情報収集
銀行駐車場にバスを止めれば、監視カメラで見ていた二見達が従業員用の扉を開けて出迎えた。
裏口だ。
お疲れさまと口々に声をかけながら、車内にある物資に大きく目を開いていた。
「いったい何日分持ってきたの」
「余ればおいておけばいいさ。それより、食材を頼む」
「任せて。美味しいご飯を作るね!」
「ああ、さすがにみんな疲れただろう。まあ、これから俺達は部屋の清掃だけれどな」
「鬼かお前は」
宮下が力ない声をあげた。
周囲も同意しようとして、それに力なく頷いた。
「で、これをどこに運べばいいんだ?」
「倉庫があったろう」
「狭すぎるし、第一備品であふれてなかったか」
「そういえば、そうだったな」
と、倉庫にしていた場所を思い浮かべて、今宮は失念していたなと呟いた。
ちょうど備品の入れ替え時期だったらしく、中にはコピー用紙や文房具と言った消耗品が山のように積まれていた。今宮達がスーパーから調達した十二のカートを入れるスペースない。半分も入らずに埋まってしまうだろう。とはいえ、それ以外のスペースも寝室などを考えればまとめて入るような場所もなかった。
分けて入れるしかないか。
「金庫はどうだ?」
「いくら自由に出来るっていっても、開け方がわからん。それともそっちには金庫破りのプロでもいるのか?」
どうだと、浜崎が脇にいる日原に声をかけた。
「いや、車は盗めても金庫は開けたことないです」
「それでも不良か」
「不良って言うより、それは強盗ですよ!」
無理そうだなと苦笑した今宮に、遠慮がちの声がかけられた。
か細い、小さな声だ。
「あ、あの。私、あけられます」
Ψ Ψ Ψ
集中した視線に、驚いたように後ろに下がったのはコンピュータ室で見かけた女性だった。
閉じこもりから外に出てきたらしく、短い髪をした作業着姿の佐伯夏樹だった。
「もう大丈夫なのか?」
「あ。は、はい、その節はすみません。狂人病なんて知らなくて。ずっとあの部屋にいたものですから」
「いや。目の前にこれがいたら、普通の反応だろう」
そう言って、優は隣に並ぶ熊のような人間を見上げた。
いきなりこれに人が殺されれば誰だって、あんな反応をする。
いまだ困惑はしているのだろうが、言葉自体は普通のものであったし、優のそんな冗談にも空笑いながら小さく笑みを見せた。
本人が強いのか、あるいは残った秋峰や二見が説得したのか、理由はわからないが。
「助けていただいてありがとうございました」
「礼を言われることじゃない。殺らなきゃ、俺も危なかったからな」
浜崎が照れたように手を振った。
「それで。金庫が開けられるって本当か?」
「ええ。私ここでコンピュータ関係の技師をしてました。金庫のセキュリティも仕事の一つなのですけれど、支店長室にある鍵と一日一回変わるセキュリティパスを使えば開くはずです。セキュリティパスの発行はこっちで行っているので、たぶん鍵さえあれば何とか」
「わかった。浜崎――支店長室に行って、佐伯さんに金庫室を開けてもらってくれ」
「何か、ずいぶんと簡単だなぁ。俺たち大金持ちになれるんじゃないか」
「それが、使えたらな」
皮肉混じりな優の言葉に、夢がねぇと浜崎は肩を竦めた。
「あとは――佐伯さん。インターネットに繋がっているパソコンは何台ある?」
「え。えっと、コンピュータ室に行けば三台繋がっているのがあると思います」
「わかった。浜崎、パソコンに詳しい奴は誰だ」
「ああ。こんな時にのんきにネットでもするってのか?」
「こんなときだからだよ。時間がない」
「あ、ああ。高木は詳しいな、『黒夢』のホームページもあいつが作ってたし」
「暴走族がホームページ。君たちは馬鹿なのか」
