憩時間はともかくとして授業の時間ともなれば、嘘のように静まり、別空間のようになっている。


 だが、午後一時半を回り、周囲はやけに騒々しい。

 本来であれば授業時間になっているはずであったが、校舎からは大小様々な学生の姿が現していた。

 不安と喜びが混じり合い、口にのぼる言葉からその原因が特定できた。


 狂人病。


 この突然発生した病が、ついに日本でも確認された。

 それまではほぼ他人事であった事態に、特に大人たちは大きく反応した。

 いや他人事であったからこそ、大きく反応する事になったのかもしれない。

 空港では入国審査が強化され、わずかでも熱があれば病院に隔離された。

 潜伏期間二週間と言う長さに、今更だという声もあがったが、それは多くの声に無視をされた。

 危険だと声高に叫ぶ声よりも、人々が一時の安心を求めたからだ。


 空港は封鎖されている。

 だから、入ってくる事はないと。

 そして、学校でも。

「いやー。学級閉鎖とか。ね、この後カラオケ行こうよ」

「いいね!」

 笑い声が響いた。

 もっとも、この事態に過敏に反応したのは多くは大人達だけであった。

 生徒たちは突然降ってわいた休みに、不安よりも喜びの方が大きいようだ。

 一部の生徒は、それでも不安げな表情を隠せなかったが、周囲の明るさに負けるようにその表情に笑みを戻していった。


「休みじゃないんですよ。ちゃんと宿題を――」

「わかってますって、青野せんせっ」

 窘める教師に、笑顔で返す言葉に、まだ若い教師も諦め顔だった。

 歳を経た教師であれば、小言や上手い返しも出来るのであろうが、ただ青野と呼ばれた教師は肩をすくめ、苦笑するだけだ。

 それは、彼らに歳が近い事も影響したのかもしれない。


 自分の学生時代を思い出して、台風や学級閉鎖が起きた時を考えれば、生徒たちの気持ちは容易に想像ができた。

 諦め気味にため息を吐いた、その空気が一変した。

 その理由はすぐにわかった。

 周囲のざわめきがかき消えたのだ。

 楽しげに、あるいは不安げに狂人病の事を語る生徒達が口々に話をやめている。

 視線を追えば、そこに一人の生徒がいた。


 特に特徴のない生徒だった。

 身長百七十センチは、高校生にしては少し大きい方であろう。

 もっともそれ以上に大きい生徒は多いし、決して体つきがしっかりしているわけでもない。疲れたように歩き出す姿からは、とても高校生らしい若々しさというものはなかった。

 どこか大人びている。それも悪い――まるで社会に疲れたような会社員だ。

黒色のトートバックを肩に下げ、歩く姿を周囲の生徒たちはただ黙って視線で追った。


 けれど、視線を向ける彼らも、その少年に視線を向けられると慌てたように視線をそらした。

 今宮優。

 悪い意味で、有名な生徒であった。

 不良と言うわけではない。

 毎日学校に来るし、課題も宿題も忘れてきた事はない。

 そこだけ見れば模範生徒と言っても良いだろう。

 だが、容赦がない。

 曰く。


 暴走族を一人で壊滅させたらしい。


 気に行った女性がいたら、すぐに手を出すらしい。


 やくざとも付き合いがあるらしい。


 らしいと、それは多くの推測に過ぎなかったが、簡単に思いついただけで多くの噂が頭にのぼった。

それは噂ばかりでどこにも信憑性はなかったが、停学明けという現在であれば、それが事実だと誤認するには十分すぎる。

 もちろんそれが、噂でしかないのは教師である青野琴葉は良く知っている。

 停学の件であっても、女生徒に危害を加えそうになった不良学生と喧嘩した事によるものである。

もっとも、それで十人ばかりを病院に送ったのは、十分にやり過ぎであるが。

 だから、声をかけようとして――けれど、そのような生徒をどう扱って良いか、戸惑った結果。彼は黙って、青野の前を通り過ぎて、校門に近づいていた。

 その校門に、彼を迎えるかのように一台の車が止まった。

 黒塗りのベンツだ。


 Ψ Ψ Ψ


 車から顔を覗かせたのは、とても堅気ではない男だった。

 髪を短くし、眼鏡をかけた無精ひげの男だ。

 少なくとも、一緒に街を歩きたくはない。むしろ、夜道であったならば、慌ててコンビニに駆け込むだろう――そんな容貌をした四十代の男性だ。

 それが今宮優の姿を見るなり、にっと笑い声をあけて。


「今日はもう終わりなんだろ。乗ってけよ」

 と、後部座席を指さしている。

 拉致られるとかそんな雰囲気ではなく、むしろ。


 やくざとも付き合いがあるらしい。


 そんな噂を頭に入れて、青野はかけかけた言葉をとめた。

 優は親しげに男性に声をかけ、後部座席を開けている。

