第二十二話 ルカに向けられる視線②
「えっ……!?」
「これはこれは、聖女様。お一人でこんなところにいらっしゃるとは、感心しませんね」
闇に飲まれた音楽室で、声だけがやけに近かった。
卑屈な笑いを含んだ男の声。背筋がひやりと冷える。
――あの時、壁の向こうで僕たちの悪口を言っていた、学園の教師だ……!
ガチャリ。扉に鍵をかける音。
次いで、窓から差す陽の光を受けて、眼鏡がぬらりと怪しく光った。
姿は輪郭だけ。なのに、口元の歪みが見える気がする。
「……なんの用?その様子だと、あの手紙は君が書いた偽物だね」
「手紙?さて、何のことか。私はただ、不届きな『偽聖女』を捕らえに来ただけですよ」
「しらばっくれるな!」
大丈夫だ。落ち着け。落ち着け、僕。
スカートの中には、護身用のナイフを隠している。
ただの教師になんか、負けはしない……!
「おやおや。そんな物騒なものを隠し持つとは、聖女らしくない」
教師がニヤリと歪んだ笑みを浮かべた。
指先が宙をなぞると、線が空気の中に魔法陣を描いていく。
「えっ……しまっ――!」
床の隙間から、太い植物の蔓が猛スピードで伸びてきた。
足首に、手首に、腰に。ぬるりと絡みつき、締め上げる。
僕は反射的にナイフへ手を伸ばす。でも――届かない。
蔓が肘を引き絞って、指先が空を掻くだけだ。
「わっ!くっ……放せ!!」
次の瞬間、身体がふわりと浮いた。いや、浮いたなんて優しいものじゃない。
吊り上げられる。足が床から離れ、視界が揺れ、スカートの裾がひらりと翻る。
心臓が喉までせり上がって、息が詰まった。
教師が、ゆっくりと近づいてくる。
足音がやけに響く。近づくほど、僕の背中を這う寒気が濃くなる。
「ええ、ええ。放して差し上げますよ。ただし……ご自分が『偽聖女』であると認め、公式に謝罪するならばね」
「……っ!」
なんで……。
こいつらの悪巧みを知っていたのに。僕を狙っているってわかっていたのに。
どうして僕は、手紙なんかにつられて、こんな見え透いた罠に――
レイの努力を踏みにじるみたいな軽率な行動で、のこのこ来てしまったんだ。
これを認めたら、レイが今日まで積み上げてきた努力が、全部、台無しだ。
それどころか、彼女まで『偽物と婚約した愚かな王子』として窮地に立たされるかもしれない。
でも――
「……僕は、聖女だ……」
「はっ!この程度の拘束魔法すら解呪できないくせに、まだ聖女を名乗るか!」
声を絞り出す僕を、教師は鼻で笑った。
喉が震える。怖い。怖いのに、ここで折れたら、全部が終わる。
それでも……レイは。レイだけは、僕を信じてくれた。
無能だと言われ続けた僕に、「がんばったね」って言ってくれた。
価値があるって。僕の存在を、ちゃんと見てくれた。
「たった一人でも……!大切な人が僕を信じてくれるなら、僕は、聖女だ!!」
僕は、レイのために……!
レイだけの聖女でありたいんだ!!
口にした瞬間、胸の奥が熱くなって、涙の塊が喉に引っかかった。
「チッ……認めないのでしたら、正真正銘『聖女』ではなくなってもらいましょうか」
「え……?」
教師の目が、ギラリと獣みたいに光った。
そして、僕の足元へ――いや、僕へ伸びてくる手。
「聖女が他の男に穢されたと知ったら、殿下はどうされるでしょうねぇ?」
「やめて……それだけは……来ないで……っ」
「お優しい殿下のことだ。泣き崩れるあなたを抱きしめてくださるのか……それとも、汚れ物として捨てるのか」
そんな、まさか。これって……。
頭が真っ白になる。息が浅くなる。視界が滲む。
この身体は、僕のじゃない。
レイの大切な身体なんだ。
涙が溢れてきて、止まらない。
僕の不始末で、レイの身体が穢されるなんて――それだけは……!
怖さの底で、別の恐怖が牙を剥く。僕が壊れるより、レイを壊すほうが怖い。
教師の手が、ストッキング越しに僕の足に触れた。
ゾクッ、と吐き気を催すような鳥肌が全身を駆け巡る。
叫びたいのに喉がカラカラで、声にならない悲鳴が、涙と一緒にこぼれ落ちた。
さっきまで、あんなに楽しかったのに。
レイと一緒にいたから。
レイが笑ってくれていたから。
こんな絶望の真っ只中でも、思い出すのはレイのことばかりだ。
レイ……
レイ…………
レイ………………
心の中で何度もレイの名を呼ぶ。
もう、二度と僕に笑いかけてくれないかもしれないのに。
ごめんね、レイ……。
「そこまで。……聖女から離れて」
凛とした、冷徹なまでの静寂を孕んだ声。
空気が、ぴんと張る。僕は弾かれたように顔を上げた。
いつの間にか闇に紛れて、教師の背後に立つ僕の姿。
その手にある剣の切っ先が、教師の首筋に添えられている。
皮一枚の余裕もない距離。喉がごくりと鳴った。
「手を挙げて、こちらを向いて跪け。三秒以内」
「……い、いつから……そこに……」
「喋る許可は与えてないんだけど?耳、付いてる?役に立たない耳なら、いらないっか?」
凍てつくような声。
レイの姿を確認して、安堵が一気に押し寄せた。なのに同時に、背筋が凍る。
見慣れたはずの僕の顔が、見たこともないほど冷酷で、氷の刃みたいな鋭さを放っている。
「でも、そうだな……もし私に協力してくれるっていうなら、少しは温情をかけてあげても構わないけど?」
彼女は、にっこりと笑った。
けれど、その目は一ミリも笑っていない。
「……!な、何をすれば……!?い、命だけは、命だけは……っ!」
完全に戦意を喪失した教師が、食い気味に縋る。
レイは軽蔑を隠そうともしない目で見下ろし、低く囁いた。
「簡単なこと。――あの方たちに、『嘘の情報』を流してほしい。……たったそれだけのこと、できるね?」
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