買い物
コンピュータ室のガラスを背にして小さくため息を吐けば、浜崎が近づいてきた。
響き渡る悲鳴に浜崎は小さく肩をすくめて、優にお疲れと声をかける。
「別に疲れてはいないさ。屋上はどうだった?」
「誰もいなかった。ただ、お前の予想通り太陽光パネルは設置されていたよ」
「それは幸運だな」
「おいおい。それを知っていて、ここに来たんじゃないのか?」
「まさか」
優は首を振った。
「さっきも言ったが、機械で管理されていれば一番怖いのは停電だろう。自家発電の設備くらいあるんじゃないかと思っていたけどね」
「それで十分さ」
呆れたように息を吐きながら、浜崎はいまだにあがる悲鳴に眉をひそめた。
肩越しに振り返り、
「大丈夫かね、彼女は」
「さて。人の事を心配している場合でもない」
「自分の事を心配しているようにも見えないがな」
からかうような言葉に、優は立ち止って背後を振り返った。
いまだ、浜崎はガラス戸の近くで腕を組んだままだ。
しばらく視線が合い、最初にはずしたのは優だ。
視線を戻し、廊下を歩きだす。
答えは聞けそうもなく、浜崎は肩をすくめると優の背を追った。
「どうなると思うね」
「どうなるとは?」
「助けがいつ来るかってことさ」
「助けね」
優は苦笑した。
「誰かが薬を見つけるか、あるいは狂人病が自然に治ればな。何とかなるかもしれないな」
「随分と悲観的な意見だな。警察があるし、自衛隊だっている。政治家だって馬鹿じゃない。最初は撤退したとしても、態勢が整えばすぐに救出隊だって」
「楽観的な感想だな。人口三万人程度の大高市ですら、この有様だ。大都市がどうなっているか君にも想像できるだろう?」
問いかけるような言葉と共に、優はエレベータのボタンを押した。
機械音が響き、エレベータの上昇する音が響いた。
「もしかしたら狂人病がはやっているのはこの街だけかもしれないだろう」
「突然発症したんだ、可能性がないとも言い切れない。何せ――」
呟いた優の前で、小さな停止音が響いた。
三階に表示し、一拍の間合いの後にエレベータの扉が左右に開く。
女がいた。
俯き、屈んでいる銀行員だ。
エレベータの停止に気づいたのだろう、女はゆっくりと振り返り。
「一瞬、先は何が起こるかわからないからな」
「そのくせ、嫌な事だけはきっちり起こる」
そろって顔をしかめながら、二人は顔を見合わせた。
一瞬、掴みかかった女に向けて拳が激突した。
Ψ Ψ Ψ
建物内の死体を外に運び出したころには、時刻は午後四時を過ぎていた。
すでに夕暮れが近づいており、夜の闇が近づいてきている。
日頃は夕食前で賑わっているであろう、そこも今では人気がなかった。
住宅街の大型スーパー。
その前に横付けされたバスの車内から、浜崎は顔を覗かせた。
「ここは大丈夫そうだな」
呟けば、バス内の車内に顔をひそめていた男達は安堵の表情を浮かべる。
買い物だ。
建物内の掃討を終えて、死体の始末も兼ねて優達はスーパーまで足を延ばしていた。
荒らされた跡もなく、見渡すところにゾンビもいない。
「さてと……」
バスの乗降口から死体を投げ捨てて、優は小さく呟いた。
「買い物とするか。遠藤と滝口、あと浜崎は食料品を。食材とあと調味料、レトルトの食品も頼む。宮下は金物と飲料水を――高木はトイレットペーパーとか雑貨品を。俺は衣料品を持ってくる」
「食材ね――日持ちする方がいいのか」
「それを大目に。ただ生鮮食品の入荷の予定もないし、食べれるのは今だけかもしれないな」
「なるほど。じゃ、今晩の夕食でも考えるか」
「その辺は任せる。あと、ゾンビが来たらすぐに逃げるから。時間はそんなにないぞ」
「脇から手当たり次第ぶち込むだけだろ」
「ま。そうだけどな」
優が肩をすくめれば、運転席で不安そうに日原が手をあげた。
