第3章 彼女
「それで、お前、もし日本代表になれなかったらどうするんだよ?」
「…親父の仕事継ぐしかないだろうな。」
昼休み、お昼ご飯を食べながら優人が聞いた質問に、純は箸をとめて答えた。
「でも俺は、やっぱ試合に行きたいんだよ。だから今は、練習して、練習して、お前に負けねえくらい強くなる!そのために、日夜練習に励むってわけだよ。」
純はそう言うとエビフライを一口で食べて、口を動かしながら弁当箱をしまった。
「先行ってるぜ。早くしろよ!」
「お前も負けてられないな、高坂。」
向かいに座る勇也が部屋を出て行く純を見ながら言った。
「なにが? 」
「何がじゃないだろ、横根の事だよ。柔道にはまってた時の事、覚えてないのか?半年やっただけで新人大会で優勝してた。」
「そういえばあったな。」
優人がきゅうりの漬物をポリポリかじりながらうなずいた。
「だからさ、きっとあいつ、本気になったら凄いよ。ま、俺はせいぜいあんたたちの足手まといにならないように頑張るからな。」
勇也はそう言うと立ち上がって優人の肩を小突いた。
「ほら、行こうぜ。」
優人と勇也が教室へ入ると女子が一組、試合中だった。
片方の赤いシャツには見覚えがある。
「あれ、木村亜美じゃん。」
優人が口を開く前に勇也が言った。
「おい、勇也、見ろよ…」
優人の驚愕した声に勇也は彼の視線を追って得点版を見た。
木村亜美が、4対0で負けている。
「あれ誰だよ?」
2人がそう言ううちにも謎の少女は相手の切っ先を払ってすばやく3歩詰めると亜美の左胸をついた。
ピーッと音が鳴り、電光得点版の表示が5対0になる。
「ラッサンブレ・サリュー」
審判の先生が言うと二人はお辞儀し、亜美はマスクを持って友達のところへ駆け寄った。
謎の少女はマスクを取るとぐるっと周りを見回した。
「日本の教室って、みんなこのレベルなの?もっと強い人っていないわけ?」
彼女の声が響いた。
勇也が優人をちらっと見た。そして、入口と反対側の壁にいる純が、亜美と、彼女の友人たちが。最終的に、教室中の目が優人に集まっていた。
「あなた、強いの?」
「まぁ、…まあまあ。」
優人が言うと、彼女はフルーレの切っ先で定位置のラインを示した。
「一試合してみない?」
「俺はどう見たって男だろ。男女が試合するなんて、聞いたこと―――」
「―――逃げるの?」
彼女の一言が優人の胸に突き刺さった。
優人はマスクとフルーレを取ると、つかつかと歩いて彼女の前に立った。
「5点先取でどう?」
「おう。」
優人が電気審判機のコードにフルーレをつなげながら言った。
「ランッサンブレ・サリュー」
コーチの指示でお辞儀する。
「アンガルド」
2人はお互いから目を離さずにマスクをつけた。
「エト・ヴ・プレ?」
「ウィ。」
「ウィ。」
「アレ!」
コーチの声と同時に少女がぱっと前に出た。優人が半歩遅れて一歩下がり、ついてきたフルーレを払うが、彼女は返り手で彼の胴の真ん中を突いた。
ピーッと音が鳴り、電光板に1の数字が光る。教室に衝撃が走った。
「早っ…」
勇也が純の横に腰を下ろしながら言った。
優人は定位置に戻ると相手をじっと見た。
動きがすばやすぎる。なんなんだ?この女は?
「アレ!」
の声と共に2人は同時に前に出た。切っ先がぶつかる。彼女はすぐに一歩下がると切っ先をまわして離し、優人が体制を立て直す前に2歩進んで右胸を突いた。再び得点音が鳴る。
フォロワーがざわめいた。ここ最近、優人が試合で劣勢になったことなどなかったのだから。
2人が再び剣を交えるとまた教室中の目が彼らに向いた。
優人も、彼女の癖が分かりはじめていた。彼女が攻撃に移るのは、必ず返り手からだ。
優人が一歩詰めると彼女は彼の切っ先を払った。勝負はここからだ。優人は返り手で突いてきたフルーレを払うとぱっともう一歩前へ出た。
彼女は一瞬ひるんだが、すぐに優人のフルーレを止めて払い、返り手でもう一度払うと同時に突いた。
ピーッという音と共に、電光板の数字が3対0になる。
片側の壁に集まっていた女の子たちが「あーっ」っとうめいた。
優人はくそっと悪態をつくと定位置まで戻って構えた。
「アレ!」
コーチの声と共に今度は一歩下がった。彼女の切っ先が優人のフルーレの先を擦る。
その瞬間に優人がぱっと前に出て突いた。彼女は体勢を崩しそうになりながらも彼のフルーレを払う。しかし、優人はお返しとばかりに返り手で彼女の左胸を突いた。
ピーッと音が鳴り、電光板の表示が3対1になった。
教室にほっとしたため息と、笑顔が広がる。
2人は定位置へ戻ると「アレ!」の声で再び動いた。
どちらもすぐには攻撃せず、タイミングを図る。先に前に出たのは彼女だった。
ぱっと突いてすぐに一歩下がる。それと同時に優人が2歩間合いを詰めた。攻撃していれば、そのうち隙が出来る。
優人が彼女のフルーレを払い、下から突こうとしたとたん、ピーッと音が鳴った。
はっとすると、彼女が優人の背中を突いていた。
完全に不覚だった。
4対1。後はない。
優人はしっかり相手を見据えると「アレ!」の声と共に前に出た。
突きを繰り返すが、攻撃に移る前に阻まれる。いつも以上の緊張で集中力が奪われ、一瞬の反応に鈍くなる。優人が突きを決めようとした一瞬、わき腹が無防備になった。
「やばっ」
と優人は思い、一拍遅れた。彼女はその瞬間を見逃さなかった。
ピーッと音が鳴り、得点板の表示は5対1になった。
「うそだろ?」
「高坂が…負けた?」
「しかも俺が朝、奴とやった試合の点数だぜ?」
純と勇也がぼそっと言った。
「ラッサンブレ・サリュー」
コーチの指示で礼をした優人は相手の少女を見た。
少女といっても、二十歳くらいの、すらっとした女性だ。一本のみつあみの髪を背にたらしている。顔立ちが少し外国人風なところを見ると、ハーフだろうか?
「畑山コーチ、父は、ここの教室なら強い子もいるって言ってたんですけどね。」
いまだ教室中の目を集める中、彼女が言った。
「はっはっはっ。君はお父さんにそっくりだね。その毒舌なところ。」
畑山倖太郎コーチが快活に笑って言った。
「あの、彼女、誰?」
純が壁際から言った。
「あぁ、紹介が遅れたね。」
畑山コーチが彼女の肩に手を置いて言った。
「イギリスからの転入生、由良那部 紗爛さんだ。皆、彼女から色々教われるだろう。」