第二話 レイの初登校④
返事はするのに、足が一拍遅れる。
クラスメイトを前にすると急に様子が違う。
何か、踏み込みたくない境界線でもあるみたいに。
私はルカの背中を、ほんの軽く押した。
強く押したら、折れそうだったから。
席へ向かう間も、視線は熱いのに、声は遠い。
机の木目、椅子の軋み、チョークの粉っぽい匂い。
どれも学校なのに、私の知ってる学校と違う。
机に置いてあった教科書をパラパラと捲ってみる。
不思議なことに、文字は日本語ではないはずなのに、意味が直接頭に流れ込んでくる。
異世界転生特典の『自動翻訳機能』だろうか。便利。
いや、便利であってほしくない。読むな私、現実を。
……けど、今更『二次関数の最大・最小』とか言われてもね。
全部マクロ経済学の彼方に置いてきたんだけど……しかもそのマクロも、試験前で半分白紙だけど。
「聖女様っ!」
感傷に浸る間もなく、女子生徒たちが一斉にルカの周りに群がってきた。
ふわっと香水みたいな甘い匂いが広がり、制服の裾が擦れる音がする。距離、近い。
「お昼、よろしければ私たちと一緒に……!」
「ぜひ、異界のお話をお伺いしたいですわ!」
「えっ!あ……あの、殿下……も、一緒に……」
ルカが助けを求めるような、遠慮がちな視線をこちらに送ってくる。
……分かる。今の状況、逃げ道がない。
「私も一緒に行っていいかな?」
「えっ……殿下も、ですか?」
女子生徒たちが顔を見合わせ、戸惑いの色を隠さない。
……おい、待て。元々ルカはこのクラスの生徒なんだよね?
その割には、この壁は何だ。
親しげに話しかける者もおらず、どこか遠巻き。
腫れ物に触れるような疎外感が、肌にまとわりつく。
「大丈夫。王から聖女の面倒を見るように言われてるだけで、離れるわけにはいかないんだ」
王子らしい口調でさらりと言うと、彼女たちは「あ、そうですか……」と、なんとも形容しがたい微妙な空気になった。
言葉は丁寧なのに、視線は冷めている。笑顔が薄い。分かりやすい。
明らかに渋々といった気配を背中に感じながら、私たちは学園の食堂へ向かった。
そういえば、朝からのパニックのせいで胃袋は空っぽだ。
空腹が限界値を突破し、視界の端がちょっと白くなる。
今倒れたら、王子の体面が死ぬ。いや、もう死んでるけど。
辿り着いた食堂は、私の知る学食の概念を根底から覆すものだった。
大理石のカウンターにずらりと並ぶ、ビュッフェ形式の料理。照明まで美味しそう。
「うわっ、すご……」
香ばしいバターの匂いが漂う焼きたてパン。
宝石みたいに鮮やかな新鮮野菜のサラダ。
湯気を立てる肉料理に、繊細な盛り付けのデザート。
皿も銀縁で、フォークが妙に重い。何ここ、学食じゃなくて式典会場?
これ学食のレベルじゃない。
五つ星ホテルのモーニングバイキングだ。
しかも、誰もお金を払ってる形跡がない。ってことはこれ全部、無料なの!?
「あ、私、全員分の水を取ってくるね」
反射的にトレーを持って立ち上がると、女子生徒たちが「ヒッ」と短い悲鳴みたいな声を上げた。
「えっ、そ、そんな、殿下自らっ!滅相もございません!」
「いいのいいの。みんなは先に座って、温かいうちに食べ始めてて」
営業スマイルを振り撒いて、給水機へ向かう。
銀のピッチャーに水を注ぎながら、遠くの席で再び囲まれているルカを眺める。
「聖女様、どちらの国からいらしたんですか?」
「魔法はやはり、特別なものをお使いに?」
「ああ、なんてお美しい瞳……」
……うーん。ルカ本人は困っているようだけど、あれは紛れもなく私の身体だ。
中身はただの、単位を気にする女子大生で、聖女なんて高尚な代物じゃない。
あんな風に崇め奉られているのを見ると、まるで国家規模の詐欺を働いているみたいな罪悪感が、じわじわ上がってくる。
……異世界に詐欺罪ってあるのかな。
あっても死刑とかじゃないよね?せめて罰金で済んで。
「はい、お水。あと、おしぼりもどうぞ」
「……あ、ありがとうございます、殿下」
全員に配り終えると、私はルカから二つほど席を空けて腰を下ろし、ようやく食事に取り掛かった。
近すぎると変に目立つし、離れすぎると護衛失格だし、難しい。王命ってめんどくさい。
……パン、うっま!
小麦の香りとバターのコクが、暴力的なまでの多幸感を連れてくる。
外はカリッ、中はふわっ。噛むたびに幸せが増える。
サラダもシャキシャキで、ドレッシングの酸味が絶妙だ。
最高じゃない。異世界の学校生活、食生活に関しては文句なしだ。
受験のプレッシャーさえなければ、ここ、普通に天国かもしれない。
「……あ、まずい。そういえば私、日本で留年確定してたんだった」
もぐもぐとパンを頬張りながら、ボソッと本音が漏れる。
思わず食事のおいしさに現実逃避しちゃった。
今はただ、この美味しい食事だけが私の正義だった。
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