第4章 由良那部紗爛
「しっかしあいつ、強かったよな。」
その日の夜、優人と純、勇也の三人が駅前のお好み焼き屋でもんじゃをつついているとき、純が言った。
「一点目なんかあっという間だったじゃんか。」
「それ以上言うな。」
優人が、へらで、えびをつつきながらぼそっと言った。
「おい、高坂、そんな落ち込むなって。」
勇也が帆立入りのお好み焼きを鉄板に流し入れながら言った。
「誰だって負けることはあるだろ。お前は負けなさ過ぎて“負け感覚”が鈍ってるんだよ。」
「…わかってる。さっきもう、純に言われたよ。」
「ところでさ。」
純が勇也の入れたお好み焼きを平たくのばしながら切り出した。
「お前、彼女連れて案内行ったんだろ?どんな子だったんだよ?お前が手え出さないで帰ってきたからどうしたんだって勇也と話してたんだよ。」
「あーっ!もう、聞いてくれよ!!あの後さ、一応案内行ったんだけど…」
~五時間前~
「あなた、もっと強いと思ってたんだけど、そうでもなかったのね。」
廊下で二人きりになったとたん、紗爛が言った。
「俺がそんなに上手かったら日本にいないだろ。」
優人がむすっとしたまま言うと彼女は彼の顔をのぞいてクスッと笑った。
「あなた、最近負けたこと無かったんでしょ。」
「そんな事…!」
「あなた、お名前は? 」
「あぁ、高坂優人だ。」
「よろしく、高坂君。」
紗爛が笑ってお辞儀すると、優人の鼻にふわっと甘い香りが届いた。
ったく、俺は何でこんな事くらいでビビッてんだよ。
優人はそう思うとドアをひとつ押し開けた。
「ここが応接室。まぁ、生徒はめったに入らないけどな。」
「あたし、午前中ここで畑山コーチと話してたのよ。」
紗爛が言った。
「そうだよな。」
優人はそう言うとドアを閉じて反対側のドアを開いた。
「ここはシャワー室。」
彼はそう言いながら中に入った。左側の壁にロッカーが並び、右側に三つ、個室のシャワールームが並んでいる。
「余計な荷物なんかをここに入れるんだ。」
優人がロッカーをぽんと叩いて言った。
「服は向こうに入ってから脱いだ方がいいぜ。」
と、シャワールームを指して言う。
「ここのシャワー室は男女兼用だから皆すげー気ィ遣ってるしな。よし、次行くぞ。」
シャワールームのドアを開けて見ていた紗爛に優人が言った。
「ん。」
二人は無言で二階に降りると、優人がスクールカードを出した。
「ここがジム。うちの教室の生徒なら誰でも使える。ドアにカードを通して――」
優人はそう言いながらドアキーにカードを通した。ピッと音がする。
彼はカードを抜き取ってドアを開けた。
「ほら。」
彼が紗爛を中に入れながら言った。立派なジムで、様々な機器がそろっている。
「女の子はあんまりジムは使わないか。」
優人はベンチプレスを嫌そうに見ていた紗爛に言ってジムの奥から隣の部屋へ来るように手招きした。
「こっちの方がお前向きだろ。」
「ヨガ?」
整然とひいてあるマットを見て紗爛が言った。
「そうだ。毎週火曜と木曜に先生が来るから女子は結構集まってんだ。お前も来るだろ?」
「そうね。」
紗爛はオレンジ色のかさのついた電気を一瞥するときびすを返して戻って行った。
「おい、ちょっと――」
「案内はもう終わり?終わりだったらあたし、畑山コーチと話したいから行くね。」
彼女は呆然と立ち尽くす優人を残してドアへ向かった。
「そういえば」
ドアに手をかけた紗爛が思い出したように言った。
「あなた、自分はカッコよくってフェンシングも出来て女の子にもモテるって思ってるみたいだけど、いい加減調子に乗るのもやめたら?第一、あんなフェンシングじゃ世界大会どころか予選一回戦落ちってところじゃない?ま、世界で勝ちたいなら、少なくとも、あたしに負けないように初心に帰ってせいぜい頑張って練習するのね。じゃ。」
そして彼女はそのまま優人を置き去りにして廊下を戻って行った。
「まぁ、それはなんて言うか…凄いな。」
純が鉄板に張り付いて黒焦げになった生地を取ろうと躍起になりながら言った。
「だろ!?誰が調子に乗るなだよ。あいつが一番調子こいてんじゃねえか!」
優人はウーロン茶を一気飲みして言った。
「まぁ、でも僕には彼女の気持ちも解らなくは無いけどね。」
勇也がお好み焼きをひっくり返そうと、へらを擦り合わせながら言った。
「はぁ!?」
「いや、だって、事実、由良那部さんは女だけど高坂より強いし、今の話し聞く限りじゃ彼女だって世界大会の常連っぽいだろ?ってことは、世界大会ってのは、あの子くらいのやつらが、平気でごろごろしてるってことじゃないのかなって。」
よっと…と言ってお好み焼きをひっくり返して勇也は上をポンポンとたたいた。
「まぁ、とにかく、これでお前があの子に手を出さなかった理由がわかったよ。」
純が優人の肩をたたきながら言った。
「手を出さなかったって言うよりは出せなかったって感じだけどな。」
彼は優人の肩に手を置いたまま水を飲んだ。
「でも、それって良かったんじゃねえか?そうやってはっきり言ってくれる人って実は少ないし、それに、そう言われれば直すべきところも見えてくるし。
お前が真面目に練習してれば、次は紗爛チャンのほうから来てくれるって。
「別に、俺はあんな女――」
「へえーっ。優人でも、女の子に本気で興味もつんだ?」
純がお好み焼きにソースを塗りながら言った。
「だから俺は、別にあんな女、どうでもいいんだっつーの!!」
優人が叫ぶように言うとお好み焼きをがっついた。
数人の親子連れがその声に振り返った。
「まぁまぁ、そう、熱くなるなよ。お前が女の子に興味持たないってのは初めてだから、俺らだって気になるんだよ。」
勇也はそう言うとお好み焼きを優人の皿に分けた。
「そういうこと。」
純がうなずいた。
「ま、これからの展開を見させてもらうよ。」
彼は優人にそう言ってウインクした。