「あの。俺は?」
「日原はすぐにだせるように、エンジンをかけておいてくれ。近づいてきたらパッシングでもして教えてくれたらいい」
「う、うん。わかった――みんな気をつけて」
力強く頷く日原に、悪戯気な笑みを浮かべて、滝口が肩を叩いた。
疑問を浮かべる日原に、
「映画で良くあるよな。残った奴に声をかけてたらゾンビになってたとか」
「冗談でも、そういうのはやめてよね。それだったら、そういう意地悪を言う奴が最初に襲われるんだよ」
「君らは二見か」
おそらく明日香が聞けば怒りそうな事を呟いて、優はバスから出た。
Ψ Ψ Ψ
広さはショッピングセンターのシルフィーに比べれば、微々たるものだった。
しかし、平時には住宅街の食卓を賄うだけのスペースはあり、特価と書かれたチラシが巻き散る室内をカートを押して駆け抜ける。
言葉通りに、浜崎達は手当たり次第にじゃがいもやニンジンなどの野菜を籠に入れている。
それを横目に優もまたカートを二つ引きずりながら目当てのコーナーに足を向けた。
衣料品だ。
すでにぼろきれとなっているTシャツを脱ぎ捨てて、かかっていたシャツを手にした。
胸元にでかく『鬼嫁』と書かれた、一体だれが得をするのか迷う洒落シャツを着込み、ついでとばかりにワイシャツやTシャツを籠へと放り投げていく。
サイズや値段など関係なく、ただただ作業のように繰り返せば一つのカートはシャツで満杯となっていた。
それを確認すれば、次に向かうのは下着コーナーだ。
やはり下着と靴下を籠に入れて、優は止まった。
女性下着売り場だ。
スポーツタイプのブラやシンプルなフロントホックブラ。さらには女物の下着が並べられているところを前に、優は頭を抱えた。
どうすると。
いらないと言う事はないだろう。
けれど、何を買えばいいか見当もつかなかった。
そもそも手に取ったブラのサイズすらわからない。
感覚的には明日香は大きいし、琴子はその逆でスリムだ。
あうのかどうかも分からないし、この花柄のデザインが気に入るかどうかもわからない。
いっその事なかったことにしようかと悩んだが、毎日同じ下着をつけるというわけにもいかないだろう。
「――い、今宮。お前そういう趣味が」
ぴきっと優のこめかみに血管が浮かべば、背後にはへらへらと笑う遠藤の姿があった。
ピアスを唇につけて口を開き、米が大量に入ったカートにもたれかけ、
「冗談だよ。知らなけりゃ悩むよな。ほら、高校生だろ――こっちはおばさんくさいし、これとこれと」
手慣れた様子で遠藤は、下着を籠へと放りこんでいった。
「随分と詳しいな」
「妹二人に姉貴が一人いるからなぁ。慣れたもんだ――今宮はいねえのか?」
「誰も。母さんも小さい時に死んだからな」
「そっか。わりぃこと聞いちまったな」
「別に。気にしてない――ここは任せる」
「ああ。任せてくれ」
「いや、パンツを握りしめてながら断言されても、困るぞ」
優は苦笑すると、下着を入れていたカートを置き、転がしていった。
Ψ Ψ Ψ
「いや、だからカレーが良いと思うすよ」
「いやいや、カレーよりはシチューがいいだろう」
「いや、だってシチューはこの間食いましたし」
「関係ねぇ!」
「君らは何の争いしてんだ」
呆れたように割って入る優に、滝口と浜崎は同時に顔をあげた。
「いや、浜崎さんがシチューが食べたいっていうんだよ」
「こういう時は野菜がたくさん入ったシチューだろう?」
「あのな」
頭痛を抑えるように、優は頭を押さえる。
「さっき言ったろう。日持ちのするカレーとかシチューは今後嫌というほど食べる事になると思うぞ。その前に牛肉なり刺身なり生鮮食品を買った方がいいと思うんだが」
優の言葉に、浜崎と滝口は顔を見合わせた。
