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初めての夜



 深夜三時。

 街の喧騒はとまらない。

 時折響く不気味なうめき声――そして悲鳴をBGMに優は静かに座っていた。

 そこは二階の一室だ。


 事務室が五部屋ほどあり、それぞれ壁に区切られた二階は食事をした五階ほどに広くはない。

 それでも机が撤去されれば、寝るスペースには十分だ。

 一部屋を男部屋として、もう一部屋を女部屋とした。


 残る正面を除ける一部屋を見張り部屋にして、暗幕の隙間から時折外を伺う。

 周囲は暗い。

 けれど、電気はいまだ止まってはいないようだ。

 ほのかに光る照明が道路を照らし、そして獲物を求めるゾンビが無表情に彷徨う。


 異様な光景だ。

 人類が闇に対抗して百年――街の明かりは夜を恐怖から喧騒へと変えていた。

 しかし、それも突然として終わりを告げるなど誰が想像できただろうか。

 銀行の防犯設備は想像以上で、一階の窓は全てが強化ガラスであり、そしてシャッターも完備されていた。進入するのは容易ではないだろう。


 けれど、全ての窓がそうなっているわけではない。

 外を望む窓には暗幕が張られてはいたが、本格的な進入には耐えられないというのが優の予想だ。

 そのために、十時から二時間おきに朝の六時まで見張りを置くことにした。

 最初は滝口が、次に宮下が勤め、今の時間帯は優の番だ。


 一人ずつにしたのは、きっと明日からも同じように見張る必要があるためで。

 その時には今日の見張りをしなかった浜崎達が担当することになっている。

 和馬や弓奈――そして、二見の母である陽菜も見張りを願い出たが、それは拒否した。

 子供は寝ることが仕事であるし、陽菜には昼間の家事をお願いしている。


 夜までとなれば、負担も相当なものになるだろう。

 無表情のゾンビが銀行を通過したことを確認して、暗幕の隙間を塞ぎ、優はペンライトで静かに手元の書類に目をやった。

 それは、今日の新聞記事だ。

 正確には昼に更新されたネットの新聞記事であり、紙面に踊るのは『狂人病』の文字。

 空港が封鎖された事や多数の犠牲者が出たことなど、焦りと恐怖を持って書かれている。


「今宮君?」

 微かな音に、優は手にしていたペンライトを消した。

 明日香だ。

 手に紅茶カップを二つ持ち、静かに入ってくる。

 音を立てないようにしているのは、寝ているものへの配慮かゾンビへの警戒か。


 近づき、優の前に座って紅茶を置いた。

「お疲れ様。大変だったね」

「まったくだな」

 朝からのことを思い出し、優は苦笑を浮かべた。

「二見は明日見張りだろう。寝ないとつらいぞ?」

「あ、うん。でも寝れなくて――話していいかな。邪魔じゃない?」


 そう問いかけたのは、優が持っていた書類のことだろう。

 大丈夫と机に書類を投げ出して、紅茶を一口飲んだ。

 時折、暗幕から顔をのぞかせる。

 いない。

 先ほどのゾンビはおとなしく通過してくれたようだ。


 顔を再び隠して、正面を見る。

 電気のない室内は暗い。けれど、微かにであるが明日香の緊張している様子が感じられた。

「何を見てたの?」

「狂人病のことさ。ブログとか新聞とか。いろいろ整理したくてね」

「整理?」


「ああ。あの狂人病――もう君に倣ってゾンビと呼ぶけれど」

 まったく。まさか人間をゾンビと堂々と言えるようになるとはと苦笑しながら、優は言葉を続けた。

「少しでも知っていれば、知らないよりもよほどいい」

「そう、何かわかった?」

「まったく」


 そんなに簡単にわかれば、苦労はしない。

「わかったと言えば、彼らが夜も昼も活動できること。それに幸いにして鼻はそこまでよくないようだって事くらいか」

「鼻?」

 怪訝な顔をした。そんな雰囲気を持った声が、明日香から聞こえた。


「ああ。いくら隠れても人間の匂いが感じられるとか言われたら、ここに集まってくるんじゃないかってね。それが不安ではあったんだが、今通り過ぎたところを見ると鼻はそこまでよくないらしい。正確に言うなら、五感に関しては人間と同レベルと考えてもいいんじゃないかな」