「仲間内で楽しんでいるだけだから、いいだろ」
「しっかりと証拠残してどうするんだ。まあいい、あと一人は?」
ため息を吐きながら尋ねれば、浜崎は少し考えた。
「滝口は機械にゃからっきしだしなぁ。宮下か遠藤」
「じゃあ、宮下でいいか。一緒に来てくれ。滝口は浜崎の手伝いを――日原と遠藤は二階の掃除を頼む。寝る場所になるんだ、出来るだけ綺麗にな」
掃除と言われて、日原と遠藤は顔を見合わせた。
「二人で?」
「荷物の運び込みが終わったら浜崎たちも手伝うさ」
「こっちに掃除させて、そっちはネットをお楽しみか?」
Ψ Ψ Ψ
コンピュータ室に入れば、佐伯の言葉通りにインターネットに接続されているパソコンを見つける事が出来た。
一台は彼女自身が使っていたのだろう。
いまだ人を食らうゾンビがでかでかと映し出された動画サイトに接続されていた。
茶髪の小太りの青年――宮下洋平が顔を引きつらせながら、優が席に着く。
「本当にネットをするのかよ」
「何をすると思ってきたんだ」
優は苦笑しながら、狂人病の項目に映し出された動画を選びキーボードを叩いた。
映し出されるのは素人が取った手ぶれの酷い動画だ。
ニューヨーク、パリ、ロンドン、そして東京。
並み居る大都市の様子を映し出したであろう動画は、恐怖を持ってそこに存在してる。
変わらないのは、映し出されたゾンビの――無表情と言う名の表情。
それを次々に映しながら、瞬きをせずに見る優を怖いと思ったのは一瞬。
その表情は好奇心ではなく、まるで、そう研究者のようだと気づく。
あるいは武道家か。
敵を知り、そして一撃の下に相手をし止める――そう考えれば、どこか心強く。
敵にしたくねぇ。
実際、敵に回したことがある宮下だからこその実感だ。
やがて、動画をとめた優が振り返った。
「何ぼーっとしている」
「あ、いや。つれてこられたのはいいけど、何をすればいいんだい?」
「ああ」
高木の疑問の言葉に、説明がなかったと優は頭をかいた。
「それぞれの国の様子やゾンビの様子。少しでも情報が欲しい――まあ、そちらは主に俺がこれから調べるから。高木は医療と技術や教育関係を。宮下は食料、農業とか武器関係のことを調べて、パソコンに落としてくれるか。必要ならプリントアウトもしてな」
「は。はぁ?」
意味がわからないと言った宮下とは対照的に、小さく目を開いたのは高木だ。
そして、理解して一度頷くと、すぐにパソコンの前に座りキーボードをたたき出した。
「確かに。それは時間との勝負だろうね。検索サイトが使える間――ま、今日一日が勝負かな」
「ちょ、ちょ、高木。俺にもわかるように説明しろよ」
戸惑いながらも、自らパソコンの前に座る。
高木は手元の検索サイトをいくつも立ち上げ、同時にさまざまな用語を検索していきながらも言葉を続けた。
「宮下の担当は農業とか武器だろう。それらしい用語を打って、パソコンに落としていけばいい。特に重要なのは紙で印字をすればいいんだろう」
「いやだから、農業とか武器とかわけわかんねーって!」
「じゃ。君は味噌の作り方は知っているのか?」
「あ。味噌? そんなの知ってるわけねーだろ」
「じゃあ。醤油は、米は?」
「お、俺が馬鹿なの知ってるだろ! てか、馬鹿じゃなくても味噌の作り方なんざしらねぇ」
「だからだよ」
医療サイトを丸ごとパソコンにダウンロードしながら、高木は振り返った。
「今はスーパーに行けば、味噌も醤油も手に入る。だが、俺たちはその作り方を何も知らない。知らなければ、それを調べておくしかないだろう。もしそれらがなくなったら、誰が作るんだ」
「そ、そりゃ味噌職人とか……」
いいかけて、宮下ははっとしたように口を開いた。