「やっぱやくざのお知り合いっていうか――あれだよね、もうやくざなんじゃね」

 口さがない学生が、聞こえない事を良い事に噂話を口にのぼらせた。

 決して、褒められた言動ではなかったが、青野自身はその言葉に否定はできない。

「この前の件だって。何であんな奴がもう学校にきてんの?」

「一生こなくていいっていうか。退学にしろよって話だよね」


 その毒舌は留まる事を知らず、噂話と言うよりもむしろ悪口と言っていいものだろう。

 不快感を感じながらも、青野は止める言葉すらも失っていた。

「って、ちょっと明日香!」

「今宮くん!」

 叫んだ声が、レンガ敷きの校庭に響いた。

 それは当然のように、優自身も気づき、扉を開けたままで振り返っている。

 二見明日香。

 黒色の髪を几帳面にまとめ、ドクロ型のバレッタで右に分けている。

 幼い顔をした少女だった。


 急いで来たのだろう、息を切らせながら――声を出した後、息を整わせている。

 生徒会の副会長を務める彼女が何故と考えたところで、その理由が思いついたのは青野一人だけであった。

 助けられた生徒。

 それこそが、彼女であったからだ。

 むろん、それは彼女の名誉を守るために誰にも語られていないことである。

 口さがない学生たちの噂話だ。

 もし、彼女が助けられたという事になれば、下手をすれば襲われたという噂話になるかもしれない。 だからこそ、その件については誰にも漏れる事無いように厳重に管理していた。


 誰にも言わないようにと。

 だが、彼女は――彼女自身が、大きく声をあげてそれを伝えようとしていた。

「あ、あのね。あの――」

「礼だろ? もう受け取った」

 それ以上は言うなとばかりに、優が手を振る。

 驚いたように、明日香は目を開く。

 その表情に浮かぶのは申し訳ない思いが一杯で――。


「気にするな。なんだ、あいつらは元から気に食わなかった」

 その様子に苦笑を浮かべながら、優は車に乗り込んだ。

 運転席のやくざに声をかけて、発進する。

 その様子を視線で送れば、怒ったように後ろから現れる友人の姿があった。

「ちょっと明日香。いきなり何してんのよ」

「そうだよ。声かけるのはまずいって」

 

 息を切らせている事から、彼女を追って走ってきていたのだろう。

 少し怒ったように、窘めるような口調だった。

「知ってんでしょ。あいつやくざだって、今日だって迎えにきてたしさー。売られちゃうよ?」

「違うよ。そんなことない、だって誰も今宮君の家に行ったことないじゃない?」

 強い否定の言葉だった。

「はー、あんたは思いこんだら、相変わらずなんだから」

 そのしっかりとした視線に、友人は頭に手を置いて大きなため息を吐いた。


「第一、あんただって今宮の家に行ったことないでしょうが」

「う、それはそうだけど……」

「何があったか知らないけどさ。関わらない方がいいって――あんたのホラー好きには困ったもんだ」

「そうそう、いくら好きったて何もリアルなホラー求めなくてもいいでしょうに」

「わ、私の趣味とは関係ないでしょっ!」

 怒ったように、明日香が頬を膨らませた。

 それに二人の笑い声が重なった。


 Ψ Ψ Ψ


「相変わらずだなぁ、あの学校は」

「まあ――少しは静かになったほうかな」

 バックミラーが校門を映し出していく。

 苦笑を浮かべる優に、運転席の男は皮肉気に唇を持ちあげた。

「静かにしたの間違いだろ。また喧嘩したらしいじゃねえか」

「耳が早いね」

「それが、仕事だからな」


 ハンドルを握りしめながら――叔父である今宮栄治は口を開いた。

 器用に片手でハンドルを操りながら、胸ポケットのワイシャツから煙草を取り出すと一本口にくわえる。その手が火を探して、再び胸ポケットをまさぐった。

「何度も言ってるだろ。暴力は――」

「良くない。何度も聞いたよ。こっちも好きで喧嘩をしているわけじゃない。ただ」

「喧嘩が向こうから歩いてくるってか。それも、何度も聞いたなぁ」


 互いに言葉を奪いあいながら、栄治は小さく笑い声をあげる。

 口元でぴょこぴょこと煙草が上下し、やがて探り当てたオイルライターが手元で音を立てた。

 紫煙があがる気配と共に、優が窓を開ける。

 初春のまだ肌寒い空気が室内を満たした。

「一緒だよ、一緒だ」

 栄治が呟いた。

 開いた窓から外を覗いていた優が、栄治を振り返った。

 やくざと間違えられる容貌が、鋭い視線を運転席から外へ向けている。


「結局、お前もそこらの餓鬼と変わらねえ。ただ、理由を探して――暴れてぇだけだ。それが『社会への反抗』とか『人とは違う』っていった御大層な理由じゃなく、『正当防衛』って、見た目のいい理由を付けてる、ただそれだけだろう」