「そか――良かった」

「良くはないさ。同レベルというなら、犬や猫ならば見つかるって事だからな」


「い、犬?」

 驚いた明日香の言葉に、優は肩をすくめる。

「今のところそういう話は聞かないが、感染が人間だけにおさまる何て誰も決めてないんだ。ホラー映画だと犬は感染しないのか?」

「あ。う、ううん。確かにそういう映画もあるけれど……でも」


「決まったわけじゃない。けれど、それを予想しておくのと予想しないのでは大きな違いになると思うよ」

 でも、優の予想が当たれば、いずれ見つかると言うことではないのだろうか。

 その肩に優の手が置かれた。

 心配するなと、表情が見えない優が強く言っている。

「その時は先に犬を駆除しておくとか、薬品をまいて誤魔化すとか手はあるだろうし。予想だけで不安になっても仕方がない。ま、駄目なときは走って逃げる――それは今も変わらないし、これからも変わらないさ」


 そう言われれば、感じていた不安が不思議と和らいでいた。

 優ならば何とかしてくれる。

 そんな雰囲気が彼にはあった。だからこそ、敵対していた浜崎たちも素直に従っていたのだろう。

「第一、不安だけで言うならもっとある。虫にも感染するのかとかね」

「む、むし?」


「ああ。例えば、蚊とか。それが感染したとかになれば、もうお手上げだ。防ぐ方法なんてない。いくら何でも蚊にさされたことがないなんて、いえないからな。山にこもるという当初の計画は完全に崩れる」

 冗談交じりに呟かれ、明日香は小さく笑った。

 考えていても対処できないこともあるのだと。

 だけど、対処できる事があるなら、それを考えておく。


「凄いね」

 自然と漏れ出た言葉に、優は首をかしげる動作を行った。

「凄いよ。私、ホラー映画とか好きでたくさん見ているけど。実際こんなことが起こって、何も出来なかった。ただゾンビは怖いし、逃げたいし。でも、出来ることをやれる今宮君は凄いと思う」

「どうかな。考えたと言っても死ねば終わりだし、それが間違えていないという保証もない。自分一人なら、その時はその時だと思うけど、それを他人に強制できるものでもない」