その味噌職人ってのはどこにいる。
今頃ゾンビの胃袋かもしれない。あるいは誰かを齧っているかもしれない。
誰かが作ってくれている。
そんな当然の出来事が、たった数時間で崩壊したことに宮下は気づいた。
気づかされた。
そして、それらの技術は知らなければ――手に入ることはない。
いや、新たに探せばいいのかもしれないが、基礎知識があるのとないのでは大きな違いだ。
「全部自分でやるしかねぇって事かよ」
「無駄になるかもしれないが。無駄になったところで、別にかまわん。その方がありがたいしな」
唇を曲げる優の隣で、高木はすでに宮下を見ていない。
彼もまた調べるのは、医療や電気技術、そして教育手法と多岐に渡る。
慣れているというだけあって、いくつものブラウザを開きながらダウンロードを繰り返す操作は手慣れた物だった。
「ああ。のんきにアダルトサイトでも接続できるかと思ったら、すげぇ面倒じゃねえか」
しかも、超が付くほどに重要な。
これならまだ、ゾンビの血をたわしでこすっていた方が楽だったろう。
なぜなら、宮下が調べ切れなかった情報で下手をすれば技術が途切れる可能性がある。
パソコンを立ち上げると、宮下は検索サイトを立ち上げた。
何から調べるか――指がキーボードをさまよい。
18禁 エロ。
つい、いつものキーワードを打っていた。
Ψ Ψ Ψ
少々の戸惑いはあったが、そこは現代人。
高木のように慣れたようには調べられなかったが、農業サイトやら家庭菜園のサイトで野菜の育て方や家畜の育て方を次々にパソコンに落とし、同時に調理品や消耗品等の作り方を調べていく。
もちろん、いくつかのページは『NotFound』とサイト自体が見つからない事が多かったが、それでも必要と思われることを次々とダウンロードすることが出来た。
「なんだ」
余裕が出来てきたのか、一時間ほどが経過してパソコンを叩きながら宮下は口を開いた。
「こうしてネットが出来てると、なんか普通のような気がしてくるな」
「普通?」
「ああ。ゾンビのことも、狂人病のことも全部夢って言うかさ。何か……」
「言いたいことはわかるが。もともとネット自体はこういう事には強いからな」
「――?」
「ネットワークって言葉通り、中継点が一箇所じゃない事が強みだからな。もともとは軍事用だしな」
「は、なんだそりゃ」
軍事用という物騒な言葉に、宮下は検索の腕を止めて優を振り返った。
相変わらず、隣では高木と優が手も止めず、ダウンロードを繰り返している。
「技術の向上は大体軍事が絡んでるって、授業で習ったろう。ま、技術があるから軍事になるのかもしれないがね。鶏が先か卵が先かって奴さ」
「今宮。頼む、高木ならそれでわかるが、俺にもわかるように教えてくれ。第一、その鶏云々もまったくわかんねぇ」
「因果性のジレンマと言う奴だ。インターネット自体ももともとは情報の集中管理を避けるために開発された技法だったんだよ」
「だからな」
頭から煙を吹き始めた宮下を救うように、高木が苦笑して言葉を続けた。
「例えばニューヨークに全ての情報を集中すれば、それは楽だろう。ワシントンからでもロスからでもニューヨークと回線を結べば必要な情報を受け取ることができるわけだ。けど、ニューヨークが爆弾で吹き飛んだら、情報自体も吹き飛ぶことになるだろう。あるいは、その途中の回線が切断されても同じだ」
そう問いかけられれば、確かに宮下もなんとなくわかるような気がした。
そこにしかない情報は、当然そこにしかない。
それがなくなれば、情報自体がなくなるのは明白だ。
「でも軍事情報となれば、それは困る。一つの基地が吹き飛べば全てがなくなることは避けたい。だから、ネットワークというわけだ」