それもそうだと思う。
レトルト食品は、今後食料がなくなれば食べる事もあるだろう。
何もそんな時に食べなくてもいいと考えて、同時に口を開いた。
「ステーキが良いと思うんす」
「焼き魚かくいてぇ」
駄目だ。これは――永遠に決まりそうもない。
「どうでもいいが――ゾンビの夕食にならないくらいには早く決めてくれ」
ため息を吐きながら、優はカートを押していく。
Ψ Ψ Ψ
「フライパンと鍋。あと」
雑貨を籠に入れながら、宮下はぶつぶつと呟いていた。
茶髪の青年が、大人しく買い物かごに文房具を入れている姿は非常にシュールだ。
何を入れればいいのか、本人もわかっていないようで、見たものを片っ端から入れているようだ。そのため、飲料水を入れたであろうカートの半分は、酒という有様であったが。
もはやわざとであるのか、本気で気づかないのか優にも想像ができなかった。
「誰がこんなに飲むんだ」
「え。あ。今宮!」
驚いたように振り返り、宮下は視線を追って酒に気づく。
「あ。いや、うちじゃ飲み物って言えばこれだったから」
違うのかといわんばかりの回答に、小さく苦笑する。
「まあ、日持ちもするだろうが――飲みすぎるなよ。身体を壊してもここじゃ誰も助けてくれない」
「あ。ああ」
頷いた宮下の脇を抜けて、優は進んだ。
「あ、あの今宮」
「ん?」
振り返った今宮に、宮下は迷ったように声をかける。
唇を噛みながら、
「な、何でよ。何で助けてくれるんだ」
「何でといわれてもな」
「だって。俺達は敵だろう?」
そう言って、話しだしたのは明日香の件の事だ。
明日香をからかった――今は亡き主犯の井上、そして宮下もあの場にいた。
すぐに優によって病院に送られたが。
「なのに、何で助けたんだよ」
それは先ほどの件のこと。扉を破ったゾンビに引きずりこまれかけた時のことだ。
優の手によって助けられた。
助けられるとは思っていなかった。
「別に敵だとも思っちゃいないさ。ただ、腹がたっただけだ。あの時も、そしてさっきも」
その答えに、宮下はきょとんと眼を丸くした。
あまりの堂々とした言葉に、しばらく口を開き。
「鬼かお前は」
そう呟くが、呟いた言葉に笑みを浮かべながら踵を返す。
その姿は――まるで子供だと、宮下は思った。
Ψ Ψ Ψ
入口近くの日用品コーナーでは、高木と呼ばれた眼鏡の青年が商品を選んでいた。
トイレットペーパーや石鹸、歯ブラシにシャンプーなど必要なものを丁寧に籠に入れている。
入口までくれば、それぞれ思い思いにカートを押して後ろから続いていた。
わずか数分足らずの買い物であったが、それぞれカート二つ分を押してバスへと向かう。
その多さに、運転席で日原が目を丸くしていた。
「随分と買い込みましたね」
「バスなのが幸いしたな」
ステップは浜崎が楽々と持ち上げて、車内へと運び入れる。
日用品や衣料品はともかくとして、十キロの米が山と積まれたカートですら小さく声をあげて持ち上げて見せて、優は彼が車を持ち上げたと言う逸話は本当じゃないかと思う。
実に十二ものカートが入れば、さすがのバスの車内も満杯だ。
疲れはあるだろう。
どこか嬉しそうであるのは日常に少しでも接する事ができたせいか。あるいは逆に非日常を楽しく思ったかのどちらかであろう。
「で。夕食は何なんですか?」
「ああ」
と、浜崎は自信を持って頷いた。
「ステーキと刺身の間をとって、ハンバーグにした。卵もこれから使えなくなってくるだろうしな」
「どのあたりの間をとって、ハンバーグになったのかわからないが」
優は運転席の後ろに腰をかけながら、小さく笑い。
「さあ、帰ろう――二見達が首を長くして待っている」
「ええ。じゃ、出発します」
一台のバスは、来た時と同じように風のように走り抜けていった。