「うん、わかってる。でも付いていこうって思うのは、私の意志だよ。だから、それまで今宮君に押し付けないから安心して」

「それはありがたい」

 正面で優が笑った。

 そんな気配がした。


 Ψ Ψ Ψ


 しばらく沈黙が続いた。

 けれど、それは嫌な沈黙ではなく――暖かく、どきどきさせる柔らかな沈黙だ。

 何度かカップと口が往復して、同時に優が暗幕から外を伺う。

 獣のようなうめき声は相変わらず続いている。


「声か」

 そこで一瞬、不思議そうに優は呟いた。

「え。あ、うん――嫌な声」

 誰が出しているかは、想像しなくてもわかる。

 けれど、優はそこに疑問を感じたようだ。


「朝は、あいつら声何て一切だしていなかったのに」

 そう言えばと、明日香も驚いた。

 朝と、そして昼に襲ってきたゾンビに会話は一切ない。

 ただ無表情に、まるで機械のように襲っていた。

 それが聞こえるようになったのは、いつからだ。


 そう考えれば、夕食の支度を始めたとき――夜になってからだと、明日香は思い返した。

「な、何で」

「さて。また疑問が増えたな」

 優は苦い顔で、ため息を吐いた。

 外を睨むように見ながら、しかし考えていても仕方がないと思ったのだろう。


 やがて暗幕を閉じて、冷め始めた紅茶を飲み始める。

「二見は。生徒会の副会長だったんだな」

「え、あ、うん。そうだよ、これでもね?」

「自分で言うか。どんな仕事だったんだ」

「えーと、予算の事務とか校則修正の事務とか」


「何だそれは、事務ばっかりじゃないか」

「だって。副会長だし――会長の代理と補佐が仕事なんだけど、会長が優秀すぎて」

「ああ。確かに」

 生徒会長である須藤康平を思い出して、優は納得したように頷いた。


 生徒からの信頼はもちろんのこと、教師からの信頼も厚い。

 成績は常に上位であるし、運動も出来ないわけではない。

 おまけに性格も良く、面倒見も良い――彼がいれば、きっと全て任せられただろう。

 生きているだろうかと考えて、優は首を振った。


 彼が死んでいるところが、優には想像が付かない。

「でも、どうして?」

「ああ。いや、この前の停学の時に電話があったことを思い出してさ。二見が心配しているとか言っていたから」

「な、何であの人はそんな余計なことを」


「仲がいいんだなと」

「そ、それで何でそんな結論に? い、いや仲はいいけど、付き合っているとかそういうんじゃ」

「ば、馬鹿。焦るな、声がでかくなってる」

「い、今宮君がヘンなことをいうから」


 表情を赤らめながら、慌てたように声を潜める。

「学校じゃ、俺にはそういう友達はいなかったから。ただ楽しそうだなと思っただけだ」

 今宮は一人だった。

 もともとの容赦のなさのためか、あるいは性格のためか。

 仲が良いとまで言える人間は、優の周囲にはいなかった。


 明日香は知っている。

 ずっと見てきていたのだ。知らないわけがなかった。

「学校じゃ。って言ったよね、外にはいたの?」

「そりゃ。ずっと一人なわけじゃない。何人かは、みんな代わりものだったが――生きているかどうか」

「生きてるよ」


 強い口調に、優は目を見開いた。

「きっと生きているし、会えるよ。それにね」

 ゆっくりと優の手を、明日香が重ねる。

 優しげに、その手を握り締め。

「もう今宮君は一人じゃないよ。私も――そしてみんな、今宮君の仲間で、友達だよ」

「時間よって、あれ」


 明るい声が扉から聞こえて、そのままに硬直した。

「あ、あはは。お邪魔さん――だったかなぁ?」

 突然の乱入者に、手を離して明日香は顔を真っ赤にした。


 Ψ Ψ Ψ


 午前八時。

 銀行の駐車場、バスの前で全員がそろった。

 出発するのは、今宮優、浜崎隆文、二見明日香、秋峰琴子、日原昌司、滝口信二、高木稔、宮下洋平、遠藤剛の九名だ。


 銀行に残るのは二見の母である、陽菜と弟の和馬。それに銀行にいたエンジニアの佐伯夏樹と阪木弓奈の四人である。もともと家族が全員いる二見は自宅による必要はなかったが、代表で家から必要なものをとるために明日香が向かう。

 佐伯夏樹は一人暮らしをしており、実家は北海道との事で、家にも何もないとの事だった。阪木弓奈も家族の下に帰そうと思ったが、彼女はその強引なまでの性格で断固として帰らないと言い張った。帰そうにも自宅の住所すら言わないのでは、帰すこともできない。


 何度かの説得の後、やがて優が折れる形となり、お留守番と言うことになった。

「本当にいいのか?」

「いい。帰らない」

「……何があったか知らないけど、家族ってのはいいもんだと俺は思うけどな」

「それは、家族に恵まれてたから」


 呟いた言葉に、優は何を思ったのか。それ以上深く問いかけることもなく、わかったと小さく頷いた。

「じゃ、陽菜さん。男手が誰もいなくてすみませんが、お願いします」

「もしきたら、金庫に閉じこもってますから」

「僕がお母さんを守るよ」


「ああ頼んだ。ま、それまではお勉強だけどな」

「って、えー。勉強するの?」

「当たり前だ。弓奈も、佐伯さん見てやってくれますか?」

「ええ。わかりました」


 小さく口を尖らせた和馬の肩に手を置いて、佐伯が力強く頷いた。

 振り返る。

 すでにバスの準備は出来ており、武器も乗せている。

 このバスで、当初どおり日原の自宅に戻り車両を調達し二手に分かれる手はずだ。


 街を東西に分断する幹線道路の北側には、優と明日香、そして遠藤と滝口が向かい、南側には浜崎と琴子、宮下、日原、高木が向かう事になっている。

「準備はいいか?」

「いつでも」

「よし。出発だ」


 そして、バスは進みだした。

 逃げるのではなく、隠れるのでもない。

 自らの家族を守るため――戦うために。



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