「情報を集中させるのではなく分散させる。回線が切れても、別の回線を経由すればそこにたどり着ける――あるいは一つの基地がなくなっても、他でまかなえるという具合にね」
「だから、そういった障害には強いわけだが……と、このサイトは駄目か」
「て。お、おい、いきなりバグッたぞ」
開いていた検索サイトに『Not Found』の文字が浮かび、宮下が動揺を浮かべた。まだ必要だと思われる情報は、半分もダウンロードできていない。
調べられないと思えば思うほどに、まだ調べてなかったであろう事が頭に浮かんで焦る。
やはりエロは後にすべきだったかと。
「心配するな、その検索サイトが切れただけだ。別のサイトを使えば――こっちは大丈夫のようだ」
高木が宮下の端末も操作して、再び検索サイトを立ち上げた。
「最もいくら軍事用だといっても、それを管理しているサーバが壊れれば当然見つからなくなる。情報を入れているサーバ自体は無限にあっても、検索サイトが入っているサイトは有限だ。さすがに全部が一気に壊れることはないけれど、壊されることもあるだろうし、電気がなくなれば終わり。だから……時間がないって言ってるのに、なぜお前はまたエロって単語を検索するんだ」
「あ、いや。癖でつい」
「君らには馬鹿しかいないのか?」
「それが、『黒夢』の欠点だと、僕は思う」
疲れたように高木が大きくため息を吐いた。
Ψ Ψ Ψ
それから一時間が経過して、室内は既に暗くなっていた。
時刻は八時を回っている。
優が電灯をつけることを禁じたため、モニターに移る微かな明かりだけが頼りだ。
次々と紙を吐き出したプリンタの周囲では、印字された用紙が散らばり山となっている。
「今宮君、ご飯できたよ?」
背後の扉が開き、蝋燭の小さな明かりで周囲を照らしながら明日香の声が聞こえた。
三時間以上もパソコンに向かい合い、大量のデータをダウンロードしていた三人の顔には疲労が見えた。
「ここまでにしておこうか」
小さく伸びをして、優が首を回せば――最後とばかりに、高木が薬剤の調合についてのページのダウンロードを開始した。
「あとで別にフロッピーやハードディスクに落としたほうがいいかもね」
「出来れば紙のほうが後々にも残るから、ありがたいけどな」
「時間もかかるし、インクも節約したいところだね。て、宮下――食事だよ」
「あ。いや、ちょっと待って」
何をしているのかと高木が覗き込めば、何やらサイトではなくソフトをいじっていた。
眉をひそめる中で、手慣れたように操作している。
やがて、ボタンを押せばファイルが次々にダウンロードされていった。
ダウンロード専用のソフトのようだ。
「あ。自動的に用語にあったサイトをダウンロードしてくれるソフトなんだ。家じゃこれを使ってた。寝ている間にもダウンロードしてくれるから、便利なんだぜ。動画とか画像とかをさ――他のも自動的にダウンロードをさせるから、ちょっと待ってて」
得意げに笑い他のパソコンも操作し始める宮下の姿に、高木と優は顔を見合わせる。
「エロってのも、たまには役に立つもんですね」
「そういえば、歴史の田向井が技術云々のときに言ってたな」
思い返すのは、気さくながら知識の深かった歴史教師の言葉だ。
技術の向上を話したときに、冗談交じりの言葉だった。
『戦争が技術を作り出すが、エロが技術を育てる。VHSやネットの復旧とエロの関連性は非常に大きく――実に実に、今では3Dが』
その後で、なぜか教師なのに生活指導室に連れて行かれていたが。
「な、なんかわからないけど。最低だよ、宮下くん!」
「俺かっ! 俺が悪いのかよ!」
明日香の非難に、宮下が泣きそうな声を上げた。