「理由もなく、喧嘩するよりはよほどマシだと思うけれどね」

「マシかよ。本当はそんな事は欠片も思ってねえだろうが。ただ、暴れたいだけ――その理由が欲しいだけだろ。ある意味、理由もなく暴れるよりも卑怯だ」


 栄治の呟きが、沈黙を呼んだ。

 決して新しくもない車両からは、エンジン音に混じってギアを擦るような音がしていた。

 そんな小さな異音すらも、今は大きく聞こえる。

 やがて、口を開いたのは優だ。

「で。そんな説教をするために、迎えにきたのかい?」

「停学明けで悲しんでるだろうって、俺の優しさがわからんかね」

「御丁寧に、学級閉鎖で昼前に終わるって調べてか」


 優が首を振り、ゆっくりとラジオを付ける。

 カーステレオから流れるニュースは、発生した狂人病の話題で一色だった。

 日本で初めて発見された狂人病患者が、東京の病院に運び込まれたと。

 すでに海外では多数の発症例が見られ、空港ではインタビューに、どこか面白おかしく答える男の声が混じっていた。


「どうせ仕事でしばらく会えないから寂しくて会いに来たんだろ?」

「そんなわけあるか」

「はいはい素直じゃないね。で、忙しいのかい?」

「まあな」

 栄治の職業は警察官だ。

 通常であれば、そこに警察の出番はない。だが、伝染病の発生に伴い、空港すらも封鎖されるとなると話は別だ。

 封鎖する人間が空港に取られ、残された人間の仕事は右肩上がりに増えていく。


「本職じゃねえから、治療とか危険性とかはさっぱりわからねぇ。ただ、お偉い方の方針が二転三転してきまりゃしねぇ」

「テレビの政治番組を見てれば、想像できる光景だな」

「似たようなもんだ」

 栄治は肩をすくめた。

「明日からは休みなしだとよ。泣けるぜ――つーわけで、しばらくはお前の様子も見れねえしな。だから、何だカップラーメンばっか食うんじゃねえぞ?」


「あんたは、俺の親父かよ」

「そうだぞ。知らなかったのか?」

「そんな学校でやくざって噂されるような、親父はいらねぇ」

「ひでえな! こんな誠実な顔がやくざって最近の学生はひでぇ!」

 栄治が叫んだ。

 優が笑い声をあげれば、車はマンションの前へと寄せられていく。

 静かにブレーキが踏まれ、やがて車はマンションの前で停車した。


「ありがと。ま、仕事がんばってな、親父」

 小さく笑いながら、優は助手席の扉を開いた。

 礼を言って、頭を下げる――その表情を真っ直ぐに見ながら、栄治は迷ったように口を開いた。

「なあ。優――お前さえよければ、俺は別に一緒に住んでも」

「やめてくれ。一人で気楽な生活をしてんだ。また口うるさい親父と同居するつもりはないよ。それより、寂しいならさっさと嫁さんでも見つけて結婚しろよ」

「うるせ――」

 栄治が苦い顔で言葉をいい終える前に、助手席の扉を閉まった。


 Ψ Ψ Ψ


「撃てっ!」

 叫びと共に、幾百もの閃光があがった。

 同時に聞こえるのは轟音。

 銃声だ。

 耳をつんざくばかりの火薬の音に、負けぬ声が後方からあがっている。


「撃て撃て撃て。近づけるな!」

 まるで狂人のように甲高い叫びあげながら、だが誰として笑うものはいなかった。

 撃つ。

 ひたすらに引き金を引き続け、弾が切れるたびに弾倉が交換された。

 良く訓練されている。

 その行為自体は、まるで自動的に――機械の様に。

 まさに放たれる銃弾は嵐となり、通常であれば相手を近づけさせない。

 けれど。


「何で、近づいてこれるんだよ!」

 当たっているはずだった。

 いや、はずではない。

 確実に彼らが放った弾丸は、奴らにあたっていた。

 避けも逃げもしない、的が相手だ。

次々と放たれる銃弾は、血が飛沫となって舞い散っている。


 だが。

 止まらない。

 奴らとの距離は着実に縮まりつつある。

「泣きごと言う暇があったら、さっさと弾を交換しやがれ」

 叫んだ上官が、苛立たしげに銃を向ける。

 その肩が。

「何だ、今忙しいって言って――」


 振り返った先で、その上官は奥歯を噛み締めた。

 近づけさせるな。

 ああ、その命令は確かに聞いた。

 彼らは軍人だ。

 近づけさせるなと命令されたら、近づけさせない。

 そのための訓練で、そのための軍人だ。

 例え『狂人』だろうが、誰だろうが皆殺しにしてでも止めてやる。

 だがな。


 何で後ろに。

「あ……あああああああああああああっ!」




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